大航海時代at WHIS
大航海時代 - 暇つぶし2ch100:世界@名無史さん
10/12/11 16:43:16 0
>>99
11世紀以後の地中海のイタリア人たちの商業活動が、アルプス以北のヨーロッパ世界に
強い刺激を与え、そこで12世紀以後独自の経済社会的な発展があったのでしょうね。

大航海時代や海外活動も、ポルトガルやスペインの単独事業ではなく、経済的にみれば
両国とも貧乏国家でしたから、彼らの事業を支えたのはイタリア人やドイツ人、
ユダヤ人などでした。
ドイツでは、銀山の好景気に乗って、フッガー、ヴェルザーなどの金融商人が
全ヨーロッパに経済活動の網の目を張り巡らしていました。
資本提供ということだけではなしに、経営技術の面からいっても、イタリア人の
貢献は大きかったわけですし。

101:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 17:05:30 0
>>100
有名なコロンブスだって出身はイタリアのジェノヴァだからね。
スペインがハプスブルク家の下でイタリア支配を、
確立したのにもそういう事情が背景にあるのかな?

102:世界@名無史さん
10/12/11 17:22:18 0
>>101
ジェノヴァは個人主義で都市国家当時から個人でアラゴンに協力したりしてたし、
当時はもう都市国家の様相を呈してなかったから、ジェノヴァ人はスポンサーが
必要だったんだよ。プレヴェザやレパントの海戦でスペイン軍の指揮を執ったド
ーリア家は元々ジェノヴァの政治を牛耳ってた最有力家系の一つだけど、もうあ
まりイタリア人云々は関係なくなっちゃってる。

それで、スペインのイタリア支配はどうも、新大陸での収奪並みに激しくて、イ
タリア人の技術とかそんなレベルじゃないようだ。ミラノなんかも主軸の毛織物
業が壊滅したってくらいらしい。今の南伊の遅れも未だにハンニバルの影響とか
言われることもあるようだけど、多分窓税まで取った過酷なスペイン支配の影響
だな。窓税が払えなければ屋根剥がして売るレベルで、ナポリに数十万の乞食が
溢れたってくらいだから。

103:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 17:41:05 0
>>102
なるほど、当時のジェノヴァはイタリア半島の中でも、
特殊な地域で、イタリア人云々はあまり関係ないという事かな。

それと、スペインのイタリア支配って意外と激しかったのか。でも、スペインが、
イタリア支配に乗り切ったのは新大陸のように資源だけが目的ではないよね。
イタリアに蓄積された技術や文化の導入っていう事も少しは関係あるんじゃないかな?
当時のイタリアはルネサンスや人文主義のおかげで文化レベルが高かったし。

104:世界@名無史さん
10/12/11 18:37:34 0
>>103
ちょっと細かいところ忘れたから、イタリア戦争で調べてくれ。
本質的にはイタリアを狙ったフランスとそれに対抗したハプスブルク家
の領土争いであって、技術や資本を目的にしてるわけじゃないから。

ルネサンス文化が各地に波及したのはあるけど、技術に関してはイタリア
のほうはイタリア戦争で荒廃したおかげで職人がヴェネツィアなんかに
逃げちゃって、それがヴェネツィア産業の興隆に繋がってレヴァント貿易
に影響したって側面がある。
北イタリアの他の産業も逆にスペイン本国産業の保護のために抑圧されて
衰退してる。
「スペインはシチリアで齧り、ナポリで喰らい、ミラノで食い尽した」
って言われるくらいだが、齧られただけのシチリアでも古代から中世まで
穀倉地帯だったのが、灌漑設備が破壊されて農業生産がボロボロになっ
てるレベル。実際シチリアの地中海における穀倉としての話がこの時代以
降消えてるだろ?

銀行業のほうも、イタリア戦争の頃には既にイタリアの銀行のヨーロッパ
への影響力は落ちてる。イル・マニーフィコ時代にはもう傾いてたメディ
チ銀行なんかがいい例だな。

105:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 19:09:33 0
>>104
つまり、スペインのイタリア支配は単にフランスとの対抗意識のためだけで、
スペイン支配時代のイタリアは産業も衰退し、全体的に荒廃していたのか。
スペインにとっても、フランスとの敵対関係の上で優位に立てるという点以外は、
イタリアに対して特にこれといった価値を見出していなかったのかな。

106:世界@名無史さん
10/12/11 19:40:20 0
>>105
そう思ったほうがいい。とにかくスペインの海外領土支配は「貪る」が
一番しっくりくるし、結局新大陸領土も含めて持ってたはずのカードを
有効活用できないまま、イタリアがある程度復興の途についたときには、
もう経済の中心が完全に北に移動してイギリスとオランダが台頭してた
しな。

独立を保ったトスカナ大公国でも、一時的には繁栄したけどメディチ家
が絶えてマリア・テレジアの旦那のフランツ・シュテファンが新しいト
スカナ大公になった頃にはすっかり寂れてた。

結局、ハプスブルクへの帰属が決定したイタリア戦争終結時には、ヴェ
ネツィア以外はイタリア地域全体が荒廃して、既に先進性を失ってしまっ
てたということだけどな。

そりゃ、まだトスカナなんかは文化・芸術はそれなりのレベルだったけ
ど、結局はヨーロッパの小国にすぎなかったしな。

107:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 19:55:28 0
>>106
スペインは新大陸なんかは結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、
イタリア支配に関しては特にそういったこともせず、何ら価値を見出せなかったのか。
少し意外だな。

108:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 19:56:24 0
>>107
脱字訂正。
誤)スペインは新大陸なんかは結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、
正)スペインは新大陸なんかには結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、

109:世界@名無史さん
10/12/11 20:08:43 0
>>107
恒久的な支配権確立しても、経済や先進性は別物だろ?
銀を手に入れてもきちんと産業の振興もしないまま消費してヨーロッパでほと
んど吐き出させられたし、スペイン本国の経済体制すら磐石だったわけじゃ
ない。統治制度や支配権の確立がそのまま支配先の経済振興や先進性には繋
がらない。
もしスペインがそんな支配をしてたら、中南米は今頃先進国だよ。イタリアも
同じ。ヨーロッパだったことで一応先進国だが、いつも危ぶまれてるだろ?

110:世界@名無史さん
10/12/11 20:12:29 0
ラテンアメリカが貧富の差が激しいのは大地主制の名残らしい

111:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 20:19:00 0
>>109
現在の経済と当時の経済をそのまま結び付けるのはどうかな?
ラテンアメリカが経済的に微妙なのは工業化が送れたのと、
>>110が言うように大地主制が根強く残ってるのが主な原因な訳で、
それらは確かにおおもとを辿るとスペインの植民地支配に行き着くけど、
それは現在において負の遺産だっただけで、当時においてはそんなに悪い事でもなかったよ。
植民地時代のアメリカ大陸ではイギリス領だった北米よりも、
スペイン領だった中南米のほうが経済的にも豊かだったし、
産業だってペルーやメキシコなどでは植民地時代から結構発展してるし。

112:世界@名無史さん
10/12/11 20:52:13 0
>>1が反論されてるけど実際白人はそう思ったんじゃないか?

113:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 20:57:29 0
>>112
大航海時代じゃ、まだ近代的な白人優越主義は出来てないよ。
当時の西欧は割りと素直に中国や中東やインドの高度な文化・文明を評価してる。

114:世界@名無史さん
10/12/11 21:10:47 0
>>112
>>112
スレリンク(whis板)l100
■世界の大国(列強)の興亡の歴史■


近代の白人優越主義について語るならこちらのほうがいいかと。

115:世界@名無史さん
10/12/11 21:32:35 0
>>111
そうだな、現代に直結させるのは、少し言葉が行き過ぎたな。
俺の基本イメージはミタ制や銀の輸出しかなかった。

けど、当時においてはスペイン支配(のことか?)はそんなに悪いことでも
なかったってのも、ちょっと行き過ぎてないか?

16~17世紀のエンコミエンダやミタ制度はあきらかに過重負担だし、そ
れなりの一つの安定期に入るまでにはかなりの時間を経過してるだろ。
それはイタリアも同じだし、時期的にも重なる。>>105

>イタリアがある程度復興の途についたときには、

って言ってるだろ?一旦失った力や先進性を取り戻せなかったのはイ
タリアだけじゃなくてスペインも同じことだけどな。

あと文字通りの「植民」で始まった上に本国の統制の緩かった、独立自営
農民が多くてプランテーションが発達した州が少なかったイギリスの北
米植民地と、副王をおいて鉱山にしろ農園にしろインディオを労働資源と
して使ったスペインの中南米植民地とじゃ、植民地としての性格が少し違っ
てくるし、統制力の強さの割りに、スペインは経済力でイギリスやオラン
ダに敗退してることは抑えるべきじゃないか?

116:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 21:49:31 0
>>115
エンコミエンダ制はごく初期に流行っただけでしばらく経つと廃れてるし、
ミタ制は確かにインディオにとってはかなり負担が大きかったけど、
経済的にはそんなに悪手だった訳でもないんじゃないの?
特に、鉱山や農園経営の手段としてはミタ制は結構効率的だった。
イタリア支配については僕もあまり知らないので何とも言えないけど。

それと、ラテンアメリカを植民地化したのにスペインの経済力が伸びなかったのは、
アメリカ大陸の貴重な資源である銀などが本国の厳しい貿易統制にも関わらず、
密輸などによって勝手に他国に流れてしまった事のほうが大きな原因だと思うよ。
でも、これは逆に言えば当時のラテンアメリカにおいて大規模な経済活動が、
自主的に行なわれていたことを示す証拠にもなるね。まぁ、イギリス型の植民地と、
スペイン型の植民地の違いも結構大きいけど、植民地下でのラテンアメリカの経済が、
決して遅れてた訳ではないよ。ただ、その恵みが本国にあまり来なかっただけ。

117:世界@名無史さん
10/12/11 22:19:35 0
>>116
あと、本質的に食い違ってるのが、その植民地の経済の主体が移住にしろ
現地生まれにしろ、スペイン人ってことだ。
イタリアもいわば征服されたわけであって、スペインに対するイタリア住
人の立場は寧ろインディオに近い。俺はその立場で言ってるが、君は植民
地のスペイン人の立場で言ってないか?それだと捉え方が全然違ってくる。
言い方は悪いが、イタリア地方も中南米のインディオも金にしろ労働力に
しろ、本国の資源にされる立場だ。
スペインの統治制度と支配というのはそのレベルじゃ同じだし、16~17世紀に
インディオの生活が征服以前より良くなったかといえば、大分違ってくるは
ずだが。

>>106で君はイタリア統治をろくにしてなかったんんじゃないかと不思議がっ
てるが、そこで食い違いが生じてないか?イタリアでスペインがそこまで収奪
できたのは、それだけの徹底的な統治体制を敷いていたからで、植民地のイン
ディオ統治と基本は同じだと俺は言ってたつもりなんだけど。

118:117
10/12/11 22:23:51 0
失礼。 >>106>>107の間違い

119:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 22:30:43 0
>>117
まぁ、確かに支配民族の立場か被支配民族の立場かの違いはあるね。
でも、もしイタリア人が資源だとすれば、それはそれでスペインが、
航海や交易の技術に優れていたイタリア人をインディオのように資源として、
活用する事がなかったというのはどうしてかというと疑問が生まれるんだけど。

120:世界@名無史さん
10/12/11 23:50:42 0
>>119
それは>>104で説明してあるんだが。
あと、イタリア=航海の技術に優れていたというのが勘違いだ。この時代じゃ海洋
都市と言えばジェノヴァとヴェネツィアしかない。ジェノヴァの船乗りは既に言っ
たようにもうフリー状態だし、この頃に地中海貿易に進出しはじめたフィレンツェ
もトスカナ大公国として独立を守ってるし、それはヴェネツィアも同じ。

交易にしても、基本イタリア諸都市は大抵自国の産業を持っててそれを輸出することで
交易を行ってる。中世ヴェネツィアのような完全中継交易のほうが特殊なんだよ。
ミラノだと武具・絹織物・毛織物とかな。それもイタリア戦争の荒廃と本国産業の保護
目的の圧迫、イギリスなんかとの競合の為の無茶な増税で壊滅状態になってるの。
それで逃げた毛織物、絹織物職人がヴェネツィアに流れたのも説明済み。

これがなんとか安定してきた所でこれらの産業がイギリスやオランダの商品との競合
に晒されて敗退することになっちゃったから、スペインは活用のしようもなかった。

とにかくスペイン領になった時点でのイタリアは、既にイタリア戦争で荒廃してい
ていたから、そこからイタリア人の富を吸い上げたら、何にも残らないのにスペイン
はそれやっちゃったの。それに経済先進地域なのは北イタリアだが、その中で一番大
きいトスカナ・ヴェネツィアは独立守ってて、後はミラノくらいしかない。
イタリアのどこでも先進地域じゃないし交易で儲けてた訳じゃない。イタリア
なんて国は存在しなかったんだから、一緒にしちゃうのが間違い。

穀物地域のミラノを中心としたロンバルディアでの、販売用穀物の所持禁止や消
費者でも二日以上の備蓄禁止とか、完全に収奪のための決まりだが、逆にそれを
やれるくらいスペイン統治はイタリアを統制していたということになる。
これもイタリア人を労働資源として活用してるのはインディオと同じことだよ。

121:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 23:59:56 0
>>120
つまり、スペインはイタリアの大して先進的でもない地域を、
フランスとの対抗のためだけに占領して、
その上そこから過剰に搾取してしまったため、
職人が逃げたりしてますます荒廃してしまったので、
スペインにこれといった利益は入らなかったという事?
ナポリやシチリアはイタリアでもそんな進んでるほうじゃなかったのか。

122:世界@名無史さん
10/12/12 00:30:06 0
>>121
利益は入ってるだろうよ。収奪してる分がスペイン国庫に入ってるんだから。
ただ、当時のスペイン本国は、はっきり言えば、資産の効率的運用とか収入
にはたいした能力ないから永続的に利益を得る工夫がないだけ。
最盛期のフェリペ2世が何度国庫の破産宣告したと思う?

