11/05/18 00:45:03.20 0
>>218
BS-TBS
毎週日曜夜7時~8時54分
「東ローマ帝国?繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡」
ユスティニアヌスのモザイクとしてしられるこれ↓
URLリンク(geopolicraticus.files.wordpress.com)
はもともとテオドリック大王のモザイクだったものに冠を加えて、上の名前を書き換えただけのものらしい
他にもラベンナでは教会のモザイクが多くユスティニアヌスの征服後に改修されていて、たまに前のモザイクが残ってるものがある
220:世界@名無史さん
11/05/20 18:47:23.63 O
そんな番組あったのか
もっと早く教えてくれよ
221:世界@名無史さん
11/05/28 21:39:04.29 O
あのローマ皇帝としての未来を見据えたかのような目付きが好きだったのに(´・ω・`)
222:世界@名無史さん
11/05/29 08:56:25.37 0
>>219
それ金髪じゃね?
ユスティニアヌスと言ったら・サン・ヴィターレ聖堂のこれだろ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
223:保守
11/06/08 13:40:19.62 0
蛮族 ヒソヒソ・・・ 「千年後に帝国の息の根を止めに来る」
マンツィケルトの戦い ゼノン
シチリア王国 「ギリシャ人の王」 ヤムルークの戦い
ヴェルシキニアの戦い
コソコソ・・・ 「枢機卿の四角帽を見るくらいならスルタンのターバンの方がマシ」
権謀術数渦巻く宮廷 ミリオケファロンの戦い
「今の帝国に必要なのは皇帝ではなく、管理人なのだ」
サーサーン朝ペルシャ帝国 アンゲロスブラザーズ 第4回十字軍
「シリアよさらば」 / ̄ ̄ ̄\
ヴェネツィア 神聖ローマ帝国 ./ ─ ─ \ コンスタンディノス8世
/ <○> <○> \
イスラーム帝国 | (__人__) | セルジューク朝
ザワザワ・・・・ ガヤガヤ・・・ \ ` ⌒´ / 「誰か余の首を刎ねるキリスト教徒はいないのか」
ジェノヴァ / \ オスマントルコ
なんでこんな状況で千年も生き残れたんだろう。
224:世界@名無史さん
11/06/09 07:14:03.56 0
>>223
世界史の地図に小さくてもビザンツがないと淋しいから。
225:世界@名無史さん
11/06/09 08:20:45.96 0
コンスタンティノープルの驚異的な防御力とか?
226:世界@名無史さん
11/06/10 00:42:36.81 0
>>225
WWIでもイギリス・ギリシャはコンスタンティノープルに辿り着く前に撃破されていたね。
227:世界@名無史さん
11/06/11 17:15:54.31 0
1.わが国は最後の審判まで続く、地上の神の国、永遠のローマ帝国という強力なイデオロギー
2.古代ギリシャ・ローマから受け継いだ多くの遺産
3.歴史の要所要所で柔軟に体制を変革した(それを行える優秀な人材もいた)
4.東西交易の要所という恵まれた立地(但し東西南北から敵が攻めてくる)
5.世界屈指の難攻不落要塞であるコンスタンティノープル
228:世界@名無史さん
11/06/14 00:36:32.22 0
>1.わが国は最後の審判まで続く、地上の神の国、永遠のローマ帝国という強力なイデオロギー
小アジアをトルコ人に取られた後はなんかもう
「栄えた国もやがていつか衰退し滅びる。ローマも例外ではない」
とかほとんど異教的なことまで書くビザンツ人もいたそうだ。
229:世界@名無史さん
11/06/15 01:43:37.38 0
>>228
異教的どころか「我々はロマイオイではなくヘレネスである」「古代ギリシャの神々を復活すべきである」
とか言っちゃうプレトンもいたし
230:世界@名無史さん
11/06/15 23:15:19.09 0
神々を復活すべきとまで言ってたっけ?
神の代わりにいちいち「ゼウス」と書いてたらしいがw
231:世界@名無史さん
11/06/16 00:36:31.60 0
プレトンって、あの時代にしちゃ変わった人だよね。
ザラスシュトラ(ゾロアスター)をあんま知らんくせにやたら持ち上げて、
彼こそプラトンに先行してプラトン主義哲学を説いた先覚者である、とかね。
祖国が滅亡に至る状況下、あらゆるものを相対化したい気分だったんかのぅ。
232:世界@名無史さん
11/06/17 03:22:08.68 0
ローマを称しながら末期の末期にはオスマンに隷属していた有様を見ては、ちょっと古代史と古代哲学にに知識ある人なら
ああいう批判もしたくなったかもしれない
233:世界@名無史さん
11/06/17 20:41:20.58 0
ローマを語っていたら、相手からビザンツはギリシア人の帝国なんて一番言ってはいけないことを言われてしまった
この怒りどうすればいいんだよ
234:世界@名無史さん
11/06/18 01:45:23.69 O
プレトンにかぶれて本当にギリシアの神々を崇拝しちゃった人はいるのか?
235:世界@名無史さん
11/06/18 02:19:24.41 O
ヘラクレスとかトロイ戦争の面子たちが蘇ってトルコ軍を追い払ってくれる
くらいの夢想をした奴はいるかもしれん。
236:世界@名無史さん
11/06/18 02:49:42.44 0
ところで…
ギリシャの火の製法は、帝国滅亡まで保持されたの?
237:世界@名無史さん
11/06/18 03:27:46.35 0
みんな大好き!プレトン先生!
238:世界@名無史さん
11/06/18 18:10:34.23 O
>>235
本当にヘラクレスやらアガメムノンやらが現れてトルコ撃滅したら、全ギリシア人即刻棄教しただろ。
239:世界@名無史さん
11/06/18 20:04:32.57 0
キリスト教にあてはめて解釈し、益々キリスト教を信仰するかもしれん
240:世界@名無史さん
11/06/18 21:09:41.82 O
>>236
オスマン軍にも使われたらしい。
241:世界@名無史さん
11/06/18 21:20:11.76 0
デルフト大爆発みたいな暴発事故は起こさなかったんだろうか
242:世界@名無史さん
11/06/19 21:45:18.40 0
タクティカ読みたいなあ
243:世界@名無史さん
11/06/26 23:19:20.23 P
>>227
それにしてもテオドシウス城壁チート杉だろ。
正直建てようと思えば建てれるレベルの壁だと思うんだけどなんであんなに特別視されるんかね?
