12/03/23 07:14:19.42 0
アナスタシウス1世の治世が東ローマの最盛期
426:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/23 08:57:06.28 0
>>424
普通はバシレイオス2世になるでしょ。ユスティニアヌス1世は領土を広げこそしたものの、
逆に国力を疲弊させてしまったと言う人もいるし、彼の時代はまだローマ帝国最後の輝きという感じで、
ビザンツ帝国ではないと言う人もいる。ビザンツ帝国の最盛期と言えばバシレイオス2世の時代でしょ。
>>425
アナスタシウス1世は初期の東ローマ帝国の中ではかなり名君のほうだね。
ユスティニアヌス1世が広大な征服事業を行なえたのも彼のおかげと言われてるし。
427:世界@名無史さん
12/03/23 23:38:52.87 0
パレオロゴス朝でもマヌエル2世とかは時代が違えばうまくやってた気がする
428:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/23 23:46:28.74 0
>>427
ティムールとの戦いで疲弊したオスマン帝国を混乱させるために、
オスマン帝国内のスルタン位争いに介入したりするなど、外交手腕もそれなりにあるしね。
文化的にも名高いから、生まれる時代が違ったら名君だったと良く言われてるね。
429:世界@名無史さん
12/03/23 23:49:10.62 0
なんやこの糞コテ
まだ粘着してんのか
430:世界@名無史さん
12/03/24 02:51:10.93 0
「ビザンツ帝国は西ヨーロッパと違って古代のギリシア・ローマ文化を
水準を落とさずに維持していた」という
「ビザンツ先進国神話」が根強く残ってるな。
本当はそうじゃないんだろう?
431:世界@名無史さん
12/03/24 03:00:10.05 O
なぜそう思ったか書けよ
432:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 08:24:11.80 0
>>430
とりあえず、アンナ・コムネナはコンスタンティノープルにやってきた十字軍の連中を、
野蛮な連中みたいな感じで書いてるね。当時のビザンツ帝国には西欧よりも自分たちのほうが、
進んでるという優越感があったんだろうね。教科書などでは古代ギリシャやローマの学問は、
イスラーム圏に伝わり保存され、それが西欧に伝わりルネサンスになったと良く言われるけど、
ビザンツ帝国もその保存に役立った。特に文学面の保存はビザンツ帝国の功績が大きい。
これらの点を考えるとビザンツ帝国のほうが西欧より先進的というのもそんなに間違いではないでしょ。
433:世界@名無史さん
12/03/24 08:38:27.45 0
国民の半分以上が字を読み書きできて、ナイフとフォークで食事をし、お風呂にも入っている時点で、
同時期の西欧より洗練されていると思うけれど。
そういえば古代ローマ式の大浴場は姿を消してしまったけれど、市民達はどこで入浴したんだろう?
より小規模な銭湯が流行ったのか、自分の家に浴室があったのか。
434:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 09:23:33.66 0
>>433
神学論争もビザンツ帝国のほうがかなり広くで行なわれてたと言うしね。
基本的に先進的な社会だったことに異論はないね。
浴場については、自分の家で小さな風呂に入ってた程度なんじゃないかな。
ビザンツ帝国で小規模な銭湯があったという話はあまり聞かないし。
もしかしたら今のハマムみたいのが存在してた可能性も否めないけど。
435:世界@名無史さん
12/03/24 09:30:10.21 0
ビザンツじゃなくローマと言え
436:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 09:36:10.03 0
>>435
まぁ、自称はあくまでローマだけど研究者ですら「ビザンツ」という呼称を使ってるからなぁ。
ビザンツ帝国の魅力はローマ帝国と大きく変わりながらもローマ帝国の体裁を守ろうとした点だしね。
個人的には、ユスティニアヌス1世の頃ぐらいまではぎりぎりローマ帝国と言えるけど、
ヘラクレイオス以降はビザンツ帝国と言わないと違和感がある感じ。
437:世界@名無史さん
12/03/24 10:15:48.88 O
この板の書き込みでは「繁栄してたのは首都だけで、他のギリシャは停滞した
」みたいなのがよくあるが。
438:世界@名無史さん
12/03/24 10:30:46.28 0
「ローマ帝国史」という本が出るとしたら西暦何年から何年まであつかうつもりだ?
紀元前から1453年までか?うん?
439:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 10:41:02.14 0
>>437
まぁビザンツ帝国は首都一極集中型だったからそういう意見は一理あるけど、
コンスタンティノープル以外にもそれなりに大きな都市はあったよ。
有名どころだとテッサロニキやアドリアノープルとかかな。
440:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 10:42:54.59 0
>>438
本にもよるんじゃないかな。普通は西ローマ帝国の滅亡辺りで筆を終わらせるだろうけど、
場合によってはコンスタンティノープル陥落まで一気に書く本もあるかも知れない。
441:世界@名無史さん
12/03/24 10:52:29.92 0
国名は現代人が歴史をあつかうときに便利であるかどうかという一点で決められるべきで、
当時の人間がどう名のったかはその国名を決める際に考慮すべき一要素にすぎない。
ビザンツ帝国も含めてすべてローマ帝国という名前で呼ぶことに、何かメリットはあるのか?
あつかう時期が長すぎて何もメリットがないだろう。
それに比べれば、ビザンツ帝国という名前でそれ以前のローマ帝国と切り離して
あつかうほうが何かとやりやすい。
442:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 11:15:57.42 0
>>441
確かにローマ帝国でまとめると長すぎて研究するのも本を書くのも大変だ。
まぁ、ビザンツ帝国で分けても1000年近くあるから、扱う時期はどっちみち膨大な長さだけど。
それでも、古代と中世で分けることでそれなりに分かりやすくなることは確かだ。
443:世界@名無史さん
12/03/24 14:12:37.42 0
普通に東ローマ帝国と呼べばいいでしょうに
444:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 14:23:14.97 0
>>443
東ローマ帝国ではなくビザンツ帝国という呼称を多くの人が使いたがるのは、
この国が純粋にローマ帝国の延長にないということを強調したいからだと思う。
すなわちギリシャ化したローマ帝国なんだということを言いたいんだろうね。
東ローマ帝国という呼称だとどこで区切るべきかはっきりするけど(アルカディウス以降)、
ビザンツ帝国という呼称だとどこで区切るべきか学者の間でも意見が分かれるのが問題だね。
まぁ、僕個人は井上浩一氏と同じでヘラクレイオスの治世で区切るのが好きなんだけど。
445:世界@名無史さん
12/03/24 14:26:14.18 0
>>444
本来はローマ建国以来変化ない時期などないんだけどね。
極論すれば今のアメリカもローマの後継者と思っているフシがある以上ローマは続いていると言えるのかも。
446:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 14:35:11.72 0
>>445
確かにローマ建国以来常に変化してはいるんだけど、後世の西欧人が、
ネガティブな意味も込めてビザンツ帝国と古代ローマ帝国を分けてしまった。
そして、後に研究家たちがそこにポジティブな意味も付け加えたけど、
それでもビザンツ帝国の特異性を表すため、呼称自体は変えずに置いといた。
まぁ、僕自身はビザンツ帝国という呼称もそんなに悪くないと思うけどね。
コンスタンティノープルが陥落した後もオスマン帝国やロシア帝国が、
ビザンツ帝国の後継を名乗ったこともあるからね。そういう意味では確かに、
ローマ帝国は今でも滅んでないと言えなくもないのかも知れない。
447:世界@名無史さん
12/03/24 14:36:46.92 0
ビザンツ帝国時代に「東の」ローマ帝国とするのはどうなの。
単にローマ帝国と呼ぶのが普通だったじゃないの?
当時の人間の呼称に従うなら東をつけるのもダメだと思う。
448:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 14:38:37.70 0
>>447
ビザンツ帝国のイデオロギーとしては西ローマ帝国が滅んだ時点で、
東西ローマ皇帝の称号をビザンツ皇帝が持ってることになるからね。
そういう意味では「東」すら付けてはいけないことになるのかな。
あくまで当時の人々の呼称に従うのならという前提だけど。
449:世界@名無史さん
12/03/24 16:17:58.79 0
>>447
現代人が南宋と呼ぶからといって、正式な国号が南宋だったわけでない。それと同じだろう。
450:世界@名無史さん
12/03/24 16:31:31.08 O
NHKで見ただけだが、バルカン半島のどこかの正教会の教会が堂々とビザンチンの国旗を飾ってビザンチンはまだ滅んでないって言ってたわ。精神面的な意味だったと思うが理由は忘れた。
451:世界@名無史さん
12/03/24 17:00:16.10 0
>>449
東ローマ帝国もビザンツ帝国も当時の人の呼称じゃないじゃん。
ならどっちで呼ぼうが同じようなものだろ。
ビザンツ帝国でなく東ローマ帝国と呼ぶべきという根拠はどこにもとめられるのだ?
ローマってついてれば満足というわけでもあるまい。
452:世界@名無史さん
12/03/24 17:17:25.02 0
いつからビザンツなのか定義が適当だからウザいんだよな。
東西分裂前、ビュザンティオンに遷都した時からビザンツ帝国とか、
定義がはっきりしてれば良いのに、何時の間にか
東ローマ帝国からビザンツ帝国に変わってるのが腹立つ。
453:世界@名無史さん
12/03/24 17:47:07.47 0
ヘラクレイオスとか、スラブ人進入時とか。
そういえば、スラブ人追い出してから、
ギリシアの都市は「ポリス」でなく「カストロン」というものになって、
文化程度はひどく落ちたらしい。
454:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 17:48:49.74 0
>>450
へ~。どこの国だろう?
まぁ、正教会はビザンツ帝国によって発展したと言っても過言ではないから、
彼らがビザンツ帝国に帰属意識を感じ、ビザンツ帝国は滅んでないと言うのも分からなくはないけど。
>>452
そうなんだよね。僕はビザンツ帝国という呼称のほうが好きなんだけど、
どこで区切るのかという定義が一定しないのがこの呼称の問題点だ。
東ローマ帝国という呼称ならば東西分裂時から始まるというふうに定義できるけど、
ビザンツ帝国という呼称だとそれがはっきりしない。あなたの言うように、
それより前のコンスタンティノープルに遷都した時からビザンツ帝国だという人もいれば、
それより後のヘラクレイオスの時代からビザンツ帝国だという人もいるからね。
まぁ、個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが気に入ってるんだけど、そこは人それぞれだ。
ビザンツ帝国史の概説書を見ても本によっていつの時代から記述が始まるかでバラつきがある。
455:世界@名無史さん
12/03/24 17:51:47.15 0
文化的な影響があるから、と言う程度で後継国家になれるのなら
西欧も東欧もみんなエジプトの後継国家になるな。
456:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 17:53:46.68 0
>>453
井上浩一氏はスラヴ人の侵入でギリシャの都市が変化したことが、
その後のビザンツ帝国の性格を特徴づけたみたいなことを言ってるね。
今までのポリスを単位とした古代の個人主義的な都市社会から、
首都コンスタンティノープルの皇帝を中心とした一元的な社会に変わった。
457:世界@名無史さん
12/03/24 17:57:54.19 0
ギリシアも帝国の「辺境」に位置づけられたわけだな。
458:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 18:15:16.30 0
>>457
そんなところだろうね。ビザンツ帝国は基本的に皇帝中心の国だった訳で、
ギリシャもあくまで皇帝の下に治められる一地方に過ぎなくなった。
都市ごとの自治が消えていって中央集権化が強まったと言えるね。
459:世界@名無史さん
12/03/24 19:03:49.79 O
現在のギリシャの惨状のタネはこの時に播かれたわけか。
460:世界@名無史さん
12/03/24 21:54:46.36 O
450だがちょっと気になって自分で調べてみたがアトス自治修道士共和国だったぽい。ここの国章はビザンチンのままで今でも自治が認められてるらしい。
461:世界@名無史さん
12/03/24 22:00:07.98 0
アトス山?
462:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 22:24:49.19 0
>>460
なるほど、アトス自治修道士共和国か。アトス山はビザンツ帝国中期から、
ギリシャ正教の修道士にとって欠かせない場所になってたからね。
今でも双頭の鷲を国章にしてるとは知らなかったなぁ。
ビザンツ帝国だとニケフォロス2世なんかが特にアトス山を支援してたね。
463:世界@名無史さん
12/03/24 22:41:09.14 0
>>459
ペリクレスやらレオニダスやらの頃にすでに播かれていた気がする。
464:世界@名無史さん
12/03/24 22:59:28.73 0
>>462
ビザンツじゃなくローマか東ローマといえ
465:世界@名無史さん
12/03/24 23:27:09.29 0
個人的にはヘラクレイオスの前後で東ローマかビザンツを使い分けてる
ヘラクレイオスからは領土も減ったしギリシャ化したし
466:世界@名無史さん
12/03/24 23:34:35.50 O
>>463
なんで?
