大航海時代at WHIS
大航海時代 - 暇つぶし2ch1:世界@名無史さん
10/11/24 19:41:57 0
大航海時代でほぼ世界一周を終え、アフリカのクロンボ
アメリカ大陸やオーストラリアにいた未開土人
トルコや中国、日本らの半未開国を見て、ヨーロッパ白人が
最も優れていて世界を征服できると素直に思っただろうな。

2:世界@名無史さん
10/11/25 13:51:59 0
ヨーロッパ人が香辛料を求めた理由について、これまで食肉の保存のためと
思われてきたが、実際は医薬品と考えられていたからなんだよな。

3: ◆EAbyJft1LY
10/11/25 18:09:24 0
>>1
大航海時代じゃ、まだヨーロッパに比べて中国やトルコが遅れを取ってたとは言えないよ。
中国は良く知らないけどトルコ(っていうかオスマン帝国)は大航海時代真っ盛りの、
16世紀から17世紀にかけてスペインと肩を並べる(場合によっては上回る)くらいの、
強国だったから同時代のヨーロッパ人は半未開国とは思ってなかったんじゃないかな?

4:世界@名無史さん
10/11/25 18:37:36 0
>>1
白人厨に真面目に反応するのもなんだが、大航海時代のヨーロッパじゃ他国
を未開呼ばわりできるレベルじゃない。
東洋でも既に出来上がった中国~東南アジアの南海貿易やインド洋貿易網の
中の一部にようやく入り込めた程度。
当時じゃ未開・半未開の区別よりキリスト教徒かそうでないかのほうが
重要。

だいたいオスマンが半未開国で簡単に征服できるなら大航海時代が始まっ
てない件についてどう思ってるやら。わざわざ自分の馬鹿晒したスレ立て
文書く神経は理解できんな。

このスレが伸びる場合、多分、スレ主の知的レベルをはるかに超えたレベ
ルの話になると予想。アンチ・モンゴルスレでもそうだったからな。
多分、お前さん、邪魔になるだけだよ。

5:世界@名無史さん
10/11/25 19:38:59 0
東方見聞録ころには差別的表現はなかったようだね
でも数百年後、結果的には世界のほとんどを西欧の白人が植民地にしたけどね

6:世界@名無史さん
10/11/25 19:41:16 0
日本見て簡単に征服できないって言った宣教師がいてだな…
つまり何が言いたいかというと>>4の言うとおり>>1ではついていけない話になるかもな。

このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?


7:世界@名無史さん
10/11/25 19:54:17 0
朱棣と鄭和
         | 
         | おまえが大航海時代の一人者だろ!
         \___  ____________
               ∨
             |VVVV'|
    __∧鄭∧__|_朱__|____
    |  ( ;´∀`) (´∀` )     .|
    |  (    ) ⊂    )    |
   / ̄( (  (  ̄( (  (  ̄ ̄/|
   || ̄ (_(_) ̄(_(_) ̄ ̄||
        ∧
   / ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   | (エッ!!)       |
   | きんたまが無いんですが |

8:世界@名無史さん
10/11/25 20:21:54 0
遊牧民族が落ちぶれ銃器・火器が急速に発展した時代でもあるね

9:世界@名無史さん
10/11/25 20:51:43 0
エジプト停滞の契機となったのはヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰航路の開拓で、
それまで莫大な富をもたらしてきた香辛料のインド・ヨーロッパ間の中継貿易が
激減し、エジプト経済は深刻な打撃を受けた。

当時、カイロを首都としてエジプト・シリアなどを領有していたマムルーク朝は、
同じく香辛料の中継貿易で利益を上げていたヴェネツィアやインドのムスリム王侯と結び、
ポルトガルの香辛料貿易を阻止すべく開戦したが、1509年2月、インド北西部
ディーウ島沖の海戦でポルトガル海軍に惨敗する。

その8年後、マムルーク朝は新興のオスマン朝によって滅ぼされ、エジプトは
政治的にも中東の大国から一属州の地位に転落。

10:世界@名無史さん
10/11/25 21:48:48 0
>>1が思い通りにならなくてイライラスレは ここですか?

11: ◆EAbyJft1LY
10/11/25 22:19:54 0
>>6
15世紀後半から17世紀ぐらいまでが妥当じゃないかな?
>このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?

12:世界@名無史さん
10/11/25 22:30:00 0
>>11
17世紀といえば、英仏蘭が東インド会社を設立して、インドのスラトに
商館を設置したり、マドラスを譲渡されたり、マラッカを奪取したり
していたころだな。

13: ◆EAbyJft1LY
10/11/25 22:35:19 0
>>12
そうだね。大航海時代における覇権国家が、
スペイン・ポルトガルからイギリス・フランス・オランダに移りかけた時期だね。

14:世界@名無史さん
10/11/25 23:04:44 0
>>9
その代わりポルトガルの覇権も一時的なものだったからな。マムルーク朝
倒したオスマンが出てくるし、それに対抗するためにサファヴィー朝と結
んで、結構な量の香辛料をペルシアで荷揚げしてレヴァント貿易ルートに
載せなければいけなかったし、給料遅配で現地のポルトガル人が横流しも
してた。
オスマンも完全にポルトガルを排除してインド洋の覇権を握れたわけじゃ
ないけど、大体数十年くらいで香辛料の供給源はレヴァント貿易に戻って
る。香辛料貿易のアフリカ航路の復活はオランダの台頭以後だろうな。

15:世界@名無史さん
10/11/26 08:34:46 0
ヴェネツィアが衰退したのは、香辛料貿易をオランダに独占されたことのほかに、
レヴァント貿易でもオランダやイギリスとの競争に負けたことが原因だよな。

教科書的な理解だと、大航海時代の到来→イタリア海洋都市国家の衰退、
となっているけど。

16:世界@名無史さん
10/11/26 09:06:08 0
>>15
レヴァント貿易が独占できなくなってからも、毛織物や絹織物生産などの
産業と輸出に力入れて、経済力は衰えてはなかったんだけどな。
17世紀に入ってからオランダやイギリス船を締め出す保護政策で失敗して、
レヴァント貿易の中継港としての位置もラグーザやリヴォルノに取られた
し、産業面でもやっぱりイギリス・オランダ製品との競争に負けたことと
三十年戦争で顧客のドイツがボロボロになっちゃったことで、最終的に
衰退に向かってる。

>教科書的な理解だと、大航海時代の到来→イタリア海洋都市国家の衰退、
となっているけど。

実はスペイン・ポルトガルの大航海時代って本当に一時的な収入しかない
んだよなあ。フェリペ2世、何度国家の破産宣告したことか。

17:世界@名無史さん
10/11/26 10:53:03 0
>>16
新世界から来た富で儲けたのは、スペインではなくイタリアの銀行だった。
コロンブスもジェノヴァ人だったしね。

>>1
ヨーロッパ人が入手したがったクローヴ、メイス、ナツメグなどは、
インドネシアの東部、マルク諸島とバンダ諸島が産地だったが、16世紀初頭の
この地域には、テルナテ島とティドーレ島にムスリムのスルタンがおり、
勢力を二分して対立抗争を続けていた。
ポルトガル人は当初、その武力を利用しようとしたテルナテ島のスルタンに
歓迎され、この島に要塞を築くことに成功する。しかし、ポルトガル人と
やや遅れてこの地に来たスペイン人が対立しつづけたこともあって、
クローヴの生産と販売そのものは依然としてスルタンが握り続けていた。
二つの島のスルタンは、クローヴをポルトガル人の持ちこむインド産の
綿布や武器・弾薬と交換することによって、自らの経済力・軍事力を強化し、
その影響力はマルク諸島のみならず、周辺のバンダ諸島やニューギニア西部にまで
及ぶようになった。
香辛料の生産地は、ヨーロッパ人によって簡単に征服され植民地化された
わけではないよ。

18:世界@名無史さん
10/11/27 19:53:25 0
やっぱ産業革命で白人の文明力を確信したあたりから
一層見下すようになったんじゃないの?

19:世界@名無史さん
10/11/27 21:13:18 0
見下し自体は宗教の影響からかだいぶ昔からあったしな

20:世界@名無史さん
10/11/27 21:24:54 0
この板で不思議なのは、おそらくモンゴロイドであって白人でもないのに
有色人種を見下すレイシズムに染まって>>1のように一生懸命プロバガン
ダをする奴が結構いること。バブル時代に日本人がバナナって呼ばれてた
の思い出すわ。
勿論、逆に白人を見下そうとするレイシストどもも同じレベルのバカタレ
なんだが。
こいつらがまともな歴史知識をもってるの見たことない。こういう輩は
大抵教祖みたいなのの受け売りなんだが、こいつらだけは何の影響受けて
るのか、どうしても分からん。

21: ◆EAbyJft1LY
10/11/27 21:29:30 0
>>19
前近代における白人優越主義はまだそこまで大きくなかったよ。
そりゃ、ヨーロッパに限らず古今東西どこでも異文化圏を見下すことはあったけど、
「東方見聞録」なんかを読めば分かるように当時の白人には、
あまりアジア地域に対する差別意識は見られないよ。
まぁ、事実としてアジア諸国のほうが先進的だったというのもあるけど。
ただ、イスラーム圏に対する差別は中世からある程度あったけど、
これは見下しというよりは宗教的敵対心と言ったほうが言いと思う。

22:世界@名無史さん
10/11/27 21:53:36 0
むしろ>>1みたいに思いつきで立てたっぽいスレのスレ文に対して
>>20みたいに深い感想を抱く人が多い事の方がこの板の不思議な所だと思うw

23:世界@名無史さん
10/11/27 21:59:32 0
過疎板だと、電波な人達は特定なスレに隔離されて放置される。
物理学板とかだと隔離スレでものすごく強力な電波スレがある。
普通のスレに侵入するとすごい勢いで攻撃されるから、隔離スレに篭る。
ここは過疎板ではないので、隔離スレができにくい。

24:世界@名無史さん
10/11/27 22:58:23 0
>>22
自作自演だろう

25:世界@名無史さん
10/11/28 00:28:24 0
>>21
マルコポーロは商売人だからあんまり宗教的なことは興味ないのかもね
大航海時代になると船にはかならず宣教師を乗せていたから自然に宗教的意味合いを帯びてしまう

26:世界@名無史さん
10/11/28 01:44:41 0
アジア方面の航海士らはあくまで貿易や布教の意志があったけど
新大陸方面の連中は・・・・

27:世界@名無史さん
10/11/28 06:55:28 0
>>22
>>23
思いつき程度ならいいんだが、例えばギリシャやモンゴルがちょっとでも
絡むと、レイシストも混じってるアレク厨と反アレク厨が乱入してきて全
く無意味な煽りあいをするし、変なレッテル貼りされたり尻馬に乗って都
合のいいように取るから、とにかく迷惑なんだよ。多分>>1も同類だよ。
隔離スレに篭ってくれるのが一番いいんだがな。以前はそうだったはず
なんだが、いつの間にかしゃしゃり出てくるようになってるしな。

こうやって問題提起すると自作自演とか言う奴もでてくるし、本当に馬鹿
馬鹿しいけど>>4みたいに予め潰しておかないとすぐに同類が湧いてくる
からな。

>>26
まあ、新大陸方面でもインディオへの人道的扱いをカスティリャ女王に
訴える宣教師や、ディエゴ・デ・ランダとか現地語を覚えて布教しよう
とする人間はいたけどな。
その代わり、イースター島でもそうだったが、現地のマヤやアステカの
文献、コハウ・ロンゴ・ロンゴを異教の書だと徹底的に燃やして文化破
壊してくれたわけだが。

28:世界@名無史さん
10/11/28 07:07:03 0
某スレは難民版のこぴぺとかも呼び込んでスレ寿命が短かったな

29: ◆EAbyJft1LY
10/11/28 07:24:18 0
>>26
アメリカ大陸征服も基本的には布教や貿易が目的だよ。
特に布教に関しては「偶像崇拝根絶運動」というインディオ版異端審問までして、
スペインの宣教師たちはカトリックの布教に努めようとしたよ。
そのせいで、インディオの伝統的な宗教は徹底的に根絶やしにされた。

30:世界@名無史さん
10/11/28 07:28:50 0
>>29
おまえ、インディオの十字架とか見たことある?
どうみても異教の神像だぞ。

つっても、ヨーロッパの教会も原始キリスト教からかなり変質してしまってるのだろうが

31: ◆EAbyJft1LY
10/11/28 07:39:32 0
>>30
偶像崇拝根絶運動が行われたのはペルーやメキシコあたりが中心で、
他の植民地ではそこまで徹底して行われなかったからね。
それにインディオ側も結構したたかで偶像崇拝根絶巡察吏に賄賂を渡したりして、
自分たちの異端的信仰を見逃してもらったりもしてるしね。
地方の村で布教していた宣教師は結構そこのインディオと持ちつ持たれつな関係だった。