ナポリやシチリアは寧ろ農業国。農産物の収奪も激しかったのはシチリアの
例で説明してあるだろう?

人的資源としての新大陸でインディオの活用についても君は高評価してるけ
ど、疫病もあったとは言え、人口減で黒人奴隷まで持ち込むほど酷使し
たのは変わらないよ。それって効率的な資源の運用と言えるのかい?
単に元手が無限にあるから無駄がいくらでも出来たってだけの話だと
思うんだが。イタリアにはそんな元手はなかったってこと。いくらなん
でもイタリア人を奴隷扱いできないからな。

ハイチなんて原住民絶滅させて、代わりに連れて来たインディオのカリブ人
も絶滅、それで最後に黒人奴隷を連れてきてるんだしな。

123:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 00:43:12 0
>>122
まぁ、確かに新大陸の銀も本国には全然入ってこなかったし、
スペインは植民地の利益を恒久的に得るという事が出来ない国なのかな。
後、黒人奴隷を大量に使ってたのはどちらかというとポルトガルで、
スペインはアメリカ大陸においては黒人奴隷をあまり必要としなかったよ。
現在、ブラジル以外のラテンアメリカ諸国の黒人人口はさして多くないでしょ。
カリブ海の諸島だけは例外で、スペインがこの地を領有したのはかなり初期だし、
大陸に比べインディオの文化レベル自体があまり進んでなかったため、
労働力として上手に活用するすべをスペインが身につける前に絶滅してしまっただけ。
現に、それを反省してか新大陸のインディオは生かさぬよう殺さぬよう扱われたし。
大陸のインディオ人口はスペインの支配が安定してきた17世紀頃から徐々に回復してるよ。
初期に大幅に減ってたのは、征服戦争の被害と疫病によるところが主要な原因だね。

124:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 00:49:41 0
>>123
それと、イタリア人を奴隷扱い出来なくたって、ルネサンスの文化や技術を伝えるために、
職人や商人や学者などを本国に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?
あなたの説明によると多くの職人がヴェネツィアに逃げたようだけど、
それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?
もしそうだとしたら、スペインのイタリア支配は相当下手だったんだなぁ。

125:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 00:51:05 0
>>124>>123の続きね。

126:世界@名無史さん
10/12/12 01:30:57 0
>>124
>ルネサンスの文化や技術を伝えるために、職人や商人や学者などを本国
>に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?

ちょうど宗教改革とその対抗改革の時代だということを忘れないように。
この辺は想像だが、イタリア・ルネサンスの担い手の学者や文人ははっ
きり言えば、教皇庁より厳格なカトリック国家である上に、無骨な風情が
残ってた当時のスペインには合わないと思うよ。

少なくともそれよりもっと前、イル・マニーフィコの時代にフィレンツェ
の芸術家は積極的に国外に出てるが、スペインにはあまり出向いてないと
思うし、ダ・ヴィンチにしても最後のパトロンはスペインじゃなくてフラ
ンソワ1世を選んでる。
ルネサンス学者はフィレンツェに多いけど、これもイル・マニーフィコの
死後にはサヴォナローラに転向しちゃったのも多いしなあ。
スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
スペインの支配外。イタリア戦争はフィレンツェ中心のルネサンスの終焉
の時期でもあるんだよ。その後にヴェネツィアルネサンスが最盛期迎える
けど、それは芸術分野だからな。

>それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?

正確に言うとイタリア戦争の荒廃からヴェネツィアに逃げた職人が多いけど、
ヴェネツィアも丁度アフリカ航路の問題もあって、国内産業の育成に目を向けて
たから、そういった職人を高待遇で迎えてるからな。後にはそれが裏目に出る
けど、この時はそれが当たってる。
スペインのほうは、ミラノの例を挙げたように、寧ろ産業を衰退させるような
ことしてたから、戦争終結しても、職人には全然魅力はないだろ?

127:世界@名無史さん
10/12/12 01:31:45 0
続き:

商人にしても、スペインは国家交易で儲けようとしてたし、レコンキスタの
終了に合わせて商業の担い手だったユダヤ人をオスマンにやってしまう
くらいなんだよ。少なくとも大規模貿易で民間に頼る気はなかっただろ
うな。その辺は、オスマンと繋がったフランスのほうが有利だった。

一応、一回フェリペ2世がヴェネツィアにアフリカ航路の共同支配の話を持
ちかけてるがリスクが高すぎると蹴られてる。太陽の没することのない帝国
って言っても、結局スペインの覇権はごく短かったのはその辺の体質が原因
だと思うけどな。

こうやって並べると、スペインの覇権は、ハプスブルクの幸運と、地球
の大きさを計算間違いしたコロンブスを拾ったからという偶然要素が随
分でかいと思えてきたな。

コロンブスがポルトガルをパトロンに出来なかったのは、ポルトガルの
学者が正確に地球の大きさを計算してたから、コロンブスの言うように
短距離でアジアには到達できないのを知ってたからだし。
スペインの学者が同意見だったのかは知らないが、少なくとも科学的に
間違ってるコロンブスに「ノセられた」のはイザベラ女王だしな。

あと、スペイン時代の中南米は俺はよく知らなかった。指摘サンクス。

128:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 01:42:44 0
>>126-127
こうしてみるとスペインはあまり統治能力に優れてないように思えてくるなぁ。
下手に産業に介入しようとしてそれが裏目に出るという事を
アメリカ大陸でもイタリア半島でも同じように繰り返してるし。
後、確かにガチガチのカトリックであるスペインには、
ルネサンス的気質は似合わなかったというのもあっただろうね。
ユダヤ人追放といい、この例といい、変に宗教に拘って、
自国の首を絞めることもよくあるし。何かスペインが駄目な国に思えてしまう。

>あと、スペイン時代の中南米は俺はよく知らなかった。指摘サンクス。
僕もスペイン時代のイタリアは良く知らなかったですから。指摘ありがとうございます。

129:世界@名無史さん
10/12/12 11:39:05 0
>>123
>後、黒人奴隷を大量に使ってたのはどちらかというとポルトガルで、
>スペインはアメリカ大陸においては黒人奴隷をあまり必要としなかったよ。
>現在、ブラジル以外のラテンアメリカ諸国の黒人人口はさして多くないでしょ。

メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、エクアドル、
ペルー、ボリビアにはほとんど黒人奴隷が入ってこなかったね。
この地域の先住民はもともと文化レベルが高くて農耕生活や労働に慣れていたから。
アステカ、マヤ、インカ文明圏の先住民の場合、王を頂点とした階層社会だったから、
為政者が代わりスペイン人の支配に入っても徐々に新しい支配体制に順応していった。

悲劇的なのはカリブ海諸島や大陸沿岸部、アマゾン平原の熱帯雨林で狩猟と採取、
あるいは低い生産力しかない農業を補助的に行っていた連中。
労働力として使いものにならないから、疫病と酷使で最終的には絶滅。

130:世界@名無史さん
10/12/12 11:53:13 0
>>126
>スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
>し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
>スペインの支配外。

バロック時代の画家フセペ・デ・リベーラは、
「スペインは異邦人には慈悲深い母だが、自国民にとっては実に酷い継母である」
と語り、自国の画家を冷遇するスペインの美術パトロネージの傾向を批判していた。

>>128
スペイン人・ポルトガル人が異民族統治下手なのは、レコンキスタの影響もあるかと。
基本的に異教徒を敵とみなしてきた国民なわけだし。
対岸の北アフリカにはまだイスラーム勢力が健在で、イベリア半島のキリスト教徒に
とっては脅威だったわけだしね。

それと、この両国の「中世的体質」。
植民地も含めた国家は基本的に王室のものだと考えている。

131:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 13:17:28 0
>>129
スペインが基本的にペルーやメキシコを植民地経営の中心にしたのも、
要はそこのインディオたちの元々の文化レベルが比較的高かった事が理由だしね。
カリブ海の先住民は、本当に早くのうちに絶滅してしまった。

>>130
まぁ、スペインがあそこまでガチガチにカトリックに拘ったのは、
確実にレコンキスタのせいだろうね。異端審問で商業に優れたユダヤ人を、
国外追放してしまったのなんかは、バカじゃないかと言われても仕方ない気がする。
しかも、そうして国を追われたユダヤ人がスペインの敵国である、
オスマン帝国に逃げてきたせいでオスマン帝国を豊かにさせてしまったのは皮肉だな。

132:世界@名無史さん
10/12/12 14:44:13 0
>>128老子にある「すすんで人に先んずるなかれ」ってやつさ。
どうしたって先行する者は現地との戦争、インフラ整備などの負担があって
統治する前に自国が疲弊してどこかに奪われてしまう。これで
参入してきたのがオランダをはじめとする二次植民地帝国でしょ。
彼らは横からきて全部奪って、でも略奪するばっかりじゃ次がない
ってんで「大規模農業」に移行した。でもそれも最終的な
植民地帝国、つまりアメリカにすべて奪われてしまう。結局
一番得したのは最後まで力を貯めていて「ここぞ」というときに
出た利口な勢力ですな。

133:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 15:10:56 0
>>132
そのアメリカだっていつまで覇権を維持できるかは分からないけどね。
結局、スペインの植民地統治はオランダやイギリスのように、
本国に利益をもたらすものじゃなかったのが最も痛かったなぁ。
銀を上手く活用できなかったせいで、最盛期からしてすでに借金まみれだったし。
「大規模農業」はアシエンダという形でスペイン植民地でも行なわれてたんだけど、
あれも結局は征服者が個人単位で始めたものだから本国の統制が効かず、
オランダやイギリスのように大規模農業による利益を上手く本国が搾取できなかった。

134:世界@名無史さん
10/12/13 18:31:26 O
>>130
> それと、この両国の「中世的体質」。
> 植民地も含めた国家は基本的に王室のものだと考えている。

これは「ハプスブルク体質」とも名付けたい。
ブルボン朝に変わった途端ヌエバプランタで国内改革に踏み出したわけで。

ブルボン朝スペインの植民地経営がどんなだったかは知らん

135:世界@名無史さん
10/12/13 18:33:19 O
スペインに限った話ね。

136:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/13 19:53:50 0
>>134
>ブルボン朝スペインの植民地経営がどんなだったかは知らん
アメリカ大陸におけるスペイン・ブルボン朝の改革としては主に、
国家専売事業の創設、貿易港の増設、新税や正規軍の設立や、
国王によるスペイン本国人の官僚任命(=支配層からクリオーリョ排除)などだね。
現地のクリオーリョなどに集まってた植民地の利益を出来る限り、
王室の財源にしようとした中央集権的な財政改革だったよ。

137:世界@名無史さん
10/12/14 00:13:01 0
>>43
後進地かどうかで征服云々を語るのはナンセンスだよ。

匈奴も文化経済じゃ漢より遅れてたけど漢を従属的地位に置けたし、
その後も遼や金も支配的地位になれたし、モンゴルや満州族は言わずもがな。
経済や文化の後進地に勝てない状況が多かった。
マケドニアの大国ペルシャへの勝利なんかももそうだな。

138:世界@名無史さん
10/12/14 00:16:24 0
西北の民族は金属加工やガラス化学などで優位にあったので
匈奴や蒙古が遅れていたわけではないが。

139:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 00:33:39 0
>>137
う~ん、匈奴はともかく金なんかは取り立てて後進地域でもないと思うけど。
まぁ、確かに後進地云々で征服を語るのは違うかも知れないけど、
8世紀以前の西欧ってトゥール・ポワティエの戦いなんかに代表されるように、
イスラーム勢力に対して完全に守勢だったから征服なんて無理だと思うけどなぁ。