467:世界@名無史さん
12/03/24 23:58:28.12 0
>>466
労働意欲や責任転嫁などは古代のポリスからの伝統だろう。
468:世界@名無史さん
12/03/25 00:10:52.97 0
ギリシャ市民ってのは特権階級で貴族階級で戦士階級だぞ。
現代の一般の国民とは全く異なる存在だ。援用できない。
469:世界@名無史さん
12/03/25 01:44:32.24 0
古代ギリシアの高い文明は奴隷制によって支えられていたから、
奴隷制が崩壊したら、自然と高い文明も失われたのだろうか。
470:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/25 09:03:22.06 0
>>464
そこら辺は個人の自由だと思うよ。専門の学者ですらビザンツ帝国という呼称を使ってるし。
個人的にはギリシャ化したローマ帝国というところが好きなのでビザンツ帝国と呼びたい。
>>465
僕も個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが好き。彼の時代にイスラーム帝国が、
侵入し領土が大幅に減少したからね。この頃に公用語がギリシャ語に変わったそうだし。
471:世界@名無史さん
12/03/25 11:28:26.20 0
また呼称問題か、何回繰り返すんだ
古代ローマですら王政時代とか共和政期とか元首政期とかいろいろ分別しているんだから
ただのローマじゃ長すぎてどの時代の話したいのかわからんだろ、2000年以上あるんだぞ
例)ローマ軍は徴兵された市民からなる歩兵の小集団主体だよな
1.いや密集陣形ファランクスだろ(ケルト襲来以前の王政・共和政ローマ)
2.徴兵じゃなくて志願兵だろ(マリウス以降)
3.そもそも歩兵主体じゃねーだろ(帝政後期以降)
4.ほとんど傭兵しかいねーよ(ビザンツ後期)
5.ローマ軍?そんなんいるなら余の首刎ねろよ(コンスタンティノス11世)
みたいになるだろ
472:世界@名無史さん
12/03/25 11:51:03.56 O
ビザンツは当然のようにギリシアとローマを自身のルーツとして扱っているが、
正史ではギリシアはアレクサンドロス、ローマは帝政期しか扱わなかったらしい。
こういう考え方により、ギリシアは衰退したんだろう。
473:世界@名無史さん
12/03/25 12:09:06.77 0
テマがあるのに中央集権で首都だけに一極集中、
というのがよくわからん。
474:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/25 13:04:40.21 0
>>471
確かにローマ帝国はいつだって変化してる訳だからね。
ビザンツ帝国への変化もその1つと捉えられなくもないか。
ただ、西欧が西ローマ帝国の滅亡でローマ帝国の歴史を終わらせ、
それ以降のビザンツ帝国の歴史をネガティブな意味で捉えてたことが、
ビザンツ帝国を独自なものとして扱うようになった原因なんだろうね。
今ではもうビザンツ帝国へのマイナスイメージ払拭が盛んになってるけど、
それでもビザンツ帝国という呼称そのものはまだなくなってない。
>>472
ビザンツ帝国の想定するローマ帝国は皇帝による専制支配がされてる国であり、
共和制期はそういうビザンツ帝国のイデオロギーには適さなかったんだろうね。
だから、ビザンツ帝国では帝政期以前のローマ帝国は良く扱われなかったんだろう。
>>473
時代にもよるからね。7世紀頃だとビザンツ帝国はかなり危機に陥ってた時期で、
中央政府の力も衰えてた。だから、テマ制というものが成立したんだしね。
9世紀頃からビザンツ帝国の国力が回復するようになると、中央の官僚機構も整備され、
皇帝の専制支配が強まった。もっと後になるとテマ制を支えてた自立農民の力が弱まり、
貴族が登場するようになるから、皇帝の専制支配の形もまた変わることになるんだけどね。
475:世界@名無史さん
12/03/25 13:24:51.01 0
専門の学者だからビザンツって呼ぶんだよ。「ビザンツ」は歴史用語。
>>471の言うとおり。
中華史だってそう。
「東晋は東晋なんて自称してないから晋と呼べ!」とか「蜀漢じゃねーよ、漢って呼べ」って
専門家がほざいてたら論文の一本も書けんだろ。
476:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/25 13:29:01.49 0
>>475
確かに、専門家が歴史を書く上でビザンツ帝国という呼称を便宜的に使ってる訳だからね。
わざわざ当時の自称で呼ぶ必要性は全くないんだし。
477:世界@名無史さん
12/03/25 17:32:36.69 O
分裂前か神聖ローマかよくわからんし
分裂前とは全然違うしビザンツの方がいい
478:世界@名無史さん
12/03/25 18:48:28.89 0
さすがにローマと言われて神聖ローマを第一に思い浮かべる奴はそうそうおらんやろ
479:世界@名無史さん
12/03/25 23:10:57.52 0
もし西ヨーロッパも西ローマ帝国が存続するとかで、
首都ラヴェンナだけに全ての富が運ばれる中央集権国家になれば
ビザンツ程度の繁栄は出来たんじゃないの?
他のところは停滞する一方だろうが。
480:世界@名無史さん
12/03/26 22:06:08.95 0
なんでコムネノス家は同じ東ローマのくせにラスカリスやパレオロゴスと仲良くしなかったんだ
481:世界@名無史さん
12/03/27 12:06:22.38 0
>>473
テマができ、その中で大土地所有者が台頭して貴族になる。
↓
11世紀の危機からコムニノス朝成立に至る流れの中で大貴族達が帝都へ移住。
↓
自分達の領地を単なる属州、収奪の対象としかみなさなくなる一方で、その富を帝都で散財するから帝都はますます大きくなる。
ざっとこんな感じで根津先生が新刊の中で説明してた。
482:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 12:42:42.91 0
>>481
その新刊、興味あるなぁ。コムネノス朝は貴族との連帯関係を保持することで、
ビザンツ帝国の国力維持を図ってたからね。それが首都への集中にも繋がったのか。
483:世界@名無史さん
12/03/27 14:49:07.60 O
>>481
テマが成立してそれが細分化されていくまでの時期に帝国はテマの連合国家
みたいな様相だったのにもかかわらず、コンスタンティノープルが帝国の
中心としての求心力を保ったことに俺含め>>473は疑問を持っているんじゃない?
テマを地盤にして反乱を起こした者達は外部勢力の支援を得つつも、
帝国から独立しようとせずに、あくまで皇帝を名乗り、帝国という枠組みから分離しようとしなかったし
484:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 15:30:03.64 0
>>483
テマはもともと自立農民の成立を背景にできたものなので、
初期は貴族が強い力を持ってなかった。だからこそ、皇帝に権力が集まり、
高度な官僚機構ができあがったんじゃないかな。10世紀頃には逆にテマから、
大土地所有者が現れ始め、貴族制ができてきたけど、今度は逆にこのことが、
貴族連合制による皇帝中心の新たなビザンツ帝国の体制を作ったんだと思う。
こういうふうに、ビザンツ帝国は形を変えながらも中央集権制を保ってきた。
それがコンスタンティノープルが求心力を保ち続けた理由だろうね。
皇帝の権力が強いからこそ、地方の反乱者も自分たちが皇帝になることを望んでた。
後は、イデオロギーの問題もあるかな。ビザンツ皇帝は地上における神の代理人とされてた。
ローマ帝国の頃の帝政イデオロギーにキリスト教的なイデオロギーが加わることで、
皇帝の専制政治をより強めることになったんだと思う。
485:世界@名無史さん
12/03/27 16:18:38.64 O
>>484
>テマはもともと自立農民の成立を背景にできたものなので
ナニイッテンダ?
初期のテマの成立(or設置)の主因は対外的な危機と管轄地域の防衛のためでしょ
(小アジア西部のテマの名前がトラケシオイ、東部のがアルメニアコイなのは、軍団が移動して配置転換されたから)
それに、後期ローマの行政組織と違ってテマのストラテーゴスが軍民両権限を握っていた上に、軍事力を担っていたのは地元の自営農民層なのに
>皇帝に権力が集まり、
っていえないと思うけど
486:485
12/03/27 16:27:57.71 O
>>484
ナニイッテンダ?などと言ってごめんなさい確かにテマ制が機能するには自立農民の成立が背景にあったと考えられます
487:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 16:32:16.57 0
>>485
ごめん、確かにちょっと言葉足らずだったね。テマの具体的な成立背景は諸説あるけど、
確かに基本はあなたの言うように、ビザンツ帝国が危機に陥ったからだ。
ただ、その時にテマ(より正確に言えば、テマの持ってた軍事力)を支えてたのは、
自立農民だったのでそのことを指して、テマは自立農民の成立を背景にできたと言ってしまった。
テマの成立が自立農民によるものと言ってるのではなく、テマを支えたのが自立農民という意味。
>軍事力を担っていたのは地元の自営農民層なのに
これから述べることは僕個人の推測もだいぶ入ってるので断言はできないけど、
自営農民が力を握ってたからこそ、貴族に権力が集まらなかったんだと思う。
そして、自立農民は個々人はそこまで大きな規模でもないので、
彼らだけでは帝国から独立するほどの力もなかったように思われる。
時代が下るにつれテマは細分化されていくので、その傾向はより強まった。
ビザンツ帝国では9世紀頃から徐々に国力を回復してく訳で、
貴族の力がこのような背景で弱まってたビザンツ帝国において国力を高めるには、
テマの支持を背景とした中央集権的な皇帝権力と官僚機構が重要だったんじゃないかな。
テマの台頭が貴族の力を弱くし、個々のテマを細分化することで中央に権力を集めやすくなった。
まぁ、後期にはビザンツ帝国でも貴族が台頭するから、事情もまた変わるんだけど。
他には、さっきも言ったけどビザンツ帝国の持つキリスト教的イデオロギーも一因かな。
488:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 16:33:54.71 0
>>486
うん。まぁ、そういうこと。正直、テマの成立についてはビザンツ帝国の人ですら、
謎だと言ってるぐらいで、詳しいことは何も分かってないんだよね。
それだけ7世紀のビザンツ帝国は危機に陥ってたということなんだろうけど。
489:世界@名無史さん
12/03/27 22:46:40.12 0
ムハンマドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない
490:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 23:51:57.62 0
>>489
マヌエル2世の有名な発言だね。前に現教皇のベネディクト16世がこれを引用し発言したことで、
ちょっとした問題になってた。まぁ、マヌエル2世の時代はオスマン帝国にかなり圧迫されてたから、
こういう発言したくなる気持ちは分かるね。バヤズィト1世は結構好戦的なスルタンだったし。
491:世界@名無史さん
12/03/28 00:47:12.76 0
>>490
マヌエル2世というとポルトガル最後の王様を思い出す。
492:世界@名無史さん
12/03/28 08:07:58.14 O
各テマを本拠地にしつつ、首都で交易や技術学術の交換を行えば良かったが、
ただの浪費や権力闘争の場としか見てなかったわけか。
493:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/28 09:16:09.39 0
>>492
それだけビザンツ帝国の皇帝のイデオロギーが大きかったのかも知れない。
各地のテマを本拠地にするよりも、あくまでテマは帝国で出世するための足がかりに過ぎず、
中央でのし上がることのほうが多くの人にとっては魅力的に見えたのかな。
ビザンツ帝国では皇帝になるために反乱やクーデター起こしてる例がかなり多いし。
494:世界@名無史さん
12/03/28 10:11:56.00 O
ドイツの「イタリア政策」と近いのか?
中央志向なところは
495:世界@名無史さん
12/03/28 19:55:06.47 O
この国は版図の変遷が激しいんだよなぁ
でかくなったと思ったら縮小したり最後はあんなに小さくなるし
496:世界@名無史さん
12/03/28 20:49:38.86 0
トレビゾンド帝国の血はサファヴィー家につながっているから、サファヴィー家の末裔はトレビゾンド帝国皇帝の継承権も持っていることになるね。
497:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/28 21:42:52.83 0
>>495
個人的には、その変化の激しさがビザンツ帝国の魅力なんだけどね。
何度か大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら1000年も生き延びてきた。
>>496
確かにそうだね。面白い観点だなぁ。サファヴィー朝の末裔って今も生き残ってるんだっけ?