32:世界@名無史さん
10/11/28 09:31:44 0
大後悔時代

大公開時代

大紅海時代

大公開

33:世界@名無史さん
10/11/28 10:14:44 0
ポルトガルは、メシュエン条約以降はイギリスに経済的に従属することになってしまった品。

ついでにいうと、ブラジルは17世紀末に金が発見されるまで、あまり儲かる
植民地ではなかったんだよな。

34: ◆EAbyJft1LY
10/11/28 14:17:55 0
>>33
金が発見されるまでのブラジルは専らさとうきび栽培が主な産業だったね。
でも、この砂糖貿易もしばらくするとカリブ海諸島に追い抜かされてしまった。
金が発見されたのはそれとほぼ同時期のことだったから、
ポルトガル領ブラジルにとってこれはかなりラッキーなことだった。

35:世界@名無史さん
10/11/28 17:49:05 0
いい感じにのびててうれしい

36:世界@名無史さん
10/11/28 19:26:30 0
>>34
でもインディオ達は既に大打撃を受けてた

37: ◆EAbyJft1LY
10/11/28 19:38:47 0
>>36
元々、ブラジルのインディオたちはあまり社会が発達してなかったから、
スペイン領アメリカのインディオたちと違って社会的位置づけがされず、
イギリス領アメリカのインディアンたちのように社会の枠組みの外に追い出されてたね。

38:世界@名無史さん
10/11/28 23:06:57 0
バンデイランテはブラジルの黒歴史

39: ◆EAbyJft1LY
10/11/28 23:13:46 0
>>38
ブラジルは奴隷制を廃止するのに結構な時間がかかってたね。
他のラテンアメリカ地域と違って植民地時代から奴隷に頼ってた経済だったからね。

40:世界@名無史さん
10/12/01 07:33:25 0
大航海時代っていうか大侵略時代だな

41: ◆EAbyJft1LY
10/12/01 17:03:07 0
>>40
アメリカ大陸に限定して言えばそうかも知れないけど、
インド洋なんかにおいてはまだ明・清やムガル帝国、サブァヴィー朝などの、
大国が存在してたから西欧諸国も大々的に侵略は出来てないよ。
アフリカや東南アジアやインド亜大陸の海岸部をちょっとだけ占領できれば良いほうだった。

42:世界@名無史さん
10/12/01 17:09:35 0
鉄器が普及していて首狩族がいたから
8世紀以降のアジアはちと無理ぽっい

43: ◆EAbyJft1LY
10/12/01 17:15:36 0
>>42
8世紀以前だって西欧諸国がアジアを征服するのは無理だと思うけど。
イスラーム帝国や唐に代表される歴代中華王朝などが存在したし、
当時の西欧諸国は世界史的に見てもまだまだ後進地域だったからね。

44:世界@名無史さん
10/12/04 15:58:49 0
>>41
ヨーロッパ人がインド洋に侵入してきて自らの手に収めた香辛料の量は、
全アジアの生産高の約30%にすぎなかったといわれているね。
(これは、オランダやイギリスが進出してきた16世紀後半から17世紀にかけての数字)

ポルトガルが香辛料を独占していた16世紀前半においては、もっとも成績の
よかった年でも、ポルトガル人によって流通させられた香辛料の総量は、
全生産量の20%程度だろうと推測されている。

結局、ポルトガルができたことは、インド洋にもともとあった海上貿易の
体系の中に割り込み、その香辛料の流通の5分の1程度を支配したにすぎない。

45:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/04 17:25:34 0
>>44
確かに実際のポルトガルのインド洋における影響は、
今まで考えられてたのよりも遥かに小さいだろうね。
まぁ、全く影響がない訳でもなくマムルーク朝なんかは、
ポルトガルのインド洋市場参入によって結構な打撃を受けたけど。

46:エビちゃん親衛隊
10/12/04 17:58:24 0
>>40>>41>>43
中南米以外の有色人種が完全に屈服したのは20世紀初頭。
白人単独で有色人種を屈服できたのは19世紀だと思われる。
大航海時代は東南アジアではある国のスルタンと同盟を組んで
他のスルタンを倒すというケースが異様に多い。
そこから考えて、自然条件の厳しい中南米がなんであそこまで早く
制圧できたのか不思議である。
南アフリカの首長国ですら20世紀初頭である事を考えると、
アステカ・インカが簡単に征服出来たのは伝染病で国力が低下したからだとしか思えない。
北米全体を白人が征服したのは随分後の19世紀後半だ。
インカはボリビア、ペルーにまたがるアンデスの高地ではないか。
それも太平洋側である。あの早い崩壊は謎である。
中南米だけが非西洋非白人地域の中で突出して征服されるのが早いのである。
アステカもインカも滅亡は16世紀より19世紀がしっくり来る。

47:世界@名無史さん
10/12/04 18:02:51 0
>>44
オランダ東インド会社は香辛料の生産元であるモルッカ諸島へ直接進出に乗り出しており
生産高30%ということはないだろう

48:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/04 18:07:42 0
>>46
アフリカなんかはまだ旧世界の一部だから旧世界の技術も伝わってるけど、
インカとアステカにはそれがないからね。純粋な軍事力ではスペインに分がある。
まぁ、人数はインディオ側のほうが多いけど。それと、征服時の両帝国は、
どちらも内乱期だったし、そのうえ被支配民族がそれぞれの国の滅亡のために、
スペイン人に手を貸してたから、その事も滅亡の一因として挙げられるかも知れない。

49:世界@名無史さん
10/12/04 18:45:09 0
>>46
スペイン人が到来する前に旧大陸の伝染病が既に大流行して国力低下してい
たというのは、今一番議論されてる説だろうな。
けど、アステカ・インカの崩壊は、とりあえず最初に皇帝を抑えて、いわ
ば人質にしてしまって一旦国家機能を麻痺させてしまったこともやっぱり
でかい。

それにアステカの場合は、一旦追い出された後にアステカに不満を抱く各国
家を糾合して大軍勢で攻め寄せたのもあるしな。下手に群雄割拠されてるよ
りは大帝国を一気に崩壊させるほうが早い場合もある。

マヤなんかは征服する魅力が薄かったのもあるが、最後のマヤ都市のタヤサル
が陥落したのは1697年だから、もう18世紀に入る頃だ。

50:世界@名無史さん
10/12/04 19:30:18 0
>>47
オランダが香辛料貿易を独占できたのは18世紀ごろかな?

>>46-48
アステカはラテンアメリカの古代文明の中で、唯一、軍事国家として確立された
王国だったな。生贄を部族内で賄うには限りがあったため、「花の戦争」と
呼ばれる戦争を繰り返して捕虜を獲得し、彼らを生贄としてささげた。

アステカ滅亡の原因としては、

・優れた政治家であり機を見るに敏な策略家でもあったコルテスが、アステカに
反感を持つ強敵トラスカラ族やセンボアラ族などの諸部族をたくみに味方に引き入れ、
同盟軍として増強しながら戦ったこと
・アステカにはなかった騎兵や鉄砲・大砲などの近代兵器を持っていたこと
・コルテスたちが蛇の神ケツァルコアトルと間違えられたこと
・モンテスマ王は最高位の神官であり同時に最高の技術を持った占星術師でもあった。
アステカの貴族たちの中にはスペイン人を迎え入れることに反対し警告する者もいたが、
宗教が軍事に対して絶対的な優位にあったアステカでは、モンテスマ王の
決定したことは神の意志であり、スペイン人に対する好戦論者も強く逆らうことは
できなかったこと

といった複数の要因が重なってもたらされた幸運だと思われ。

51:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/04 19:42:25 0
>>49>>50
インディオだって一枚岩では決してないからね。
今まで帝国に支配されてた被支配民族の不満を利用するのは、
他国を征服する上での基本的な戦略だしね。

52:世界@名無史さん
10/12/04 21:14:25 0
何で貧しい近代以前の欧州に嗜好品である香辛料をそんなに買い付けられる
だけの購買力が有るの?

53:世界@名無史さん
10/12/04 21:19:17 0
>>11
>15世紀後半から17世紀ぐらいまでが妥当じゃないかな?
>>このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?


17世紀中ごろから19世紀までの期間について語るスレを誰か立ててくれないかな
世界システムやら帝国主義やらについて語る場所がないから
漏れが立てようとするとはねられてしまった

54:世界@名無史さん
10/12/04 21:22:46 O
>>52
肉の防腐・防臭に欠かせない

55:世界@名無史さん
10/12/04 21:27:53 0
>>52
現地の温度・湿度・土壌は、それなりに栽培ノウハウを蓄積すれば
効率的な大量栽培が可能だった。
取引相手を選べば、安定して廉価に調達できたであろう。

後の時代にはプランテーションが行われることから
栽培ノウハウは形式知化され、植民地経営に活用された。

生物多様性条約COP10「名古屋議定書」なんてなかったからね。

56:世界@名無史さん
10/12/04 21:56:47 0
>>55
でも、今でも「言語多様性条約」というものはない罠

英語が世界を席巻していて、この流れはもはや止めようがない

57:世界@名無史さん
10/12/05 06:06:50 0
>>52
一応、毛織物とか木材資源とかヨーロッパ側でも売りつけるものがあったから。
それにイタリアの海洋都市国家はレヴァントのあちこちで中継貿易してたから
その利潤も香辛料購入の資金になってる。

まあ、それでも13世紀だと中産階級も香辛料は使用してたが、極少量が鍵付き
の棚にしまってあっただけ。当時のトロワで胡椒の値段は、塩の150倍くらいみ
たいだな。香辛料が少ない分は家庭菜園で栽培したハーブを利用。

58:世界@名無史さん
10/12/05 06:46:00 0
香辛料は金と同じ重さで取引されていた・・・・
ようは仲卸業者ムスリムのぼったくり商法にブチギレて直接原産地へ買付けに遥々航海したってこと

59:世界@名無史さん
10/12/05 07:29:42 0
>>58
実際にぼったくってたのはアフリカ航路開拓時代のポルトガルのほうなんだが。
レヴァント貿易じゃ東南アジアから中東までの間に大量の中継業者と税関を
抜けなければいけないから、末端価格が高くなるだけ。
それと同レベルかそれ以上の価格で売ってたポルトガルのほうがよっぽどぼっ
たくりだぞ。

60:世界@名無史さん
10/12/05 10:40:24 0
中世には、サハラ以南から北へ大量の金が流れていたなあ

11~12世紀のヨーロッパ世界は銀本位制で銀貨が鋳造され、地中海の南の
イスラーム世界が金本位制で金貨が鋳造されていたので、両者は貨幣制度と
貴金属需要においてまったく異なっていた。地中海に面したカタルーニャや
ジェノヴァでは、限られた量の金貨が使用されていたが、それも自ら
鋳造したものではなく、イスラームの金貨を入手して使用していた。

ところが十字軍を契機にしてヨーロッパ社会は金貨への関心を深め、
ラテン帝国で金貨を鋳造し始めたのをさきがけに、フィレンツェ、ジェノヴァ、
ヴェネツィアが金貨を発行した。
そしてアラブ世界に広まっていた黒人王国の金のエピソードは誇張されて
ヨーロッパに伝わり、アフリカの黄金郷伝説を生みだすことになる。
サハラ交易に遅れて参入したポルトガルは、地中海のムスリムを介する
取引を諦め。大西洋へ活路を求めた。彼らは1443年にアフリカ西海岸の
アルギンを占領し、金と黒人奴隷の交易地とした。アルギンの人々は
ポルトガル人から北アフリカ製の衣服、羊毛の毛布、エジプト製のシーツ、
粗雑で安物の織物、毛布、赤や青の布地などを受け取り、ポルトガル人は
黒人奴隷、金、ゴム、カモシカの皮、珍獣を入手した。

1487年ポルトガルのジョアン2世はアルギンから内陸に入った拠点ワダーンに
在外商館を開いて、サハラの金交易を支配しようとしたが、結局サハラの
金交易ルートを大西洋に向けることはできなかった。16世紀初めごろ
ポルトガルにもたらされた金は年に20kg程度でしかなかった。

61:世界@名無史さん
10/12/05 13:59:40 0
香辛料の値段を調べていると、重さで量れば金銀よりは安いんだが
そらサフランぐらいになれば相当するけど

62:世界@名無史さん
10/12/05 20:23:02 0
>>57
ヨーロッパ側から売るものは大した値段にならなかったんじゃなかった?
新大陸産の金銀を元手に、ひたすら物々交換してただけじゃなかったかな

63:世界@名無史さん
10/12/05 20:29:36 0
>>62
鉄砲や火砲といった武器は現地の有力者には相当需要があった

64:世界@名無史さん
10/12/05 20:46:10 0
>>63
需要はあるにしても、そんなに大量に売るわけにもいかんでしょ。
いつ自分たちに向けられるかもわからんのに

65:世界@名無史さん
10/12/05 20:52:43 0
>>62
ヴェネツィアは奴隷も売っていたよ。

66:世界@名無史さん
10/12/05 21:08:19 0
ヴェネツィアは木材(軍艦用)や奴隷(マムルーク用やガレー船漕ぎ)をムスリム向けに輸出しまくってて
教皇庁から「異教徒どもの軍事力が増強されるじゃねーかやめろ」と何度も禁止令が出た

67:世界@名無史さん
10/12/05 21:15:59 0
バルボア最高!