140:世界@名無史さん
10/12/14 01:15:02 0
>>138
いや話がおかしい。
後進地だから征服できない云々がナンセンスという話。

>金属>ガラス
んじゃその程度で先進地といえるならヨーロッパも先進地になるんじゃね。

141:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 01:43:51 0
>>140
確かに、匈奴の文化レベルは初期の中世ヨーロッパぐらいかな。
まぁ、匈奴の時代のヨーロッパはまだ中世ではないんだけど。

142:世界@名無史さん
10/12/14 05:24:14 0
むしろ中国支配に限って言えば
人口、経済力、文化などで劣ってても普通に勝利できてる。

143:世界@名無史さん
10/12/14 06:31:56 0
中世ヨーロッパの場合は、文化や技術の後進性に絡んで、社会体制とそれに
直結した軍事力の問題があるだろ。

匈奴や遊牧勢力の大帝国は少なくとも社会の組織化とそれに結びつく軍事
制度が整備された環境だけど、中世ヨーロッパじゃ封建諸侯の分立で、そも
そも社会が総合的に軍事力を組織化できる状態じゃないし、狭い世界観に縛
られてまだその必要性の理解が一般化できてない気配が強い。
社会体制の違いがあるけど、遊牧勢力はその辺の軍事制度はヨーロッパより
はり先進的と言えると思うが。

中世ヨーロッパは同時代の他地域と比較しての社会の後進性とそれに伴う軍
事制度・軍事思想の後進性の問題だと思うがな。カール大帝やオットー大帝、
リチャード獅子心王はそれを個人的な統率力でカバーしてただけで、そこま
で個人に頼った状態自体がヨーロッパの遅れを示してると思うが。

144:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 07:58:51 0
>>143
確かに、匈奴は政治体制は分権的な部族連合だったとはいえ、
軍事制度に関してはそれなりに組織化されてたほうなのかな。
(と言っても、あくまで分権的な軍事組織ではあったけど)

145:世界@名無史さん
10/12/14 14:10:20 0
>>131
グレナダ侵攻以降も「宗教にこだわった」みたいに見るのはどうかね。
短期的に見ればユダヤやムスリムの既得権奪う方が経済的に回ったからでしょ。建て前に利用してた面だって大きい。
それを結果論でバカだと今の日本人に言えるのかね。
今の日本だって客観的にみればどう考えても先行き暗いこと繰り返してるのに結局改善の動きないじゃん。
まあ国単位でそういう優劣比較する視点の何が面白いのかって話だけどね。
面白いと思う人はそれでいいけどw

146:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 14:45:44 0
>>145
まぁ、確かにスペインの異端審問は純粋な宗教的理由だけじゃなく、
ユダヤ人の経済的優位や既得権益を対するスペイン人の不満によるところも、
かなりあっただろうね。ただ、結果として国内の経済を衰退させたのは事実じゃないの。
別に国家単位で優劣比較をしてる訳じゃくて、当時のスペインの異民族統治が、
あまり優れたものではなかったんじゃないかと思っただけなんだけどね。
個人的には結構な名君だと思ってるフェリペ2世の時ですら、
国家破産してるし。それと、今の日本の政治がだめなのと、
過去の政治における歴史的評価は関係ないでしょ。

147:世界@名無史さん
10/12/14 16:30:34 0
>>132
単に「結果」からだけ見て陰謀論者みたいな発想してるように見えるよ。
オランダも開発投資はしてたと思うし、収奪の割合をアップさせようと思うなら
どこだろうがそうなるだろう。

日露戦争でロシア権益の鉱山や大連とかの大都市でもロシアが整備したインフラあったはず
だが、これは日本が後で奪う為にわざとそうしてたわけじゃないろ。
昔言われてた基礎研究のただ乗りとか、アメリカが国内市場の成熟させ、産業育成したたのも
わざと果実を日本が乗っ取る為にそう誘い込み後で乗っ取ったわけでもなく、単に日本が追いついて追い越した結果にすぎない。
「元の宗主国が開発してたかどうか」は帝国主義戦争の勝敗の結果が生んだ単なる副次的な面だ。

何でもかんでも陰謀や狡猾な策略に結び付けてるのは、独ソ戦の前半の敗北、
蒋介石の敗退転進を「実は焦土戦略によって奥地に誘い込む深慮遠謀だったのだ」とか
とか言うのと似た電波を感じる。

148:世界@名無史さん
10/12/14 20:58:16 0
オツガイ ◆EAbyJft1LY ってのは文脈読まずに知識自慢したがる傾向あるな

145で言ってるのは、今の日本人が問題点わかってても変えられないんだから
経済的凋落を理由に当時のスペイン人バカにするのは無意味って話だろ

政治の話とか誰がしてるんだよw

149:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 21:09:01 0
>>148
つまり、問題点分かってても変えられない事は歴史上多々あるから、
スペインのそれだって別段珍しくないっていう事?う~ん、それは国にどこまでの、
レベルを求めるかという事の違いになるんじゃないの。問題点分かってて変えられないのは、
過去も現在も基本的にはそんな誉められた事ではないでしょ。今の日本人だって、
同じようなものじゃんっていう主張には、「うん、そうだね。」としか返しようがないよ。
乱暴な言い方になるけど、当時のスペインも現在の日本もどっちも、
統治能力に欠けてる、平たく言えばバカっていう結論に達するだけでしょ。
(誤解のないように言うけど、僕が現在の日本の政治がダメと言ってるんじゃなくて、
あなたの言い分の通り日本もダメだとしたらこういう結論になるだけだと言ってる)

150:世界@名無史さん
10/12/15 08:31:36 O
オスマンが大航海時代に乗れなかったのは、レパントで完敗したからだろな
西地中海以西に進出不可になり、以後停滞、衰退した
明が乗れなかった理由は謎なんだよな

151:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 08:59:59 0
>>150
そもそも地理的に考えてオスマン帝国が大西洋に出るのは無理でしょ。
それに、オスマン帝国は最盛期からして大西洋に対して興味はなかっただろうから、
レパントの海戦の勝敗はあまり関係ないと思うよ。あれはあくまで地中海の制海権を、
争うものだったし、敗北以降もしばらくはレヴァント貿易も衰えてないから、
オスマン帝国の中心的テリトリーである東地中海はまたまだ維持されてた。
オスマン帝国が大航海時代に乗り出すとしたら、むしろ紅海やペルシャ湾から、
インド洋に出るルートのほうが可能性としては高いと思うんだけど、オスマン帝国自身は、
アチェに艦隊を派遣したり、ポルトガルを自国の近場から追い出したりした程度で、
あまり積極的にインド洋へ進出しようとはしなかったね。あくまで、東地中海と、
紅海・ペルシャ湾というインド洋への入り口さえあれば他は特に興味なかったんじゃないかな。

152:世界@名無史さん
10/12/15 12:30:20 0
>>150
明は謎だわ
たしかバリバリの海洋国家だったはず
航海技術的には問題なかっただろうし
地理的要因以外にも何かあったんだろうけど、やっぱ謎だわ

153:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 12:54:46 0
>>152
明って海禁令を出してたりして、民間の海上貿易をかなり制限してたよね。
そのせいで倭寇なんかも出現してるし、海上貿易を独占しようとしすぎた結果、
逆に民間の商人たちの間での交易が衰退したのが原因じゃないの?

154:世界@名無史さん
10/12/15 14:32:08 O
新世界を発見した時点でヨーロッパ大逆転のレールが出来上がっちゃってるよなー、って思う。

155:世界@名無史さん
10/12/15 15:42:46 0
華僑が東南アジアに進出してるよね


156:世界@名無史さん
10/12/15 17:00:20 0
>>152
>>153
鄭成功出した鄭氏なんかは明末でも密貿易で十分利益上げてるし影響力も
強かった。鄭成功が日本生まれだと言うこと、鄭氏勢力を核に反清勢力築
き上げたことからも、それは分かるだろ。
官僚に腐敗がひどかったというのは商人には潜り抜けやすかったことにな
るからな。寧ろ密貿易に厳格な官僚のほうが失脚・自殺に追い込まれてる。

もの凄く単純に言えば、明は海上志向ではなく陸上国家であったこと、自
国以外の国は基本冊封体制に組み込むことで満足してたから、西欧と根本
的価値観が違ってることだな。鄭和の航海にしてもあくまでも冊封関係さ
え結べば良かったんであって、西欧のような重商主義・植民地主義とは
無縁。海外に必要性を求めた西欧と事情が全く違う。

清末の官僚が「わが国は輸入が必要なものはない」ってのもある意味その
通りで、国土が広い分、ほぼ自給できてたからな。
そういう疑問は寧ろ西欧的感覚で中国史を見すぎだと思うぞ。

157:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 17:12:46 0
>>155
華僑はかなり前から東南アジアに来てたらしいけど最も増えたのは清代らしい。
タイだと華僑出身のタークシンがトンブリー朝なんていうのを作ってるし。

>>156
なるほど。そもそも遠洋に航海する必要性がなかった訳か。そこら辺は、
インド洋に進出できる立場にありながら進出しなかったオスマン帝国と同じかな。
そもそも、スペインやポルトガルが大航海時代に乗り出したのは、
中国やインドなど東洋の富(主に香辛料)を彼らが求めたからであって、
元々それらを持ってる中国が大航海時代に乗り出す必要性は全くないね。

158:世界@名無史さん
10/12/15 17:24:45 O
東洋への航路を求めてたら何故か新大陸を見つけたでござる

159:世界@名無史さん
10/12/15 17:27:35 0
必要性理論も疑問なんだな
ヨーロッパは当時1億近い人口を養えるだけ能力があったし
欲さえ出さなきゃヨーロッパだけに閉じこもっていても何の問題もなかったよ
海外に行って富を獲得しようという志向が他より強かっただけでしょ
でちょうど技術革新の時期だったしね



160:世界@名無史さん
10/12/15 17:40:27 0
明の時代は欲しい物は自国で調達出来たからわざわざ外に出る必要が無かった。


161:世界@名無史さん
10/12/15 17:54:32 0
>>156
そっか海上じゃなく陸上国家だったんか
てっきり北方民族に苦心して長江以南を拠点に海上貿易で
栄えた国だとばかり思ってたわサンクス

>>159
現代からみた結果論でもって、したり顔で語るほど寒いもんね
なぜ航海に出たか?
ただそこに海があったからみたいな単純な好奇心や物好きが高じた結果
そうなったのかもしれないし。

162:世界@名無史さん
10/12/15 17:57:18 0
中華思想もあるね
西洋の使節が清の官僚に大砲見せたら北京にも同じものがあると一点張りだったらしい
同じものを日本人に見せると日本人は飛びついて譲ってくれと人なつっこく催促してきた
つまり中国人は三重春蔵なんだよ

163:世界@名無史さん
10/12/15 18:00:04 0
16-19世紀の西洋人の日本と中国の記録が載ってる本を立ち読みしたけど
全体的に中国人は外界に無関心で俺らがナンバーワン、日本人は好奇心旺盛で貪欲って感じ

164:世界@名無史さん
10/12/15 18:00:36 O
海洋技術はあったが大航海へのインセンティブは弱かった。

165:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 18:05:40 0
>>159
いや、必要性はあったでしょ。そもそも、大航海時代の直接のきっかけは、
オスマン帝国の地中海進出にある訳で、そのために西欧諸国は従来の、
地中海以外の新たな交易ルートを開拓する必要に迫られたんじゃないの?
そりゃ、地中海交易がなくてもヨーロッパは食っていけたかも知れないけど、
今までそれで経済が潤ってた訳だから、なくなるのは辛いでしょ。
例えが変だけど、一度金持ちになった人はたとえ収入が減ったとしても、
今までの贅沢な暮らしをなかなかやめられないのと同じようなものだと思うよ。

166:156
10/12/15 18:10:33 0
>>159
ヨーロッパの東洋志向はそもそも「ムスリムを介さない香辛料調達」を
御題目にした、自国の香辛料貿易利益の独占が目的だからな。
ヨーロッパ世界が一つの国家ではなくて、お互い鎬を削ってたから自分
が優位に立つにはヴェネツィアが握ってた香辛料貿易の利益が欲しかった
ということ。当時、香辛料の供給は安定してたから、もし一枚岩の国家だっ
たら、あれほど外洋に執念は燃やさなかったと思う。