まぁ、もし生き残ってたとしたらローマ皇帝の血統が今まで残ってることになるんだけど。
498:世界@名無史さん
12/03/28 22:18:07.92 0
パレオロゴス家が残ってるのは有名だが
コムネノス家が残ってるのは興味深いね
499:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/28 23:28:25.06 0
>>498
パレオロゴス家はコンスタンティノープル陥落前後にヨーロッパ各地に亡命したからね。
モレアス専制公のトマス・パレオロゴスなどが有名かな。コムネノス家もこんな感じで残ってるかもね。
500:世界@名無史さん
12/03/28 23:55:24.23 0
>>497
ローマ皇帝の末裔って西のハプスブルク、ヴィッテルスバッハ、ナッソー(オラニエ)に東の継承者(ロマノフ、オスマン)もご健在ですよw
501:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 00:06:54.39 0
>>500
う~ん、そういうのじゃなくて、なんて言うかな・・・・・「正当な」と言うと語弊があるけど、
コムネノス家やパレオロゴス家みたいな、ビザンツ帝国時代の皇帝の血を引く存在という意味。
まぁ、誤解を招く言い方だったのなら、「コムネノス家の末裔」というふうに言い換えるよ。
502:世界@名無史さん
12/03/29 01:00:27.84 0
「誰でも肯定になれる」制度だったから、皇位継承の争いがひどくなった、
とは聞く。
独特な継承方法だよな。
広い親族のなかから勝ちあがったものが継承する、みたいな。
503:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 07:46:53.82 0
>>502
ビザンツ皇帝は建前だけでも市民と元老院と軍によって選ばれた皇帝というのを守ってたからね。
実際は皇帝による完全な専制政治でも、ローマ帝国としての建前だけは残しといた。
だから血は関係なく、市民たちの支持さえあれば誰でも皇帝になれるということだったんだろうね。
バシレイオス1世みたいに農民から皇帝にまで成り上がったような人までいるのがこの国の面白い点だ。
こういうシステムが、皇帝になるためのクーデターや反乱を多くしてる要因かな。
歴代ビザンツ皇帝には畳で死ねてない皇帝がかなり多くいる。
504:世界@名無史さん
12/03/29 08:19:54.07 O
フランスやイングランドは王権が安定してたから発展できた。
505:世界@名無史さん
12/03/29 10:06:49.19 0
wikipediaのコピペしかレスしない糞コテはいい加減消えてくれ
506:世界@名無史さん
12/03/29 10:54:35.84 0
>>503
そりゃビザンツ帝国に畳はないだろw
>>504
イギリスの王など近代初頭までどう見ても安定しとらんが・・・
本当に安定したのはジョージ1世以降だろ。
507:世界@名無史さん
12/03/29 11:04:58.02 O
イングランドは島国だから、大陸の戦争と距離を置けた。
508:世界@名無史さん
12/03/29 11:18:47.34 0
バイキングに荒らされたあとはフランス領になってるし、
百年戦争のあとはバラ戦争、
名誉革命のあとは独立直後のオランダとやりあってる。
>>507はそこからあとの話だ
509:世界@名無史さん
12/03/29 12:18:54.87 0
ビザンツはみんなが読み書きできたから発展できた。
ラテン人の蛮族共にはそれが文弱に映ったようだけれど。
510:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 13:20:13.24 0
>>506
「畳の上で死ねてない」だね、正確には。まあ、分かってて言ってるんだと思うけど。
ビザンツ帝国ではクーデターや反乱で殺されてる皇帝が結構多いからね。
>>509
市民のレベルが高かったことは言えるだろうね。ビザンツ帝国では古代の文学が、
多く保存されたらしいけど、それを多くの人が読めるだけの下地があった。
511:世界@名無史さん
12/03/29 20:08:54.15 O
国民は一流でも、貴族は五流くらいか。
西欧は国民も貴族も二流くらいだったんだろう。
512:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 20:16:16.78 0
>>511
ビザンツ帝国も後期にはだいぶ貴族が台頭してたけどね。コムネノス朝なんかは、
まさにそういう貴族との連帯関係によって成立した王朝だと言えるし。
513:世界@名無史さん
12/03/30 00:58:03.65 O
西欧の貴族は中央志向が無く、
地元の開発に熱心だったのか?
514:世界@名無史さん
12/03/30 10:06:19.55 0
そりゃまあ、封建制最盛期の中世貴族(諸侯・城主)は、自分の領土が
自己の権力に直結するから、独立・分権志向になるのは仕方ないわな
515:世界@名無史さん
12/03/30 19:51:06.76 0
ああああカール大帝の載冠を妨害して失敗させたい
バルバロイの分際でローマ帝国を名乗るのが許せない
ああああ何が西ローマ帝国の復興(核爆)だよ
歴史上で一番嫌いな出来事は第4回十字軍とこれだわ
516:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/30 21:23:00.64 0
>>515
まぁ、カール大帝が戴冠した頃のビザンツ帝国は、とてもじゃないけど戴冠を防げるだけの、
国力はなかったからね。文句言うのだけで精一杯だった。当時のビザンツ皇帝が女性だったことも、
彼の戴冠を正当化させる根拠になってしまった。エイレーネーはそれ以外にもあちこちで失政が目立ち、
人気のない皇帝だったしね。カール大帝の戴冠は西欧におけるビザンツ帝国の影響を弱めることになった。
517:世界@名無史さん
12/03/30 22:10:37.84 0
まあビザンツも国力落ちてたしある程度は
仕方ないよね
518:世界@名無史さん
12/03/30 22:28:58.88 0
末期のビザンツはとても悲しいんだよなぁ
マヌエル2世とかはフランスやイングランドまで長旅をしたけどかつてのような征服とは全く理由も違うし悲しい
519:世界@名無史さん
12/03/30 22:35:50.81 0
昔のビザンツの人にもさ、
昔はもっと版図広かったのにどうして今はこうなったみたいなこと思ってる人はけっこういたの?
520:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/30 22:36:42.99 0
>>518
マヌエル2世がフランスやイングランドまでわざわざ行ったのは滅亡しないために、
援助を求めようとした結果だからね。ビザンツ帝国の凋落がうかがえる。
しかもイングランドもフランスもわざわざ遠くのオスマン帝国を敵に回す理由はないので、
結局マヌエル2世のこの旅は徒労に終わってしまった訳だし。
521:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/30 22:42:53.86 0
>>519
そりゃ、いただろうね。マヌエル2世なんかはそんなこと思ってそうだ。
末期のビザンツ帝国では自分たちはローマ人であるという建前も薄くなり、
ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンなんかは、我々はギリシャ人だと主張してる。
522:世界@名無史さん
12/03/31 00:10:34.76 0
クローヴィスはどうして皇帝を名乗らなかったんだろうな?
配下のローマ人達に選出させればよかったのに。
523:世界@名無史さん
12/03/31 12:16:00.01 O
西ローマを守ろうとせずむしろ足を引っ張り、ローマ教皇と対立する一因を作った東ローマが言えたものではないな。西方を守る実力もないから教皇がカール大帝に頼る方が当然。
524:世界@名無史さん
12/03/31 12:19:58.67 O
自分と敵対するうえ役に立たないビザンツよりはフランクを選ぶだろうね
でもなんでフランク帝国にしなかったわけ
525:世界@名無史さん
12/03/31 12:38:15.33 P
>>524
ローマ教皇も東ローマ帝国にドヤ顔決めたかったんだろう
もう俺達で勝手にやるって具合に
それに当時の「ローマ皇帝」が「キリスト教世界の守護者」を指していたから、教皇は自分らを護ってくれるフランクをローマ皇帝とすることができた
526:世界@名無史さん
12/03/31 21:59:30.75 O
コンスタンティヌスの寄進状って知ってる?
527:世界@名無史さん
12/04/01 10:06:27.53 P
何を言いたいのかは察するが、
その偽書もローマ教会が西方世界で独立しようとする一環だろ
528:世界@名無史さん
12/04/01 10:23:56.16 P
一環てかある種の切り札か
でもローマ教会が東ローマから決別しようとして、あるいは権威付けでそれを作ったのは事実でしょ
529:世界@名無史さん
12/04/01 22:44:06.70 0
Pってなんぞ
530:世界@名無史さん
12/04/03 09:46:29.22 0
>>524
当時の世界(西欧から地中海沿岸一帯)の常識として、帝国とはすなわちローマ帝国のことだから
皇帝として戴冠した以上、当然統べる帝国はローマに他ならない、という理屈
シュタウフェン朝の皇帝たちが、懲りもせずイタリアで教皇党とガチンコしていた理由の一つもそれ
531:世界@名無史さん
12/04/03 10:45:56.30 0
アンゲロス王朝はすごい
無能な皇帝ばかり輩出して
あれだけ短期間でビザンツをダメにするとは
532:世界@名無史さん
12/04/03 15:52:41.36 O
>>531
マケドニア朝とコムニノス朝で名君のストックを使い尽くしたから、充電期間だったんだよ。
533:世界@名無史さん
12/04/03 16:25:17.44 0
>>532
充電した割には、コンスタンティノープル奪回した辺りで力尽きたような
534:世界@名無史さん
12/04/03 17:58:58.60 0
ラスカリスの二代で終わりじゃないか
535:世界@名無史さん
12/04/05 23:19:44.88 0
この伸びはコムネノス朝二代の時のようなものか
536:世界@名無史さん
12/04/06 08:54:00.88 O
>>533
あの頃になると今度は国力がなぁ……。
イラクリオスやアレクシオスの頃でさえ、それなりにお金と軍事力があったわけだし。
名君を戴くだけでなく、国民がスタハノフ、商人がロックフェラー、学者がアインシュタイン、兵士がシモヘイヘ、将軍がハンニバル、
エンターティナーがプレスリーくらいじゃないとなにもない状況で再び大国にのし上がるのは不可能。
537:世界@名無史さん
12/04/08 08:51:02.92 0
>>533
充電期間ってイメージは無いな。
アンゲロス王朝になる前に敵を多く作りすぎた上に財政も厳しかったのは確かだが
国力が落ちた時に谷底に突き落としたダメ王朝としか思えない。
マヌエル1世が堅実だったらとつくづく思う
538:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/08 20:19:09.63 0
>>537
>マヌエル1世が堅実だったらとつくづく思う
マヌエル1世の時代のビザンツ帝国はちょうど国力が上り坂だったからね。
彼もある意味調子に乗ってたのかも知れない。コムネノス朝の前2代が、
ビザンツ帝国を再興したしね。まぁマヌエル1世も決して無能ではないんだけど。
539:世界@名無史さん
12/04/08 21:35:06.66 0
どこぞの遊ぶだけの皇帝よりはマシなんだけどね
でもあれだけ敵作ったのは失敗
540:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/08 21:53:58.72 0
>>539
確かにそうだね。それなりに軍事的成功もあるし、多方面に渡る外交政策を展開するなど、
色々と努力してる面は見られるんだけど、どうもそれが空回りになってる感じがしなくもない。
セルジューク朝、ヴェネツィア共和国、神聖ローマ帝国など、敵対国が少し多すぎる。
541:世界@名無史さん
12/04/09 02:00:41.03 0
落ち目の亡命政権なんかよりそれを食い物にするセルビア帝国や
カタルーニャ軍団・ナバラ軍団みたいなの冒険野郎どもの方がよっぽど面白い
542:世界@名無史さん
12/04/12 10:38:07.46 0
コリントス地峡なんか借金の片か何かでイタリアの銀行家に取られてたしな
543:世界@名無史さん
12/04/12 12:44:16.14 0
今のトレブゾンは国際都市になってるな。ぶっちゃけビザンツ時代より繁栄してるんじゃない?
544:世界@名無史さん
12/04/12 14:33:23.37 0
観光だけじゃなくて、なんか産業あるんだっけ?
545:世界@名無史さん
12/04/12 22:45:02.71 0
地の利によって港湾都市なのは昔と変わらんようやね
546:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/12 23:35:18.57 0
>>543-545
トラブゾンは今も昔も黒海における交易地であり、港湾都市として発展してたね。
僕もこの都市にちょっとだけ寄ったことあるけど、それなりの規模の都市だった。
地理的にはカフカスのほうとも近いので、カフカスとの交流も結構盛んだったね。
トレビゾンド帝国はグルジアなんかとかなり深い関係にあったらしいし。
547:世界@名無史さん
12/04/13 01:18:34.23 0
おつがいみせいねんなのにそういうところにいっているのはすごいな
548:世界@名無史さん
12/04/13 17:03:03.79 0
436 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [] 投稿日:2011/01/31(月) 23:56:38 0
>>431
僕はタバコならチェリーを吸っているよ。戦時中は敵国語ということで「桜」に改名されている。
>>433
飲酒はトルコなどでは飲酒文化などがある。僕はトルコワインを輸入して飲んでいる。
ケマル・アタチュルクは国営の醸造所を作っているし彼自身はラクという蒸留酒の愛飲者。
オツガイ is god
549:世界@名無史さん
12/04/13 17:44:44.62 0
コテとはいえ匿名だし、とくにリスクはないだろ
そもそも未成年のタバコや酒は違法でも、刑罰の上限は親の罰金(せいぜい1万)だけだし
ただ禁煙は早めに済ませるのを推奨する・・・・例えばヤニ嫌いな女を好きになったタイミングとかがいい
550:世界@名無史さん
12/04/14 16:20:22.17 0
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
僕たち純真無垢なアンゲロスブラザーズ!
人目につかないように亡国してあげるよ!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ ?γγελο?
(・∀・ ) ( ・∀・) ?γγελο?
/ \ / \ ?γγελο?
⊂( ヽノ つ ⊂ヽ/ ) つ ?γγελο?
し(_) (_)J
551:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/14 22:24:55.78 0
>>547
まぁ、トルコ旅行した時に少し寄っただけだけどね。そんなにじっくりいた訳ではない。
>>548-549
ていうか、それ僕のレスじゃなくて捏造だよ。僕は2ちゃんでそんなレスした覚えないし。
前にもそのコピペ貼り付けたやつにリンク先示してよと迫ったら、その後沈黙したから完全に捏造。
552:世界@名無史さん
12/04/15 05:59:43.61 0
なんだ、粋なガキだなと見直したのに
553:世界@名無史さん
12/04/18 17:04:34.28 0
1000なら俺以外ケソサソとSEX
554:世界@名無史さん
12/04/18 21:44:27.41 0
きも
555:世界@名無史さん
12/04/19 16:48:15.90 O
マヌエル1世が2世だったら良かったのに
556:世界@名無史さん
12/04/20 00:32:53.27 0
コムネノス朝の3代目がマヌエル2世だったらなあってこと?