244:世界@名無史さん
11/06/26 23:34:39.19 0
金が無い
資源が無い
技術が無い
245:世界@名無史さん
11/06/27 14:55:37.69 0
なぜブラケルナエ地区の城壁だけ他の区域みたいに三重壁にしなかったんだろう
246:世界@名無史さん
11/06/29 12:09:21.09 P
>>245
元々あそこも三重だったけどブラケルナエ宮殿作ったときに改築したってのが定説
247:世界@名無史さん
11/07/04 22:50:22.98 0
何だかんだでテオドシウスの城壁は古代ローマの余力が成し得た技だよ。
248:世界@名無史さん
11/07/05 12:46:03.49 O
マヌイル1世「三重城壁もボロくなったから、全部黄金で造り直そうぜ」
249:世界@名無史さん
11/07/06 20:45:29.56 0
オスマン帝国征服後コンスタンチノープルでの戦闘ってあったっけ?
WWIでも空襲とかなかった覚えがあるのだが。
250:世界@名無史さん
11/07/10 22:12:40.82 0
ない、強いて言えばトルコ革命で諸国に制圧されたのをケマルが追っ払ったくらい。
ビザンツが滅亡して宗教圏の境界ラインが大幅に西側に移動しちゃったからな。争いが起きようが無い。
ラテン帝国が長らく続いた方がキリスト教都市としてのコンスタンティノープルは残ったかもしれんな。
251:世界@名無史さん
11/07/11 00:05:26.17 0
もし何らかの理由でケマルがWWI終結までに死亡していたらギリシャ軍に攻撃されたのかね?
252:世界@名無史さん
11/07/19 18:45:57.56 0
「タキトゥス以降のローマの歴史よりももっと馬鹿げた歴史がある.それはビザンチン史で,
美辞麗句と奇跡ばかりを寄せ集めたくだらぬものだ.」
ヴォルテール
ヴォルテールというと神聖ローマ帝国に対するあの言葉ばかりが有名だが、ビザンツも嫌いだったんだなw
まああの時代の西欧人としては一般的な評価だけど
253:世界@名無史さん
11/07/19 22:42:52.31 0
バブルを懐かしむ現代の老若男女と似てる
254:世界@名無史さん
11/07/20 21:37:33.34 0
>>252
偉そうなヴォルテールだが、上から説教しても社会は変わらんし救えないな。
失敗もあったがマヌエル8世やエンヴィルの方が余程ましだ。
255:世界@名無史さん
11/07/21 16:48:27.91 O
アダム=スミスも『国富論』でビザンツ叩いてたな。
ラテン人の知識階層はどうしてどいつもこいつも…;
256:世界@名無史さん
11/07/21 23:41:50.64 0
>>255
パレオロゴス以降の事大主義と機会主義に満ちたマキャベリズムそのものの外交と資料不足でそういう認識になっていたんだろうな。
257:世界@名無史さん
11/07/21 23:55:16.12 0
パレオロゴス以降は史料があるんだけど世界的にまだ未研究な部分が非常に多いだけだよ
日本では、せいぜい通史レベルの政治史概論だけで、少し掘り下げた部分は全く研究されていない
258:世界@名無史さん
11/07/22 01:46:39.39 0
>>257
>日本では、せいぜい通史レベルの政治史概論だけで、少し掘り下げた部分は全く研究されていない
根拠は?
259:世界@名無史さん
11/07/22 02:37:38.85 0
あれ?君は、ビザンツ研究史についても細かくまとめられた西欧中世史研究入門2005年増訂版くらい読んでないの?
なんで怒った調子なのか知らないけど、国際的にもも80年代にようやく13世紀以降自体の本格的な研究が始まって
日本じゃむしろ政治史レベルですらあやしいところなのは常識だと思ってたけど
260:世界@名無史さん
11/07/25 03:05:52.84 0
ニケタス・コニアテスによると、アレクシオス3世は皇帝にしては気弱で優しい男で、
兄を盲目にして帝位簒奪したことも悔やんでいたと言う
また、第四回十字軍のとき自軍がラテン軍より兵も多く士気高く、そのまま戦えば勝てたはずだが、初めから逃げるつもりだったので
ロクに兵を城壁から出撃させなかったとある(当然ラテン人は神の加護があるだとか、ギリシャ人は臆病風にふかれてると考えた)
…ますますダメ皇帝だなこいつ
261:世界@名無史さん
11/07/25 12:46:36.79 O
優しい奴が兄貴の目をくり抜くかよ…。
それとも、ニキタスさん流の皮肉なんだろうか。
262:世界@名無史さん
11/07/25 19:41:02.43 0
「一次・二次史料で見かけた不気味な話」スレより
440 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 02:20:56 0
ビザンツ帝国の史家ニケタス・コニアテスによると、12世紀末の
コンスタンティノープルにバシラキオスという狂人がいた。
その男は未来を占えるという評判があり、人々は長蛇の列をなして
彼のところへやってきたという。
コニアテスに言わせれば「その男の予言は当ったためしがなく、その
言葉遣いは間違いだらけで、支離滅裂で、秘密めかしていた」。
そしてそんな馬鹿げた行いに引きつけられるのは田舎者や無知な者
だけだったと記している。
だがその評判は皇帝の耳にも届いたらしく、バシラキオスは宮殿に
召し出され、当時のイサキオス2世によって未来を占うよういわれた。
バシラキオスはまったく場所をわきまえない様子で、奇声をあげて
そこら中を走り回り、壁にかかっていた皇帝の肖像画の両目に穴を開け
イサキオス2世の頭から被り物をひったくった。
その後クーデターが起き、イサキオス2世は帝冠を奪われ、両目を潰された。
263:世界@名無史さん
11/07/25 22:11:52.59 0
面白いな
イサキオスはもともと占いの類が好きだったようだ
とくに盲目にされながらも、息子に助けられた後は、ラテン人によって不穏な空気を漂わせる都や息子の台頭などで
心がすっかり弱ってしまい、宮殿に引きこもって怪しい占い師たちを招いていたという
イサキオスはその怪しげな話を信じて、目をこすれば盲目にされた目が見えるようになると目をこすりまくったり、
自分の通風が治ったのは、自分は神に選ばれた男なのだと公言したりと、衰弱・混乱ぶりがめてとれる
そして最後には息子が反乱で殺されてしまうと、心労がたたって病となり死んでしまう
264:世界@名無史さん
11/07/25 23:19:33.41 0
>>261
どう見ても、心優しいっていう額面通りに取るんじゃなくて
皇帝にはふさわしくない人物という意味だろそこは。
とか思ったけど側近粛清しまくりの某スターリンが子供好きな気さくなおじさんっての思い出した。
265:世界@名無史さん
11/07/25 23:31:10.96 0
最近ウィキペディアに追加されてるアレクシオス3世のメダル風の絵は何なんだ?