>>161
民間レベルは密貿易・東南アジア華僑の活動で海上活動も盛んだったけど、
明という王朝にとっては商業より農業が基本だったからな。あくまでも赤
字の朝貢貿易に拘ってるから、国として海上交易に力を入れてたわけじゃ
ないと思うぞ。
商業利益も重視した南宋でも本質的には農業が基盤だし、海上貿易を利益
の中心にすえる国というのは農業に活用できる後背地が少ない小国くらい
だろうな。有名どころじゃギリシャのポリスやヴェネツィアがいい例かな。

安定した農業基盤があれば、そちらのほうが確実な税収が見込めるし、
リスクの高い海に無理に国家の活力を向ける必要がない。

167:世界@名無史さん
10/12/15 18:11:13 0
オスマンの進出は最近はあまり大きく評価されてないよ
そもそもオスマンがくる前からマムルーク朝が高関税かけてぼったくりしてたからな
ポルトガルの海洋進出はもともと西アフリカの金を求めてはじまったわけで地中海貿易はあんま関係ない
そもそも地中海貿易が廃れたらベネチアは大損こくしね
ポルトガルが香辛料貿易を意識したのは喜望峰周ってからだと思う
ラッキーwって感じ

168:156
10/12/15 18:19:53 0
>>165
丁度>>166で書いたが、オスマンの進出があっても、香辛料の供給は安定
してたから、その意味じゃ新しい航路開拓の必要性はない。
問題はその香辛料貿易による莫大な利益をヨーロッパのどの国が独占する
か、だ。
で、出した御題目がムスリムを介さない香辛料交易であって、中には理念
的に真面目にそう思ってた人間や国王がいるかもしれないが、ヨーロッパ
の国ってのはもう、その時代には十分スレていたからな。
基本的に、誰も異議を唱えられないその御題目を利用してただけと考える
べきだと思う。

169:世界@名無史さん
10/12/15 18:29:28 0
中国も恒常的に分裂してたら
広州あたりの国家が海洋に乗り出した可能性があるな

170:世界@名無史さん
10/12/15 18:37:14 0
大サプライヤー(=オスマン)のあるなしよりも
小問屋さんたち(=ヨーロッパ諸国)が多すぎて鎬を削って競争してたことで
価格競争による経済的利益要因のが仕入れルート(=海洋ルート)を必要としたってことか

171:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 18:41:28 0
>>167-168
ふ~ん、オスマン帝国進出はあくまで名目に過ぎなかったのか。
まぁ、西欧諸国としてはむしろヴェネツィアなんかが握ってた交易の利益を、
自分たちも手に入れたかったからという理由のほうがより本質に近いのかな。

ただ、ヴェネツィアが衰退しなかったのはビザンツやオスマンに対して、
上手く取り込んだからというのもあるでしょ。それが出来なかったジェノヴァは、
大西洋貿易に力を入れるようになったらしいし。樺山紘一先生によると、
コロンブスがジェノヴァ出身なのもそういう背景があったからだそうだし。

172:世界@名無史さん
10/12/15 18:49:06 0
>>169
インド亜大陸の場合、海洋国家というのはあったのかな?

173:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 18:50:45 0
>>172
南インドのほうは海洋国家多いでしょ。チョーラ朝なんかは、その最たる例だし。

174:世界@名無史さん
10/12/15 19:03:34 0
>>172>>173てレス早すぎないか

175:156
10/12/15 19:24:54 0
>ただ、ヴェネツィアが衰退しなかったのはビザンツやオスマンに対して、
上手く取り込んだからというのもあるでしょ。

ビザンツ時代はそうだが、対オスマンの場合はレヴァント貿易の重要性は
変わらなくても、オスマンとの戦争やフランスやフィレンツェの進出で
16世紀中にヴェネツィアの独占体制は崩れてる。16世紀のヴェネツィ
アの総合的発展は、こないだ、どこかで君に言ったと思うが、毛織物等、
産業面の発達も加えた経済基盤の多角化による。

>それが出来なかったジェノヴァは、

ジェノヴァも何度かビザンツと結びついたし、ビザンツの方でもジェノヴァ
とヴェネツィアとの間で揺れ動いてたが、最終的にジェノヴァのほうが自滅
して国家崩壊状態になったから、本国のバックアップのないジェノヴァ人個
人で動かなければいけなかったのが、コロンブスの直接の背景。

まあ、その前から地理的・使用船舶の関係からジェノヴァは大西洋方面では
ヴェネツィアより有利だったし、ジブラルタルの外から北海方面にかけての
大西洋航海のノウハウがあったのも事実だが。

176:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 19:55:30 0
>>175
なるほど。ヴェネツィアは大航海時代に入ると地中海交易を、
独占できなくなってたのか。まぁ、この時代はオスマン帝国が地中海の、
覇権握ってたしね。ヴェネツィアが16世紀以降も衰退を防げたのは、
どっちかというと他の産業基盤を固めた事のほうが理由としはて大きいのかな。
正直、僕はヴェネツィアやジェノヴァについてはあまり詳しくないので助かるよ。
ビザンツがジェノヴァと結びついたのって確か「シチリアの晩祷」事件の時だっけ?

それと、前に同じ事を僕に対して言ったという事は、もしかしてこのスレの>>88

177:世界@名無史さん
10/12/15 20:20:14 O
コロンブス=ポーランド王子説が最近出たよね

178:156
10/12/15 21:05:13 0
>>176
ほかにもあるぞ。スペインのイタリア政策に関して職人がヴェネツィアに
逃げたって説明してるの覚えてるだろ?

>ビザンツがジェノヴァと結びついたのって確か「シチリアの晩祷」事件の時だっけ?

シチリアの晩祷よりはるか前からだな。マヌエル1世コムノネスがヴェネ
ツィアをビザンツから追放する直前に、ジェノヴァ・ピサと条約結んでる
し、ニケーアのミカエル8世パレオロゴスも、コンスタンティノープル奪
取より前からラテン帝国支えてたヴェネツィアに対抗してジェノヴァと結
んでる。

14世紀まではジェノヴァとヴェネツィアで東地中海の制海権巡って何度
も衝突してる。一時はジェノヴァが戦争で圧倒的有利になったこともある。
最終的にジェノヴァが自壊してヴェネツィアが勝ち残ったんだよ。
ピサはその前にジェノヴァに敗退してるし、フィレンツェの干渉に対抗する
のに必死だった。

179:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 22:13:41 0
>>178
>ほかにもあるぞ。スペインのイタリア政策に関して職人がヴェネツィアに
>逃げたって説明してるの覚えてるだろ?
あぁ、その話したのあなたなのね。まぁ、ヴェネツィアがスペイン領から、
亡命した職人たちを呼び寄せたのも、広義では他産業の育成に入るかなと思って。

ミカエル8世はコンスタンティノープル奪回やシチリアの晩祷において、
しばしばジェノヴァと結んでるね。マヌエル1世のほうはジェノヴァと結んだのは、
結果的にヴェネツィアとの関係悪化とそれによる第4回十字軍への布石という、
悪影響をもたらしたのに、ミカエル8世のほうは外交的にかなり成功したね。
さすが狡猾な外交で知られているミカエル8世だけあると言うべきなのかな。

180:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 22:19:03 0
>>179の続き
それと、質問なんだけど、ジェノヴァが自滅したっていうのは、
具体的には、ジェノヴァの国内政治の混乱に付け込んだ、
フランスによる占領の事を指してるって思っていいのかな?

181:156
10/12/16 03:58:05 0
>>180
どの時点でのフランスの占領のこと言ってるのかは分からないけど、
14~15世紀中に内紛が原因で、フランスの支配、ミラノのヴィ
スコンティ家の支配、とグチャグチャの状態になってるからな。寧
ろ逆に内紛がひどすぎて、自分で主権移譲しちゃってる場合もある。
ヴェネツィアも対ジェノヴァ戦争の時は、そういった宗主国を使っ
て牽制してるしな。

それで結局海洋国家としてのジェノヴァは衰えてしまって、香辛料
等の花形商品はヴェネツィアの独占状態になったってこと。自滅と
いうのはそれを言ってる。

その後もレヴァント貿易には関わってはいるけど、海洋国家として
ではないな。あくまでも個人、または独立性の強い系列植民地のジェ
ノヴァ人の活動になってる。その後は寧ろ金融業にシフトしてるしな。

182:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/16 06:06:36 0
>>181
>どの時点でのフランスの占領のこと言ってるのかは分からないけど、
16世紀初頭辺りにフランス支配を受けた事があったと思うからその事を言ったつもり。
当時のジェノヴァは国内が荒れてたから確かに自滅と言われても仕方ないのかな。
それ以降のジェノヴァは、あなたの言うように海洋交易よりも金融業中心になってるしね。

183:世界@名無史さん
10/12/17 23:19:53 0
大航海時代に乗り出したことで欧州世界は
資本の蓄積ができて後に列強帝国主義につながっていくの?

184:世界@名無史さん
10/12/18 00:13:22 0
それが大きな要因だけど大航海時代を準備した商業革命と技術革新も重要だね

185:世界@名無史さん
10/12/18 01:08:34 0
>商業革命と技術革新
kwsk

186:世界@名無史さん
10/12/18 01:11:17 0
WIKIで調べれば
いちいち書くのがめんどい

187:世界@名無史さん
10/12/18 01:24:18 0
orz

188:世界@名無史さん
10/12/18 01:27:32 0
大雑把にいうと十字軍以降ヨーロッパの商業活動がどんどん拡大して
大航海時代はその流れの中からヨーロッパ外に飛び出した感じ
技術革新も同時期に高炉の発明による鉄製品の大量生産化や旋盤技術の向上などきりがないね
参考サイト
URLリンク(mailsrv.nara-edu.ac.jp)
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)

189:世界@名無史さん
10/12/18 12:46:23 0
>>188
thanx

190:世界@名無史さん
10/12/21 11:38:30 0
URLリンク(blog.livedoor.jp)
イギリスが初めて組織的な国家体制の整備に着手したとき、幸運にも「模倣のモデル」が
身近にあり、それに着目し情報以外の外交一般においても重要なノウハウを意識的に
取り入れていったことである。そのモデルとは、あのヴェニス(ヴェネツィア)であった。
実際、外交や情報に限らず、近代イギリスの「卓越したもの」は、その起源を辿っていくと、
ヴェニスからの意識的かつ忠実な模倣に行き着くものが多い。


※イギリスはヴェネツィアから多くのものを学んだが、ポルトガルとスペインの場合、
海洋国家がどういうものが結局理解できなかったんじゃないのかな。
ムスリム王国に対するレコンキスタ運動の継続としてインド洋に進出したポルトガルは、
最初から武力によるアジア-ヨーロッパ間貿易の独占とアジア域内貿易の統制を
はかったが、人口・資金・船舶などの不足した小国ポルトガルにとって、厳格な
統制を維持することは不可能なことだった。

191:世界@名無史さん
10/12/21 12:28:05 0
イギリスにおけるオランダの影響はよく語られる場合が多いと思うが
ヴェニスの影響はあまり聞いたことないな
まぁオランダを介して間接的には影響うけてるかもね


192:世界@名無史さん
10/12/21 12:35:53 0
常駐の外交官なんかはヴェネツィアが始まりだしな。今も帰任したヴェネツィア大
使の元老院報告書は一級史料扱いのはず。
自国民居留地・商館なんかもレヴァント貿易でイタリアの海洋都市国家がコンスタ
ンティノープル等、あちこち重要貿易拠点に作ってたしな。

193:192
10/12/21 12:41:21 0
まあ、イギリスがヴェネツィアの制度を意識的に模倣したかは知らないが、
ヴェネツィアがかなり効率的・かつ安定した政治体制を持続し続けたのは
確かだ。

ただ、それを模倣しようとしたメディチ追放後のフィレンツェ共和国は模
倣だけで終わって、まともに運用できなかったのも確かだし、国民性に左
右されるものではあると思うがな。

194:世界@名無史さん
10/12/21 12:42:27 0
つまりイギリスに限らずヨーロッパ全体がヴェニスの影響受けてるってことだね



195:世界@名無史さん
10/12/21 12:49:10 0
政治制度や経済のよりディープなところは
中世からイギリスは経済面でずっとネーデルラントの影響受けてたし
政治制度にしてももウィレム3世が議会制度をオランダ式に変えたし
直接的な影響はオランダ以外考えられないな
ただまぁ当時のヴェネツィアの影響は一般的だったろうから
そういう意味で影響受けてるだろうね

196:世界@名無史さん
10/12/21 15:38:31 0
大航海時代が始まって以降、リンスホーテンの『東方案内記』のように、
ヨーロッパではアジアについての情報が蓄積されていったが、アジアでは
日本の和蘭風説書のような例外を除いて、ヨーロッパに関する情報は
書き残されなかったな。

