10/12/12 01:30:57 0
>>124
>ルネサンスの文化や技術を伝えるために、職人や商人や学者などを本国
>に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?
ちょうど宗教改革とその対抗改革の時代だということを忘れないように。
この辺は想像だが、イタリア・ルネサンスの担い手の学者や文人ははっ
きり言えば、教皇庁より厳格なカトリック国家である上に、無骨な風情が
残ってた当時のスペインには合わないと思うよ。
少なくともそれよりもっと前、イル・マニーフィコの時代にフィレンツェ
の芸術家は積極的に国外に出てるが、スペインにはあまり出向いてないと
思うし、ダ・ヴィンチにしても最後のパトロンはスペインじゃなくてフラ
ンソワ1世を選んでる。
ルネサンス学者はフィレンツェに多いけど、これもイル・マニーフィコの
死後にはサヴォナローラに転向しちゃったのも多いしなあ。
スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
スペインの支配外。イタリア戦争はフィレンツェ中心のルネサンスの終焉
の時期でもあるんだよ。その後にヴェネツィアルネサンスが最盛期迎える
けど、それは芸術分野だからな。
>それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?
正確に言うとイタリア戦争の荒廃からヴェネツィアに逃げた職人が多いけど、
ヴェネツィアも丁度アフリカ航路の問題もあって、国内産業の育成に目を向けて
たから、そういった職人を高待遇で迎えてるからな。後にはそれが裏目に出る
けど、この時はそれが当たってる。
スペインのほうは、ミラノの例を挙げたように、寧ろ産業を衰退させるような
ことしてたから、戦争終結しても、職人には全然魅力はないだろ?