当時の帝国にあのクオリティのメダルを作る技術は無いはずだが。
266:世界@名無史さん
11/07/26 00:04:03.23 0
16世紀の本の挿絵だろ
そもそも名前がラテン語になってるし当時のコインのわけないだろ
267:世界@名無史さん
11/07/26 12:18:44.41 0
あれでも西欧じゃコインになる程の人物なわけか・・・。
268:世界@名無史さん
11/07/27 07:00:16.41 0
>>267
十字軍は論外として少しぐらい改修したっていいから、
ハギア・ソフィアとブラケルナエと皇帝宮殿は最小限の
改修程度で残して欲しかったな。
ガズ二朝もデリー略奪なんて止めて欲しかった。
モンゴルもマーワラン・ナハルやホラーサ-ン、バグダットや
ウラジーミルやキエフの破壊は控えて欲しかった。
英仏の円明園破壊も酷い。
269:世界@名無史さん
11/07/28 00:59:16.72 O
アレクシオス3世って帝都落とされた後にモレアで十字軍国家に抵抗したり
その後はルームセルジュークで甥のテオドロス帝の邪魔したり
やってることがもはやアニメかゲームの域だな
270:世界@名無史さん
11/07/28 01:45:36.27 O
ビザンツ時代って王政~共和政ローマの話ってどれだけ伝わってたの?
教会合同でローマに行った使節が手紙でユリウス・カエサルに言及してたけど
キンキナトゥスやグラックス兄弟やマリウス、スッラの話って
ビザンツ時代人がどこまで知ってたのかな
271:世界@名無史さん
11/07/28 02:02:14.44 P
認識はしてるけど語るに及ばない恥ずべき時代
皇帝の歴史教科書は、アレクサンドロス→ロムルス→カエサル、アウグストゥス の順
272:世界@名無史さん
11/07/28 12:21:36.32 0
見れば見るほど、アンゲロスブラザーズって民主党のまんまだな。
こりゃ、近いうちに十字軍に相当するものに日本が占領されるぜ。
273:世界@名無史さん
11/07/28 13:02:39.88 O
つまり、ポッポが首相に返り咲いたら危ないのか。
私達にとってのニケアやトラペズンタはどこだろう。
274:世界@名無史さん
11/08/03 13:27:48.88 0
首都は、コンスタん家のポリス
275:世界@名無史さん
11/08/09 19:15:53.74 0
>>272
ドゥーカス朝=民主党だな。イサキオス1世の後にそのままコムネノス朝となって
いたのならば、アナトリアをトルコに奪われる失態はありえなかっただろうな。
276:世界@名無史さん
11/08/11 22:40:01.52 0
何度も言うが、時代も状況も文化も違う国に、現代日本を無理やり当て嵌めるなよバカバカしい
首都が外国に奪われるくらいになってから言え
277:世界@名無史さん
11/08/14 23:58:31.24 0
と、生保で暮らす在日様がおっしゃっておられます。
278:世界@名無史さん
11/08/15 09:08:01.68 0
あちゃー、とうとう国士様まで来ちゃったか
ビザンツスレなら「パンとサーカスで暮らすローマ市民様」くらいにひねれよw
279:世界@名無史さん
11/08/16 10:18:17.74 0
>>278
ローマ市民とか褒め言葉だろw
今や国士達は、スレ市民に対して、奴隷に接するように接し、しかもそれは、一般大衆に対してだけでなく、
セヴァストスの爵位を帯び、ローマ人の顕職において高い地位に達していた者に対しても、そうした態度を取ったのである。
280:世界@名無史さん
11/08/17 20:31:14.96 0
このスレで、セヴァストスの爵位を帯び、ローマ人の顕職において高い地位に達していた者って誰よ?w
マスコットはこいつらだけど↓
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
281:世界@名無史さん
11/08/18 14:27:19.96 0
>>280
アンゲロス家はコムニノス家の縁戚だから、セヴァストス以上の爵位持っていたんじゃないかな?