こういう違いは何が原因だったのだろうか。

197:世界@名無史さん
10/12/25 14:38:57 0
国内で物語がすべて完結してたからじゃね


198:世界@名無史さん
10/12/25 19:32:10 0
>>191>>195
イギリスのイースト・アングリア地方に風車があるが、これはオランダから
呼ばれた干拓の技術者たちの影響。
このあたりはかつて「フェン」と呼ばれる広大な湿地帯だった。

17世紀のイギリスはまだオランダに追いつこうとして必死な時期だよな。
東南アジアではモルッカ諸島をオランダに奪われるし、オランダ人はイギリスから
半製品の毛織物を買い、それを加工することによってはるかに高い値段で売っている。


199:世界@名無史さん
10/12/25 21:09:44 0
やはりバルボアだろー

200:世界@名無史さん
10/12/26 00:00:03 0
へえーイギリスってオランダから学んでいたのかー
初めて知った

201:世界@名無史さん
10/12/26 00:03:29 0
>>196
アジアというかイスラム側ではヨーロッパにそもそも興味が無かったから
イスラム勃興以来の目標であったコンスタンティノープルはすでに奪取したからなあ
あとは十字軍を派遣した蛮族の地だからってことで興味なし
土地も痩せてるし貧しいかったから興味わかない

逆にヨーロッパ側からすると東方は豊かであるということと
聖地エルサレムがあるから常に興味があったんだ

202:世界@名無史さん
10/12/26 00:07:45 O
大航海時代は大略奪時代
比べてていわの航海は平和的だった
まめちしきな

203:世界@名無史さん
10/12/26 00:16:32 0
鄭和というかイスラームが支配していた時代だな
鄭和もムスリムだし

204:世界@名無史さん
10/12/26 00:30:58 0
鄭和さんは宦官

205:世界@名無史さん
10/12/26 00:35:33 0
宦官のムスリムだけど

206:世界@名無史さん
10/12/26 00:40:09 0
6世代前はウズベキスタン在住

207:世界@名無史さん
10/12/26 00:41:05 0
鄭和ってサイイドだったのか

208:世界@名無史さん
10/12/26 00:42:59 0
鄭和さんにコロンブスみたいな野心があれば・・・

209:世界@名無史さん
10/12/26 00:47:47 0
ムスリムが住んでいるところに行って交易するという目的だったので
アメリカ大陸に布教しようという野心はなかっただろうな。

210:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 01:01:45 0
>>202-203
ムスリムだって時には現地から略奪する事もあったし(主にアフリカ方面)、
西欧諸国だって大航海時代は基本的にちゃんと交易してたでしょ。別に、
略奪ばかりじゃないよ。まぁ、アメリカ大陸に限定すればそうかも知れないけど。

211:世界@名無史さん
10/12/26 01:20:46 0
アヘン戦争

212:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 01:28:57 0
>>211
それ、大航海時代じゃないよ。

213:世界@名無史さん
10/12/26 07:58:55 0
イブン・バットゥータの見たインド洋海域世界
URLリンク(www.teikokushoin.co.jp)



ここの2ページ目に「海の道」の図が載っている。
鄭和の大航海も中世からこのルートが成立していたから実現できた。


214:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 08:03:34 0
>>213
鄭和の大航海に限らず、西欧諸国の大航海時代も基本的には、
こういった既に中世においてイスラーム圏で成立してたルートを、
使っていたに過ぎないんだよね。まぁ、大西洋方面は違うけど。

215:世界@名無史さん
10/12/26 11:49:45 O
イスラムというよりローマ時代に確立してた経路だな
イスラムはそれに乗っかったに過ぎない

216:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 11:58:22 0
>>215
まぁ、確かにそうだね。ローマ帝国の時代に確立してた海路が、
イスラーム勢力が台頭するに連れて、ムスリムたちによって、
使われるようになったっていう感じかな。というか、この手の、
ユーラシア大陸規模での海上交易って古くはどこら辺まで遡れるの?

217:世界@名無史さん
10/12/26 12:01:46 0
>>216
アンタ何でも絡んでくるんだな(笑)
相手にされてないのに・・・

218:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:04:01 0
>>217
お前、しつこいぞ。西欧・アラブの植民地スレで相手にされなかったのは、
むしろお前だろ。今度は、こっちで絡んで来たのか?それ以上は無視するからな。

219:世界@名無史さん
10/12/26 12:11:40 0
>>215
ローマ帝国では、中国からは絹・絹製品を、インドからは香料・薬味・
胡椒・薬品・宝石・真珠・象牙・綿・モスリン・皮革・チーク材などを
輸入していたからな。



220:世界@名無史さん
10/12/26 12:18:58 0
>>216
まあ、後漢にローマから使いが来たって話はおいておいても、確か東南アジアで
ローマ通貨が発掘されてるし、多分、もっと遡れるだろうな。

221:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:24:01 0
>>220
確か、南インドのほうでもローマ通貨が交易されてたらしいね。
ローマ台頭の前、紀元前4世紀くらいには原型が存在したかな?

222:世界@名無史さん
10/12/26 12:34:31 P
.

223:世界@名無史さん
10/12/26 12:36:49 0
>>217
気にすんな
おまえさん以外にも厄介者だと思ってる人はいる
もうスルーすればいいだけ。

224:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:41:53 0
>>223
こういうのは自演乙と言っておけば良いのか、
それとも無視したほうがいいのか。

225:世界@名無史さん
10/12/26 12:47:19 0
>>224
このスレには最低で3人の住人がいると思うけどね、あなたはもう少し
一つのテーマについて深く掘り下げて勉強した方がいいのでは?

それこそインド史でもイタリア史でも中東史でもいいから。

226:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:51:07 0
>>225
無視しようかととも思ったけど、一応レスだけはしておくと、
そういう「自分は人よりも深く勉強して良く知ってる」みたいな、
偉そうな態度は控えたほうが良いよ。人から嫌われるから。

227:世界@名無史さん
10/12/26 12:59:04 0
私はレスからにじみ出る上から目線は
あなたのほうだと思うけどな

私は>>223だけど>>225とは別人
最低3人はいると思うよ

228:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:03:09 0
>>227
仮に別人だとしても、別に特に変なことを書いてる訳でもないのに、
叩かれるのは不愉快でしかないから。まぁ、>>226の書き方は確かに、
いささか上から目線かも知れないが、他は普通に書いてるつもりだし。

229:世界@名無史さん
10/12/26 13:10:50 O
ハンニバルと供にアルプスを越えた象さんもインドか東南アジアかからの輸入品

230:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:16:33 0
>>229
戦に象を使うという発想自体はインドからの輸入だろうけど、
実際にカルタゴが戦で使った象自体はアフリカゾウじゃないの?

231:世界@名無史さん
10/12/26 13:17:54 0
>>201
中世の中東は人口減少中なのにどこが豊かなんだ
交易もアフリカやインドの物産を中継貿易しただけだろ
オスマンも中東よりバルカンの方が豊かで弱小勢力が多いから進出したんだが
その上オスマンの中枢はバルカン、ヨーロッパ側で人材もほとんどバルカン側から供給
モンゴル後の中東勢力は砂漠化やらで衰退が進み他地域に介入する余力がないだけ
わかったかイスラム信者

232:世界@名無史さん
10/12/26 13:23:58 0
>>229
ヘレニズム時代にも、アラビア半島やインドとの交易が行われていた品。

東方産物の交易路は、海路インド洋からアラビア半島南岸のアデンに入り、
陸路アラビア半島を北上し、ペトラ、パレスティナ、スエズを経て、アレクサンドリアに至った。
この交易路を短縮し、また東アフリカとの交易(特に戦像の確保)を開発するため、
ファラオやペルシア時代に建設されたことのある、紅海からナイル河に至る運河が
幾度か再開されもした。

233:世界@名無史さん
10/12/26 13:30:38 O
バルカ家にプレゼントされたってのを見た記憶がある。
インドか東南アジアからの輸入品で。


234:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:31:17 0
>>232
ていう事は、やっぱり紀元前4世紀くらいまでは確実に遡れるのかな。

235:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:34:53 0
>>233
そうなのか。僕はマルミミゾウっていうアフリカゾウの一種が、
ポエニ戦争では使われたって聞いた記憶がある。どっちが正しいの?

236:世界@名無史さん
10/12/26 13:36:37 O
バルカ家にプレゼントされたってのを見た記憶がある。
インドか東南アジアからの輸入品で。
マルミミ象やアフリカ象がアルプス越えたのも否定はしない。つーかできない。私に知識ないから。

237:236
10/12/26 13:38:51 O
知識もないのに書くなっつう話だね。
正直すまんかった

238:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:40:42 0
>>236-237
まぁ、僕も古代史はとんど知識ないからお互い様。何かで、
マルミミゾウが使われてるっていうのは聞いた事あるんだけど、
どこでそれを聞いたのかすら覚えてないやorz。まぁ、中には、
インドから送られてきた象もいたのかも知れないし、良く分からないや。

239:世界@名無史さん
10/12/26 19:35:46 0
地中海から紅海に抜け、さらにインド洋を横切ってインドに到達するルートは、
19世紀のイギリスが「インドへの道」(エンパイア・ルート)として最も重視したものだった。

時代が変わっても、人間が通るルートは「香料の道」と呼ばれた時代から
ほとんど変わっていないんだなあ。

240:世界@名無史さん
10/12/26 21:17:21 0
>>239
それは当然。
航路って海流や風向次第だから移動に適したルートは大体決まってしまう。

241:世界@名無史さん
10/12/27 08:37:03 0
同じ旧植民地にいる白人でも、ポルトガル系やスペイン系の場合、一つの土地に
同じ家系の人間が代々固まって定着しているのに対し、イギリス系白人の場合、
三世代も四世代も前から一族の者たちが宣教師、商人、植民地行政官、研究者
などになって世界中を渡り歩いている、というパターンが多い。
で、それらの世界中に散らばった植民地家系が、アングロサクソンの世界支配の
先兵の役を果たしている。

こういう違いはどうやってうまれたのかな・・・

242:世界@名無史さん
10/12/28 08:29:20 0
>>241
いろいろ考えられるが、故国の状態というものがあるかもしれない。
スペイン、ポルトガルは、経済的に破産状態のなかでかろうじて自転車操業で国家の運営をしていた。
故国に戻って英気を養って次の航海を計画するより、植民地で領主におさまって永住する方が生きやすかったのかもね。
英国やオランダは、故郷に帰って出直すことが多いよね。

243:世界@名無史さん
10/12/28 23:04:30 0
ひとはたあげて祖国凱旋
→爵位もらって貴族化するのが
最終的な目的な気がするイギリス系の場合

244:世界@名無史さん
10/12/29 15:08:39 0
スペイン、ポルトガルよりイギリスの方が階級的な壁を越えるのが簡単だったとも思えないんだが。
戦時に功績を上げて爵位をもらう軍人の数は、イギリスの方が多かったと思うけど、金儲けだけで爵位がもらえるんだろうか?

245:世界@名無史さん
10/12/29 16:33:44 0
イギリスのジェントルマンは「開かれたエリート」といわれる。
ジェントルマンでない人も、努力し、運がよければごくまれにジェントリに
なれるから。

ジェントリにとって転落の危険が迫ったとき、意味を持ってくるのが
豊かな貿易省との縁組と植民地。
ジェントルマンの家庭の二男や三男が官僚、弁護士、医師などとして
植民地へ行って成功し、本国へ凱旋帰国というパターンがよくあった。

246:世界@名無史さん
10/12/30 16:58:04 0
ジェントルマン階層が功績を上げて貴族になることが「開かれたエリート」といわれるんじゃないの?
下層階級とジェントリが属する中産階級には厳然とした格差があったよ。
官僚・弁護士・医師などは中産階級であって桂冠した貴族から見たら下の階級だよね。

247:世界@名無史さん
10/12/30 19:15:48 0
>>246
そうだな。
そこがヨーロッパ大陸との違い。

ポルトガル系とスペイン系の移民はレコンキスタの影響で定着志向が強かったからな。
イギリス系はあちこちぐるぐる動き回る。

248:世界@名無史さん
10/12/30 19:51:30 0
「アラトリステ」を読んでの印象だから正確とは言えないだろうけど、ある程度ものの見える
スペイン人って、自分の国を愛しながらも故国に絶望していたような感じだね。
国王だってフランスやオーストリアから来て、イベリア半島の土俗の貴族とは結婚しようとせず
北方の「青い血」を誇っていたのだから、忠誠心も微妙だったようだ。

しかも国内経済は壊滅的となれば、海外で一旗揚げられればそこに定住したくなっても
不思議はないかもしれない。


249:世界@名無史さん
10/12/30 21:59:36 0
スペインは1609年~14年にモリスコ約30万人を追放しているが、この政策の結果、
バレンシアとアラゴンはそれぞれ12万人、6万人の農民層を失い、大きな経済的
打撃を受けた。