557:世界@名無史さん
12/04/20 17:43:10.46 0
はい
558:世界@名無史さん
12/04/21 09:04:48.76 0
マヌエル2世も12世紀に生まれていたらどうなってたか分からないぞw
559:世界@名無史さん
12/04/21 10:40:47.36 0
アンゲロスブラザーズも12世紀に生まれていたらどうなったかわからない
560:世界@名無史さん
12/04/22 00:57:18.44 0
ミリオケファロン後でマヌエル1世が持ち直せなかったのは何故なのか
すぐ死んじゃった後に、典型的な内乱に突入したからなのか
561:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/22 04:19:38.82 0
>>560
最近は、ミュリオケファロンの戦い自体はそこまで大きな影響のあるような敗北でなかったと。
言われてるよ。マヌエル1世の場合、その敗北よりもさまざまな勢力を敵に回しすぎたことが、
結果的には後の衰退の一因になったんだと思う。内政はそれなりだけど外交が微妙という感じ。
562:世界@名無史さん
12/04/22 10:15:08.66 0
トレビゾンド帝国/東ローマ帝国にとって最終的な領土目標ってなんだったんだろう?
1)小アジア・バルカン(中世盛期領土)
2)小アジア・バルカン・シリア・エジプト・リビア(東西分裂当時の領土)
3)小アジア・バルカン・シリア・エジプト・リビア・マグレブ・イタリア・ガリア・イベリア・ブリタニア(ローマ全盛期の領土)
4)小アジア・バルカン・シリア・メソポタミア・エジプト・リビア・マグレブ・イタリア・ガリア・イベリア・ブリタニア(ローマ最大領土)
5)全世界
563:世界@名無史さん
12/04/22 11:14:25.39 0
名目上は地上の全世界の支配者ってことにはなってるけど・・・。
564:世界@名無史さん
12/04/22 11:27:23.65 0
>>560
・マヌエル1世の気力の減退
→イタリア政策の破綻とミュリオケファロンの敗北は、マヌエル1世の気力を削ぎ、
以後に打った手も空回りしてばかりになってしまった
・アレクシオス1世の代から始まっていた地方貴族勢力の台頭
→中央政権の統制力弱体化が進み、アレクシオス3世の治世下で帝国は空中分解寸前
・マヌエル1世による度重なる外征と大規模工事の連発で財政の急速な悪化
→まだ破綻にまでは至っていないが、帝国の余力は確実に無くなっている
・周辺諸勢力の強化と国際環境の悪化
→バシレイオス2世の頃とは比較にならないくらい、周辺国家や民族の勢力が増大している
東西南北で帝国との軋轢が増す中、外交政策の舵取りが困難を極めることになる
1177年にバルバロッサ・教皇・ヴェネツィア・シチリアが手打ちをしたのが痛かった
・後継皇帝の質的劣化と度重なるクーデター騒動
→幼いアレクシオス2世には何もできず、アンゲロス・ブラザーズは言うに及ばず
アンドロニコスは、改革を急ぎ過ぎて国内外に敵を作り帝国をさらに窮地に…
代替わりする度にクーデター騒動が起こり、止まらない出血のような人材の摩耗と、
先代皇帝の政策成果がクーデターの度にリセットされてご破算
565:世界@名無史さん
12/04/22 19:05:21.84 O
マヌエルが国力全部使ってしまった
パレオロゴス朝もできる人それなりに居るが内乱でおわり
566:世界@名無史さん
12/04/22 19:59:23.08 O
>>565
あなたの言う国力が純粋なGDPや財政状況、あるいは軍事力を指すのならば、それはリーリエ氏が否定している。
ただ、歴代皇帝の軍事的成功で築いた威信でもっていたコムニノス朝としては、
マヌイル帝の敗戦はまさに痛手だね。勝ってりゃ、マケドニア朝の再現もあったと思う。
イコニオンを奪回すれば、セルジューク朝の勢力は大幅に後退せざるをえないし。
567:世界@名無史さん
12/04/22 21:57:45.14 0
そもそもセルジューク朝と戦わず仲良くしてたらどうなっただろう
568:世界@名無史さん
12/04/23 01:41:39.02 0
>>567
そもそもセルジューク朝にビザンツと仲良くする必要性がない
569:世界@名無史さん
12/04/23 06:48:08.54 0
むしろイタリアに侵攻せずにセルジューク朝との戦いに力を入れていれば
西欧との関係もこじれなかった。
マヌエルには足元の小アジアを固めて欲しかった。
570:世界@名無史さん
12/04/23 09:04:29.46 0
そもそもユスティニアヌスがイタリアに侵攻せずにササン朝との(ry
571:世界@名無史さん
12/04/23 10:26:16.13 0
そもそもトライアヌスがダキアに侵攻せずにアルサケス朝との(ry
572:世界@名無史さん
12/04/23 11:16:44.17 0
>>568
サンギー朝やダニシュメント朝、十字軍国家をビザンツが動かしていたから、そうとも言い切れない。
一度はコンスタンディヌポリスまでスルタンが自ら外交に行ったこともあるわけだし。
このあたりがマヌイル帝の絶頂期だったんだろうな。
573:世界@名無史さん
12/04/23 11:27:59.80 0
そもそもアッバース朝のコンスタンティノープル遠征あたりを機会にビザンツがムスリムに改宗してれば
セルジューク朝と仲良くできてお互い東西に延びて幸せになれた
574:世界@名無史さん
12/04/23 11:30:52.50 0
あ、アッバースじゃなくてウマイヤ朝時代だった。失敬
575:世界@名無史さん
12/04/23 16:40:43.11 0
アッバース革命ならぬビザンツ革命が起きる予感♪
576:世界@名無史さん
12/04/23 16:44:32.74 O
ウマイヤ朝はアラブ人だけ免税だし改宗したくならない
正統カリフなら
577:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/24 00:07:13.86 0
>>566
ミュリオケファロンの戦い自体はそんなに大きな負けではなかったと最近は言われてるからね。
ただ、あなたの言うように外交的にはマヌエル1世の威信を大きく傷つけることになってしまったね。
彼はローマ帝国の皇帝としての権威を国際政治の舞台で利用することで、ビザンツ帝国の再興に、
努めてたから、ルーム・セルジューク朝への敗北はそういう意味では大きい。まぁ、それでも彼は、
外交的影響力を維持することを諦めなかったようだけど。そもそも、彼のこのような外交政策自体、
結果としてあまりにも多くの敵を作りすぎるものになってしまってるのであまり良いものではないね。
>>567
実際、マヌエル1世も初期はルーム・セルジューク朝と普通に友好関係を保ってたよ。
彼は基本的に西欧のほうに関心を大きく持ってたからね。それでも、やはり隣国なので、
次第に対立を深めることになっていき、とうとうミュリオケファロンの戦いで敗れてしまった。
578:世界@名無史さん
12/04/24 22:38:50.43 0
パレオロゴス朝もアンドロニコス2世とか抜いたらそれなりにできる人はいるけど争いが多すぎてその度にセルビア、オスマンに付け込まれてしまったんだよね
最後の三人は時代が違えば活躍出来ていただろうに
もうあれじゃどうしようもない
579:世界@名無史さん
12/04/24 23:45:00.44 0
>>578
フニャディが頑張ってくれれば、まだ目はあったのになあ
580:世界@名無史さん
12/04/28 22:14:08.50 0
あ
581:世界@名無史さん
12/04/29 17:44:38.86 O
十字軍は帝国の寿命を縮めたと言われるが、十字軍が無かったらもっと早く滅亡していただろう。
582:世界@名無史さん
12/04/29 22:17:33.27 0
十字軍がなかったら、
少なくともブルガリア・セルビアの台頭
エピルスの分離とそれに続くアルバニア人の独立
ボスニア・クロアチアをハンガリーに奪われる
などがもっと緩慢に進んだから、早くに滅亡というほどでもないような
if話は厳禁だけどなあ
583:世界@名無史さん
12/04/29 22:48:47.45 0
厳禁ではあるけど、ラテン帝国が無かったら・・・とは思う
まあどちらにしろ生き残るためとはいえプロノイア制に移行して地方分権が進んで皇帝権力が弱まった時点で
東ローマの強みは消滅してたし遅かれ早かれ滅亡はしただろうけどね
むしろその場合はもっと情けない終わりかたしてたかもしれんからこれでよかったのかもとは思う
584:世界@名無史さん
12/04/29 23:43:35.07 O
初期の十字軍がルーム朝を叩いてパレスチナに領国を建てて防波堤になった所迄は帝国に有益だった。
585:世界@名無史さん
12/04/30 03:36:00.95 0
URLリンク(jpddl.com)
586:世界@名無史さん
12/04/30 10:26:34.47 O
何故西欧はギリシアより発展したのか。
587:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/30 20:58:20.49 0
>>583
>プロノイア制に移行して地方分権が進んで皇帝権力が弱まった時点で
プロノイア制でもコムネノス朝みたいに上手く貴族との連合を保っておけば、
それなりの国力を維持することは可能だと思うけどね。同様に十字軍だって、
アレクシオス1世みたいに上手く利用すれば、必ずしもビザンツ帝国にとって、
悪いものにはならない。まぁ、ラテン帝国が滅亡を早めた面は否めないけど。
>>584
アレクシオス1世にとって十字軍は予想外の出来事であり快く思わなかっただろうけど、
結果的にはそれを上手く利用してビザンツ帝国に有益な存在にすることに成功したね。
まぁ、第4回十字軍の頃にもなると流石に有害な存在としか思えなかっただろうけどね。
588:世界@名無史さん
12/04/30 21:41:57.33 0
第四回とかイェルサレムに行く気ないだろ
589:3代100年
12/04/30 22:14:11.31 O
>>587
有能な皇帝を輩出した
小胸乃巣の一族だからこそイスラム、現地十字軍、
西欧十字軍との駆引きを
有利に進められたと思う。
590:世界@名無史さん
12/04/30 22:50:46.62 0
ラスカリス、パレオロゴスとはいったい
591:世界@名無史さん
12/05/02 10:42:39.44 0
ifになっちゃうが、奇跡的に十字軍・ブルガリア・セルビア・セルジュークを
ねじ伏せることに成功しても、東からモンゴルさんがやって来る以上
そんなに明るい未来にならなさそうな気がするw
592:世界@名無史さん
12/05/02 12:09:03.54 0
>>591
更にモンゴルをしのいでもティムールが襲ってくるw
593:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/05/02 17:14:09.38 0
>>589
コムネノス朝は基本的に有能な皇帝が多かったからね。
特にアレクシオス1世やヨハネス2世は優秀だったから、
十字軍などとの駆け引きも上手くいったんだろうね。
>>590
パレオロゴス朝もそれなりに有能な皇帝はいたけどね。
マヌエル2世なんて生まれる時代が良かったら名君と言われてるし。
>>591-592
史実では、ビザンツ帝国にとってモンゴル帝国やティムール帝国よりも、
ブルガリア帝国やセルジューク朝なんかのほうが厄介だったろうけどね。
モンゴル帝国はミカエル8世のおかげでそれなりに上手く扱うことができてたし。
ティムール帝国なんて史実ではむしろビザンツ帝国にとって天佑みたいになってる。
オスマン帝国がアンカラの戦いで敗れたおかげでビザンツ帝国はわずかながら延命した。
594:世界@名無史さん
12/05/02 17:27:59.68 0
50年だけ
595:世界@名無史さん
12/05/02 17:57:04.81 0
パレオロゴス朝は有能無能以前に内乱多すぎ
596:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/05/02 17:57:55.57 0
>>594
まぁ、確かにたった50年程度の延命だけどね。
アンカラの戦いでオスマン帝国は大ダメージを被り、しばらく混乱したけど
結局しばらくしたら国力を回復し、コンスタンティノープルを陥落させるにいたった。
マヌエル2世はアンカラの戦いで混乱に陥ったオスマン帝国のスルタン争いに介入し、
ビザンツ帝国を延命させることに成功したけど、これも結局はあまり長く続かなかった。
息子のヨハネス8世も同じことをやろうとしたけど逆にオスマン帝国の圧迫を強めてしまったし。
597:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/05/02 18:05:35.20 0
>>595
内乱自体は他の王朝でも多かったけどね。確かにパレオロゴス朝はとりわけ多い。
祖父と孫の2人のアンドロニコスが争ったり、カンタクゼノス家のヨハネス6世が現れたりと、
とにかく内乱が多い。それがビザンツ帝国の国力を衰退させることになったと言えそうだ。
もっとも、パレオロゴス朝に限らずビザンツ帝国では皇帝を巡る争いはかなり多いんだけど。
598:世界@名無史さん
12/05/02 22:25:39.54 0
皇帝気に食わなきゃぶっ殺して俺がなってやるー
ってのは古代ローマ帝国からの伝統だから仕方ないのかね
まあそれが滅んだ要因でもあるなら有る意味本望だろうw
599:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/05/02 23:27:15.53 0
>>598
ある意味、実力さえあれば誰でもクーデターを起こして皇帝になれたという点では、
実力主義という見方もできなくはないのかも知れないね。しばしばビザンツ帝国では、
皇帝権力がかなり強かったと言われるけど、だからこそ皇帝の地位は不安定でもあった。
下手したらクーデターによって廃位される危険性を常にはらんでた訳だからね。
600:世界@名無史さん
12/05/03 11:51:38.11 O
600ゲトー
601:世界@名無史さん
12/05/04 23:17:58.79 0
規制
602:世界@名無史さん
12/05/10 21:29:00.42 0
アンドロニコス
603:世界@名無史さん
12/05/12 19:02:18.26 O
バシレイオス二世が貯めた富をまともな目的に使ってほしかった
604:世界@名無史さん
12/05/14 17:56:35.28 O
>>603
弟君が政府支出として市民に還元したじゃないか。
ケインズ政策だよ。
605:世界@名無史さん
12/05/21 19:09:36.54 O
ビザンツ帝国スレは滅亡しました
オスマンさんありがとう
606:世界@名無史さん
12/05/21 19:29:10.07 0
ビザンツは永遠に不滅です!