まあ、深く考えずキンナモスさんの文章を引用したんですがw
282:世界@名無史さん
11/09/15 01:41:07.85 0
エジンバラ公の祖母のギリシャ王妃オリガ大公女(ロシア)が
東ローマ皇帝アレクシオス3世アンゲロス(在位:1195年 - 1203年)と
皇后エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラの子孫にあたる
という事はチャールズ皇太子やウィリアム王子も東ローマ帝国の皇帝の
末裔って事なので興味が湧き、ビザンチィンに関する主に井上浩一著の
本を読みました。
アレクシオス3世はアンゲロス家、コムニノス家、ドゥーカス家の
血を引いてるんですね。
孫のマリア・ラスカリナからヨーロッパの王侯貴族に血が引き継がれた
ようですね。
19世紀になってもギリシャ国民は、王室を戴くのなら
約500年も前に滅んだ東ローマ帝国の皇帝の子孫を
国王あるいは王妃に望んだのでしょうね。
それからスペインのソフィア王妃もオリガ王妃の子孫ですね。
283:世界@名無史さん
11/09/15 03:10:23.83 0
マリア・ラスカリナというとニカイア帝国の王女ですな
284:世界@名無史さん
11/09/18 12:36:19.69 0
>>282
オリガはエウフロシュネの母系直系子孫。
マリア・ラスカリナが多産だったことと、嫁ぎ先のハンガリー・アルパート朝が
東欧の名門だったのが拡散し続けた理由かね
オリガの旦那もどんどんたどると、結局アレクシオス3世・エウフロシュネにたどり着く。
あと、シュタウフェン家のフィリップ・フォン・シュヴァーベンに嫁いだ
エイレーネ(イサキオス2世の娘)も、現在の欧州諸王室のご先祖様なはず。
フィリップとの間の娘達がボヘミア王・ブラバント公・カスティーリャ王に嫁いで、
またバンバン子供をこさえたためそこら中に広まってる。
ブラバント公家が地味に英仏王室や独伊の名門諸侯と通婚していたから、
子孫の広がりがとんでもないものになってしまった。
もっとも、結婚相手からしたらアンゲロスよりシュタウフェンの血統の方が意味があったんだろうが
285:世界@名無史さん
11/09/23 18:28:18.68 O
ヴァシリオス二世もそれくらい多産だったらなぁ…。
黄金のマケドニア朝が永遠に続いただろうに。
286:世界@名無史さん
11/09/23 23:55:42.19 0
ビザンツ帝国の場合、あまり兄弟親類が多くなると
目潰し大会がヒートアップするだけのような気がする
287:世界@名無史さん
11/09/24 00:25:22.48 0
>>286
跡を継いだら兄弟親類をバッサリというのはオスマンにも引き継がれたな。
288:世界@名無史さん
11/09/28 21:51:48.75 0
盲目で修道院で余生を送る元皇帝たち・・・
289:世界@名無史さん
11/09/29 23:46:03.86 0
中世 修道院で監禁されたローマ皇族がひっそりと暮らす
近代 上記修道院を改装したモスクで監禁されたオスマン皇族がひっそりと暮らす
現代 上記モスクに来た観光客ががやがやとローマ皇族やオスマン皇族の監禁部屋を見学
入場料やお布施を考えるといい遺産なのかもねw
290:世界@名無史さん
11/10/03 20:09:17.27 O
アンナ殿下がひっそり暮らしたとは思えない…あんなもん書いているし。
291:世界@名無史さん
11/10/21 08:20:07.16 0
過疎ってきたなあ、このままだといつまでたっても首都奪還ができない
モタモタしているとニケアの連中に先越されるぞ
292:世界@名無史さん
11/10/26 00:52:50.49 0
スパイがいるな
293:世界@名無史さん
11/10/27 23:16:17.97 0
帝国にとって最も危険な敵はオスマンで確定として、2番手はどこだろうね
ルーム・セルジューク、ヴェネツィア、ノルマン、ブルガリア、セルビア、ハンガリー付近が
有力候補と見るが
294:世界@名無史さん
11/10/27 23:32:39.75 0
>>293
ラテン帝国を間接的に作ったヴェネツィアが最有力
領土を蚕食しまくって皇帝を宣言していたセルビアが次点
マンジケルトのルーム・セルジュークは3番手か4番手
その次は、アヴァール・ササン朝・正統カリフ・ウマイヤ朝などの
コンスタンティノープルに殴りこみをかけたグループがノミネートされ、
大穴でパライオロゴス朝・アンゲロス朝
295:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/10/27 23:39:36.41 0
>>294
>領土を蚕食しまくって皇帝を宣言していたセルビアが次点
これはセルビアじゃなくてブルガリアじゃないの。セルビアも後期になると、
ビザンツ帝国にとってわりと危険な存在だったけど、それ以外の時期なら、
圧倒的にブルガリアでしょ。皇帝を名乗ってた期間もブルガリアのほうが、
圧倒的に長かったと思うし。まぁ、どっちも最盛期が微妙にずれてるから、
どっちがビザンツ帝国にとって危険かどうかは時期によって違うんだけど。
296:世界@名無史さん
11/10/28 00:01:52.57 0
>>295
シメオン1世のコンスタンティノープルにおける戴冠を失念していた
その意味で第一ブルガリア帝国を挙げなかったのは俺の誤り
入れるとしたら、ヴェネツィアとセルビアの間かな
最終的にシメオン1世はビザンツに打ち破られてしまうが
でも第二ブルガリア帝国は帝国にとって危険かと言われると
「ラテン帝国にとって」という但し書きがついたり、対象が微妙にずれる
297:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/10/28 00:13:03.11 0
>>296
確かに第2次ブルガリア帝国の最盛期はラテン帝国の時代だから、
ビザンツ帝国にとって危険だったかと訊かれると微妙かも知れない。
第1次ブルガリア帝国の最盛期ならビザンツ帝国を脅かしてたけど。
298:世界@名無史さん
11/10/28 00:24:42.52 0
危険度はともかく、迷惑度ならばローマ教皇や十字軍も負けちゃいない
299:世界@名無史さん
11/10/28 00:32:47.63 0
元々、その教皇に協力を仰いだのは何処の誰だって話だよ。
300:世界@名無史さん
11/10/28 02:02:59.05 P
教会合同したらお前らどうすんの?
301:世界@名無史さん
11/10/28 04:34:02.24 0
>>296
いやブルガリアは危険でしょ
ラテン帝国初期にあの辺りのギリシャ人が比較的すんなり支配下に入ったのはブルガリアの脅威があったからだし
エピロスもブルガリアにボコされて帝都奪還レースから脱落するし
ミカエル時代もコンスタンティン・ティフがキプチャクのベルケと結んで1264年にトラキアに侵入してくるし、
その後もシャルルのシチリア王国と同盟するし(ミカエルが姪を送ったあとは関係が改善するが)
302:世界@名無史さん
11/10/30 09:09:07.30 0
>>299
躾の悪いボランティアが略奪したり、放火したり、領土分捕ったりしてきたら、
協力仰いだうんぬん関係なしに迷惑以外の何物でもないだろw
第4回十字軍は、半分は帝国の自爆なんだろうけど。頼った相手が悪過ぎた
303:世界@名無史さん
11/11/01 23:05:10.02 0
経済危機に倦んだ元イスタンブル在住のギリシャ人に帰郷の流れ
URLリンク(www.el.tufs.ac.jp)
> 経済危機により、トルコでより良い未来を探しているのはギリシャ人だけではない。ギリシャへ大きな希望を抱いて
> 移住した元イスタンブル在住のギリシャ人(ルーム)らも、移住から何年も経てトルコへ帰郷し始めた。
> 元イスタンブル在住のギリシャ人らは、イスタンブルのギリシャ正教会総主教座やギリシャ系各協会を頼り、
> 出生地に戻った場合仕事や家を見つけることが出来るか否か調べている。さらには、イスタンブルの
> ギリシャ系新聞社に手紙を送り、情報を集めている者もいる。
304:世界@名無史さん
11/11/02 01:36:02.08 0
>>303
トルコ人からすればクルド人以上に面倒な連中だろうな。
305:世界@名無史さん
11/11/03 12:16:28.00 0
正直、正教に対するトルコ政府の扱いは国際的に非難を浴びるべきものだと思うね。
306:世界@名無史さん
11/11/03 13:46:33.62 O
ルームって呼び方が面白いな
今でもよくも悪くも東ローマの末裔扱いなんだね
307:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/11/03 14:02:23.38 0
>>306
ビザンツ帝国が存在した当時、西欧諸国はその国をギリシャ人の国だとして、
ローマの末裔と認めなかったけど、中東諸国は最後までルームと呼んでた。
トルコで彼らをルームと呼ぶのはその名残なんだろうけど、今も昔も中東は、
ビザンツ帝国をローマ帝国の後継として認めてるということなんだろうね。
308:世界@名無史さん
11/11/03 20:26:38.54 0
ギリシャが国家破産したら、劣ったヨーロッパ人として生きるよりも、
栄光あるルームとして中東世界の一員として生きたほうが幸せなんじゃね?