耕作地の放棄や離村のために、小麦の生産は落ち込み、食糧危機とペストの蔓延のせいで
カスティーリャ諸都市は人口が減少する。

その上、新大陸からの銀流入の減少、アメリカ植民地の自給の進展、オランダや
イギリスの私掠船の活動などがスペイン帝国の経済的衰退を加速させることになった。


250:世界@名無史さん
11/01/19 14:17:49 0
ブラジルの鉱山がポルトガルを没落させたのは、先にメキシコやペルーの鉱山が
スペインを没落させたのと同じである。全ての製造業は気違いじみた軽蔑を受けた。
やがてイギリス人がポルトガル人に衣類のみならず、全ての雑貨、全ての日用品、
塩漬けの魚や穀物までも供給するようになった。

ポルトガル人は、金の後は彼等の土地すら放棄した。オポルトのブドウ園は遂に
ブラジル産の金をもってイギリス人に買われたが、その金はポルトガルを素通りして
イギリス中にばらまかれた物であった。

我々が確かめたところでは、五十年間に五億ドルがブラジルの鉱山から採掘され、
その時代の終わりにはポルトガルは正金で僅か二千五百万ドルしか持っていな
かったのである。これは真実の富と虚構の富の違いを示す顕著な例である。


                              アルフレッド・T・マハン

251:世界@名無史さん
11/01/19 14:51:13 0
ヨーロッパの貴族階級は、平和的通商に対する高慢な軽蔑心を中世から引き継いだ。
この軽蔑心が、それぞれの国の国民性に応じて通商の発展を制限するように働いた。

スペイン人の誇りはこの軽蔑心と容易に一致し、働こうとせず、ただ富がやってくるのを
待つという、あの災厄的な精神と一緒になって、彼等を通商から顔を背けさせた。
フランスに於いては、フランス人自身すら国民性だと自認している虚栄心のために、
スペイン人と同じ方向をたどった。

貴族の数の多い事と華やかさ、また彼等の持っていた考え方によって、彼等が軽蔑する
職業には「劣等」という刻印が押された。金持ちの商人や製造業者は貴族の栄誉に憧れ、
その栄誉を得るや儲けの多い自分達の職業を捨てた。通商は屈辱感の下に続けられ、
そのために最良の代表者達は出来るだけ早くそれから身を引いたのであった。

ルイ十四世はコルベールの影響を受けて、「全ての貴族は、もし小売を行わないならば、
貴族の品位を傷付けたと見做される事無く、商船、貨物及び商品から利益を得ることが
認められる」 という布告を発した。そしてこの措置を採った理由として、「海上貿易は
貴族の身分と両立しないという広く行き渡っている通念の名残りを払拭するために、
それは臣民の幸福と我々自身の幸福を輸入するものである」 ということが挙げられた。

しかし、意識的かつ公然たる優越感を伴う先入観は、布告によって簡単に拭い去られる
ものではない。特に虚栄心が国民性の顕著な特徴である時はそうである。そしてずっと
後になってモンテスキューは、「いやしくも貴族が通商に従事する事は、君主制の精神
に反する事だ。」 と教えた。

252:世界@名無史さん
11/01/19 20:30:59 0
大西洋を初めて渡ったのはコロンブスではない、赤毛のエイリークだ

253:世界@名無史さん
11/01/21 00:40:51 0
>>252
記録にある限りはね。

254:世界@名無史さん
11/01/21 15:41:45 0
誰が最初であるかは、実はそれほど重要ではない。
重要なのは、だれが後世に大きな影響を及ぼし、それによって最初の人であると認識あるいは錯覚させたかだろう。

蔡倫しかり、グーテンベルクしかり、ガリレオしかり。
コロンブスは最初の人ではなかったかもしれないが、彼の後に続いた人が新しい歴史を作った。
だから、彼はその先頭に立つ人だと記憶された。

歴史とはそんなもの。

255:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/01/21 18:17:29 0
>>254
結局、ヴァイキングによるアメリカ大陸植民はしばらくしたら途切れてしまったからね。
世界史的にもコロンブスほどの大きな影響は残してないし、目立たないのは仕方ない。

256:世界@名無史さん
11/01/21 22:54:07 0
大航海時代はバスク人も活躍したよね

257:世界@名無史さん
11/01/22 03:34:04 0
>>250
マハンてこんなことも言ってるのか、面白いな

延々コテハンで沸いてる奴もせっかく時間割いてるなら

能書き控え目にして少しは事実的な書き込みすればいいのにw

258:世界@名無史さん
11/01/22 10:49:14 0
>>250
>全ての製造業は気違いじみた軽蔑を受けた。

中世ヨーロッパでは、職人など「手を汚す」仕事についている者は軽蔑されていたからね。
古代ギリシアでも、中世イスラーム社会でも、労働蔑視の風潮は根強かった。
プロテスタントにおける「労働神聖説」は16世紀の宗教改革以降に出現した新しい思想。
で、ラテンアメリカ諸国も旧宗主国であるイベリア半島の労働蔑視の伝統を引き継いでいて、
支配階級、パトロン階級は怠惰で、労働を徹底的に蔑視している。
「怠惰こそ美徳」。

259:世界@名無史さん
11/01/22 10:55:52 0
>>251
フランスでも、時代とともに、市民階級は次第に経済力を身につけつつあった。
銀行家や豪商たちの中には、浪費にかけて貴族に負けない資力を有する者も増えてきていた。
ところが、貴族階級、ことに貴族の称号を金で買ったのではない「本物」の貴族、
すなわち帯剣貴族は、商業活動に従事することを法によって禁じられていた。

260:世界@名無史さん
11/01/22 11:46:55 0
けど実態は商工業は盛んだったけどね
もちろん地域差もあるけど

261:世界@名無史さん
11/01/22 12:21:07 0
商業活動に従事することを禁じられてたら
俸禄だけでは裕福になりようがない。
称号を換金するために売りに出すのは有りなんだろうな。

262:世界@名無史さん
11/01/22 13:28:36 0
>>261
貴族の中にも落ちぶれていった連中はいるんでないの?
名ばかり貴族。

263:世界@名無史さん
11/01/22 13:37:33 0
ボルドーなどには、醸造会社を経営していた貴族がいた印象がある。
どの醸造会社も、現在の株主が貴族というわけではないが。

264:世界@名無史さん
11/01/22 14:22:10 0
>>262
いっぱいいたよ。だから新興貴族が入り込む余地があった訳だな。

265:世界@名無史さん
11/01/22 15:44:59 0
ボルドーってイギリスとかの外資がメインだったんじゃないの

266:世界@名無史さん
11/01/23 14:29:26 0
コルベールは活動を停止していた東インド会社を復活し、シャンプランに
北米植民地のルイジアナを建設させた。
一方、イギリスがピューリタン革命や名誉革命で混乱していたため、イギリスの
毛織物生産は停滞していた。このことに乗じてコルベールは、国立マニュファクチュアを
設立して、フランスにおける毛織物工業を育成した。その担い手はユグノーだった。
しかし、ルイ14世が1685年に「ナントの勅令」を廃止してしまうと、
フランスの毛織物工業は一気にしぼんでしまった。フランスが植民地貿易で
利益を得られればいいと考えていたのだろうか?

267:世界@名無史さん
11/02/14 07:11:13 0
ho

268:世界@名無史さん
11/02/15 10:53:40 0
欧州の血みどろの戦争で培われた陣地防御戦術が、大航海時代における圧倒的な西欧人の軍事的優位を作り上げた。
現地の土人がいくら戦力をかき集めても、西欧人が作り上げた防御陣地を破壊することは不可能だった。
西欧人が各地に作り上げた城塞は、戦力差が10対1であっても、土人に負けることがなかった。


269:世界@名無史さん
11/02/15 13:21:50 O
台湾は?

270:世界@名無史さん
11/02/15 13:43:05 0
>>269
鄭成功は例外。
鄭成功は、圧倒的な海軍力で台湾に築かれたゼーランディア要塞を封鎖し、
さらにはヨーロッパ製の火砲まで投入して陥落させている。
鄭成功の砲兵を指揮していたのはオランダ人の改宗ムスリム。

大航海時代において、アメリカ、アフリカ、アジア周辺の海は西欧人が支配したが、東アジアの海だけはアジア人が支配した。
この秩序が破られるのは19世紀以降の話。

271:世界@名無史さん
11/02/15 13:48:49 0
台湾って守備兵千人ぐらいしかいなかっただろ

272:世界@名無史さん
11/02/15 13:51:37 0
鄭成功は交易で力を蓄え、艦艇2000隻、兵力10万を有するといわれていた。
軍船も、ヨーロッパ式の改装が施され、重砲が搭載できた。

一方の西欧人系の勢力は、マニラ、フィリピン諸島にそれぞれ600人程度の兵力が駐留するのみであった。

1654年のバタヴィアのオランダ人総督の報告
「東洋の海で、彼(鄭成功)は我々の顔に唾を吐きかけることができる唯一の男である」
「彼は当地で我々の体に突き刺さった棘である」

273:世界@名無史さん
11/02/15 13:54:53 0
当時の台湾なら日本でも征服可能だと思うわ

274:世界@名無史さん
11/02/15 13:56:52 0
当時の台湾は疫病が酷かったことを指摘しておこう

275:世界@名無史さん
11/02/15 13:58:36 0
そうだね
征服した後にどう開発していくかの方が難しい
長い間放置されたのは未開すぎたというのもあるのだろう

276:世界@名無史さん
11/02/15 14:01:51 0
>>271
南米だったら、有名なピサロの例にあるように、数十名からせいぜい数百名程度の戦力で、西欧人が支配を確立している。

1571年、アーマドナガルのスルタンがポルトガル人の要塞を攻囲した時、攻囲軍の兵力は14万、ポルトガルの守備隊の兵力は僅か1100だった。
しかし、守備隊はことごとくスルタンの攻囲軍を撃退。
守備隊の逆襲の後、守備隊は敵の砲全てを鹵獲するか火門を塞いでしまった。

277:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/02/15 17:50:24 0
>>270
必ずしもそうとは限らない。確かにインド洋の多くはポルトガルが支配したけど、
オスマン帝国は紅海付近に進出してきたポルトガルを追い払ってるし、小国の、
モロッコもポルトガルを破ったりしてる。東アジアだけが例外だった訳じゃないよ。
新大陸は確かに例外ないけど、スペインが征服に手こずった先住民も存在した。
大航海時代じゃ、まだ西欧はそんなに圧倒的じゃない。西欧が圧倒的な軍事力を、
持つようになるのは近代以降。まぁ、この頃からすでにその兆しは見えてたけど。

278:世界@名無史さん
11/02/15 18:54:16 0
>>277
>オスマン帝国は紅海付近に進出してきたポルトガルを追い払ってる

その翌年にはポルトガル海軍がインド洋周辺の軍船を全部投入して、オスマンの艦隊を壊滅させてるけどな。
その後もオスマンはポルトガル海軍を撃破しようと試みてるが、大抵はポルトガル側が勝利している。

>小国の、モロッコもポルトガルを破ったりしてる

あの負けはポルトガル軍が、要塞に拠らずに深追いしたからだ。
奥地まで進出するのは大航海時代の負けパターン。
それに、この戦いでポルトガルの拠点が失われたわけでもないから。

279:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/02/15 19:14:30 0
>>278
まぁ、そうなんだけどね。ただ、当時の西欧が圧倒的な軍事力を、
持ってた訳ではないという例を出しただけ。でも、オスマン帝国は、
ポルトガルに敗北しつつも自国領への侵入は一応防げてるからね。
西欧に対して東アジアだけが、独立を保ててたという訳ではない。

奥地への進出は大航海時代に限らず負けることは良くあるけど、
確かに大航海時代はそういうパターンが結構あるね。スペインも、
新大陸においてパタゴニアなどの奥地のほうは征服に手こずったし。

280:世界@名無史さん
11/02/15 21:48:24 0
正確な海図持ってる文明がカトリックとプロテスタントだけになった時点で
もう勝敗は見えてる
いくらオスマンやムガルや清が強くてもどうということもなく後の祭り
その間にカトリックとプロテスタントは米大陸や世界の島々を強姦しまくってたんだから



281:世界@名無史さん
11/02/16 08:09:58 0
>>279
ポルトガルだけが西欧じゃないぜ。
ポルトガルが退潮してしまったのは、土人やオスマンとの戦いだけが原因じゃなく、
それに加えてイギリス、オランダ、スペインといった新興国との挟み撃ちにあってしまったから。
土人相手には圧倒的な軍事技術の優位で勝てても、ヨーロッパ海軍には勝つのは困難だった。


282:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/02/16 17:16:07 0
>>281
まぁ、ポルトガルだけが西欧じゃないのは確かだけど、僕が詳しい、
地域が中東方面でそっちにはポルトガル以外の国は大航海時代じゃ、
まだほとんど進出してなかったから必然的に例がポルトガルだけに、
偏ってしまった。スペインはアメリカ大陸が中心だし、イギリスによる、
インド征服の過程はあまり詳しくないんで。まぁ、ポルトガルの衰退は、
いささか仕方ない面もあるかなぁ。大航海時代に真っ先に進出したけど、
結局ヨーロッパにおいて政治的中心に立てなかったしね。イギリスや、
オランダみたいに国内の近代化がもう少し進めば望みはあっただろうけど。

283:世界@名無史さん
11/02/16 22:29:25 0
>>282
>僕が詳しい、
>地域が中東方面でそっちにはポルトガル以外の国は大航海時代じゃ、
>まだほとんど進出してなかったから

あ~、昔ヴェネツィアという国があったんだよ。
中東方面へ、ポルトガルよりはるかに早く進出していたんだが。
知ってるかな? 

284:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/02/16 22:41:38 0
>>283
それくらいは知ってるけど大航海時代じゃないから、それについて、
例を出すのはスレチだと思うんだけど。ヴェネツィアが中東方面に、
進出したのは主に地中海経由だし。それに、たとえヴェネツィアを、
例に出したとしても、大航海時代(15世紀末頃~)のヴェネツィアは、
普通にオスマン帝国に押されてたでしょ。何度か勝ったこともあるけど、
圧倒的とはとても言えない。それ以前は大航海時代じゃないしね。

285:世界@名無史さん
11/02/16 23:29:06 0
戦争に勝つことだけが国家のありようではない。
ヴェネツィアが圧倒的でないと言うだけで地位が低いかのような言い方は、歴史を一方的、幼児的に見ていないかね?
それに、歴史はいわゆる大航海時代の、自転車操業の経済状態で死にものぐるいで海外に活路を求めた国だけで示されるものではない。

286:世界@名無史さん
11/02/17 01:47:50 O
大航海時代だから
スレタイ

287:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/02/17 06:04:25 0
>>285
ヴェネツィァが幼稚とか言った覚えはないよ。僕はもともと>>270の、
東アジアだけが大航海時代に西欧の軍事力に対抗できたという、
レスに反論しただけだから、ヴェネツィアは全く関係ないでしょ。
そもそもスレタイの大航海時代に直接的関係はないし、軍事力で、
圧倒してた訳ではないから>>270への反論として出すには不適切だし

288:世界@名無史さん
11/02/18 11:50:26 0
マニアックなネタだけど、大航海時代には、まだミズンのラティーンスルはスパンカーに発達していないよね。
タッキングの時、ヤードを回すのに数十分かかるような船で、どうやって嵐の海を乗り切ったんだろう?

289:世界@名無史さん
11/02/18 12:24:04 0
>>288
「嵐の海」だったら、帆を畳んでひたすら待つだけでは
某オンラインゲームだとそんな感じだったけれど

290:世界@名無史さん
11/02/18 16:41:24 0
>>287
中国やら日本やらが強力だったってのもあるが、
帆船時代では単純に東アジアが遠かったからでしょ。
実際、蒸気船ができてからは中国はあっという間に食い物にされたし。

291:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/02/18 17:03:20 0
>>290
ちゃんとレスを読んでから返信してくれないか。僕は大航海時代に、
おいて、東アジアだけが例外だったと言ってる>>270のレスに対して、
反論してるんだけど。東アジア以外も大航海時代じゃ、まだそんなに、
支配されてたとは言えない。ある程度は西欧諸国も進出してきてるけど。

292:世界@名無史さん
11/02/18 17:53:24 0
>>288
ヤードを回さず寄せただけで、裏帆を打った状態で展帆したという説もある。
ちょっと不便だし効率は悪いけど、けっこううまく行ったらしい。
右舷開きと左舷開きで切り上がりの限界角度が違うことになるけどね。w

293:世界@名無史さん
11/02/18 18:28:51 0
>>289 >>292
ふむ、ありがとう。
しかし現代の視点から見るとスパンカーのように便利なものをなぜ何百年も発見できなかったのか
不思議だけど、技術史とはそんなものでしょうな。

294:世界@名無史さん
11/02/18 23:16:15 0
>>293
スクエアスルを斜めに使うような発想の帆はあったんだから、もう一息だったのにね。
最後方のマストの強度の問題もあったのかもしれない。
大航海時代のガレオン船の最後方のマストは、前のマストのように竜骨に達するほどがっちり固定されていない。
あのマストに余計な力はかけられなかったんだろうな。

295:世界@名無史さん
11/02/20 02:33:45.23 0
ちょっと陳腐な話で恐縮だが
この時代随一なのはマジェランだと思う
西回りで東洋に行く探索
当初の計画通りいかず部下の反乱を招いたがそれを押さえつけたリーダーシップ
水路を発見した後は迷う事無くアジアを目指す(海の広大さについては誤認してたが)
フィリピンまで行けたのはまさに奇跡・・・

最後はデルカノによって世界一周が成し遂げられた
その後の航海者に多大の有用な情報をもたらした功績は偉大の一言

296:世界@名無史さん
11/02/21 01:03:12.22 O
モンゴル帝国の来襲 の後遺症でヨーロッパは中国を過大視したんだろうね。

297:世界@名無史さん
11/02/21 03:52:35.05 0
スペインは原始的な資源外交に特化していた
オランダは商業に特化していた
イングランドは対スペインや対蘭の通商破壊に特化していた

これはれっきとした分業なんだよ


298:世界@名無史さん
11/02/21 04:14:50.33 0
>>295
マゼラン海峡の向こうは未知だよな。
凄まじい冒険心というか…
もうその頃は地球の円周の長さをほぼ正確に把握してたのかな?
コロンブスはかなり小さく見積もってたようだけど。

299:世界@名無史さん
11/02/21 08:43:01.32 0
>>298
古代のアレキサンドリアでも、地球の円周の長さを
ほぼ正確に計算した人はいるのだから、
地球が丸いと仮定したら、この数字でいいだろうくらいは考えて
いたのではないかな

300:世界@名無史さん
11/02/21 11:05:23.14 0
現代の視点で見ると、古代の一人がたまたま地球の円周上をほぼ正確に見積もったことで、
科学史などでは古代にはそのような「先進的」な文化・技術があったと喧伝する。
しかしこれは、単なる暇な哲学者(古代に於いては科学全般も哲学の中)が単に自分の仮説
に基づいて提示した空論の一つに過ぎないはず。
そんなものが、数百年後にどれだけ意味があったのかは疑問ですな。

地球の大きさを考えた少数の哲学者がいたとして、彼らがどのくらいたくさんの数字を出したのか
疑問がある。たまたまそのなかで、最もいまの計測値に近いものを出してきて、これはすごいとばかり
記録に残しているのではないのかな。

301:世界@名無史さん
11/02/21 14:27:34.22 0
>>300
まあ言わずもがなではありますが、自分の妄想のみを根拠に主張する前に、せめてWikipediaだけでも見ておきましょう
URLリンク(ja.wikipedia.org)エラトステネス

302:世界@名無史さん
11/02/21 23:24:27.38 0
古代の知識は中世には忘れられてしまった
コロンブスの見積もりを見ても目的地(ジパング?)の経度がひどく過大な上に
(実際より東に寄りすぎ=西回りではより近い)
1海里(赤道上の経度1分の距離)の推算もえらく過少
つまり大きさを誤認していた

303:世界@名無史さん
11/02/21 23:52:39.36 0
>>302
だからポルトガルには相手にされなかったわけですが
上のページにもあるとおり、イスラム圏で研究や計測がされております

304:世界@名無史さん
11/02/22 00:36:24.14 0
ギリシャ時代の自然科学的な知識がかろうじて保存されてたイスラム圏から
再導入され短期間にそれを再発展出来るとは・・・
歴史とはやっぱり面白い

305:世界@名無史さん
11/02/22 00:41:12.86 0
イスラム圏での知識は「中世に」西欧にもたらされ、ポルトガル人もスペイン人も、
その筋の学者さんならば大地が丸いことはもちろん、だいたいの大きさも文献で知っていた
(イベリアはムスリムが支配していた土地でもあるし)
アメリカ大陸が存在しなければ、カナリア諸島からシナへ渡ろうとすれば、
2万km2ものだだっぴろい海洋を横断することになる、というので誰もやらなかったわけ

コロンブスは思い込みと誤訳・誤読の末に誤った計算を出し、まともな学者からは相手にされなかったが、
幸か不幸か偶然そのへんの位置に西インド諸島が存在してしまった

306:世界@名無史さん
11/02/22 01:00:51.71 0
コロンブス
 功名心のせいか(?)イザベル女王を説得するため自身の認識より誇張した可能性はある
マゼラン
 いくら冒険心に富んでいたといえ地球の大きさについてはコロンブスと余り変わらないのでは?
 そうでなければ太平洋横断なんてさすがにするかな?

307:世界@名無史さん
11/02/22 01:28:27.30 0
伊能さんて地球の大きさ測るため蝦夷に行きたかったが、幕府の許可が下りなかったから
「地図作るよ」って嘘ついて許可もらったそうだがおもろいな


308:世界@名無史さん
11/02/23 01:15:31.34 0
マゼランは三ヶ月かかって太平洋を横断したわけだが
飲み水はどうしたんだろう
・雨水を貯める
・海水の蒸留(燃料(薪)が必要だが)
このぐらいしか思いつかないが・・・

経路を見ると海峡を抜けた後大陸の西岸に沿って北上してるけど
その間食料を含めある程度補給出来たのかな?


309:世界@名無史さん
11/02/23 15:15:24.18 0
>>306
南米南端からモルッカまでなら、がんばればなんとかなると思ったのでしょう。
スペインからノンストップで横断しようとしたわけではありませんし、インドや中国まで
行くつもりだったわけでもありません。

>>308
「陸でありったけ汲んで持って行く」
後は雨水でしょう
19世紀までずっとそうですし

310:世界@名無史さん
11/02/24 19:19:17.94 0
雨水なんて、屁の突っ張りぐらいにしかならないのでは?
ないよりましだけど、あてにはできないしね。

アオミドロでどろっとした、微生物うようよの水を飲んで頑張ったんだろうなぁ...
しかもほとんどの経路を風上へ間切って行ったんだしねえ。
偉いものだ。

311:世界@名無史さん
11/02/24 20:09:32.14 0
むしろワインの方が飲料として安全だったりして

312:世界@名無史さん
11/02/24 21:20:22.86 0
ワインなんて、熱帯の船内では、すぐ酸っぱくなるのでは?
イギリス海軍では地中海ではワイン、大西洋ではビールを使ったらしいが、水の方が安上がりだろうね。

マゼランの航海で、アメリカ大陸西岸で最後の補給をしたとすると、水以外にはないはず。

313:世界@名無史さん
11/02/25 02:19:43.26 0
たった一人の生還って以前読んだけど、27日間、水・食料補給なしで太平洋を彷徨って助かってる日本人がいる。
水は雨水のみだったようだ。
マゼランらはグアムに着く前に無人島に何度か寄ってるよな。


314:世界@名無史さん
11/02/25 09:15:44.36 0
一人だけで漂流するなら雨水でもなんとかなるのかも。
でも、横帆船は帆を操るためにたくさんの人手がいるからねえ。
マゼランの船団では、雨水だけで生き延びるのは不可能でしょう。

>>308
>経路を見ると海峡を抜けた後大陸の西岸に沿って北上してるけど
 え??
  ↓
URLリンク(upload.wikimedia.org)

315:世界@名無史さん
11/02/26 19:33:21.71 0
>>314
フンボルト海流に乗って、チリ海岸沿いを進んでるよ
そこから太平洋を横断してしまうのはすごいが

316:世界@名無史さん
11/02/27 19:57:56.25 0
>>314
その図は概略すぎて不正確
南東貿易風帯まで北上してから北西に進路をとる
そのためほとんど陸地出会えないコースになった

317:世界@名無史さん
11/02/27 20:56:02.06 0
>>316
そうだよね。
マゼラン海峡を抜けてからの行程は、すぐに太平洋に出たのではないにしても
海岸線に沿ってというより風の流れで北上して貿易風をつかんで西に向かった
というイメージを持っていたからね。

見知らぬ海岸に対して平行して走るなどという危険なことは、熟練した航海者は
するはずがないと思う。ある程度距離を置いて走ったはず。

318:世界@名無史さん
11/02/28 00:58:01.34 0
余りメジャーじゃ無いがアメリゴ・ヴェスプッチに興味がある
商人出身のせいか実戦的な数学的素養に富みそのせいかトスカネリの地図には懐疑的だったようだ
航海の一時資料が当時出版されたフィレンツェ高官宛の書簡しかなく航跡が必ずしも明確でないが
諸言語に翻訳され流布された結果として新大陸の名が彼の名前からアメリカとして定着してしまった

その後先覚者であるコロンブス(晩年は不遇すぎる!)の評価が上がるにつれ何か人の功績を盗んだ不逞な輩的にまで評価は下落
現在でもその名残りはある(wikipediaを見ても)

当時で現在のヴェネズエラの経度をかなり正しく推算してるのは凄いと思うのだが?