68:世界@名無史さん
10/12/05 21:40:52 0
10世紀頃のヴェネツィアの主要な輸出品は木材と東欧からの奴隷。
それらをエジプトのアレクサンドリアでイスラム商人に売り、金銀で
支払いを受ける。
その金銀を持ってビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで香辛料や
布地、金銀の細工品、宝石類などの商品を買い込み、ヴェネツィアに戻る。

このパターンが長いこと続いた。

69:世界@名無史さん
10/12/05 21:54:59 0
>>62
もう奴隷貿易の話が出てるが、中継貿易もしてたって言っただろう?
東欧がキリスト教化して奴隷資源が枯渇しても、13世紀以降になると黒海
沿岸との中継貿易も入る。
第四次十字軍以前にもう、ヴェネツィアはビザンツ全土で免税で商売をする
特権を持ってたから、ビザンツ経済に思い切り食い込んで利潤上げてたの。
あまりにも傍若無人すぎてコンスタンティノープル市民の反感買って、一回
追い出されたのも第四次十字軍のコンスタンティノープル陥落の遠因。

70:世界@名無史さん
10/12/05 23:59:59 0
アジア圏での貿易の話してるのに、
ヴェネツィアは奴隷貿易してた(キリッ
はないんじゃないの

71:世界@名無史さん
10/12/06 00:19:03 0
中華列強ー中国が分裂していたなら スレがあるけど、
大航海時代みたいな必然性がないよね?

香辛料求める訳でもなく、
奴隷輸出するでもなく、
宣教師が進出するでもない

72:世界@名無史さん
10/12/06 01:46:36 0
>>62
あとあまり知られてないが傭兵事業
ポルトガル人の傭兵隊長がビルマのどっかで勝手に独立した例もあったなー

73:世界@名無史さん
10/12/06 05:44:17 0
ビルマとタイはポルトガル人傭兵を大勢雇っていたな

後になると日本人傭兵も雇うようになったけど

74:世界@名無史さん
10/12/06 06:00:42 0
>>70
大航海時代の香辛料貿易の話するなら、レヴァント貿易の知識も必須。
レヴァントで香辛料貿易独占してたのはヴェネツィアだから、ヴェネツィアの
話が出てくるのはある意味当然だろ。
寧ろ、レヴァント貿易なしでどうやって大航海時代を語れるのかわからん。
ヴェネツィアだけじゃなくてジェノヴァも奴隷貿易してたのは本当だし。

75:世界@名無史さん
10/12/06 15:08:35 0
各地の貿易圏・貿易ルートの画像
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.stockstation.jp)
URLリンク(www.celtnet.org.uk)
URLリンク(asiapacificuniverse.com)
URLリンク(www.oration.com)

76:世界@名無史さん
10/12/06 16:33:29 0
イスラーム世界の側からみると、結局、ポルトガルはオスマン帝国領を経由した
香辛料貿易をやめなかった。
オスマン朝はイエメンとバスラの勢力を維持し、まだ西インドのグジャラートや
スマトラ島のアチェとの間に協力関係を結んで、ポルトガルに対する政治的抵抗を
やめることなく、同時に商業上の関係も保った。
ヴェネツィアのレヴァント貿易さえ、16世紀半ばには回復した。
16世紀後半には、ダマスカスやカイロへ隊商によって運ばれる商品は、アレクサンドリアと
トリポリでヴェネツィアの船に積み込まれるようになった。
オスマン帝国を経由した貿易は、イエメン産コーヒーの人気の高まりを受けて
拡大した。

77:世界@名無史さん
10/12/06 16:47:25 0
>>76の続き
こうしてオスマン帝国領を経由した国際中継貿易は回復したものの、16世紀末には
イギリスとオランダが国際香辛料貿易の支配権をめぐって争い始め、インドと
東インドに植民地を建設し、そこを拠点に香辛料貿易を独占しようとした。

1625年、北大西洋の海軍国はついに地中海の香辛料貿易を打ち切った。
オスマン帝国は絹やコーヒー、インドの綿製品や染料の貿易が活発だったおかげで
損失を補うことができたが、最も利益の上がる貿易は喜望峰経由の西ヨーロッパ・
ルートに奪われた。
その上、インド洋で支配的な地位を得たイギリスとオランダは、地中海貿易で
直接オスマン帝国と競うようになった。

1580年、イギリスはオスマン帝国と最初の貿易条約を結び、オスマン朝から
絹を買い、綿製品と金属をオスマン朝に売るようになる。
香辛料でさえ、直接インド洋から地中海に運ばれるのではなく、ヨーロッパから
運ばれるようになった。

78:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/06 17:02:43 0
>>76-77
オスマン帝国は地中海貿易に関してはかなり積極的だったのに、
インド洋貿易に関してはアチェとかと組んでポルトガルを牽制しただけで、
イギリスやオランダのように積極的にインド洋を支配しようとはしなかったね。
現在の視点で見ると結構惜しい事をしたな~と思わなくもない。
まぁ、当時のオスマン帝国は基本的に国が積極的に経済に関わらなかったから、
地中海の制海権さえ抑えられれば良いやっていう感じだったのかな。

79:世界@名無史さん
10/12/06 17:19:43 O
地中海もスペインが強敵だろ
西地中海貿易はレパント以後制海権を奪われた
そのかわりアルジェやモロッコで海賊で利潤をあげてた

80:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/06 17:28:26 0
>>79
まぁ、確かにオスマン帝国は地中海を巡ってスペインと争ってたね。
一般的にオスマン帝国が地中海に制海権を保てたのは、
プレヴェザの海戦からレパントの海戦までだと言われてるけど、
東地中海貿易(=レヴァント貿易)に関してのみ言えば、
レパント海戦後もしばらくはオスマン帝国が支配権を握ってたよ。

後、オスマン帝国が利用した海賊はアルジェやチュニスが拠点。
モロッコはそもそもオスマン帝国領じゃないよ。

81:世界@名無史さん
10/12/06 18:52:53 0
>>74
たぶん>>70は大航海時代初期じゃなくて中期~後期の話してるんじゃない?
傭兵稼業だのは有名だけど、大航海時代中期以降も香料諸島だのインドだので奴隷貿易してたわけではないでしょ

82:世界@名無史さん
10/12/06 18:59:48 0
>>77の続き

16世紀末にはイズミルがオスマン朝のもっとも重要な港となり、次第に
ブルサとアレッポを凌ぐようになった。オスマン朝がイズミル地域に対する
支配力を失うと、フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
この地域に群がった。イズミルは国際都市に発展し、アラブのラクダの隊商や
アルメニア人、ギリシア人、ユダヤ人、トルコ人の商人の拠点となった。
ヨーロッパ人は綿、羊毛、ドライフルーツ、穀物の活発な貿易を促進し、
ヨーロッパの内部で商品を供給するシステムを確立した。

オスマン朝のイエニチェリ、関税徴収官、その他の役人は自由意志で
行動するようになり、イスタンブルの当局の管理を逃れるようになった。
イズミルがヨーロッパ経済に部分的に統合されると、イズミルとイスタンブルとの
つながりは断ち切られ、オスマン朝は地中化貿易の支配権をヨーロッパ商人に
奪われ始めた。

83:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/06 19:10:07 0
>>82
これはオスマン帝国の自業自得によるところも大きいね。
オスマン帝国の経済政策は自国内での供給を第一に考えたため、
自国からの輸出は厳しく取り締まるけど他国からの輸入は積極的に保護した。
そのせいで西欧の商人がイズミルやイスタンブルで割拠するようになってしまった。
でも、まぁこれはマイナス面ばかりでもなくて長い目で見れば、
オスマン帝国の近代型世界経済への参入というプラス効果もなくはなかったね。
特にイズミルなんかは現在でもトルコ屈指の大貿易都市だし。

84:82
10/12/06 19:13:27 0
×フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
○フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの商人が

85:世界@名無史さん
10/12/06 19:35:38 0
>>83
大西洋沿岸諸国の経済が発展し、砂糖、コーヒー、タバコ、綿といった
西洋の主要産物の貿易が盛んになると、オスマン朝の絹貿易の重要性は
低下してしまったね。

最も利益の上がる貿易品は珍しい贅沢品から大量消費の商品へと移り、
大西洋の貿易国にとって有利な状況となった。

やはりオスマン朝だけでなく、ヴェネツィアの衰退も避けられなかっただろうな。

86:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/06 19:46:07 0
>>85
>やはりオスマン朝だけでなく、ヴェネツィアの衰退も避けられなかっただろうな。
オスマン帝国はたとえ貿易量が減ったとしてもまだ自国内の生産だけでも、
供給が事足りたから良かったけど、ヴェネツィアは完全な貿易依存経済だったから、
イギリス・オランダの台頭によるレヴァント貿易の衰退はより被害が大きかったと思うよ。

87:世界@名無史さん
10/12/06 20:42:25 0
>>38
黒歴史というかバンデイランテがないとブラジルの歴史が始まらないぞ・・・

88:世界@名無史さん
10/12/06 21:20:31 0
>>86
レヴァント貿易で敗退した後、ヴェネツィアは経済力じゃ落ちてるんだが、
海外貿易の変わりにテッラ・フェルマの農業やサービス業への職種転換、
地方のローカル港化で、失業率なんかも上昇してないし、社会不安もない
まま小国で落ち着いてるんだよな。
国内情勢に限れば、基本安定した社会は最後まで維持したままナポレオン
に滅ぼされてる。

89:世界@名無史さん
10/12/06 21:30:29 0
>>86
やっぱり世界経済に依存しない独立した貿易体制をとっていた大帝国と、
中継貿易に依存していた都市国家では打撃の大きさが違うだろうな。
ヴェネツィアは現代でたとえるならシンガポールみたいなもの。

>>38
ブラジルでは16世紀後半から、サトウキビ栽培に伴う黒人奴隷の輸入が
始まるが、16世紀を通じて入ってきた黒人奴隷の数はわずか4万人程度にすぎなかった。

この時代、ポルトガル商人が奴隷貿易を独占しながらもブラジルに黒人奴隷が
余り入ってこなかったのは、一つには奴隷商人にとってはブラジルより
スペイン植民地に売ったほうがはるかに儲かったこと、
もう一つは、ブラジルではグヮラニー族を奴隷化する便法が考えられて、
実際に試みられたから。

90:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/06 22:06:14 0
>>88
なるほど。かつてのような経済大国ではなく1小国として生きる道を選んだのか。
それはそれで近世においては上手な生き残り方だね。

>>89
そもそもバンデイランテっていうのがまさにグアラニー族の奴隷化を、
専門とする集団の事だからね。ブラジルで奴隷制廃止が遅れたのは、
彼らの存在も大きな原因のうちの1つだと思う。

91:世界@名無史さん
10/12/07 04:52:09 0
ブラジルは1831年の奴隷貿易禁止法以後にも、密輸として大量の黒人奴隷が
入ってきた。
コーヒーの世界的需要が高まる中、ブラジルのコーヒー園労働者としての
黒人奴隷の需要はほとんど無限だった。
「必要なんだから仕方ないだろう」という、ブラジル的な官民なれあい方式で、
年間3万人から6万人の黒人奴隷が非合法に密輸された。

92:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/07 14:08:15 0
>>91
まぁ、確かにブラジルはラテンアメリカで最も奴隷に依存した経済だったからね。
国内にいる黒人奴隷だけじゃ労働力が足りなかったんだろうね。

93:世界@名無史さん
10/12/07 15:07:59 0
そういや、ブラジルの大統領に「お宅の国に黒人はいますか?」って聞いた
イェール大学歴史学専攻の米大統領がいたなあ・・・