309:世界@名無史さん
11/11/03 20:41:58.09 0
>>308
まるで中東の仲間になればギリシアでも優等生になれるかのようなものいいですねw
310:世界@名無史さん
11/11/03 23:30:49.60 0
ギリシア自体が中東への楔として列強に作られた国なのに。
311:世界@名無史さん
11/11/04 00:24:11.19 0
>>310
そもそも古代ギリシャの都市国家自体中東の文明に影響されて文明化したものなのにw
312:世界@名無史さん
11/11/04 01:57:18.69 P
中東の王政がギリシアの古代民主政治に影響与えたとか初耳
313:世界@名無史さん
11/11/04 10:51:23.57 P
そもそもギリシアの古代民主主義って日本で言えば中世の国人一揆とかと変わらねえんだけど
314:世界@名無史さん
11/11/04 13:57:21.06 0
ビザンツ時代はギリシャ本土は既に辺境だった。
マウリキオス帝からコムネノス朝いたる帝国は、
カッパドキア人やフリギア人とかの帝国だった。
ギリシャ本土は属州エジプトとかと同じく、
支配されているだけの地域だった。
315:世界@名無史さん
11/11/04 21:09:11.10 0
>>313
お前ちょっとは十部族制とか勉強して来いよ
316:世界@名無史さん
11/11/05 00:39:12.67 0
>>314
釣れねえなあ
317:世界@名無史さん
11/11/05 02:54:14.25 O
>>309
なれないなれない。
中東の産油国のほうが遥かに金持ち。
318:世界@名無史さん
11/11/05 08:19:28.59 O
黒歴史になってるけどビザンツ時代にはイスラム教に改宗した皇帝もいたし、とりあえず中東の一員でいいんじゃない?
で、その後に互いにも同胞を多く抱える隣国どうしでトルコ=ギリシア(キプロス含む)連合共和国として、
EUに再加盟すれば西欧列強国にも一目置かれて馬鹿にされずに済むだろうし。…
319:世界@名無史さん
11/11/05 11:11:10.93 0
ヘラクレイオスか。>ムスリム皇帝
それはともかく、ビザンツ時代のギリシアが辺境の田舎ってのは間違ってないだろ。
アカデメイアが閉鎖して以降、オワコンになりアテネなんて完全に荒廃しきってたんだから。
320:世界@名無史さん
11/11/05 14:05:10.47 0
テッサロニキはコンスタンティノープルに次ぐ帝国第二の都市だったとされるので、
ビチニアのニコメディアやカッパドキアのカエサレアよりも大都市だったらしい。
321:世界@名無史さん
11/11/05 16:08:59.40 0
>>319
オワコンは言いすぎだと思うよ。
コンスタンス帝の遠征のときみたいに、イスラーム勢力の伸長後は
コリントスやアテナイは艦隊基地としての重要性が増したんじゃ
>>320
テッサロニキは皇帝の滞在地で宮殿も建設されたし、シルミウムの荒廃・失陥後は
イリュリクム道管区とマケドニア管区の首府でかつ大司教は東イリュリクム全体を管轄下に置いてたしね。
それと後期ローマ~ビザンツ期で、地域としてのギリシアっていったら属州アカイアやテマ・ヘラスが
置かれた地域を指すかと
322:世界@名無史さん
11/11/05 16:23:43.26 0
>>319
井上先生の本を100回読みなおしてこい
ネットde真実はいらんのや
323:世界@名無史さん
11/11/05 17:45:07.95 0
風呂と水道と集会広場がなくなればオワコンかよwwwwww
324:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/11/05 19:06:23.64 0
>>319
ヘラクレイオスがイスラームに改宗したなんて初耳なんだけど。
イスラーム勢力に負けただけで改宗してはなかったと思うけど、
何かソースでもあるのかな?それとギリシャと言っても地域の、
違いはあると思うよ。アテネは田舎だったけど、テッサロニキは、
それなりに発展してたし、ギリシャ全部が辺境とは言えないなぁ。
325:世界@名無史さん
11/11/05 19:35:08.24 0
帝国後期ともなると、モレアの中心地ミストラが
コンスタンティノープルをも凌ぐ繁栄を見せてるな。
帝国滅亡後もミストラの繁栄は続いたが、
皮肉にもギリシア独立戦争がミストラを滅ぼしてしまった。
そして、それからはアテネの時代が始まるわけだ。
326:世界@名無史さん
11/11/06 16:52:08.95 0
>>320
サロニカが第二の都市と呼ばれるがあれも半分嘘らしいな。
第二の都市となったのも別に爆発的な発展を遂げたわけじゃなく
アナトリアの諸都市がトルコ人の侵入で失われていったからだそうで。
コンスタンティノープルの繁栄とやらもまた悪い仕方の反映で
何か取れたわけでもなく
特別な製品や技術があって金儲けできたわけでもなく
産業技術が発展し続けたわけでもなく
地方から物資や金や穀物を搾取しまくって繁栄していただけだからな
そりゃ落ちぶれてトルコ人に征服されるわけだよ。
327:世界@名無史さん
11/11/06 18:31:13.39 0
マルクス史観乙
328:世界@名無史さん
11/11/07 16:11:11.01 0
よく行く書店の一つに、
ビザンツ時代のイコンが展示販売されててびっくりした。
60万円くらいで買えるんだな。
329:世界@名無史さん
11/11/07 17:39:00.35 0
どこだよそこ、買いに行くわ
ローマのテルミニ駅正面のコイン屋にはいくつかビザンツのフォリス銅貨があったな
コンスタンティノス8世の銅貨が6000円くらいだったと記憶している
330:世界@名無史さん
11/11/07 23:53:36.54 0
>コンスタンティノス8世の銅貨
うわ、微妙。いっそイサキオス2世とかアレクシオス3世並に突き抜けていれば・・・。
331:世界@名無史さん
11/11/08 02:01:09.25 0
よりにもよってコンスタンティノス8世か……
何もしなかった、という一点において突き抜けてるといえば突き抜けてるけどさ
332:世界@名無史さん
11/11/09 12:16:22.03 0
まぁ、何もしようが無いんだけどな。
若いころは独裁者の兄貴が好き勝手にやってたし。
333:世界@名無史さん
11/11/09 21:54:53.61 0
むしろ政治に意欲があったらアンゲロス兄弟よろしく内戦になってただろ、単独皇帝だったのなんてほんの数年だし
コンスタンティノスはあれでいいと思うぞ、バシレイオス含め後継者がいなかったのがダメなだけで
334:世界@名無史さん
11/11/10 13:24:53.40 0
ニコニコ大百科のビザンツ帝国の記事が異様に充実してて感動した。
というか、あの記事を書いたの絶対このスレの人間だろw
335:世界@名無史さん
11/11/16 00:46:25.65 0
東海大学出版のビザンツ帝国史が高いんだけどおおおおおおおおおおお
336:世界@名無史さん
11/11/21 20:14:53.87 O
>>335
おいくら?