319:世界@名無史さん
11/02/28 01:13:49.81 0
ワインって船乗りには本来の用途はもちろん、飲料水としても使えるから
水よりもよっぽど重宝されたんじゃなかったっけ?

320:世界@名無史さん
11/02/28 12:16:35.99 0
>>319
水夫に供されるような安物のワインは、すぐ酸っぱくなる。
普通ワインは薄めて飲まれるし、その水をどう確保するのかの問題がある

英国海軍では、豊富に供給できる地中海地方でしか与えていない。
大西洋、北海、インド洋、太平洋などでは、ビール、薄めたラム酒(グロッグと呼ばれたもの)
などを水兵に与えていた。

321:世界@名無史さん
11/03/05 05:15:04.77 0
この時代の経験で(壊血病の悪夢)
後のドレイクやクックは酢漬け野菜や乾燥果物を携行するようになった

322:世界@名無史さん
11/03/05 06:33:26.36 0
>>318
>当時で現在のヴェネズエラの経度をかなり正しく推算してるのは凄いと思うのだが?
不正確だって話を聞いた覚えがあるが

323:世界@名無史さん
11/03/05 09:19:05.43 0
コロンブス、アメリゴ・ベスピッチの時代だよね。
正確な時計(クロノメーター)がない時代に、正確な経度測定は不可能。
金星の月面食などで測定するにしても、誤差が多いし、精密な結果は考えるだけ無駄。
18世紀になって精密な六分儀とクロノメーターが現れて、ようやく現代でもある程度信用できる制度になったのではなかったかな。

324:世界@名無史さん
11/03/05 09:22:21.99 0
あ、違った。w

ある程度信用できる制度になったのではなかったかな
       ↓
ある程度信用できる精度になったのではなかったかな

もしかして、>>318氏は緯度と経度を間違えたかな?
緯度なら、コロンブスの時代でなら、18世紀の一ケタか二ケタ下ぐらいの精度で測定可能だろうね。
プラマイ2度くらいの精度ということ。

325:世界@名無史さん
11/03/05 17:57:21.38 0
やはりバルボアでっしょ。

326:世界@名無史さん
11/03/05 23:05:33.61 0
コロンブスが上陸した地で領有宣言やらしたことは有名だけど、
日本に到達した外人も旗立てるとか領有宣言やら儀式してたのかな

327:世界@名無史さん
11/03/05 23:43:50.35 0
沖ノ鳥島が昔オランダだかポルトガルだかの領土にされたことがあったような気がする。
人間が住んでいるところは領土にしないんじゃなかったっけ?

つまり、インディオは人間の範疇に入らなかったということかねえ...

328:世界@名無史さん
11/03/06 01:30:05.26 0
>>322
アメリゴの計測(1499/08/23、19:30、現地時間は天測により比較的正確)
月と火星の位置の観測から合が18:30であることを推算
携帯していたレギオモンターヌスの航海暦にはこの合はドイツのニュルンベルグでは
24:00と記載されてる(つまり時間で5.5時間分西方に位置してる事になる=現在の経度に直せば西経71度ぐらい)
まれな天文現象と観測環境が良かった運にも恵まれたのだが

>>323
基本的にはその通り
ただ当時でも経度測定の理論は有ったと見るべきだろう
その後でもタスマンは度のレベルでまちがいをやらかしてるし(おそらく動揺する船上での観測)
分以下のレベルで(しかも船上で)計測出来る様になったのはハリソンによるクロノメーターの製作以降

329:世界@名無史さん
11/03/07 23:24:15.89 0
>>321
クックが名を挙げたきっかけが、
最初の太平洋航海で壊血病の死者を一人も出さなかったこと

330:世界@名無史さん
11/03/09 02:27:34.33 0
経度を天測だけで特定天文現象に頼らず決定するには
赤経、赤緯をほぼ30日で一周する月の運動を利用するしかない
ただ主に地球と太陽の重力の影響で相当に複雑
信頼できる表は18世紀のマイヤー(分レベルで可能)までは無かった
実際は揺れる船上の測定では誤差が多くてもやむを得ない
陸上ではそれなりの精度だが

331:世界@名無史さん
11/03/09 14:22:16.45 O
バイキングが作った北米植民地は原住民に負けて十五世紀に全滅したのが
大航海時代のスペインは原住民を圧倒した
なんでだろ

332:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/03/09 15:01:37.74 0
>>331
純粋に技術の進歩によるものじゃないの?ヴァイキング時代の北欧の文明度じゃ、
まだ新大陸を征服できるほどの力はなかったと思う。大航海時代ぐらいになると、
それなりの軍事力を持つようになったから先住民たちの抵抗にも簡単に勝てた。

333:世界@名無史さん
11/03/09 18:22:56.03 0
短期的には武装が
長期的には疫病が
原住民を殺してくれたから

334:世界@名無史さん
11/03/09 18:56:28.47 0
馬と火器と鉄器といわれてるが
鉄器はヴァイキングも持ってた
ただ植民の人数の絶対値が余りにも小さすぎたのでは?

335:世界@名無史さん
11/03/09 20:17:44.70 0
レイク・エリクソンが150人で、コロンブスもそれぐらいじゃなかったかな?

336:世界@名無史さん
11/03/09 20:18:20.30 0
ぶっちゃけ10世紀のアイスランド人とカナダ人じゃ、文化レベルも技術レベルも大差ないと思われ

337:世界@名無史さん
11/03/09 20:31:46.25 0
15世紀のスペインはやたら技術が進んでたんだな

338:世界@名無史さん
11/03/09 20:35:11.12 0
・火縄銃
・読み書き能力の普及(ベルナール・ディーアス・デ・カスティーリョみたいな末端兵士が記録残せるレベル)
・馬
・しっかりした甲冑

339:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/03/09 22:21:09.96 0
>>334
人数に関しては>>335も言ってるようにスペインも結構少なかったからね。
火器とかがあるなら少人数でも征服可能だろうけど鉄器だけじゃ難しいと、
思うよ。>>336の言うように、当時のヴァイキングの文化レベルはそんなに、
高くないだろうしね。アメリカ大陸の先住民と大差ないような気がするなぁ。

>>337
イベリア半島はイスラーム支配下からレコンキスタ終了までにかけて長い間、
学問や文化の先進地域だったからね。大航海時代の下地はそれなりにあった。

340:世界@名無史さん
11/03/09 22:41:45.21 0
>>328
月と火星じゃなくて月と恒星じゃ経度測定困難なんだろうけどどういう差なのかよくわからない。
ニュートンは月と恒星とで経度測定しようとしてたとか言うけど

341:世界@名無史さん
11/03/09 22:41:59.12 0
そりゃ13世紀ぐらいまではスペインは先進文化の導入する場所で先進的だったかもしれないが
15世紀のコロンブスの時代になると文化、技術、経済は北イタリアとネーデルランド、南ドイツ諸都市の方がヨーロッパの中心で
特別スペインが先進というわけではないよ、もちろん後進でもないが
それに文化レベルと強弱はあんまり関係ないと思うが




342:世界@名無史さん
11/03/09 22:45:54.67 0
バイキングで思い出したけど、グリーンランドって赤毛のエリク以前にイヌイットが住んでたよね?
イヌイットは北米から渡ってきたの、それともユーラシアから来たの?

343:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/03/09 22:51:27.12 0
>>341
まぁ、確かにそうなんだけど大航海時代において少人数で新大陸を制圧できるだけの、
力量が当時のスペインにはすでにあったという事。まぁスペインが北イタリアとかよりも、
先に大航海時代に乗り出すことが出来たのは地理的な幸運なんかも大きいけどね。

文化レベルというか技術的に当時の北欧のヴァイキングとアメリカ大陸の先住民じゃ、
大差ないような気がする。少人数での遠征を成功させる場合、どうしてもそれなりには、
軍事技術で相手を圧倒しておく必要があるだろうけど、当時のヴァイキングに先住民を、
圧倒するほどの軍事的技術があったとは、僕にはとても思えないんだよなぁ。

344:世界@名無史さん
11/03/09 23:06:48.56 0
>>327
・1565年 スペイン船サン・ペドロ号が発見。その形から「パレセべラ」(「帆のような」の意)と名付ける。
・1639年 オランダ船エンヘル 号及びフラフト号が発見。「エンヘルスドローフテ」(「エンヘル浅瀬」の意)と名付ける。
もしかしたらこのあたりのことを指しているのかもしれないけど、上陸したわけではないし、「領有宣言」も特にしていないかと。
ただし、沖ノ鳥島が「上陸」できるような代物でないのは、16世紀の時点ですでに現在同様だったようですが。

ちなみにここを参考にさせてもらってます。
URLリンク(homepage3.nifty.com)

ていうか、小笠原諸島(父島)は、欧米人が領有宣言どころか定住にまで至ってますよね。

345:世界@名無史さん
11/03/10 00:57:52.92 0
小笠原には白人の日本人がいるよな。
イルカ観光船の船長も欧米系島民じゃなかったかな。

346:世界@名無史さん
11/03/10 01:37:12.72 0
>>340
恒星は赤経値は変化しないが一日に赤経値がほぼ12度変化する月との方位角の差を比較することで
経度測定は可能
ただ同時に計測しなければならないという技術的理由で選択できる基準星は限られる
白道(ほぼ黄道と同じ)付近の明るい星に限られる
もちろん基準子午線に於ける月の運行表が必須だが

347:世界@名無史さん
11/03/10 16:59:20.31 O
13世紀はすでにスペインよりイタリアイギリスフランスのほうが文化面で栄えてたような気がする
イギリスが大航海時代に乗り遅れたのはやはり百年戦争かな?

348:世界@名無史さん
11/03/10 18:56:45.15 0
スペインやシチリアは翻訳活動は盛んだったけど
文化を生み出した場所ではないよな

349:世界@名無史さん
11/03/10 21:50:58.25 0
緯度経度が測定できることで、グリッドの上の自分の位置は15世紀ごろまででも特定できるように
なったが、肝心かなめのグリッドの幅、つまり経度一度はなんマイルなのかを測定できるようになる
のは、もっとずっと後なんだよね...

350:世界@名無史さん
11/03/11 00:27:00.53 0
エラトステネスは不正確×不正確で正確に地球円周を出したという

351:世界@名無史さん
11/03/11 00:58:56.92 0
>>347
16世紀ならともかく、13世紀ではさすがに無茶でしょう
イングランドもフランスも、未だ中世封建社会真っただ中で、イベリア半島はまだイスラム勢力が優勢ですし

352:世界@名無史さん
11/03/11 01:30:22.18 0
スペイン・シチリアは翻訳活動は盛んだったけど著名な文化人はいないよ
13世紀だとトマス・アキナス、ロジャー・ベーコン、エックハルト、アルベルトゥス・マグヌス
全員、アラビア学問の影響は受けてるけどスペイン、シチリア出身じゃない
まぁイスラム圏スペインではアベロエスがいるけどキリスト教圏スペインはマイナーなのしかいない


353:世界@名無史さん
11/03/11 01:33:08.00 0
調べなおすとアベロエスも12世紀だな

354:世界@名無史さん
11/03/11 02:39:07.46 0
ピサロのインカ征服の戦い
勢力差は100:1かそれ以上だが(全員で攻め懸かればピサロに勝ち目は無い)
大砲をぶっ放したとたんインカの兵は逃亡
やすやすと王を捕虜にした

軍事力とは装備以外でも文明(アメリカ古代対ヨーロッパ近世)の差が決定的

355:世界@名無史さん
11/03/11 10:07:11.45 0
にしてもコロンブスの原住民に対する処遇は鬼畜すぎるよな
まぁ当時の商人としては普通だったのだろうが
人権もクソもない時代だなホント

356:世界@名無史さん
11/03/11 12:57:42.90 O
オスマンを真似したんだよ
オトラントの戦いとかすごいぞ

357:世界@名無史さん
11/03/14 01:10:48.19 0
>>354
テキトーな脳内妄想垂れすぎ 

だったら敵対部族の調略とか全然必要ないじゃん 
君の脳内でスペイン人たちはそんな必要ないことになんで必死こいてたことになってんだ?

>>356
違います。テネリフェ島とかで事前にどんだけスペイン人が苦渋舐めて経験蓄積したかとか勉強してみ
wikipediaあたりでも英語版のほうには詳しく載ってるから。





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