94:世界@名無史さん
10/12/07 21:45:14 0
16世紀末からのオランダ人のインド洋=南シナ海世界出現は、ポルトガル人にとって
一大脅威となった。オランダは、1568~1648年にいわゆる八十年戦争により独立を
とげるまで、終始スペインが敵だったが、ポルトガルは1580年から60年間スペイン王によって
統治されたから、オランダの攻撃をまともに受けた。スペインの植民地は、
メキシコでもペルーでも、海岸から内陸まで開発して、大きな領土を形成していたので、
海からの攻撃だけでそれを征服することは困難だったが、ポルトガルの海外植民地は、
多くが港市であったために、海からの攻撃は容易だった。

オランダ勢力のアジア出現まで、ポルトガル人が手掛けた商品は多彩だった。
モルッカ諸島のニクズクやチョウジ、セイロン島のシナモン、マラバール海岸の
コショウ、ペルシャの馬、ギネアやモノモタパの黄金、ブラジルの砂糖、
西アフリカの黒人奴隷、日本の銀、中国の絹および絹製品などが、彼らの富の
源泉となった。これらのすべてがオランダ人の掠奪の対象になったのである。


95:世界@名無史さん
10/12/07 21:55:43 0
>>94の続き

オランダ艦隊がポルトガル植民地を攻撃したのは、アフリカ、ベニン湾のプリンシペ、
サン・トメ島が最初で、1598年から翌年にかけておこなわれた。
両島とも、15世紀以来、ポルトガルの奴隷貿易の中心地だった。オランダ人が、
大西洋の対岸のブラジル北東部にはじめて攻撃を加えたのは1624年から25年に
かけてだったが、おそらく西アフリカの奴隷貿易と、ブラジルの砂糖製造産業の
二つを手中に収めて、大西洋経済のかなめを握ろうとしたのであろう。

しかし、ブラジルの奪取はポルトガル側の強い抵抗にあって結局失敗し、
オランダ人は1654年にペルナンブーコから撤退した。その後はカリブ海の
アルーバ、ボネール、クラサオなどの島々に拠り、クラサオを奴隷貿易の基地とした。
西アフリカで、オランダ人は1625年、ポルトガルの奴隷および金貿易の基地
サン・ジョルジョ・ダ・ミナを攻撃して失敗したが、12年後の1637年に占領に
成功して、西アフリカからポルトガル勢力を駆逐し、16以上の基地をつくった。

96:世界@名無史さん
10/12/07 22:07:33 0
>>95の続き
オランダはその後、1641年にアンゴラ、ベンゲラを強襲した。しかし、その前年
スペインからの独立を果たしたポルトガルは、その勢いを駆って大西洋地域各地で
反撃に出た。そして1648年8月、コンゴ王国やジャガ族と連合したオランダ人は、
リオ・デ・ジャネイロから出撃したポルトガル軍に打ち破られた。
1663年に結ばれた平和条約でオランダは黄金海岸を保有し、アンゴラ、ベンゲラ
およびプリンシペ、サン・トメはポルトガル領として認めた。
以上の結果、オランダは、大西洋世界では西アフリカ、カリブ海間の奴隷貿易
だけに限り、海外活動の主力はアジアに置くことになった。

97:世界@名無史さん
10/12/10 21:25:56 0
ヨーロッパが低迷期から脱出する切っ掛けになったのが新大陸発見

98:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/10 21:36:00 0
>>97
大航海時代前夜のヨーロッパは、イタリアでルネサンスが興ったり、
スペイン・ポルトガルでレコンキスタが終了したりしてるから、個人的には、
低迷期っていうよりはじわじわと昇りかけてる黎明時期っていうイメージだ。

99:世界@名無史さん
10/12/11 13:52:15 0
>>97
資本の蓄積と貿易・保険業などの金融が発達した影響も
大きかったんですかね


100:世界@名無史さん
10/12/11 16:43:16 0
>>99
11世紀以後の地中海のイタリア人たちの商業活動が、アルプス以北のヨーロッパ世界に
強い刺激を与え、そこで12世紀以後独自の経済社会的な発展があったのでしょうね。

大航海時代や海外活動も、ポルトガルやスペインの単独事業ではなく、経済的にみれば
両国とも貧乏国家でしたから、彼らの事業を支えたのはイタリア人やドイツ人、
ユダヤ人などでした。
ドイツでは、銀山の好景気に乗って、フッガー、ヴェルザーなどの金融商人が
全ヨーロッパに経済活動の網の目を張り巡らしていました。
資本提供ということだけではなしに、経営技術の面からいっても、イタリア人の
貢献は大きかったわけですし。

101:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 17:05:30 0
>>100
有名なコロンブスだって出身はイタリアのジェノヴァだからね。
スペインがハプスブルク家の下でイタリア支配を、
確立したのにもそういう事情が背景にあるのかな?

102:世界@名無史さん
10/12/11 17:22:18 0
>>101
ジェノヴァは個人主義で都市国家当時から個人でアラゴンに協力したりしてたし、
当時はもう都市国家の様相を呈してなかったから、ジェノヴァ人はスポンサーが
必要だったんだよ。プレヴェザやレパントの海戦でスペイン軍の指揮を執ったド
ーリア家は元々ジェノヴァの政治を牛耳ってた最有力家系の一つだけど、もうあ
まりイタリア人云々は関係なくなっちゃってる。

それで、スペインのイタリア支配はどうも、新大陸での収奪並みに激しくて、イ
タリア人の技術とかそんなレベルじゃないようだ。ミラノなんかも主軸の毛織物
業が壊滅したってくらいらしい。今の南伊の遅れも未だにハンニバルの影響とか
言われることもあるようだけど、多分窓税まで取った過酷なスペイン支配の影響
だな。窓税が払えなければ屋根剥がして売るレベルで、ナポリに数十万の乞食が
溢れたってくらいだから。

103:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 17:41:05 0
>>102
なるほど、当時のジェノヴァはイタリア半島の中でも、
特殊な地域で、イタリア人云々はあまり関係ないという事かな。

それと、スペインのイタリア支配って意外と激しかったのか。でも、スペインが、
イタリア支配に乗り切ったのは新大陸のように資源だけが目的ではないよね。
イタリアに蓄積された技術や文化の導入っていう事も少しは関係あるんじゃないかな?
当時のイタリアはルネサンスや人文主義のおかげで文化レベルが高かったし。

104:世界@名無史さん
10/12/11 18:37:34 0
>>103
ちょっと細かいところ忘れたから、イタリア戦争で調べてくれ。
本質的にはイタリアを狙ったフランスとそれに対抗したハプスブルク家
の領土争いであって、技術や資本を目的にしてるわけじゃないから。

ルネサンス文化が各地に波及したのはあるけど、技術に関してはイタリア
のほうはイタリア戦争で荒廃したおかげで職人がヴェネツィアなんかに
逃げちゃって、それがヴェネツィア産業の興隆に繋がってレヴァント貿易
に影響したって側面がある。
北イタリアの他の産業も逆にスペイン本国産業の保護のために抑圧されて
衰退してる。
「スペインはシチリアで齧り、ナポリで喰らい、ミラノで食い尽した」
って言われるくらいだが、齧られただけのシチリアでも古代から中世まで
穀倉地帯だったのが、灌漑設備が破壊されて農業生産がボロボロになっ
てるレベル。実際シチリアの地中海における穀倉としての話がこの時代以
降消えてるだろ?

銀行業のほうも、イタリア戦争の頃には既にイタリアの銀行のヨーロッパ
への影響力は落ちてる。イル・マニーフィコ時代にはもう傾いてたメディ
チ銀行なんかがいい例だな。

105:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 19:09:33 0
>>104
つまり、スペインのイタリア支配は単にフランスとの対抗意識のためだけで、
スペイン支配時代のイタリアは産業も衰退し、全体的に荒廃していたのか。
スペインにとっても、フランスとの敵対関係の上で優位に立てるという点以外は、
イタリアに対して特にこれといった価値を見出していなかったのかな。

106:世界@名無史さん
10/12/11 19:40:20 0
>>105
そう思ったほうがいい。とにかくスペインの海外領土支配は「貪る」が
一番しっくりくるし、結局新大陸領土も含めて持ってたはずのカードを
有効活用できないまま、イタリアがある程度復興の途についたときには、
もう経済の中心が完全に北に移動してイギリスとオランダが台頭してた
しな。

独立を保ったトスカナ大公国でも、一時的には繁栄したけどメディチ家
が絶えてマリア・テレジアの旦那のフランツ・シュテファンが新しいト
スカナ大公になった頃にはすっかり寂れてた。

結局、ハプスブルクへの帰属が決定したイタリア戦争終結時には、ヴェ
ネツィア以外はイタリア地域全体が荒廃して、既に先進性を失ってしまっ
てたということだけどな。

そりゃ、まだトスカナなんかは文化・芸術はそれなりのレベルだったけ
ど、結局はヨーロッパの小国にすぎなかったしな。

107:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 19:55:28 0
>>106
スペインは新大陸なんかは結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、
イタリア支配に関しては特にそういったこともせず、何ら価値を見出せなかったのか。
少し意外だな。

108:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 19:56:24 0
>>107
脱字訂正。
誤)スペインは新大陸なんかは結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、
正)スペインは新大陸なんかには結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、

109:世界@名無史さん
10/12/11 20:08:43 0
>>107
恒久的な支配権確立しても、経済や先進性は別物だろ?
銀を手に入れてもきちんと産業の振興もしないまま消費してヨーロッパでほと
んど吐き出させられたし、スペイン本国の経済体制すら磐石だったわけじゃ
ない。統治制度や支配権の確立がそのまま支配先の経済振興や先進性には繋
がらない。
もしスペインがそんな支配をしてたら、中南米は今頃先進国だよ。イタリアも
同じ。ヨーロッパだったことで一応先進国だが、いつも危ぶまれてるだろ?

110:世界@名無史さん
10/12/11 20:12:29 0
ラテンアメリカが貧富の差が激しいのは大地主制の名残らしい

111:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 20:19:00 0
>>109
現在の経済と当時の経済をそのまま結び付けるのはどうかな?
ラテンアメリカが経済的に微妙なのは工業化が送れたのと、
>>110が言うように大地主制が根強く残ってるのが主な原因な訳で、
それらは確かにおおもとを辿るとスペインの植民地支配に行き着くけど、
それは現在において負の遺産だっただけで、当時においてはそんなに悪い事でもなかったよ。
植民地時代のアメリカ大陸ではイギリス領だった北米よりも、
スペイン領だった中南米のほうが経済的にも豊かだったし、
産業だってペルーやメキシコなどでは植民地時代から結構発展してるし。

112:世界@名無史さん
10/12/11 20:52:13 0
>>1が反論されてるけど実際白人はそう思ったんじゃないか?

113:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 20:57:29 0
>>112
大航海時代じゃ、まだ近代的な白人優越主義は出来てないよ。
当時の西欧は割りと素直に中国や中東やインドの高度な文化・文明を評価してる。

114:世界@名無史さん
10/12/11 21:10:47 0
>>112
>>112
スレリンク(whis板)l100
■世界の大国(列強)の興亡の歴史■


近代の白人優越主義について語るならこちらのほうがいいかと。

115:世界@名無史さん
10/12/11 21:32:35 0
>>111
そうだな、現代に直結させるのは、少し言葉が行き過ぎたな。
俺の基本イメージはミタ制や銀の輸出しかなかった。

けど、当時においてはスペイン支配(のことか?)はそんなに悪いことでも
なかったってのも、ちょっと行き過ぎてないか?

16~17世紀のエンコミエンダやミタ制度はあきらかに過重負担だし、そ
れなりの一つの安定期に入るまでにはかなりの時間を経過してるだろ。
それはイタリアも同じだし、時期的にも重なる。>>105

>イタリアがある程度復興の途についたときには、

って言ってるだろ?一旦失った力や先進性を取り戻せなかったのはイ
タリアだけじゃなくてスペインも同じことだけどな。

あと文字通りの「植民」で始まった上に本国の統制の緩かった、独立自営
農民が多くてプランテーションが発達した州が少なかったイギリスの北
米植民地と、副王をおいて鉱山にしろ農園にしろインディオを労働資源と
して使ったスペインの中南米植民地とじゃ、植民地としての性格が少し違っ
てくるし、統制力の強さの割りに、スペインは経済力でイギリスやオラン
ダに敗退してることは抑えるべきじゃないか?

116:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 21:49:31 0
>>115
エンコミエンダ制はごく初期に流行っただけでしばらく経つと廃れてるし、
ミタ制は確かにインディオにとってはかなり負担が大きかったけど、
経済的にはそんなに悪手だった訳でもないんじゃないの?
特に、鉱山や農園経営の手段としてはミタ制は結構効率的だった。
イタリア支配については僕もあまり知らないので何とも言えないけど。

それと、ラテンアメリカを植民地化したのにスペインの経済力が伸びなかったのは、
アメリカ大陸の貴重な資源である銀などが本国の厳しい貿易統制にも関わらず、
密輸などによって勝手に他国に流れてしまった事のほうが大きな原因だと思うよ。
でも、これは逆に言えば当時のラテンアメリカにおいて大規模な経済活動が、
自主的に行なわれていたことを示す証拠にもなるね。まぁ、イギリス型の植民地と、
スペイン型の植民地の違いも結構大きいけど、植民地下でのラテンアメリカの経済が、
決して遅れてた訳ではないよ。ただ、その恵みが本国にあまり来なかっただけ。

117:世界@名無史さん
10/12/11 22:19:35 0
>>116
あと、本質的に食い違ってるのが、その植民地の経済の主体が移住にしろ
現地生まれにしろ、スペイン人ってことだ。
イタリアもいわば征服されたわけであって、スペインに対するイタリア住
人の立場は寧ろインディオに近い。俺はその立場で言ってるが、君は植民
地のスペイン人の立場で言ってないか?それだと捉え方が全然違ってくる。
言い方は悪いが、イタリア地方も中南米のインディオも金にしろ労働力に
しろ、本国の資源にされる立場だ。
スペインの統治制度と支配というのはそのレベルじゃ同じだし、16~17世紀に
インディオの生活が征服以前より良くなったかといえば、大分違ってくるは
ずだが。

>>106で君はイタリア統治をろくにしてなかったんんじゃないかと不思議がっ
てるが、そこで食い違いが生じてないか?イタリアでスペインがそこまで収奪
できたのは、それだけの徹底的な統治体制を敷いていたからで、植民地のイン
ディオ統治と基本は同じだと俺は言ってたつもりなんだけど。

118:117
10/12/11 22:23:51 0
失礼。 >>106>>107の間違い

119:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 22:30:43 0
>>117
まぁ、確かに支配民族の立場か被支配民族の立場かの違いはあるね。
でも、もしイタリア人が資源だとすれば、それはそれでスペインが、
航海や交易の技術に優れていたイタリア人をインディオのように資源として、
活用する事がなかったというのはどうしてかというと疑問が生まれるんだけど。

120:世界@名無史さん
10/12/11 23:50:42 0
>>119
それは>>104で説明してあるんだが。
あと、イタリア=航海の技術に優れていたというのが勘違いだ。この時代じゃ海洋
都市と言えばジェノヴァとヴェネツィアしかない。ジェノヴァの船乗りは既に言っ
たようにもうフリー状態だし、この頃に地中海貿易に進出しはじめたフィレンツェ
もトスカナ大公国として独立を守ってるし、それはヴェネツィアも同じ。

交易にしても、基本イタリア諸都市は大抵自国の産業を持っててそれを輸出することで
交易を行ってる。中世ヴェネツィアのような完全中継交易のほうが特殊なんだよ。
ミラノだと武具・絹織物・毛織物とかな。それもイタリア戦争の荒廃と本国産業の保護
目的の圧迫、イギリスなんかとの競合の為の無茶な増税で壊滅状態になってるの。
それで逃げた毛織物、絹織物職人がヴェネツィアに流れたのも説明済み。

これがなんとか安定してきた所でこれらの産業がイギリスやオランダの商品との競合
に晒されて敗退することになっちゃったから、スペインは活用のしようもなかった。

とにかくスペイン領になった時点でのイタリアは、既にイタリア戦争で荒廃してい
ていたから、そこからイタリア人の富を吸い上げたら、何にも残らないのにスペイン
はそれやっちゃったの。それに経済先進地域なのは北イタリアだが、その中で一番大
きいトスカナ・ヴェネツィアは独立守ってて、後はミラノくらいしかない。
イタリアのどこでも先進地域じゃないし交易で儲けてた訳じゃない。イタリア
なんて国は存在しなかったんだから、一緒にしちゃうのが間違い。

穀物地域のミラノを中心としたロンバルディアでの、販売用穀物の所持禁止や消
費者でも二日以上の備蓄禁止とか、完全に収奪のための決まりだが、逆にそれを
やれるくらいスペイン統治はイタリアを統制していたということになる。
これもイタリア人を労働資源として活用してるのはインディオと同じことだよ。

121:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/11 23:59:56 0
>>120
つまり、スペインはイタリアの大して先進的でもない地域を、
フランスとの対抗のためだけに占領して、
その上そこから過剰に搾取してしまったため、
職人が逃げたりしてますます荒廃してしまったので、
スペインにこれといった利益は入らなかったという事?
ナポリやシチリアはイタリアでもそんな進んでるほうじゃなかったのか。

122:世界@名無史さん
10/12/12 00:30:06 0
>>121
利益は入ってるだろうよ。収奪してる分がスペイン国庫に入ってるんだから。
ただ、当時のスペイン本国は、はっきり言えば、資産の効率的運用とか収入
にはたいした能力ないから永続的に利益を得る工夫がないだけ。
最盛期のフェリペ2世が何度国庫の破産宣告したと思う?

ナポリやシチリアは寧ろ農業国。農産物の収奪も激しかったのはシチリアの
例で説明してあるだろう?

人的資源としての新大陸でインディオの活用についても君は高評価してるけ
ど、疫病もあったとは言え、人口減で黒人奴隷まで持ち込むほど酷使し
たのは変わらないよ。それって効率的な資源の運用と言えるのかい?
単に元手が無限にあるから無駄がいくらでも出来たってだけの話だと
思うんだが。イタリアにはそんな元手はなかったってこと。いくらなん
でもイタリア人を奴隷扱いできないからな。

ハイチなんて原住民絶滅させて、代わりに連れて来たインディオのカリブ人
も絶滅、それで最後に黒人奴隷を連れてきてるんだしな。

123:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 00:43:12 0
>>122
まぁ、確かに新大陸の銀も本国には全然入ってこなかったし、
スペインは植民地の利益を恒久的に得るという事が出来ない国なのかな。
後、黒人奴隷を大量に使ってたのはどちらかというとポルトガルで、
スペインはアメリカ大陸においては黒人奴隷をあまり必要としなかったよ。
現在、ブラジル以外のラテンアメリカ諸国の黒人人口はさして多くないでしょ。
カリブ海の諸島だけは例外で、スペインがこの地を領有したのはかなり初期だし、
大陸に比べインディオの文化レベル自体があまり進んでなかったため、
労働力として上手に活用するすべをスペインが身につける前に絶滅してしまっただけ。
現に、それを反省してか新大陸のインディオは生かさぬよう殺さぬよう扱われたし。
大陸のインディオ人口はスペインの支配が安定してきた17世紀頃から徐々に回復してるよ。
初期に大幅に減ってたのは、征服戦争の被害と疫病によるところが主要な原因だね。

124:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 00:49:41 0
>>123
それと、イタリア人を奴隷扱い出来なくたって、ルネサンスの文化や技術を伝えるために、
職人や商人や学者などを本国に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?
あなたの説明によると多くの職人がヴェネツィアに逃げたようだけど、
それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?
もしそうだとしたら、スペインのイタリア支配は相当下手だったんだなぁ。

125:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 00:51:05 0
>>124>>123の続きね。

126:世界@名無史さん
10/12/12 01:30:57 0
>>124
>ルネサンスの文化や技術を伝えるために、職人や商人や学者などを本国
>に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?

ちょうど宗教改革とその対抗改革の時代だということを忘れないように。
この辺は想像だが、イタリア・ルネサンスの担い手の学者や文人ははっ
きり言えば、教皇庁より厳格なカトリック国家である上に、無骨な風情が
残ってた当時のスペインには合わないと思うよ。

少なくともそれよりもっと前、イル・マニーフィコの時代にフィレンツェ
の芸術家は積極的に国外に出てるが、スペインにはあまり出向いてないと
思うし、ダ・ヴィンチにしても最後のパトロンはスペインじゃなくてフラ
ンソワ1世を選んでる。
ルネサンス学者はフィレンツェに多いけど、これもイル・マニーフィコの
死後にはサヴォナローラに転向しちゃったのも多いしなあ。
スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
スペインの支配外。イタリア戦争はフィレンツェ中心のルネサンスの終焉
の時期でもあるんだよ。その後にヴェネツィアルネサンスが最盛期迎える
けど、それは芸術分野だからな。

>それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?

正確に言うとイタリア戦争の荒廃からヴェネツィアに逃げた職人が多いけど、
ヴェネツィアも丁度アフリカ航路の問題もあって、国内産業の育成に目を向けて
たから、そういった職人を高待遇で迎えてるからな。後にはそれが裏目に出る
けど、この時はそれが当たってる。
スペインのほうは、ミラノの例を挙げたように、寧ろ産業を衰退させるような
ことしてたから、戦争終結しても、職人には全然魅力はないだろ?

127:世界@名無史さん
10/12/12 01:31:45 0
続き:

商人にしても、スペインは国家交易で儲けようとしてたし、レコンキスタの
終了に合わせて商業の担い手だったユダヤ人をオスマンにやってしまう
くらいなんだよ。少なくとも大規模貿易で民間に頼る気はなかっただろ
うな。その辺は、オスマンと繋がったフランスのほうが有利だった。

一応、一回フェリペ2世がヴェネツィアにアフリカ航路の共同支配の話を持
ちかけてるがリスクが高すぎると蹴られてる。太陽の没することのない帝国
って言っても、結局スペインの覇権はごく短かったのはその辺の体質が原因
だと思うけどな。

こうやって並べると、スペインの覇権は、ハプスブルクの幸運と、地球
の大きさを計算間違いしたコロンブスを拾ったからという偶然要素が随
分でかいと思えてきたな。

コロンブスがポルトガルをパトロンに出来なかったのは、ポルトガルの
学者が正確に地球の大きさを計算してたから、コロンブスの言うように
短距離でアジアには到達できないのを知ってたからだし。
スペインの学者が同意見だったのかは知らないが、少なくとも科学的に
間違ってるコロンブスに「ノセられた」のはイザベラ女王だしな。

あと、スペイン時代の中南米は俺はよく知らなかった。指摘サンクス。

128:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 01:42:44 0
>>126-127
こうしてみるとスペインはあまり統治能力に優れてないように思えてくるなぁ。
下手に産業に介入しようとしてそれが裏目に出るという事を
アメリカ大陸でもイタリア半島でも同じように繰り返してるし。
後、確かにガチガチのカトリックであるスペインには、
ルネサンス的気質は似合わなかったというのもあっただろうね。
ユダヤ人追放といい、この例といい、変に宗教に拘って、
自国の首を絞めることもよくあるし。何かスペインが駄目な国に思えてしまう。

>あと、スペイン時代の中南米は俺はよく知らなかった。指摘サンクス。
僕もスペイン時代のイタリアは良く知らなかったですから。指摘ありがとうございます。

129:世界@名無史さん
10/12/12 11:39:05 0
>>123
>後、黒人奴隷を大量に使ってたのはどちらかというとポルトガルで、
>スペインはアメリカ大陸においては黒人奴隷をあまり必要としなかったよ。
>現在、ブラジル以外のラテンアメリカ諸国の黒人人口はさして多くないでしょ。

メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、エクアドル、
ペルー、ボリビアにはほとんど黒人奴隷が入ってこなかったね。
この地域の先住民はもともと文化レベルが高くて農耕生活や労働に慣れていたから。
アステカ、マヤ、インカ文明圏の先住民の場合、王を頂点とした階層社会だったから、
為政者が代わりスペイン人の支配に入っても徐々に新しい支配体制に順応していった。

悲劇的なのはカリブ海諸島や大陸沿岸部、アマゾン平原の熱帯雨林で狩猟と採取、
あるいは低い生産力しかない農業を補助的に行っていた連中。
労働力として使いものにならないから、疫病と酷使で最終的には絶滅。

130:世界@名無史さん
10/12/12 11:53:13 0
>>126
>スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
>し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
>スペインの支配外。

バロック時代の画家フセペ・デ・リベーラは、
「スペインは異邦人には慈悲深い母だが、自国民にとっては実に酷い継母である」
と語り、自国の画家を冷遇するスペインの美術パトロネージの傾向を批判していた。

>>128
スペイン人・ポルトガル人が異民族統治下手なのは、レコンキスタの影響もあるかと。
基本的に異教徒を敵とみなしてきた国民なわけだし。
対岸の北アフリカにはまだイスラーム勢力が健在で、イベリア半島のキリスト教徒に
とっては脅威だったわけだしね。

それと、この両国の「中世的体質」。
植民地も含めた国家は基本的に王室のものだと考えている。

131:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 13:17:28 0
>>129
スペインが基本的にペルーやメキシコを植民地経営の中心にしたのも、
要はそこのインディオたちの元々の文化レベルが比較的高かった事が理由だしね。
カリブ海の先住民は、本当に早くのうちに絶滅してしまった。