337:世界@名無史さん
11/11/23 20:32:40.69 P
2万近くするがな
338:世界@名無史さん
11/11/23 20:52:19.05 0
なにをいまさら?
339:世界@名無史さん
11/11/24 23:27:29.91 0
ビザンツ研究は欧米では盛んだし、ネットでも英語で多くの記事やサイトや論文がある
プロコピウスの戦史や秘史だってネットで読めるし、wikipedia英語版見るだけでもいろいろ情報漁れる
340:世界@名無史さん
11/11/25 14:26:19.14 0
>>324
ギリシャ系ユダヤ人の出身地が一番多いのもテサロニキですよね。やっぱり一番都会だったのですね。
>>293
ビザンツのライバルは、何の史観を中心にするかで着目する相手が違うでしょうね。
正教史観ならトルコだが、ユダヤ陰謀史観なら元々ビザンツ領だったベネチアがなんでビザンツと対立する事になったのかが一番気になる。
いや、陰謀史観なしの世界史でもそこは一番重要な方でしょうね。
キリスト教東西分裂以来のバチカンとビザンツとベネチアの関係の変化が現在までの西洋史の基調を成すと思います。
逆に遊牧民や民族移動中心史観だと全てのビザンツ周辺民族が対象となるだろう。トルコ系(セルジューク、オスマン、ハザール、ブルガール)、
スラブ系(セルビア、ウクライナ、ロシア)、ゲルマン系(ランゴバルド、バンダル、フランク、ノルマン)、アラブ人、クルド人、アルメニア人、ロマ等々。
結局、ローマ帝国滅亡後に地中海の全沿岸を再統一した国家はアラブ、トルコ、ナチス・ドイツ、米ソ含めて現在までない。
341:世界@名無史さん
11/11/25 19:04:02.74 0
もう全部ライバル
342:世界@名無史さん
11/11/25 19:09:26.31 0
地理的にしかたないね
343:世界@名無史さん
11/11/25 19:36:35.71 0
>>340
トルコなんか終わりのほうのチョイ役じゃん
最盛期のマケドニア朝含め、数世紀にわたって殴りあったブルガリアが一番だと思うぞ
344:世界@名無史さん
11/11/25 22:05:52.21 0
オスマン帝国にとってはライバルはどうみてもハプスブルグ帝国とペルシャ帝国だし、東ローマにとっては一応は神聖ローマ帝国がライバルだったんじゃないかな?
345:世界@名無史さん
11/11/25 22:36:41.75 0
ほとんど直接衝突ないじゃん
フリードリヒ1世の十字軍遠征のときはビザンツも冷や汗かいたろうがそれくらい
西方で勝手にローマ帝国名乗ってる蛮族にすぎない
346:世界@名無史さん
11/11/26 00:16:05.69 0
マヌエル1世がヴェネツィアとグルになって、ロンバルディア都市同盟に資金援助してなかったっけ
で、報復でバルバロッサがルーム・セルジュークをこっそり支援
結果は同じ1176年にレニャーノとミュリオケファロンで両帝とも敗北。
347:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/11/26 06:13:41.76 0
>>346
確かに、マヌエル1世の時代のビザンツ帝国はイタリア政策などを巡ってフリードリヒ1世の、
神聖ローマ帝国と敵対してたね。でもその時期を除けばあまり大きな対立はなかったかな。
まぁ、オットー1世が最初に神聖ローマ皇帝になった時はいくらかの抗議をしただろうけどね。
348:世界@名無史さん
11/11/26 14:22:11.85 O
オットー1世とは南イタリアで戦争状態じゃなかったっけ?
349:オツガイ ◆EAbyJft1LY
11/11/26 19:48:56.80 0
>>348
あれ、そうだったっけ?ローマ皇帝戴冠云々を巡って争ったことがあったのは、
知ってるけどそれとは別に南イタリアでも対立してたのかな。まぁ、でも確かに、
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国が対立するとしたら、イタリア政策関連のことも、
当然あるだろうからね。後にフリードリヒ1世と対立した時もイタリア関連だったし。
350:世界@名無史さん
11/11/28 20:39:27.60 0
♪ジュリーがライバル
351:世界@名無史さん
11/12/09 19:22:22.52 0
「スレが全部消えた?ログ復旧するだろうし洒落で立てちゃえ♪」
と思ってスレタイ変えたらそのまま残ってて申し訳ない
352:世界@名無史さん
11/12/21 23:33:27.50 0
デモ最下層
353:世界@名無史さん
12/01/18 02:29:42.08 O
ティムール「オスマントルコ?フルボッコにしてやったよ。ついでに捕まえたスルタン、何故か死んだ。オスマントルコ滅亡だな」
ビザンツ帝国「…え???え?…ひょっとしてチャンス?」
状態だったの?