ってことで、コンスタンティノープルを奪還した国が
正式なローマの継承国な。
607:世界@名無史さん
12/05/21 19:53:07.74 0
オスマンから主権を奪ったケマルのトルコがローマ継承国…?
608:世界@名無史さん
12/05/21 22:38:55.96 0
イスラム教徒はノーカウント。
カトリックも侵略者。
東方正教会のみ可。
609:世界@名無史さん
12/05/22 11:41:03.61 O
じゃあ、スラヴ人かギリシア人か。
610:世界@名無史さん
12/05/22 16:44:15.22 0
オスマンをぼこぼこにしたロシア帝国
611:世界@名無史さん
12/05/22 19:44:37.49 0
ローマ帝国の後継者はギリシャだけ
今のギリシャは亡命帝国みたいなもの。コンスタンティノポリス奪回!
612:世界@名無史さん
12/05/22 22:19:31.82 0
小アジアも奪還だ
613:世界@名無史さん
12/05/22 22:53:13.58 0
日本は室町、江戸と地方分権が進んで発展したのに
なぜビザンツは衰退したの?
実はプロノイア時代は地方が進歩した時代だったとか?
614:世界@名無史さん
12/05/22 23:03:41.94 0
>>613
モレアスとかはそうかもね。
615:世界@名無史さん
12/05/23 00:01:55.75 0
条件が違うからじゃないかな
周囲を海に囲まれて外部勢力との接触が少なく発展に時間をかけられた日本と、
文明と民族の十字路に居を構えて周辺勢力との軋轢に力を割かなければいけないビザンツ帝国では。
616:世界@名無史さん
12/05/23 05:28:30.78 0
異民族の流入の有無が大きいな。
弥生時代以来、ほとんど流入のない日本や
中世初期には異民族の流入が止まった西欧は
例え弱体化する時代があってもいずれ立ち直る。
ところが、ビザンツのように疫病・戦乱で弱ってる時に
異民族に大量流入されると土地をそのまま乗っ取られてしまうんだ。
617:世界@名無史さん
12/05/23 08:35:02.90 O
四方敵だらけだからな
618:世界@名無史さん
12/05/23 12:25:43.24 0
トルコ人、セルビア人、ブルガリア人
619:世界@名無史さん
12/05/23 21:01:17.55 O
暗殺と陰謀に向けるエネルギーを別の所に使うべき。
620:世界@名無史さん
12/05/24 18:55:28.20 O
アンゲロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
621:世界@名無史さん
12/05/25 14:39:29.02 0
改めて地図を見ると、バルカン半島キツいな。
ルーマニア平原が黒海沿岸低地やカスピ海沿岸低地を通じて
中央ユーラシアの草原地帯と完全に繋がっとる。
遊牧民がコンニチハしてくるわ。
622:世界@名無史さん
12/05/25 15:38:04.71 O
アナスタシウス一世は追っ払たのに
623:世界@名無史さん
12/05/25 19:44:54.30 O
>>621
もともとギリシア人も中央アジアの蛮族だったが、
例外的・奇跡的に更正した。
624:世界@名無史さん
12/05/26 09:52:51.67 O
>>622
むしろ毎年のように侵入されて首都の西に長城築くことになったりヴィタリアヌスに反乱起こされたりしたけどね
625:世界@名無史さん
12/05/26 10:22:01.42 0
【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
スレリンク(whis板)l50
626:世界@名無史さん
12/06/02 22:12:42.74 O
もうこのスレも駄目だな
627:世界@名無史さん
12/06/04 01:42:55.32 0
誰もがそう思ったその時、カルタゴから英雄の名を持つ男が・・・
628:世界@名無史さん
12/06/07 17:28:17.96 0
すっごぉ~いッ!
何回も失策しながらも皇帝をやめないッ、イサキオスーッ!
なんという低脳 なんという浅知恵 まるで猿ですッ!
飛び出したのは…アレクシオス!
ぬけたァーッ、単独走ですッ!
華麗だ、相変わらず華麗な裏切りっぷりッ!
滅亡!
やったァー、コンスタンティノポリスを滅亡させましたァーッ!!
アレクシオス「やったなイサキオス、またまた僕らのコンビで勝負を決めたな!」
イサキオス「うん! アレクシオス、見事だったよ、君の謀反は!!」
アレクシオス「ありがとう! だがイサキオス、君の愚策あっての滅亡さ!!」
イサキオスはアレクシオス5世によって殺される予定!
かたやアレクシオスは依然として生き続け娘婿の足をひっぱり続けます!
この東ローマ帝国崩壊ももこの二人あっての快挙!
まさに我が国の汚点!! カリギュラより最悪です!!
629:世界@名無史さん
12/06/11 12:03:30.89 O
>>628
それを見ていつも思うんだ。
どちらも1世の方はまともなのに、ってね。
630:世界@名無史さん
12/06/11 22:17:13.22 0
こいつらは無能なくせにやる気あるから困る
631:世界@名無史さん
12/06/14 18:28:43.85 0
しかし、このアンゲロス・ブラザーズは現代の欧州王室の大半にとってご先祖様なんだぜ
子孫からすれば、アンゲロス・ブラザーズよりアレクシオス1世やテオドロス1世の
末裔と呼ばれた方が気分はいいだろうがw
632:世界@名無史さん
12/06/14 20:36:04.60 0
>>613
12世紀以降のビザンツは地方分権による経済損失をまかなう為に銀行制度の発達と
遠距離貿易を主眼に置くようになっていた。実際にビザンツの使節は東南アジアにまで
達しており、スマトラ島でもビザンツのコインが発見されている。
ただしこれらの政策は「王室がユダヤ教に改宗した」との噂の元ともなり、長期的には
貴族層の離反を招くことになった。
633:世界@名無史さん
12/06/15 21:38:19.30 0
バシレイオス2世は、ヨハネス1世ツィミスケスの路線を継いでファーティマ朝打倒を何故行わなかったのだろう?
ヨハネス1世の代でメソポタミア北部を占領。さらに翌年にはシリア・パレスチナへ遠征し、
ダマスカスなどのシリア諸都市やナザレなどのパレスチナ地方を占領、エルサレム郊外にまで兵を進めている。
ヨハネス1世は、アルメニア王アショット3世に対し
「全フェニキア、パレスチナ、シリアはサラセン人の軛から解放され、ローマ人の支配を認めた」と書き送っているぐらいだ。
この頃が東ローマの最盛期なので、エルサレムはもちろん、シナイ半島まで突き進んで一気にエジプト侵攻も出来たと思う。
約100年後の十字軍はそれをやっているわけだし、この時期にパレティナやエジプトまで占領しておけば、東ローマの最盛期
はもっと続いていたかもしれない。
634:世界@名無史さん
12/06/15 23:56:42.61 O
下手に政権を潰せば
イスラム原理主義のテロ
に苦しめられるからな。
635:世界@名無史さん
12/06/16 06:21:59.50 0
帝都のすぐそばにブルガリアが健在であり、中東遠征どころではなかった。
636:世界@名無史さん
12/06/16 08:08:32.55 0
>>634 それは今の話だろ?この時代にはハマス・ヒズボラ・アルカイダの様な
原理主義団体は無いぞ。暗殺者集団は居たかもしれないが…
>>635 バシレイオス2世が、つぶしてるだろブルガリア。
それに東ローマのメソポタミア北部・シリア・パレスチナへの遠征では
十字軍と違い住民の大量虐殺の話しが、あんまり無いな。
それに東ローマがこの時点でパレスチナ・シナイ半島・エジプトを押えておけば、
食料・香料・胡椒の供給地として活用出来るし、同じキリスト教国が占領してるので、
ローマ教皇や西欧諸国は、大義名分的に十字軍はやり難い、と思う。
637:世界@名無史さん
12/06/16 09:06:18.82 0
ファーティマ朝自体が、アッバース朝とかに比べて神秘主義的狂信的であり、
現代の原理主義政権のルーツみたいな存在。
バシレイオス2世は長期戦の末1018年にようやくブルガリアを征服した。
それから間もなく1025年にバシレイオス2世は崩御した。
バシレイオス2世がバルカンを放棄、カッパドキアのカエサリアに遷都した
のならば、シリア・エジプトのみならず、アルメニア・イラクをも征服して、
東ローマの本土であるアナトリアの守りはより強固となったかもしれない。
638:世界@名無史さん
12/06/16 11:22:56.50 0
ユスティニアヌスのときみたいに領土はでかいけど国力ないよってなりたくなかったんだろ
639:世界@名無史さん
12/06/16 15:57:28.79 0
なんかシリアってアッバース朝の頃からアンティオキアやアレッポなどの
重要な商業都市があって、東ローマと取ったり取られたりって感じがする。
シリアのアラウィー派もイスラム教というよりはキリスト教とイスラム教の
シンクレティズム(混合宗教)と言った感じで、シリアの住民は東ローマと
イスラム帝国双方に気配りした感じ。
バシレイオス2世の父親のロマノス2世が、バシレイオス1世のような勇敢さを
持ってもう少し長生きしていれば、彼の代でブルガリアを征服出来ていただろう。
そうなれば、バシレイオス2世も中東方面にもっと注力出来ていたに違いない。
東ローマが、エジプトを占領出来たらメチャクチャおいしいよ。大穀倉地帯だし、
この時期には珍しい蜂蜜が大量にあるし、塩も取れる。>>636が言う香料・胡椒
だけじゃない。
エジプト産の小麦大麦や蜂蜜や香料は、西欧諸国に高く売れるから、ユスティニ
アヌスのイタリア半島再占領時みたいに無人地帯や荒地を占領するのとは全然
意味が違ってマジで金になる。
この時点で東ローマはイタリア半島南部を保持しているのでギリシャ人海運商が
直接ベネチィアやジェノバ、ラベンナにエジプト産品を売り込めるから東ローマ
の領土の拡大と言うよりも、もろにギリシャ人海運商の経済的利益になる。
弱体化したアッバース朝は、エジプトやパレスティナの奪回には動かないだろうし
イラン人政権のブワイフ朝も距離が有りすぎるので、直接の軍事衝突にはなり難い。
エジプト産品を陸運で中東に輸出しても金になる。シナイ半島からアラビア半島や
エチオピアや東部アフリカなどへ海運で輸出も出来ただろう。
東ローマが11世紀にエジプトやパレスティナを再占領出来たら、ローマ時代の様に
地中海貿易を席巻出来るかもしれないし、ヘラクレイオス帝以前の様に政府による
食糧配給も復活出来て「パンとサーカス」も提供出来る様になったかもw
640:世界@名無史さん
12/06/16 16:19:25.80 0
>バシレイオス2世がバルカンを放棄
そうなるとバルカン半島は誰が制圧するの?セルビア人?ブルガール人?
>シリア・エジプトのみならず、アルメニア・イラクをも征服して、
>東ローマの本土であるアナトリアの守りはより強固となったかもしれない。
ズィアール朝やブワイフ朝、セルジューク朝あたりとパレスティナ、ヨルダン、イラクの取り合いになるな。
たしかにそうなるとセルジューク朝はアナトリアまで侵入するのが大変そうだ。
641:世界@名無史さん
12/06/16 17:06:47.58 O
エジプト文明はギリシア文明の母体だから、
エジプトはヨーロッパの元祖と言えるな。
642:世界@名無史さん
12/06/16 21:18:55.66 0
>>639
蜂蜜は、古代ローマの頃から欧州でも量は少ないが生産している。
もっとも西欧域内だけでは生産が追い付かないので中東から蜂蜜を輸入は当然している。
エジプトは、紀元前3000年ごろから蜂蜜の産地で、中世でも作っており有力産地だが、独占的な生産者とまでは言えない。
むしろ当時のエジプトは、砂糖の独占的生産地であって西欧と中東双方に輸出販売して莫大な利益を上げていた。
インドと東南アジアが、古代からサトウキビから砂糖を作っていたが、これは希少品かつ
貴重品と言う事もあり、形状もシロップ状の糖蜜で、貴重品過ぎて医薬品扱いだった。
病人に滋養強壮薬として、使用されていたらしい。
そんなこんなで、とてもじゃないがインドや東南アジア産の砂糖や糖蜜は、
中東や西欧までには商品として流通して来ない。
当時の西欧ではサトウキビの栽培も不可能だし、技術水準でも、砂糖の製造が全然無理。
事実上、中世では砂糖をエジプトは独占して生産していたし、
その他にも当時としては貴重品である綿花の大生産地でもあった。
643:世界@名無史さん
12/06/17 00:46:55.40 O
エジプトには異端が
多かったから揉める
のが嫌だったとか?