>>130
まぁ、スペインがあそこまでガチガチにカトリックに拘ったのは、
確実にレコンキスタのせいだろうね。異端審問で商業に優れたユダヤ人を、
国外追放してしまったのなんかは、バカじゃないかと言われても仕方ない気がする。
しかも、そうして国を追われたユダヤ人がスペインの敵国である、
オスマン帝国に逃げてきたせいでオスマン帝国を豊かにさせてしまったのは皮肉だな。

132:世界@名無史さん
10/12/12 14:44:13 0
>>128老子にある「すすんで人に先んずるなかれ」ってやつさ。
どうしたって先行する者は現地との戦争、インフラ整備などの負担があって
統治する前に自国が疲弊してどこかに奪われてしまう。これで
参入してきたのがオランダをはじめとする二次植民地帝国でしょ。
彼らは横からきて全部奪って、でも略奪するばっかりじゃ次がない
ってんで「大規模農業」に移行した。でもそれも最終的な
植民地帝国、つまりアメリカにすべて奪われてしまう。結局
一番得したのは最後まで力を貯めていて「ここぞ」というときに
出た利口な勢力ですな。

133:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/12 15:10:56 0
>>132
そのアメリカだっていつまで覇権を維持できるかは分からないけどね。
結局、スペインの植民地統治はオランダやイギリスのように、
本国に利益をもたらすものじゃなかったのが最も痛かったなぁ。
銀を上手く活用できなかったせいで、最盛期からしてすでに借金まみれだったし。
「大規模農業」はアシエンダという形でスペイン植民地でも行なわれてたんだけど、
あれも結局は征服者が個人単位で始めたものだから本国の統制が効かず、
オランダやイギリスのように大規模農業による利益を上手く本国が搾取できなかった。

134:世界@名無史さん
10/12/13 18:31:26 O
>>130
> それと、この両国の「中世的体質」。
> 植民地も含めた国家は基本的に王室のものだと考えている。

これは「ハプスブルク体質」とも名付けたい。
ブルボン朝に変わった途端ヌエバプランタで国内改革に踏み出したわけで。

ブルボン朝スペインの植民地経営がどんなだったかは知らん

135:世界@名無史さん
10/12/13 18:33:19 O
スペインに限った話ね。

136:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/13 19:53:50 0
>>134
>ブルボン朝スペインの植民地経営がどんなだったかは知らん
アメリカ大陸におけるスペイン・ブルボン朝の改革としては主に、
国家専売事業の創設、貿易港の増設、新税や正規軍の設立や、
国王によるスペイン本国人の官僚任命(=支配層からクリオーリョ排除)などだね。
現地のクリオーリョなどに集まってた植民地の利益を出来る限り、
王室の財源にしようとした中央集権的な財政改革だったよ。

137:世界@名無史さん
10/12/14 00:13:01 0
>>43
後進地かどうかで征服云々を語るのはナンセンスだよ。

匈奴も文化経済じゃ漢より遅れてたけど漢を従属的地位に置けたし、
その後も遼や金も支配的地位になれたし、モンゴルや満州族は言わずもがな。
経済や文化の後進地に勝てない状況が多かった。
マケドニアの大国ペルシャへの勝利なんかももそうだな。

138:世界@名無史さん
10/12/14 00:16:24 0
西北の民族は金属加工やガラス化学などで優位にあったので
匈奴や蒙古が遅れていたわけではないが。

139:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 00:33:39 0
>>137
う~ん、匈奴はともかく金なんかは取り立てて後進地域でもないと思うけど。
まぁ、確かに後進地云々で征服を語るのは違うかも知れないけど、
8世紀以前の西欧ってトゥール・ポワティエの戦いなんかに代表されるように、
イスラーム勢力に対して完全に守勢だったから征服なんて無理だと思うけどなぁ。

140:世界@名無史さん
10/12/14 01:15:02 0
>>138
いや話がおかしい。
後進地だから征服できない云々がナンセンスという話。

>金属>ガラス
んじゃその程度で先進地といえるならヨーロッパも先進地になるんじゃね。

141:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 01:43:51 0
>>140
確かに、匈奴の文化レベルは初期の中世ヨーロッパぐらいかな。
まぁ、匈奴の時代のヨーロッパはまだ中世ではないんだけど。

142:世界@名無史さん
10/12/14 05:24:14 0
むしろ中国支配に限って言えば
人口、経済力、文化などで劣ってても普通に勝利できてる。

143:世界@名無史さん
10/12/14 06:31:56 0
中世ヨーロッパの場合は、文化や技術の後進性に絡んで、社会体制とそれに
直結した軍事力の問題があるだろ。

匈奴や遊牧勢力の大帝国は少なくとも社会の組織化とそれに結びつく軍事
制度が整備された環境だけど、中世ヨーロッパじゃ封建諸侯の分立で、そも
そも社会が総合的に軍事力を組織化できる状態じゃないし、狭い世界観に縛
られてまだその必要性の理解が一般化できてない気配が強い。
社会体制の違いがあるけど、遊牧勢力はその辺の軍事制度はヨーロッパより
はり先進的と言えると思うが。

中世ヨーロッパは同時代の他地域と比較しての社会の後進性とそれに伴う軍
事制度・軍事思想の後進性の問題だと思うがな。カール大帝やオットー大帝、
リチャード獅子心王はそれを個人的な統率力でカバーしてただけで、そこま
で個人に頼った状態自体がヨーロッパの遅れを示してると思うが。

144:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 07:58:51 0
>>143
確かに、匈奴は政治体制は分権的な部族連合だったとはいえ、
軍事制度に関してはそれなりに組織化されてたほうなのかな。
(と言っても、あくまで分権的な軍事組織ではあったけど)

145:世界@名無史さん
10/12/14 14:10:20 0
>>131
グレナダ侵攻以降も「宗教にこだわった」みたいに見るのはどうかね。
短期的に見ればユダヤやムスリムの既得権奪う方が経済的に回ったからでしょ。建て前に利用してた面だって大きい。
それを結果論でバカだと今の日本人に言えるのかね。
今の日本だって客観的にみればどう考えても先行き暗いこと繰り返してるのに結局改善の動きないじゃん。
まあ国単位でそういう優劣比較する視点の何が面白いのかって話だけどね。
面白いと思う人はそれでいいけどw

146:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 14:45:44 0
>>145
まぁ、確かにスペインの異端審問は純粋な宗教的理由だけじゃなく、
ユダヤ人の経済的優位や既得権益を対するスペイン人の不満によるところも、
かなりあっただろうね。ただ、結果として国内の経済を衰退させたのは事実じゃないの。
別に国家単位で優劣比較をしてる訳じゃくて、当時のスペインの異民族統治が、
あまり優れたものではなかったんじゃないかと思っただけなんだけどね。
個人的には結構な名君だと思ってるフェリペ2世の時ですら、
国家破産してるし。それと、今の日本の政治がだめなのと、
過去の政治における歴史的評価は関係ないでしょ。

147:世界@名無史さん
10/12/14 16:30:34 0
>>132
単に「結果」からだけ見て陰謀論者みたいな発想してるように見えるよ。
オランダも開発投資はしてたと思うし、収奪の割合をアップさせようと思うなら
どこだろうがそうなるだろう。

日露戦争でロシア権益の鉱山や大連とかの大都市でもロシアが整備したインフラあったはず
だが、これは日本が後で奪う為にわざとそうしてたわけじゃないろ。
昔言われてた基礎研究のただ乗りとか、アメリカが国内市場の成熟させ、産業育成したたのも
わざと果実を日本が乗っ取る為にそう誘い込み後で乗っ取ったわけでもなく、単に日本が追いついて追い越した結果にすぎない。
「元の宗主国が開発してたかどうか」は帝国主義戦争の勝敗の結果が生んだ単なる副次的な面だ。

何でもかんでも陰謀や狡猾な策略に結び付けてるのは、独ソ戦の前半の敗北、
蒋介石の敗退転進を「実は焦土戦略によって奥地に誘い込む深慮遠謀だったのだ」とか
とか言うのと似た電波を感じる。

148:世界@名無史さん
10/12/14 20:58:16 0
オツガイ ◆EAbyJft1LY ってのは文脈読まずに知識自慢したがる傾向あるな

145で言ってるのは、今の日本人が問題点わかってても変えられないんだから
経済的凋落を理由に当時のスペイン人バカにするのは無意味って話だろ

政治の話とか誰がしてるんだよw

149:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/14 21:09:01 0
>>148
つまり、問題点分かってても変えられない事は歴史上多々あるから、
スペインのそれだって別段珍しくないっていう事?う~ん、それは国にどこまでの、
レベルを求めるかという事の違いになるんじゃないの。問題点分かってて変えられないのは、
過去も現在も基本的にはそんな誉められた事ではないでしょ。今の日本人だって、
同じようなものじゃんっていう主張には、「うん、そうだね。」としか返しようがないよ。
乱暴な言い方になるけど、当時のスペインも現在の日本もどっちも、
統治能力に欠けてる、平たく言えばバカっていう結論に達するだけでしょ。
(誤解のないように言うけど、僕が現在の日本の政治がダメと言ってるんじゃなくて、
あなたの言い分の通り日本もダメだとしたらこういう結論になるだけだと言ってる)

150:世界@名無史さん
10/12/15 08:31:36 O
オスマンが大航海時代に乗れなかったのは、レパントで完敗したからだろな
西地中海以西に進出不可になり、以後停滞、衰退した
明が乗れなかった理由は謎なんだよな

151:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 08:59:59 0
>>150
そもそも地理的に考えてオスマン帝国が大西洋に出るのは無理でしょ。
それに、オスマン帝国は最盛期からして大西洋に対して興味はなかっただろうから、
レパントの海戦の勝敗はあまり関係ないと思うよ。あれはあくまで地中海の制海権を、
争うものだったし、敗北以降もしばらくはレヴァント貿易も衰えてないから、
オスマン帝国の中心的テリトリーである東地中海はまたまだ維持されてた。
オスマン帝国が大航海時代に乗り出すとしたら、むしろ紅海やペルシャ湾から、
インド洋に出るルートのほうが可能性としては高いと思うんだけど、オスマン帝国自身は、
アチェに艦隊を派遣したり、ポルトガルを自国の近場から追い出したりした程度で、
あまり積極的にインド洋へ進出しようとはしなかったね。あくまで、東地中海と、
紅海・ペルシャ湾というインド洋への入り口さえあれば他は特に興味なかったんじゃないかな。

152:世界@名無史さん
10/12/15 12:30:20 0
>>150
明は謎だわ
たしかバリバリの海洋国家だったはず
航海技術的には問題なかっただろうし
地理的要因以外にも何かあったんだろうけど、やっぱ謎だわ

153:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 12:54:46 0
>>152
明って海禁令を出してたりして、民間の海上貿易をかなり制限してたよね。
そのせいで倭寇なんかも出現してるし、海上貿易を独占しようとしすぎた結果、
逆に民間の商人たちの間での交易が衰退したのが原因じゃないの?