354:世界@名無史さん
12/01/19 22:37:48.63 0
確かティムールに「サンキュー、これからも誼結ぼうぜ!」的な手紙送ってた
355:世界@名無史さん
12/01/22 18:58:00.11 0
河出の図説 ビザンツ帝国はトレビゾンド帝国関連の写真もわりと多いな
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(g.co)
スメラ修道院はえらい崖に張り付いた修道院だが、帝都から35kmばかり
内陸にある
黒海沿岸だけの国とは言っても幅数十kmぐらいはあるようだ。
面積も1万~3万km2ぐらいはあるかなあ?
356:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/01/22 20:39:38.03 0
>>353
実際、それでビザンツ帝国の寿命が50年のびた訳だしね。
もしティムールが来なかったら多分コンスタンティノープルはその時に陥落してた。
357:世界@名無史さん
12/01/25 23:39:29.14 O
ティムールがその気になったら当時のコンスタンティノープルは
指先一つで陥落だった気もする。
元々ティムールはオスマントルコと和平したがってたし
358:世界@名無史さん
12/01/26 09:35:59.94 0
ティムールの時だけでなくモンゴルのおかげで
ビザンツ帝国の寿命はかなり伸びたみたいだね。
モンゴルがホラズム帝国を滅ぼさなかったのならば、
ホラズムはアッバース朝やルーム・セルジューク朝、
トレビゾンド帝国やニカイア帝国を征服したはず。
ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪うのは、
おそらくブルガリアだったはず。
パレオロゴス王朝がまるごとなかったかもしれない
わけだよね。
359:世界@名無史さん
12/01/26 18:51:03.75 0
>>354
ゲームの蒼き狼と白き牝鹿でも
(シナリオ4、明帝国初期、ティムール帝国創成期の時代)
開始1年目でオスマン帝国(ゲーム中ではオスマン=トルコ表記)が
コンスタンティノープル陥落させるのは可能なんだよね
そしてCPUでほおっておくとビザンツがトルコ滅ぼすことも度々あるし
360:世界@名無史さん
12/01/28 21:57:19.93 0
ティムールの本命はあくまでも明だもん。
同じムスリムのオスマン帝国とガチで戦いたがるワケないじゃん。
361:世界@名無史さん
12/01/30 19:42:28.53 0
俺もバシレイオス2世みたいに禁欲的な人になりたいです
362:世界@名無史さん
12/02/01 19:57:41.02 0
>>358
ホラズムがそこまで西方に領土を拡大できる理由がよく分からない。
そういう計画あったの?
またモンゴルが強いといってもああもあっさり滅亡させられる国力と
当初友好的だったモンゴルの使節をあっさり殺害する外交センスでは
大帝国を作れるとは思えないけど。
363:世界@名無史さん
12/02/02 02:05:23.69 0
ホラズム・シャーは、モンゴルとの戦争以前にアッバース朝と敵対していて、
1217年バグダード遠征を試みていた。この遠征はクルド人の奇襲で失敗した。
アッバース朝のカリフがモンゴルに使節を送ったので、モンゴルの偵察を
警戒したホラズム・シャーは使節を殺害した。
ホラズム・シャーは、唯一チンギス・ハンが自分と互角と考えた勢力であり、
戦えば負けるかもしれない相手なので、友好関係を築こうとした。
ホラズム・シャーはアッバース朝とクルド人、ルーム・セルジューク朝など
西方のイスラム諸国と敵対しており、さらに西のビザンツ諸国と十字軍諸国
にも戦禍が及ぶ事も充分ありえたのではないだろうか?
364:世界@名無史さん
12/02/02 02:08:43.68 0
言うてあの辺ってシュメールとかのメソポタミア文明の時点からどうしようもない不毛地帯になってたよね
365:世界@名無史さん
12/02/02 02:38:14.51 0
この使者殺害ってのがキモなんだよな
当時のモンゴルの使者ってスパイもいいところ、日本に来た使者も夜な夜な宿所抜け出していろいろ調べていたらしいし
で、切ったらそれを口実にして攻め込む
366:世界@名無史さん
12/02/02 05:34:29.25 0
日本場合は日本の事をよく知らない支那人が使節だったけど、ホラズムの場合は
自国出身の商人らが使節だったから、彼らがおのおの故郷に戻る事を口実に隅から
隅まで調べ回られてしまうよね。
この裏切り者達は自国に何故侵略者を招こうとしたのだろうかね?おそらく、
殺されるのトルコ人だけで自分達の同胞までが虐殺されるとは思いもよらなかった
のだろうね。
チンギス・ハンは金帝国征服が最優先なので、短期間でホラズム遠征を終了する為に
大量虐殺を遂行したのじゃないのかな?
ホラズム遠征以前、西夏やカラ・キタイの征服ではモンゴルは大量虐殺はしていない。
金帝国はチンギス・ハン個人と関係なくモンゴルの仇敵であり、よくある復讐だよね。
金帝国滅亡後にオトラル事件が起きたのならば、商人達が望んだようにモンゴルの
支配下でもサマルカンドやメルブが繁栄し続けたのかもしれないね。
367:世界@名無史さん
12/02/02 16:47:36.21 0
チンギス・ハンに使えていたムスリム商人らは、ホラズム・シャーも金帝国を
狙っていると吹聴して、チンギス・ハンの警戒心を煽っていたが、おそらく、
ホラズム側は対アッバース朝が最優先だったと思われる。
チンギス・ハンは、ホラズムと西夏のせいで、自ら金帝国に止めをさせなく
なった事を怒り、ホラズムと西夏で大量虐殺をしたのだろう。
368:世界@名無史さん
12/02/07 02:45:07.07 0
2月公開のトルコ映画『Fetih 1453 』
URLリンク(www.youtube.com)
27秒ごろにコンスタンティノス11世やヒッポドローム
369:世界@名無史さん
12/02/07 03:06:18.51 0
いまでもトルコ人には永遠の地獄がもたらされればいいと思ってるわ
370:世界@名無史さん
12/02/07 21:39:44.11 0
ビザンツオタにとって、トルコ人とエンリコ・ダンドロは親の仇以上に憎い相手なんだろうなw
371:世界@名無史さん
12/02/07 21:44:56.91 0
第四回十字軍がなければビザンツが残り続けたかな?