644:世界@名無史さん
12/06/17 06:47:48.63 0
>>639
ロマノス2世が長生きしようがしまいが、軍を指揮するのはニケフォロス・フォカスと
ヨハネス・ツィミスケスらなのだから、対ブルガリア戦は史実通り長期戦となり、
彼の代ではブルガリアを完全に征服する事が出来なかったであろう。
>>640
あの当時バルカン半島を制圧するのは当然ブルガール人では?
後世のポーランドとリトワニア、カスチラとアラゴンのように、
東ローマとブルガリアが統合されるのが理想的であろう。
645:世界@名無史さん
12/06/17 10:00:38.98 0
>>639
セルジューク朝がシリア・エジプトの奪回に動くと思われる。
アルプ・アルスラーンは当初、1071年に異端ファーティマ朝を
倒してエジプトを征服しようとしていたされる。
ロマノス4世のおかげでファーティマ朝はさらに100年生き延びた。
646:世界@名無史さん
12/06/17 11:13:52.59 0
>>643
コプト教とギリシャ正教は、確かに仲が非常に悪い。
ヘラクレイオス帝のエジプト陥落時にはコプト教徒は、
侵攻前からイスラム側に通じていてエジプト侵攻を手助けしてる。
そういう意味では、東ローマによるエジプト奪回後は、イスラム教徒よりもコプト教
とギリシャ正教のトラブルがエジプトの治安維持の障害になりかねない。
だがギリシャ正教は、皇帝教皇主義なので皇帝の方針次第でコプト教徒とのトラブル回避の可能性も大きい。
>>644
自分の意志で前線にロマノス2世に出て来れば違うだろ。ロマノス2世がヤル気が無いから
ニケフォロス・フォカスとヨハネス・ツィミスケスが軍の指揮を取らざるを得ない面もある。
>>645
マラズギルト(マラーズギルド)の戦いだっけ?東ローマ軍の方が数が多かったのに…
この戦いに東ローマが負ける事で十字軍のもとになったし、東ローマ弱体化の第一歩にもなった。
しかも東ローマは、身内の裏切りで負けた。既に帝権が弱体化していたのかね?
史実ではセルジューク朝は、エジプトは占領していない(出来なかった?)が、シリアやパレスティナには侵攻してきた。
セルジューク朝が、バシレイオス2世の死後なので、東ローマとセルジューク朝の力関係がパラレルになっている感じ。
東ローマとしては、海軍の強化やギリシャの火やロケット砲などの重火器や西欧の傭兵をかき集めてシリア-パレスティナ間の
防衛線を固めるしかないだろう。
マラズギルト(マラーズギルド)の戦いの様にならない為に傭兵や士気の低い軍団や裏切りそうな奴は事前に野戦軍から外すべき。
647:世界@名無史さん
12/06/17 13:02:24.88 0
ロマノス4世ディオゲネスは、第二のアレクサンドロス大王とならんと、
セルジューク朝の本拠地ホラサーンを目指しての遠征だったので、
マラズギルトの会戦前にアルプ・アルスラーンと講和しなかったらしい。
アルプ・アルスラーン自身はエジプト征服を望んだが、新たな牧草地を
欲したトルコ遊牧民らと、イランからトルコ遊牧民を追い払いたかった
ニザーム・アル・ムルクらはアナトリア征服を望んだ。
648:世界@名無史さん
12/06/17 14:08:03.81 0
くぁw背drfgtひゅjきおlp;:@」「
649:世界@名無史さん
12/06/17 14:54:49.05 0
>ロマノス4世ディオゲネスは、第二のアレクサンドロス大王とならんと、
>セルジューク朝の本拠地ホラサーンを目指しての遠征だったので、
一寸ピントがずれた目的意識だな。
ホラサーンなんて、ギリシャやアナトリアから場所は慣れすぎだし、第一補給が続かないだろ。
それよりもアルメニアやシリア、パレスチィナの防衛とエジプトの制圧の方が大事だと思う。
その方が金になるしね。晩年のバシレイオス2世の様にシチリア島征服を行うべきだろ。
それが成功すれば、イタリア半島への発言力も格段に強まるし、チェニジアの再征服も準備できる。
>アルプ・アルスラーン自身はエジプト征服を望んだが、
エジプトの方が、金になりそうだもん。
色んな珍しい物の大生産地だし、西欧やアフリカとも貿易出来るし。
650:世界@名無史さん
12/06/17 23:59:35.52 0
>>646
マラズギルトの戦いでは東ローマ軍の方が数が多かったが、
東方の都市を攻略する為の城攻め部隊など、野戦では足手
まといとなってしまう者が多かったとされる。
セルジューク朝軍は、当初は遊牧民軍だけで東ローマ領へ侵攻、
一方アルプ・アルスラーンはマムルーク軍でエジプトへ向かったが、
遊牧民軍が東ローマ軍に敗退したので、アルプ・アルスラーンは
エジプト遠征を中止、マムルーク軍を主力とする精鋭で東ローマ軍
と対戦したされる。
651:世界@名無史さん
12/06/18 09:13:06.82 O
>>641
理由になるか?
652:世界@名無史さん
12/06/18 12:44:58.34 0
エジプトって他地域の勢力圏(ヒクソス・ギリシャ・ローマ・アラブ・トルコ・フランス・イギリス)に入ってもある程度自律性を保っている。
それだけ経済力があるし、完全屈服させきれない地域なんだよ。
完全支配下に置くにはスーダンあたりでナイル川を紅海に流して全土を砂漠化させないとだめだろうな。
653:世界@名無史さん
12/06/18 13:01:03.28 0
そうなると紅海西岸までサハラ砂漠となり、地中海沿岸以外は支配する価値がない地域になってしまう。
654:世界@名無史さん
12/06/18 13:55:06.88 0
>>653
だから支配する価値のない地域にしないと完全征服できないのさ。
655:世界@名無史さん
12/06/19 17:19:46.27 0
>>634
イスラム圏は軍事とそれに伴う数学などだけ異様に発展していた。
キリスト教は平和を説いているので軍事力・技術では絶対にイスラムに勝てない。
ビザンツの鼻削ぎ落としや目潰しなどの後継者つぶしもヨーロッパ固有のもの
でなくアラブやトルコの影響。
656:世界@名無史さん
12/06/19 19:41:27.31 0
じゃあ十字軍の何処が平和か説明してもらおう
イスラムに散々酷いことしてあげくのはてには同じキリスト教徒まで
657:世界@名無史さん
12/06/19 19:46:38.92 0
チンピラゴロツキ集団以外の何ものでもないね
658:世界@名無史さん
12/06/19 19:50:05.66 0
>>655
>ビザンツの鼻削ぎ落としや目潰しなどの後継者つぶしもヨーロッパ固有のもの
>でなくアラブやトルコの影響。
それアラブやトルコよりむしろペルシア文化
659:世界@名無史さん
12/06/21 06:35:25.12 0
>>657
ローマ教皇お墨付きのチンピラゴロツキ集団だな
660:世界@名無史さん
12/06/25 08:03:06.61 0
異端と異教徒が全滅すれば真の信仰とキリストの御名のもと平和になるよ
661:世界@名無史さん
12/06/25 19:23:07.07 0
すぐに神学論争やお家騒動で分裂、外部勢力を呼び込んでまた危機に陥るよ
662:世界@名無史さん
12/06/26 01:45:47.57 0
ビザンチン外交を繰り返して全世界の宗教がオーソドックスで統一されても正教化したトルコやベネチアが襲ってくるだけな気がする。
663:世界@名無史さん
12/06/26 09:31:02.54 0
まあトルコが正教だったらセルジューク朝支配下のバグダードのカリフ程度には
コンスタンティノープルの皇帝も残してくれるかもね
664:世界@名無史さん
12/06/26 09:35:46.07 0
トルコが正教なら単純にセルジューク朝東ローマ帝国が爆誕するだけじゃないの?
頭すげかわって。
665:世界@名無史さん
12/06/26 20:11:43.40 0
アナトリアはトルコ・イスラム化せず、トルコ人らもゴート族やフン族、
ペチェネッグ人、ワリヤーグらと同じくギリシャ・ビザンツ化しただろうね。
666:世界@名無史さん
12/06/27 21:46:48.89 0
>>664
>>665
トルコ人の気質から行ってレバント制圧した時点でコプト派が旧教に救援求めて正教対旧教の十字軍が発生する気がする。
正教徒の血で埋まるエルサレムとか報復で旧教徒の血で染まるローマとかありそう。
667:世界@名無史さん
12/07/06 03:04:17.66 0
オスマンスレ荒してんの気様らだろ?いい加減にしろよ。
学部生や院生揃いのくせしてオツガイがいないとifネタ程度しか
できないバカどもが。
668:世界@名無史さん
12/07/06 05:14:57.84 0
ついこの前までこっちも似たようなキリスト教厨の被害にあってますが、何か?
タコ殴りされたら消えたけど。
669:世界@名無史さん
12/07/06 08:20:52.84 0
>>667
まぁ、落ち着け。
俺もそっちをROMってるだけだが、被害者であることには変わらん。
しばらく放置してみたらどうだ。あの手のキチガイはただのレス厨だから一番恐れているのは反論されるこ
とじゃなく徹底的に無視されることだ。
670:667
12/07/06 09:29:49.17 0
そうか・・・。本当に申し訳ない。
考えてみたらまともな世界史板住民は全員被害者なんだよな。
いがみ合うより助け合わなくちゃあな。
それじゃあしばらく消えることにするよ・・・。
671:世界@名無史さん
12/07/06 18:02:19.06 0
折角のこのスレタイだし、
第四回十字軍以降のニケーア、トレビゾンド、エピロスの時代を
扱った日本語もしくは英語で読める分かりやすい書籍って無いかな
672:世界@名無史さん
12/07/06 18:15:49.63 0
スレタイといえば、「ルーマニアと東ローマ」みたいな厨臭い題名のスレが2スレ目になってんのが
結構むかつくんだけどw
673:世界@名無史さん
12/07/09 21:41:34.96 0
ここをビザンツ本スレにすればいい。
大体トレビゾンドなんて三国志の位置的に例えれば三国の一角なんだろうけど、日本での知名度だと
五斗米道みたいなもんだし。単独ネタだと過疎は必然。
674:世界@名無史さん
12/07/09 22:10:57.48 0
五斗米道は酷いww 栄光のビザンツ血脈が貧民どもの集団に例えられるとは!
まぁ知名度って点ではそんなもんかもしれんけどさ・・・てかむしろ劣るよな絶対w
675:世界@名無史さん
12/07/10 06:39:20.48 0
相変わらず自虐ネタで盛り上がってるなw
で、その五斗米道だが、陳舜臣の秘本三国志は五斗米道視点だ。
それに対しトレビゾンドは塩婆の本でも名前だけ(だったと思う)。
光栄のゲームでも三国志シリーズでは張魯は初期バージョンから選択可能な君主。
蒼き狼ではⅣになって初めてビザンツ、ラテン、二ケーアが揃って登場するがトレビゾンドはスルー。
どう見ても
五斗米道>>>>>(越えられない壁)>>>>>トレビゾンドじゃねーかwwww
676:世界@名無史さん
12/07/10 23:45:26.18 0
歴史地図帳を見て「この小さな小さな帝国は何なんだろう、どういう存在なんだ」
それがトレビゾンド帝国との出会いでした
677:世界@名無史さん
12/07/11 07:57:54.44 0
ビザンツ末期にはコンスタンティノープルからトラブゾンやミストラへ人材流出してたようだな
678:世界@名無史さん
12/07/12 11:56:53.67 0
ビザンツ帝国と愉快な仲間たち
679:世界@名無史さん
12/07/14 15:35:51.79 0
アンゲロス兄弟の末裔が現代にまで続いてるってマジなの?