154:世界@名無史さん
10/12/15 14:32:08 O
新世界を発見した時点でヨーロッパ大逆転のレールが出来上がっちゃってるよなー、って思う。

155:世界@名無史さん
10/12/15 15:42:46 0
華僑が東南アジアに進出してるよね


156:世界@名無史さん
10/12/15 17:00:20 0
>>152
>>153
鄭成功出した鄭氏なんかは明末でも密貿易で十分利益上げてるし影響力も
強かった。鄭成功が日本生まれだと言うこと、鄭氏勢力を核に反清勢力築
き上げたことからも、それは分かるだろ。
官僚に腐敗がひどかったというのは商人には潜り抜けやすかったことにな
るからな。寧ろ密貿易に厳格な官僚のほうが失脚・自殺に追い込まれてる。

もの凄く単純に言えば、明は海上志向ではなく陸上国家であったこと、自
国以外の国は基本冊封体制に組み込むことで満足してたから、西欧と根本
的価値観が違ってることだな。鄭和の航海にしてもあくまでも冊封関係さ
え結べば良かったんであって、西欧のような重商主義・植民地主義とは
無縁。海外に必要性を求めた西欧と事情が全く違う。

清末の官僚が「わが国は輸入が必要なものはない」ってのもある意味その
通りで、国土が広い分、ほぼ自給できてたからな。
そういう疑問は寧ろ西欧的感覚で中国史を見すぎだと思うぞ。

157:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 17:12:46 0
>>155
華僑はかなり前から東南アジアに来てたらしいけど最も増えたのは清代らしい。
タイだと華僑出身のタークシンがトンブリー朝なんていうのを作ってるし。

>>156
なるほど。そもそも遠洋に航海する必要性がなかった訳か。そこら辺は、
インド洋に進出できる立場にありながら進出しなかったオスマン帝国と同じかな。
そもそも、スペインやポルトガルが大航海時代に乗り出したのは、
中国やインドなど東洋の富(主に香辛料)を彼らが求めたからであって、
元々それらを持ってる中国が大航海時代に乗り出す必要性は全くないね。

158:世界@名無史さん
10/12/15 17:24:45 O
東洋への航路を求めてたら何故か新大陸を見つけたでござる

159:世界@名無史さん
10/12/15 17:27:35 0
必要性理論も疑問なんだな
ヨーロッパは当時1億近い人口を養えるだけ能力があったし
欲さえ出さなきゃヨーロッパだけに閉じこもっていても何の問題もなかったよ
海外に行って富を獲得しようという志向が他より強かっただけでしょ
でちょうど技術革新の時期だったしね



160:世界@名無史さん
10/12/15 17:40:27 0
明の時代は欲しい物は自国で調達出来たからわざわざ外に出る必要が無かった。


161:世界@名無史さん
10/12/15 17:54:32 0
>>156
そっか海上じゃなく陸上国家だったんか
てっきり北方民族に苦心して長江以南を拠点に海上貿易で
栄えた国だとばかり思ってたわサンクス

>>159
現代からみた結果論でもって、したり顔で語るほど寒いもんね
なぜ航海に出たか?
ただそこに海があったからみたいな単純な好奇心や物好きが高じた結果
そうなったのかもしれないし。

162:世界@名無史さん
10/12/15 17:57:18 0
中華思想もあるね
西洋の使節が清の官僚に大砲見せたら北京にも同じものがあると一点張りだったらしい
同じものを日本人に見せると日本人は飛びついて譲ってくれと人なつっこく催促してきた
つまり中国人は三重春蔵なんだよ

163:世界@名無史さん
10/12/15 18:00:04 0
16-19世紀の西洋人の日本と中国の記録が載ってる本を立ち読みしたけど
全体的に中国人は外界に無関心で俺らがナンバーワン、日本人は好奇心旺盛で貪欲って感じ

164:世界@名無史さん
10/12/15 18:00:36 O
海洋技術はあったが大航海へのインセンティブは弱かった。

165:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 18:05:40 0
>>159
いや、必要性はあったでしょ。そもそも、大航海時代の直接のきっかけは、
オスマン帝国の地中海進出にある訳で、そのために西欧諸国は従来の、
地中海以外の新たな交易ルートを開拓する必要に迫られたんじゃないの?
そりゃ、地中海交易がなくてもヨーロッパは食っていけたかも知れないけど、
今までそれで経済が潤ってた訳だから、なくなるのは辛いでしょ。
例えが変だけど、一度金持ちになった人はたとえ収入が減ったとしても、
今までの贅沢な暮らしをなかなかやめられないのと同じようなものだと思うよ。

166:156
10/12/15 18:10:33 0
>>159
ヨーロッパの東洋志向はそもそも「ムスリムを介さない香辛料調達」を
御題目にした、自国の香辛料貿易利益の独占が目的だからな。
ヨーロッパ世界が一つの国家ではなくて、お互い鎬を削ってたから自分
が優位に立つにはヴェネツィアが握ってた香辛料貿易の利益が欲しかった
ということ。当時、香辛料の供給は安定してたから、もし一枚岩の国家だっ
たら、あれほど外洋に執念は燃やさなかったと思う。

>>161
民間レベルは密貿易・東南アジア華僑の活動で海上活動も盛んだったけど、
明という王朝にとっては商業より農業が基本だったからな。あくまでも赤
字の朝貢貿易に拘ってるから、国として海上交易に力を入れてたわけじゃ
ないと思うぞ。
商業利益も重視した南宋でも本質的には農業が基盤だし、海上貿易を利益
の中心にすえる国というのは農業に活用できる後背地が少ない小国くらい
だろうな。有名どころじゃギリシャのポリスやヴェネツィアがいい例かな。

安定した農業基盤があれば、そちらのほうが確実な税収が見込めるし、
リスクの高い海に無理に国家の活力を向ける必要がない。

167:世界@名無史さん
10/12/15 18:11:13 0
オスマンの進出は最近はあまり大きく評価されてないよ
そもそもオスマンがくる前からマムルーク朝が高関税かけてぼったくりしてたからな
ポルトガルの海洋進出はもともと西アフリカの金を求めてはじまったわけで地中海貿易はあんま関係ない
そもそも地中海貿易が廃れたらベネチアは大損こくしね
ポルトガルが香辛料貿易を意識したのは喜望峰周ってからだと思う
ラッキーwって感じ

168:156
10/12/15 18:19:53 0
>>165
丁度>>166で書いたが、オスマンの進出があっても、香辛料の供給は安定
してたから、その意味じゃ新しい航路開拓の必要性はない。
問題はその香辛料貿易による莫大な利益をヨーロッパのどの国が独占する
か、だ。
で、出した御題目がムスリムを介さない香辛料交易であって、中には理念
的に真面目にそう思ってた人間や国王がいるかもしれないが、ヨーロッパ
の国ってのはもう、その時代には十分スレていたからな。
基本的に、誰も異議を唱えられないその御題目を利用してただけと考える
べきだと思う。

169:世界@名無史さん
10/12/15 18:29:28 0
中国も恒常的に分裂してたら
広州あたりの国家が海洋に乗り出した可能性があるな

170:世界@名無史さん
10/12/15 18:37:14 0
大サプライヤー(=オスマン)のあるなしよりも
小問屋さんたち(=ヨーロッパ諸国)が多すぎて鎬を削って競争してたことで
価格競争による経済的利益要因のが仕入れルート(=海洋ルート)を必要としたってことか

171:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 18:41:28 0
>>167-168
ふ~ん、オスマン帝国進出はあくまで名目に過ぎなかったのか。
まぁ、西欧諸国としてはむしろヴェネツィアなんかが握ってた交易の利益を、
自分たちも手に入れたかったからという理由のほうがより本質に近いのかな。

ただ、ヴェネツィアが衰退しなかったのはビザンツやオスマンに対して、
上手く取り込んだからというのもあるでしょ。それが出来なかったジェノヴァは、
大西洋貿易に力を入れるようになったらしいし。樺山紘一先生によると、
コロンブスがジェノヴァ出身なのもそういう背景があったからだそうだし。

172:世界@名無史さん
10/12/15 18:49:06 0
>>169
インド亜大陸の場合、海洋国家というのはあったのかな?

173:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 18:50:45 0
>>172
南インドのほうは海洋国家多いでしょ。チョーラ朝なんかは、その最たる例だし。

174:世界@名無史さん
10/12/15 19:03:34 0
>>172>>173てレス早すぎないか

175:156
10/12/15 19:24:54 0
>ただ、ヴェネツィアが衰退しなかったのはビザンツやオスマンに対して、
上手く取り込んだからというのもあるでしょ。

ビザンツ時代はそうだが、対オスマンの場合はレヴァント貿易の重要性は
変わらなくても、オスマンとの戦争やフランスやフィレンツェの進出で
16世紀中にヴェネツィアの独占体制は崩れてる。16世紀のヴェネツィ
アの総合的発展は、こないだ、どこかで君に言ったと思うが、毛織物等、
産業面の発達も加えた経済基盤の多角化による。

>それが出来なかったジェノヴァは、

ジェノヴァも何度かビザンツと結びついたし、ビザンツの方でもジェノヴァ
とヴェネツィアとの間で揺れ動いてたが、最終的にジェノヴァのほうが自滅
して国家崩壊状態になったから、本国のバックアップのないジェノヴァ人個
人で動かなければいけなかったのが、コロンブスの直接の背景。

まあ、その前から地理的・使用船舶の関係からジェノヴァは大西洋方面では
ヴェネツィアより有利だったし、ジブラルタルの外から北海方面にかけての
大西洋航海のノウハウがあったのも事実だが。

176:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 19:55:30 0
>>175
なるほど。ヴェネツィアは大航海時代に入ると地中海交易を、
独占できなくなってたのか。まぁ、この時代はオスマン帝国が地中海の、
覇権握ってたしね。ヴェネツィアが16世紀以降も衰退を防げたのは、
どっちかというと他の産業基盤を固めた事のほうが理由としはて大きいのかな。
正直、僕はヴェネツィアやジェノヴァについてはあまり詳しくないので助かるよ。
ビザンツがジェノヴァと結びついたのって確か「シチリアの晩祷」事件の時だっけ?

それと、前に同じ事を僕に対して言ったという事は、もしかしてこのスレの>>88

177:世界@名無史さん
10/12/15 20:20:14 O
コロンブス=ポーランド王子説が最近出たよね

178:156
10/12/15 21:05:13 0
>>176
ほかにもあるぞ。スペインのイタリア政策に関して職人がヴェネツィアに
逃げたって説明してるの覚えてるだろ?

>ビザンツがジェノヴァと結びついたのって確か「シチリアの晩祷」事件の時だっけ?

シチリアの晩祷よりはるか前からだな。マヌエル1世コムノネスがヴェネ
ツィアをビザンツから追放する直前に、ジェノヴァ・ピサと条約結んでる
し、ニケーアのミカエル8世パレオロゴスも、コンスタンティノープル奪
取より前からラテン帝国支えてたヴェネツィアに対抗してジェノヴァと結
んでる。

14世紀まではジェノヴァとヴェネツィアで東地中海の制海権巡って何度
も衝突してる。一時はジェノヴァが戦争で圧倒的有利になったこともある。
最終的にジェノヴァが自壊してヴェネツィアが勝ち残ったんだよ。
ピサはその前にジェノヴァに敗退してるし、フィレンツェの干渉に対抗する
のに必死だった。

179:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 22:13:41 0
>>178
>ほかにもあるぞ。スペインのイタリア政策に関して職人がヴェネツィアに
>逃げたって説明してるの覚えてるだろ?
あぁ、その話したのあなたなのね。まぁ、ヴェネツィアがスペイン領から、
亡命した職人たちを呼び寄せたのも、広義では他産業の育成に入るかなと思って。

ミカエル8世はコンスタンティノープル奪回やシチリアの晩祷において、
しばしばジェノヴァと結んでるね。マヌエル1世のほうはジェノヴァと結んだのは、
結果的にヴェネツィアとの関係悪化とそれによる第4回十字軍への布石という、
悪影響をもたらしたのに、ミカエル8世のほうは外交的にかなり成功したね。
さすが狡猾な外交で知られているミカエル8世だけあると言うべきなのかな。

180:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/15 22:19:03 0
>>179の続き
それと、質問なんだけど、ジェノヴァが自滅したっていうのは、
具体的には、ジェノヴァの国内政治の混乱に付け込んだ、
フランスによる占領の事を指してるって思っていいのかな?

181:156
10/12/16 03:58:05 0
>>180
どの時点でのフランスの占領のこと言ってるのかは分からないけど、
14~15世紀中に内紛が原因で、フランスの支配、ミラノのヴィ
スコンティ家の支配、とグチャグチャの状態になってるからな。寧
ろ逆に内紛がひどすぎて、自分で主権移譲しちゃってる場合もある。
ヴェネツィアも対ジェノヴァ戦争の時は、そういった宗主国を使っ
て牽制してるしな。

それで結局海洋国家としてのジェノヴァは衰えてしまって、香辛料
等の花形商品はヴェネツィアの独占状態になったってこと。自滅と
いうのはそれを言ってる。

その後もレヴァント貿易には関わってはいるけど、海洋国家として
ではないな。あくまでも個人、または独立性の強い系列植民地のジェ
ノヴァ人の活動になってる。その後は寧ろ金融業にシフトしてるしな。

182:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/16 06:06:36 0
>>181
>どの時点でのフランスの占領のこと言ってるのかは分からないけど、
16世紀初頭辺りにフランス支配を受けた事があったと思うからその事を言ったつもり。
当時のジェノヴァは国内が荒れてたから確かに自滅と言われても仕方ないのかな。
それ以降のジェノヴァは、あなたの言うように海洋交易よりも金融業中心になってるしね。

183:世界@名無史さん
10/12/17 23:19:53 0
大航海時代に乗り出したことで欧州世界は
資本の蓄積ができて後に列強帝国主義につながっていくの?