680:世界@名無史さん
12/07/14 18:28:47.51 0
マジ。時々話題に上る母系直系のギリシャ王妃オリガの場合は、以下の系統をたどる。
前がアレクシオス3世とエウフロシュネーの母系子孫(娘・孫娘・ひ孫娘…)で、後ろがその結婚相手
エウフロシュネー・ドゥーカイナ・カマテラ(ビザンツ皇后)×アレクシオス3世(ビザンツ皇帝):初代
↓
アンナ・アンゲリナ(ニカイア帝国皇后)×テオドロス1世(ニカイア皇帝):二代目
↓
マリア・ラスカリナ(ハンガリー王妃)×ベーラ4世(ハンガリー王):三代目
↓
ヨレンタ(ヴィエルコポルスカ公妃)×ボレスワフ・ポボジュヌィ(ヴィエルコポルスカ公):四代目
↓
エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ(レグニツァ・ヴロツワフ公妃)×ヘンリク5世(レグニツァ・ヴロツワフ公):五代目
↓
エウフェミア(ケルンテン公妃)×オットー3世(ケルンテン公):六代目
↓
エリーザベト(シチリア王妃)×ピエトロ2世(シチリア王):七代目
↓
ベアトリーチェ(ライン宮中伯(ファルツ選帝侯)妃)×ループレヒト2世(ライン宮中伯(ファルツ選帝侯)):八代目
↓ →ドイツ王ループレヒトの両親
アンナ(ベルク公妃)×ヴィルヘルム2世(初代ベルク公):九代目
↓次レスに続く
681:世界@名無史さん
12/07/14 18:31:13.19 0
↓前レス続き
マルガレーテ(ブラウンシュヴァイク・ゲッティンゲン公妃)×オットー1世(ブラウンシュヴァイク・ゲッティンゲン公):十代目
↓
エリーザベト(ブラウンシュヴァイク・グルベンハーゲン公妃)×エーリヒ(ブラウンシュヴァイク・グルベンハーゲン公):11代目
↓
アンナ(バイエルン・ミュンヘン公妃)×アルブレヒト3世(バイエルン・ミュンヘン公):12代目
↓
エリーザベト(ザクセン公妃)×エルンスト(ザクセン公):13代目
↓
クリスティーナ(デンマーク王妃)×ハンス(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー王):14代目
↓ →息子に「ストックホルムの血浴」事件で有名なデンマーク王クリスチャン2世
エリーザベト(ブランデンブルク選帝侯妃)×ヨアヒム1世ネストル(ブランデンブルク選帝侯):15代目
↓ →プロイセン王・ドイツ皇帝へと続くホーエンツォレルン朝へ
マルガレーテ(アンハルト=ツェルプスト侯妃)×ヨハン4世(アンハルト=ツェルプスト侯):16代目
↓ →ロシア女帝エカテリーナ2世の先祖
マリー(バルビー・ミューリンゲン伯妃)×アルブレヒト10世(バルビー・ミューリンゲン伯):17代目
↓
マリー(エアバッハ伯妃)×ゲオルグ3世(エアバッハ伯):18代目
↓
ルイーゼ・ユリアーネ(ザイン・ヴィトゲンシュタイン伯妃)×エルンスト(ザイン・ヴィトゲンシュタイン伯):19代目
↓次レスに続く
682:世界@名無史さん
12/07/14 18:34:49.32 0
↓前レス続き
ヨハネッタ(ザクセン・アイゼナハ公妃)×ヨハン・ゲオルグ1世(ザクセン・アイゼナハ公):20代目
↓
エレオノーレ(ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯妃)×ヨハン・フリードリヒ(ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯):21代目
↓
カロリーネ(イギリス王妃 英名:キャロライン)×ジョージ2世(イギリス王):22代目
↓
アン(オラニエ公妃)×ウィレム4世(オラニエ公):23代目→現代のオランダ王室へと続く
↓
ウィルヘルミナ・カロリーネ(ナッサウ・ヴァイルブルク侯妃)×カール・クリスティアン(ナッサウ・ヴァイルブルク侯):24代目
↓
ヘンリエッテ(ヴュルテンベルク公妃)×ルートヴィヒ(ヴュルテンベルク公):25代目
↓
アマーリエ(ザクセン・アルテンブルク公妃)×ヨーゼフ(ザクセン・アルテンブルク公):26代目
↓
アレクサンドラ・フリーデリケ・ヘンリエッテ(ロシア大公妃 露名:アレクサンドラ・イオシフォヴナ)
×コンスタンチン・ニコラエヴィチ(ロシア大公):27代目→コンスタンチンはロシア皇帝ニコライ1世の次男
↓
オリガ・コンスタンチノヴナ(ギリシャ王妃 希名:オルガ)×ゲオルギオス1世(ギリシャ王):28代目
と、まあこんな感じで続く。
オリガの子孫には、孫にエディンバラ公フィリップ(英女王エリザベス2世の王配)や、ラスプーチン殺害の実行犯ドミトリー大公ら
ひ孫にスペイン王妃ソフィアらがいる。
つまり、英皇太子チャールズとその二人の王子は、アンゲロス弟の子孫(エリザベス2世やダイアナが托卵でもしない限り)ということになる。
皇后エウフロシュネーが托卵してたら元も子もないがなw
683:世界@名無史さん
12/07/14 18:38:47.99 0
兄貴のイサキオス2世の子孫は娘エイレーネと、ドイツ王フィリップの娘たちから欧州各地に拡散。
一例をあげれば、二人の三女マリアがブラバント公(ルーヴァン家)に嫁ぎ、公家の息女は方々に嫁いでいる。
神聖ローマ皇帝カール4世(ルクセンブルク家)も実は子孫だったりする。
ルーヴァン家男系は絶えたが女系でブルゴーニュ公家につながり、
ブルゴーニュ公家の最後の女性相続人マリーが「中世最後の騎士」マクシミリアン1世と結婚。
これでハプスブルク家につながっちゃう。後はもう、わかるな?
オーストリア公レオポルト6世(獅子心王リチャードを逮捕した同名5世の次男)に嫁いだ
テオドラ・アンゲリナの子孫も方々にいるけど、彼女の場合出自に諸説あって今一よくわからん。
資料によってイサキオス2世の娘だったり、姪(父=アレクシオス3世ではない)だったり、孫(アレクシオス3世の孫説もある)だったり。
684:世界@名無史さん
12/07/14 20:34:54.35 0
すげぇな、長々と大変書くのもだっただろう
横からだがありがとう、面白かった
685:世界@名無史さん
12/07/14 22:04:23.05 0
ビザンツ皇帝の末裔と言えば聞こえは良いが、アレクシオス3世の末裔です!なんて自慢にもならんなw
686:世界@名無史さん
12/07/15 01:21:46.43 0
歴史地図帳を見て「この小さな小さな帝国は何なんだろう、どういう存在なんだ」
それが大韓帝国との出会いでした
687:世界@名無史さん
12/07/15 23:48:07.15 0
そっちかよw
688:世界@名無史さん
12/07/16 09:23:43.75 0
>>685
アレクシオス1世やテオドロス、ベーラ3世の末裔だと考えれば自慢になる
アレクシオス3世、アンドラーシュ2世、「強盗騎士」ルノー・ド・シャティヨンの末裔というと目も当てられないがなw
689:世界@名無史さん
12/07/17 22:55:01.05 0
なんか天国板に3つもビザンツスレがあるんですけど…
690:世界@名無史さん
12/07/19 21:32:40.70 0
どうして皆大ローマ帝国は好きなくせに分裂してその後どうなったか気にならないんだ
1453年に滅亡したって分かるだけでいいのかよ
691:世界@名無史さん
12/07/20 21:46:48.00 O
>>690
1453年は僭主が倒され、聖なる都がペルシア人に蹂躙されたに過ぎない。
正統な皇帝家門である大コムニノス家が一時的に宮廷を遷しているトラペズスがペルシア人の手に渡された1462年こそがローマ帝国の終焉である。
ああ、だから1204年で滅亡扱いにする人も居るのか。
692:世界@名無史さん
12/07/21 00:29:58.39 0
アンゲロスゥ…
693:世界@名無史さん
12/07/28 23:13:41.63 0
コムネノス信者きもい
694:世界@名無史さん
12/07/29 02:20:43.42 0
アンゲロス朝があれだったせいかコムネノス朝が相対的によく映るってのはあるな
たしかに名君親子がいたんだけども
695:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/07/29 11:46:06.09 0
>>694
コムネノス朝の皇帝だと、アレクシオス1世とヨハネス2世はまぁ基本的に名君であり、
マヌエル2世は評価が分かれ、アレクシオス2世は幼君で実権なかったので論外、
アンドロニコス1世は改革意欲はあったものの失敗してしまった暗君といったところかな。
まぁ少なくとも、ビザンツ帝国を再興させた王朝というのが一般的な評価だろうね。
696:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/07/29 11:47:05.00 0
間違えた。
×マヌエル2世
○マヌエル1世
697:世界@名無史さん
12/07/29 13:57:18.98 0
マヌエル1世は東のルーム・セルジューク朝に集中すべきだった
小アジア領取られたままだし
698:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/07/29 14:14:06.85 0
>>697
まぁ、上でも何度か言われてるけどマヌエル1世は西欧志向が強かったからね。
そのせいで西方に敵を作りすぎてしまったし、そのうえルーム・セルジューク朝にも敗れてしまった。
699:世界@名無史さん
12/07/29 23:34:21.90 0
よくもまあ誰もレス返さないのにコテまでつけてレスし続けられるわ
どれだけ自分がしょうもないと思われているのか気づかないんだろうか
700:世界@名無史さん
12/07/29 23:41:12.26 0
なにお前、初顔か?
この栄光のビザンツスレでお前のことを惨めな奴と思っていない住人は一人もいないんだけど。
701:世界@名無史さん
12/07/30 00:22:42.81 0
よっぽどコテ嫌いなんだな(´・ω・`)
702:世界@名無史さん
12/07/30 20:28:29.77 0
みんなあえて触らないようにしてるんだから
703:世界@名無史さん
12/07/31 13:07:05.68 O
ニキフォロス二世にはサマルカンド、テーベ、キエフ、ローマ辺りまで突っ走って欲しかった。
704:世界@名無史さん
12/07/31 18:59:57.50 0
そこまで欲張ると元祖マヌエル1世みたいな感じにならないのかな
705:世界@名無史さん
12/07/31 21:50:42.64 0
エジプト取って欲しかった
蜂蜜
706:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/07/31 21:51:48.92 0
>>703
良く、バシレイオス2世はその気になればローマくらいまで征服するだけの余裕があったと言われるけど、
ニケフォロス2世にもはたしてそれくらいの余裕はあったんだろうか。
国内で反感を買ってたとは言え、軍事面では優秀だったからね。
まぁでも、>>704も言うようにあまり欲張って、マヌエル1世みたいに敵を作りすぎるのも考えものではあるけどね。
実際、ニケフォロス2世も神聖ローマ帝国との関係を悪化させちゃってるし。
ブルガリアに対抗するためにキエフ・ルーシの協力を仰いだことも微妙にマイナスポイントではあるかな。
707:世界@名無史さん
12/07/31 22:02:09.41 0
今のトラブゾンが普通の街になっている件。
708:世界@名無史さん
12/07/31 22:06:59.41 0
. 、___________
、> .|
>________ .|
 ̄ .|./_ _\ | | ____________
| / ヽ/ ヽ | | /
. | | ・ | ・ | V⌒i | コムネノス家のくせに
_ |.\ 人__ノ 6 | <
\ ̄ ○ / | なまいきだぞ
. \ 厂 \
/ _____/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄, -/へ/\/`- 、
/./ ./o i. \
709:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/07/31 22:27:29.72 0
>>707
トラブゾンは前にほんのちょっと寄ったけど、それなりの規模の街だったよ。
まぁ、大都会というほどでもないけど、ちょっとした地方都市という感じだった。
今でもトルコ共和国の黒海沿岸の中心都市としてそれなりに栄えてはいるみたい。
710:世界@名無史さん
12/08/01 01:06:25.89 0
同じく70歳以上まで長生きした皇帝として、
ミカエル8世の次がアンドロニコス2世でなくマヌエル2世だったらと
思わざるを得ない
711:世界@名無史さん
12/08/01 02:00:42.94 0
カンタクゼノスをヨハネス5世の摂政にしてなおかつアンドロニコス2世じゃなくて3世とかマヌエル2世とかなら
712:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/08/01 08:03:46.17 0
>>710-711
この頃のパレオロゴス朝は結構混乱してたからね。
マヌエル2世に至るまでのほぼ全ての皇帝が、帝位を巡る内乱やクーデターなどを経験してる。
マヌエル2世は違う時代に生まれていれば名君だったと良く言われるしね。
713:世界@名無史さん
12/08/01 21:35:47.70 0
パレオロゴス朝が始まった時点で大幅なリニューアルをするべきだった、ということか。
手始めに、国名を「ヘラス帝国」にし、首都をギリシア本土に移す、とか?
714:世界@名無史さん
12/08/01 22:01:52.78 0
トルコ共和国もいつかは崩壊してトラブゾン共和国とかがしばらく残存する事になるのだろうか?
715:世界@名無史さん
12/08/01 22:24:58.41 0
>>713
意味のない「ローマ」にこだわり続けたのは良くなかったね
716:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/08/01 22:27:06.20 0
>>713
実際、パレオロゴス朝も後半になるとプレトンのようにギリシャ人としてのアイデンティティを抱く人も現れたからね。
もしそういうのがもうちょっと早く起こってたら、史実もだいぶ変わったかも知れない。
まぁ、だからといってそれがビザンツ帝国の延命に繋がるかと言われたら微妙だと思うけど。所詮はIF話だしね。
717:世界@名無史さん
12/08/02 00:44:28.56 0
ローマなんて8世紀中期以降永遠に失ってるしたいして帝国にとっては重要じゃなかったらしいし
718:世界@名無史さん
12/08/02 00:49:29.74 O
「国民国家」への再編か
719:世界@名無史さん
12/08/02 15:07:41.02 O
ニカイア帝国って首都にも近いし、保守的で
ビザンツ帝国の全面リニューアルなんて無理だったのかもしれんな
チャンスを生かせず結果的にオスマンに滅ぼされた
オスマンに征服されたことで、バルカンはもちろん
中東も長い目で見れば退化したかもしれない
720:世界@名無史さん
12/08/02 20:43:14.23 0
>>719
オスマン、サファヴィー、ムガル、清は図体をでかくすることは長けていたが、社会を進歩させるには向いていなかった。
古代帝国を軍事力を使って中世末期~近代初頭に復興させただけとも言える。
ある程度の人口と食料生産力があれば国土の面積より工業力がモノを言うことに気づけなかったのは不幸だった。
721:世界@名無史さん
12/08/02 21:15:49.70 O
現代のギリシャの姿がビザンツとオスマンの後進性の証明
722:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/08/02 21:42:02.59 0
>>719
なるほど、ニカイア帝国は少し保守的だった可能性もあるのかな。
でも、ミカエル8世なんかは東西教会の合同を持ちかけたりして今までと変えようとしてた部分もあったと思う。
723:世界@名無史さん
12/08/03 00:32:27.48 O
>>720
清は満州だけ、オスマンはアナトリアだけ、
サファビーはイランだけでいいわな
724:世界@名無史さん
12/08/03 01:03:33.68 O
そういや神聖ローマ側でも16世紀になってもまだキリスト教世界帝国がどうのこうの言ってたな
725:世界@名無史さん
12/08/03 02:30:08.43 0
>>723
清は当時寒冷期だったから、満州人は中国本土へ移住せざるえなかった。
金は北宋の挑発に乗らずに満州だけならば、兵力も集中出来たはずだから
モンゴルも防げて発展したかもしれない。
726:世界@名無史さん
12/08/03 02:51:27.34 0
>>722
ニカイア帝国はコンスタンティノープルを奪回せず、
アナトリアを死守すべきだったのでは?
コンスタンティノープルとテッサロニキは、
ブルガリア領となった方が安定したと思う。
727:世界@名無史さん
12/08/03 07:51:03.02 O
>>724
ナポレオン帝国も時代錯誤
だから滅びた
728:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/08/03 07:54:25.63 0
>>726
ニカイア帝国でなくブルガリア辺りがコンスタンティノープルを奪回してればよかったっていうことか。
まぁ、それはビザンツ帝国の人々のとしてのプライドが許さないような気もしなくないけど。
西方ではなくアナトリアのほうの防衛に力を入れてれば、後のオスマン帝国の台頭も防げただろうか。
729:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/08/03 07:55:24.46 0
訂正。
×まぁ、それはビザンツ帝国の人々のとしてのプライドが許さないような気もしなくないけど。
○まぁ、それはビザンツ帝国の人々のとプライドが許さないような気もしなくないけど。
730:世界@名無史さん
12/08/03 08:22:41.75 0
>>727
革命フランスは、ベルギーとラインラントを併合してライン河国境をせっかく達成したのに、
余計な領土拡大の末にまた革命以前の領土に戻ってしまい、勿体無かったよね。
731:世界@名無史さん
12/08/03 10:07:52.97 O
>>720
国民国家の民族主義というのは
(ビザンツではパライオロゴス期のギリシャ主義)、
外ではなく内側にエネルギーを発散させるということで
工業化とかと相性良かったんかな?
コンパクトで均一な方が近代化がしやすいのは確かと思う
日本や朝鮮みたいなもともと国民国家みたいだった国では
なかなかその新しさがわかりにくいとも思うが。
732:世界@名無史さん
12/08/03 12:38:13.15 O
第四回十字軍の時点では既に多くの分野で
西ヨーロッパ>>ビザンツ
なのかもな
733:世界@名無史さん
12/08/03 12:45:11.64 O
>>725
ヌルハチの時代は、統一されたら南下は必然だったか
734:世界@名無史さん
12/08/03 22:31:52.78 0
モレアスの話を聞くと、どうしてもそういう夢を託したくなってしまうな
首都はモネンバシアかミストラスか
735:世界@名無史さん
12/08/03 23:32:19.65 0
トルコ人とギリシャ人って見分けつくの?
すごいよく似てるんだけど
736:世界@名無史さん
12/08/04 03:03:09.77 0
>>735
モンゴル顔の人はトルコ人の可能性が高い。
他は顔では区別付かんな。
737:世界@名無史さん
12/08/04 06:53:57.09 0
>>723
>>731
ローマの分割統治の際、イタリア半島やアナトリア半島、イベリア半島、シチリアなどより国民国家向けのサイズで分割統治しておけばローマ帝国の名前は残ったと思われる。
今のトルコが事実上アナトリア国になっているのもそれが一番まとまりがつくからだろう
(ギリシャ、アルメニア、クルドの諸民族には迷惑だったが)。
738:世界@名無史さん
12/08/04 10:57:52.78 0
アウグストゥスとカエサルのバーゲンセールだな
739:世界@名無史さん
12/08/04 15:03:59.68 0
14世紀にはヨハネス5世、ヨハネス6世、マタイオス・カンタクゼノス、
セルビアのステファン・ドゥシャン、ブルガリア皇帝を合わせて
バルカン半島に皇帝を称する者が同時に5人もいたことがあったw
740:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/08/04 19:45:58.12 0
>>735
希土戦争後の住民交換の時は信じてる宗教でギリシャ人かトルコ人かを判断したというぐらいだから、
多分本人たちのあいだでもそこらへんの区別はつきにくいんじゃないかな。
>>736
トルコに行ったけど、モンゴル顔のトルコ人なんて全然見なかったよ。
まぁ探せばいなくはないだろうけど、はっきり言ってほとんどはギリシャ人と似たような顔してる。
>>739
その上、アナトリア半島のほうに行けば、スレタイにもなってるトレビゾンド帝国の皇帝もいたから、
ビザンツ帝国末期の東地中海世界には6人も皇帝が乱立してことになる訳だ。
741:世界@名無史さん
12/08/07 01:00:19.98 0
あと260頑張ってビザンツスレをとりかえそう
742:世界@名無史さん
12/08/07 11:55:13.81 O
なんか、ビザンツ関連の新しい本とか無いの?
話題が無いとDAT落ちまであるで。
個人的にはマケドニア朝あたりを詳しく読みたいわ。
743:世界@名無史さん
12/08/07 22:22:48.37 0
素人考えかもしれんが、マケドニア朝が強かったのは
農民出身&アルメニア人で少なからずリニューアルが行われたからかもしれん
744:世界@名無史さん
12/08/07 23:49:02.26 0
>>743
素人考えかもしれないが、大正帝の息子たちが強かったのは
嫁が農民出身で少なからずリニューアルが行われたかもしれん
745:世界@名無史さん
12/08/08 13:36:42.22 O
>>726
アナトリアの国家とギリシアの国家に別れれば良かったかもよ
いずれにしてもコンスタンティノポリスは首都にしてはいかん
746:世界@名無史さん
12/08/08 15:49:37.23 0
難攻不落という点で世界史上コンスタンティノポリスで勝てる都市はあるのか?
747:世界@名無史さん
12/08/08 17:38:22.98 0
>>743
イサウリア朝のレオⅢ、コンスタンティノスⅤ父子あたりから
皇帝がボンクラな時期を除けば強大化し続けてる
748:世界@名無史さん
12/08/08 20:13:12.43 0
>>746
1000年にわたって内乱以外で陥落したのが3回だけか
宿敵ヴァネツィアもほとんど陥落したことないよなあ
というより、そもそも1000年以上破壊されずに済んだ都市を探すほうが大変な気がするが
749:世界@名無史さん
12/08/08 22:31:22.81 0
>>746
オスマン帝国時代は一切陥落していないね。
第一次世界大戦直後にイギリス軍が占領しているが。
750:世界@名無史さん
12/08/09 01:16:43.26 0
>>745
モネンヴァシアは兵糧攻めや交渉以外では絶対落とせない都市だったそうだ。
トルコ軍も正攻法での征服はあきらめている。
751:世界@名無史さん
12/08/09 18:16:20.54 O
>>750
それでいきましょう
752:世界@名無史さん
12/08/09 22:27:05.05 O
単純に軍事的不落の地であればいいという話ではないのでは
黒海を掌握する経済的要路かつ軍事的に難攻不落の地
という絶妙な条件が重なったのがコンスタンティノープルの希少なところだと思うんだけど
承知の上で話を進めているのであれば申し訳ない
753:世界@名無史さん
12/08/10 14:07:23.87 O
ユスティニアヌスって本当にバカだな
ヨーロッパ全域を数百年後退させた
754:世界@名無史さん
12/08/10 14:31:43.30 0
余のおかげで東ローマの強固なるアイデンティティが確立されたのだゾ!
西ローマのことは知らんけんね、ちょっと懐古にひたっただけじゃけ。
755:世界@名無史さん
12/08/10 14:47:27.57 0
近くで起こってるスラヴ人のバルカン侵入を無視しといて、遥か遠方のヒスパニアを攻撃させてるんだもんな
この人大帝の器じゃねえ、ヘラクレイオスの方が好感もてる
756:世界@名無史さん
12/08/10 15:04:54.78 O
バカなんだが、「有能」でやる気はメチャクチャあるんだろうな
余計にタチが悪い
757:世界@名無史さん
12/08/10 16:28:22.53 0
部下にむちゃくちゃ出来る奴がたくさんいたからね
758:世界@名無史さん
12/08/10 18:36:33.66 0
現代ギリシャ人と南イタリア人だったら、ギリシャ人のが色白碧眼顔立ちも面長狭鼻と典型的な白人顔。
なんで?
759:世界@名無史さん
12/08/10 19:29:19.41 0
ギリシャ人「そら、南イタリアなんてイスラム土人の血が入ってますしw」
南イタリア人「そら、ギリシャなんてスラブ土人の血が入ってますしw」
760:世界@名無史さん
12/08/10 21:53:39.18 O
>>755
ユスティニアヌスが軍を遠くにやっているスキをついて
スラブ人が来たんだと最近まで思ってましたよ
761:世界@名無史さん
12/08/10 23:55:56.80 0
アナトリアやトラキアが取られたのにコンスタンティノポリスに意味があるのかな?
762:世界@名無史さん
12/08/11 12:32:12.37 0
>>756
まさに「無能な働き者」だよな。
763:世界@名無史さん
12/08/11 16:48:37.60 0
>>754
古代の焼き直しで、アイデンティティのクソもない
ヘラクレイオス以降なら「東」ローマとしてのアイデンティティはあるかもしれんが
764:世界@名無史さん
12/08/11 16:55:22.28 0
>>763
井上先生的には、一度現実にローマを奪還したからこそ
東「ローマ」としてのアイデンティティを持てた、ということになるが。
もちろん国力的に過大な負担で、長続きするはずがなかったことは
当然の前提としてだが。
「しかし、無形の大きな財産を残した」と仰ってるね。
765:世界@名無史さん
12/08/11 20:44:11.10 O
>>764
余計なような気がしてならない
766:世界@名無史さん
12/08/11 22:36:58.81 0
>>742
塩野七生
「私のローマ人の手紙最終巻読みなさいよ
ユスティニアヌス1世の事業書いてるわ
え?それ以降なんて凡庸な皇帝たちがどんどん領土を狭めていっただけの弱小国でしょ?」
767:世界@名無史さん
12/08/11 23:57:03.94 0
ユスティニアノス2世とかいう海に沈められたやつ
768:世界@名無史さん
12/08/12 04:12:15.41 0
厨房の頃、ス力卜□趣味と噂の同級生に「コプロニュモス」
ブサメンNo1な同級生に「カロ」と渾名をつけてた。
15年ほど忘れてたが
昨日同窓会で、あの渾名はどういう意味だったのか訊かれて
そんな渾名をつけていたことを思い出したが非常に返答に困った。
769:世界@名無史さん
12/08/12 05:24:03.12 0
>>765
マヌエル1世がユスティニアヌス1世に憧れなければ、
東ローマはアナトリア全土を奪回出来ただろうね。
770:世界@名無史さん
12/08/12 14:38:48.07 0
>>764
「わが国はローマ帝国だったのだから復活を目指さなければならない」
というとんでもない負の遺産を残してしまった。
その時々の事態に応じて戦うのではなく。
あと、東ローマってローマの国境一歩も越えてないよね?
771:世界@名無史さん
12/08/12 16:54:48.76 O
>>770
マケドニア朝の最盛期に東方では記録更新しているじゃない。
トラヤヌスよりも東へ行ったニキフォロス。
772:世界@名無史さん
12/08/12 20:18:05.81 O
>>770
ナポレオンやらヒトラーやら戦前の日本のように、
実利より「威信」やら「伝説」が先行してる
773:世界@名無史さん
12/08/12 21:03:06.22 0
>>771
ニケフォロス2世はバグダッドを攻略したのか?
774:世界@名無史さん
12/08/12 22:35:25.47 0
テオドシウスの城壁の更に向うにあったアナスタシアの城壁っていつまであったの?
775:世界@名無史さん
12/08/14 21:58:59.03 0
五月六日
776:世界@名無史さん
12/08/16 16:33:50.33 0
>>770
ユスティニアヌス1世があの時点で東ゴートを滅ぼさなかったら、
おそらく、東ゴートがローマ帝国を再興する事になっただろうね。
すなわち、東ローマは東ゴートに滅ぼされてしまっただろう。
マヌエル1世は、ユスティニアヌス1世に見習うのであるならば、
ルーム・セルジューク朝を滅ぼすべきであった。
777:世界@名無史さん
12/08/16 21:35:20.22 0
フランク、ランゴバルドはどうなのよ