184:世界@名無史さん
10/12/18 00:13:22 0
それが大きな要因だけど大航海時代を準備した商業革命と技術革新も重要だね

185:世界@名無史さん
10/12/18 01:08:34 0
>商業革命と技術革新
kwsk

186:世界@名無史さん
10/12/18 01:11:17 0
WIKIで調べれば
いちいち書くのがめんどい

187:世界@名無史さん
10/12/18 01:24:18 0
orz

188:世界@名無史さん
10/12/18 01:27:32 0
大雑把にいうと十字軍以降ヨーロッパの商業活動がどんどん拡大して
大航海時代はその流れの中からヨーロッパ外に飛び出した感じ
技術革新も同時期に高炉の発明による鉄製品の大量生産化や旋盤技術の向上などきりがないね
参考サイト
URLリンク(mailsrv.nara-edu.ac.jp)
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)

189:世界@名無史さん
10/12/18 12:46:23 0
>>188
thanx

190:世界@名無史さん
10/12/21 11:38:30 0
URLリンク(blog.livedoor.jp)
イギリスが初めて組織的な国家体制の整備に着手したとき、幸運にも「模倣のモデル」が
身近にあり、それに着目し情報以外の外交一般においても重要なノウハウを意識的に
取り入れていったことである。そのモデルとは、あのヴェニス(ヴェネツィア)であった。
実際、外交や情報に限らず、近代イギリスの「卓越したもの」は、その起源を辿っていくと、
ヴェニスからの意識的かつ忠実な模倣に行き着くものが多い。


※イギリスはヴェネツィアから多くのものを学んだが、ポルトガルとスペインの場合、
海洋国家がどういうものが結局理解できなかったんじゃないのかな。
ムスリム王国に対するレコンキスタ運動の継続としてインド洋に進出したポルトガルは、
最初から武力によるアジア-ヨーロッパ間貿易の独占とアジア域内貿易の統制を
はかったが、人口・資金・船舶などの不足した小国ポルトガルにとって、厳格な
統制を維持することは不可能なことだった。

191:世界@名無史さん
10/12/21 12:28:05 0
イギリスにおけるオランダの影響はよく語られる場合が多いと思うが
ヴェニスの影響はあまり聞いたことないな
まぁオランダを介して間接的には影響うけてるかもね


192:世界@名無史さん
10/12/21 12:35:53 0
常駐の外交官なんかはヴェネツィアが始まりだしな。今も帰任したヴェネツィア大
使の元老院報告書は一級史料扱いのはず。
自国民居留地・商館なんかもレヴァント貿易でイタリアの海洋都市国家がコンスタ
ンティノープル等、あちこち重要貿易拠点に作ってたしな。

193:192
10/12/21 12:41:21 0
まあ、イギリスがヴェネツィアの制度を意識的に模倣したかは知らないが、
ヴェネツィアがかなり効率的・かつ安定した政治体制を持続し続けたのは
確かだ。

ただ、それを模倣しようとしたメディチ追放後のフィレンツェ共和国は模
倣だけで終わって、まともに運用できなかったのも確かだし、国民性に左
右されるものではあると思うがな。

194:世界@名無史さん
10/12/21 12:42:27 0
つまりイギリスに限らずヨーロッパ全体がヴェニスの影響受けてるってことだね



195:世界@名無史さん
10/12/21 12:49:10 0
政治制度や経済のよりディープなところは
中世からイギリスは経済面でずっとネーデルラントの影響受けてたし
政治制度にしてももウィレム3世が議会制度をオランダ式に変えたし
直接的な影響はオランダ以外考えられないな
ただまぁ当時のヴェネツィアの影響は一般的だったろうから
そういう意味で影響受けてるだろうね

196:世界@名無史さん
10/12/21 15:38:31 0
大航海時代が始まって以降、リンスホーテンの『東方案内記』のように、
ヨーロッパではアジアについての情報が蓄積されていったが、アジアでは
日本の和蘭風説書のような例外を除いて、ヨーロッパに関する情報は
書き残されなかったな。

こういう違いは何が原因だったのだろうか。

197:世界@名無史さん
10/12/25 14:38:57 0
国内で物語がすべて完結してたからじゃね


198:世界@名無史さん
10/12/25 19:32:10 0
>>191>>195
イギリスのイースト・アングリア地方に風車があるが、これはオランダから
呼ばれた干拓の技術者たちの影響。
このあたりはかつて「フェン」と呼ばれる広大な湿地帯だった。

17世紀のイギリスはまだオランダに追いつこうとして必死な時期だよな。
東南アジアではモルッカ諸島をオランダに奪われるし、オランダ人はイギリスから
半製品の毛織物を買い、それを加工することによってはるかに高い値段で売っている。


199:世界@名無史さん
10/12/25 21:09:44 0
やはりバルボアだろー

200:世界@名無史さん
10/12/26 00:00:03 0
へえーイギリスってオランダから学んでいたのかー
初めて知った

201:世界@名無史さん
10/12/26 00:03:29 0
>>196
アジアというかイスラム側ではヨーロッパにそもそも興味が無かったから
イスラム勃興以来の目標であったコンスタンティノープルはすでに奪取したからなあ
あとは十字軍を派遣した蛮族の地だからってことで興味なし
土地も痩せてるし貧しいかったから興味わかない

逆にヨーロッパ側からすると東方は豊かであるということと
聖地エルサレムがあるから常に興味があったんだ

202:世界@名無史さん
10/12/26 00:07:45 O
大航海時代は大略奪時代
比べてていわの航海は平和的だった
まめちしきな

203:世界@名無史さん
10/12/26 00:16:32 0
鄭和というかイスラームが支配していた時代だな
鄭和もムスリムだし

204:世界@名無史さん
10/12/26 00:30:58 0
鄭和さんは宦官

205:世界@名無史さん
10/12/26 00:35:33 0
宦官のムスリムだけど

206:世界@名無史さん
10/12/26 00:40:09 0
6世代前はウズベキスタン在住

207:世界@名無史さん
10/12/26 00:41:05 0
鄭和ってサイイドだったのか

208:世界@名無史さん
10/12/26 00:42:59 0
鄭和さんにコロンブスみたいな野心があれば・・・

209:世界@名無史さん
10/12/26 00:47:47 0
ムスリムが住んでいるところに行って交易するという目的だったので
アメリカ大陸に布教しようという野心はなかっただろうな。

210:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 01:01:45 0
>>202-203
ムスリムだって時には現地から略奪する事もあったし(主にアフリカ方面)、
西欧諸国だって大航海時代は基本的にちゃんと交易してたでしょ。別に、
略奪ばかりじゃないよ。まぁ、アメリカ大陸に限定すればそうかも知れないけど。

211:世界@名無史さん
10/12/26 01:20:46 0
アヘン戦争

212:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 01:28:57 0
>>211
それ、大航海時代じゃないよ。

213:世界@名無史さん
10/12/26 07:58:55 0
イブン・バットゥータの見たインド洋海域世界
URLリンク(www.teikokushoin.co.jp)



ここの2ページ目に「海の道」の図が載っている。
鄭和の大航海も中世からこのルートが成立していたから実現できた。


214:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 08:03:34 0
>>213
鄭和の大航海に限らず、西欧諸国の大航海時代も基本的には、
こういった既に中世においてイスラーム圏で成立してたルートを、
使っていたに過ぎないんだよね。まぁ、大西洋方面は違うけど。

215:世界@名無史さん
10/12/26 11:49:45 O
イスラムというよりローマ時代に確立してた経路だな
イスラムはそれに乗っかったに過ぎない

216:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 11:58:22 0
>>215
まぁ、確かにそうだね。ローマ帝国の時代に確立してた海路が、
イスラーム勢力が台頭するに連れて、ムスリムたちによって、
使われるようになったっていう感じかな。というか、この手の、
ユーラシア大陸規模での海上交易って古くはどこら辺まで遡れるの?

217:世界@名無史さん
10/12/26 12:01:46 0
>>216
アンタ何でも絡んでくるんだな(笑)
相手にされてないのに・・・

218:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:04:01 0
>>217
お前、しつこいぞ。西欧・アラブの植民地スレで相手にされなかったのは、
むしろお前だろ。今度は、こっちで絡んで来たのか?それ以上は無視するからな。

219:世界@名無史さん
10/12/26 12:11:40 0
>>215
ローマ帝国では、中国からは絹・絹製品を、インドからは香料・薬味・
胡椒・薬品・宝石・真珠・象牙・綿・モスリン・皮革・チーク材などを
輸入していたからな。



220:世界@名無史さん
10/12/26 12:18:58 0
>>216
まあ、後漢にローマから使いが来たって話はおいておいても、確か東南アジアで
ローマ通貨が発掘されてるし、多分、もっと遡れるだろうな。

221:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:24:01 0
>>220
確か、南インドのほうでもローマ通貨が交易されてたらしいね。
ローマ台頭の前、紀元前4世紀くらいには原型が存在したかな?

222:世界@名無史さん
10/12/26 12:34:31 P
.

223:世界@名無史さん
10/12/26 12:36:49 0
>>217
気にすんな
おまえさん以外にも厄介者だと思ってる人はいる
もうスルーすればいいだけ。

224:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:41:53 0
>>223
こういうのは自演乙と言っておけば良いのか、
それとも無視したほうがいいのか。

225:世界@名無史さん
10/12/26 12:47:19 0
>>224
このスレには最低で3人の住人がいると思うけどね、あなたはもう少し
一つのテーマについて深く掘り下げて勉強した方がいいのでは?

それこそインド史でもイタリア史でも中東史でもいいから。

226:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 12:51:07 0
>>225
無視しようかととも思ったけど、一応レスだけはしておくと、
そういう「自分は人よりも深く勉強して良く知ってる」みたいな、
偉そうな態度は控えたほうが良いよ。人から嫌われるから。

227:世界@名無史さん
10/12/26 12:59:04 0
私はレスからにじみ出る上から目線は
あなたのほうだと思うけどな

私は>>223だけど>>225とは別人
最低3人はいると思うよ

228:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:03:09 0
>>227
仮に別人だとしても、別に特に変なことを書いてる訳でもないのに、
叩かれるのは不愉快でしかないから。まぁ、>>226の書き方は確かに、
いささか上から目線かも知れないが、他は普通に書いてるつもりだし。

229:世界@名無史さん
10/12/26 13:10:50 O
ハンニバルと供にアルプスを越えた象さんもインドか東南アジアかからの輸入品

230:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:16:33 0
>>229
戦に象を使うという発想自体はインドからの輸入だろうけど、
実際にカルタゴが戦で使った象自体はアフリカゾウじゃないの?

231:世界@名無史さん
10/12/26 13:17:54 0
>>201
中世の中東は人口減少中なのにどこが豊かなんだ
交易もアフリカやインドの物産を中継貿易しただけだろ
オスマンも中東よりバルカンの方が豊かで弱小勢力が多いから進出したんだが
その上オスマンの中枢はバルカン、ヨーロッパ側で人材もほとんどバルカン側から供給
モンゴル後の中東勢力は砂漠化やらで衰退が進み他地域に介入する余力がないだけ
わかったかイスラム信者

232:世界@名無史さん
10/12/26 13:23:58 0
>>229
ヘレニズム時代にも、アラビア半島やインドとの交易が行われていた品。

東方産物の交易路は、海路インド洋からアラビア半島南岸のアデンに入り、
陸路アラビア半島を北上し、ペトラ、パレスティナ、スエズを経て、アレクサンドリアに至った。
この交易路を短縮し、また東アフリカとの交易(特に戦像の確保)を開発するため、
ファラオやペルシア時代に建設されたことのある、紅海からナイル河に至る運河が
幾度か再開されもした。

233:世界@名無史さん
10/12/26 13:30:38 O
バルカ家にプレゼントされたってのを見た記憶がある。
インドか東南アジアからの輸入品で。


234:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:31:17 0
>>232
ていう事は、やっぱり紀元前4世紀くらいまでは確実に遡れるのかな。

235:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:34:53 0
>>233
そうなのか。僕はマルミミゾウっていうアフリカゾウの一種が、
ポエニ戦争では使われたって聞いた記憶がある。どっちが正しいの?

236:世界@名無史さん
10/12/26 13:36:37 O
バルカ家にプレゼントされたってのを見た記憶がある。
インドか東南アジアからの輸入品で。
マルミミ象やアフリカ象がアルプス越えたのも否定はしない。つーかできない。私に知識ないから。

237:236
10/12/26 13:38:51 O
知識もないのに書くなっつう話だね。
正直すまんかった

238:オツガイ ◆EAbyJft1LY
10/12/26 13:40:42 0
>>236-237
まぁ、僕も古代史はとんど知識ないからお互い様。何かで、
マルミミゾウが使われてるっていうのは聞いた事あるんだけど、
どこでそれを聞いたのかすら覚えてないやorz。まぁ、中には、
インドから送られてきた象もいたのかも知れないし、良く分からないや。


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