もしもただトルコに滅ぼさせるだけだったらビザンツの遺産はさらに減っていただろうし
かといってヴェネツィアがビザンツの崩壊を早めたのは間違いない事実だし…
372:世界@名無史さん
12/02/07 22:13:05.03 0
ぶっちゃけ帝国はエンリコ爺ちゃんがカチコミかける前から既に
空中分解フェイズに突入してるし、時間の問題だったと思う
十字軍が来なかったら、ブルガリアのカロヤンあたりに血祭りにあげられたのでは
373:世界@名無史さん
12/02/08 02:04:34.08 0
>>370
フォカスとアンドロニコス・ドゥーカスの方が、ビザンツオタに憎まれているだろう。
374:世界@名無史さん
12/02/08 20:36:36.90 0
オスマン帝国もビザンツ帝国も好きな俺は異端何だろうか
375:世界@名無史さん
12/02/08 21:24:53.30 0
パレオロゴス家の末裔ってイギリスとかイタリアに居るらしいね
凄いな
376:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/08 22:58:36.58 0
>>374
僕も両方好きだよ。ビザンツ帝国もオスマン帝国もどっちも歴史の面白い国だと思う。
377:世界@名無史さん
12/02/09 01:53:47.68 0
URLリンク(anime.2chnet.net)
378:世界@名無史さん
12/02/09 01:59:53.93 0
当時ビザンツを滅ぼしうる勢力、ラテン人やブルガリアやセルビアやオスマン帝国の中ならオスマンに滅ぼされて良かった
ビザンツに並びうる偉大な帝国だったし、裏切り者のラテン人よりは明確に敵であった異教徒のほうが良い
「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、トルコ人のターバンのほうがマシである」
379:世界@名無史さん
12/02/09 11:25:06.09 O
マヌイル大帝がミリオケファロンを難無く抜けて、イコニオンに突入していれば……
380:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/09 20:58:17.34 0
>>379
根津由喜夫氏はミュリオケファロンの戦いもそこまで酷い負けじゃなかったと言ってるけどね。
ただ、あの敗北の後からビザンツ帝国が再び衰退していったのも事実なんだよね。
ルーム・セルジューク朝の力を切り崩せなかったのは痛手だったかも知れない。
381:世界@名無史さん
12/02/09 21:04:29.67 0
首尾よくミリオケファロンを切り抜けられても、調子に乗って東に進軍したら
隙を狙って西からノルマンやヴェネツィアが乗り込んできそうな気がする
382:世界@名無史さん
12/02/09 21:05:10.73 0
塩野七生
「ビザンツなんて何の魅力があるのよ?
精々、ユスティニアヌス1世を妻のテオドラが後押しした時期にちょっと盛り返しただけで
後は約1000年間大した役割も果たさなかった弱小国家じゃない!」
383:世界@名無史さん
12/02/09 21:18:06.62 0
>>382
それは余りにも酷い勘違いだ。
東ローマ帝国は偉大だ。
384:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/09 21:22:10.06 0
>>381
そもそもマヌエル1世はずっと西側にばっか目を向けてたからね。
ルーム・セルジューク朝も攻めたけど神聖ローマ帝国やヴェネツィアなどのほうが、
マヌエル1世にとってはより大きな敵対勢力だっただろうし。
あまり東にばかり目を向けるとそれらの勢力に付け入れられるかも知れないね。
385:世界@名無史さん
12/02/09 21:47:19.81 0
敵作りすぎだよなマヌエル1世はwお友達はベーラ3世ぐらいじゃないかな。
皇帝の没後、手のひら返しされちゃったけど
先帝ヨハネス2世はそこのところ上手くやってたのは流石だ
386:世界@名無史さん
12/02/09 21:55:46.79 0
>>382
これ、本当に塩野さんが言ったの?いくらなんでもちょっと信じられないんだが。
387:世界@名無史さん
12/02/09 22:33:35.23 O
まあお塩は口ではっきり言わなくっても、
ローマ人の物語最終巻で地図見せてそういうことにしたいこと言っちゃったしな
388:世界@名無史さん
12/02/09 22:34:28.50 O
387修正
言っちゃったしな→示しちゃったしな
389:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/09 23:35:01.75 0
>>385
ルーム・セルジューク朝、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、シチリア王国など、
かなり色んな国と敵対してるからね、マヌエル1世は。外交戦略が好きな皇帝だったから、
それでも彼の時代はなんとかやっていけたんだろうけど彼の死後は一気に衰退してしまうし。
長期的に見れば彼の外交政策はあまり良い結果を残さなかったと思う。
390:世界@名無史さん
12/02/10 23:47:13.01 0
帝国本土だったアナトリアのかなりの部分を奪われたままだったのだから、
マヌエル1世は対ルーム・セルジューク朝に専念すべきだったよね。
ユスティニアヌス1世ではなく、やはりバシレイオス2世を手本とすべき状況
だったはず。
391:世界@名無史さん
12/02/11 00:26:10.19 0
周辺世界がいろんな意味で「ローマ帝国」の時代とは変わってたもんね
392:世界@名無史さん
12/02/11 00:34:32.81 P
戦争しながらよしなにやってたセルジューク相手に本格的な武力制圧なんてできるはずないだろ
どれだけつながり深かったと思ってんだよ
393:世界@名無史さん
12/02/11 01:45:48.77 0
広大な領土であった「ローマ帝国」の時代とは違い、「コムネノス朝」の時代
には属州がなくアナトリアとバルカンはともに本土だった。
「ローマ帝国」の時代ようにダキアやブリタニアように捨ててもいい属州が
コムネノス朝にはもはやなかった。
394:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/11 06:27:18.83 0
>>390
彼はどちらかというと西欧のほうに目を向けてたからね。
まぁ、シリアやキリキアのほうにも遠征して一定の成功は収めてるから、
全く東側に興味がなかった訳でもないんだけど。
内政に関しては結構西欧かぶれにみえるところがある。
>>391
だからこそ、彼はローマ帝国の威厳を保とうとして積極的な外交政策に乗り出したね。
国際政治の場でリーダーシップをとることが彼の基本方針だったらしいし。
>>392
確かに途中までビザンツ帝国はセルジューク朝となあなあな関係を築いてたからね。
むしろ、マヌエル1世がそれを壊してしまったと言えなくもない。
>>393
なるほど、だからどの領土も守るために多方面に外交政策を展開して、
そのせいで敵を作りすぎたと言えなくもないか。
かつてのローマ帝国の頃とはもはや事情が違いすぎるからね。
395:世界@名無史さん
12/02/11 19:20:26.06 0
>>380
根津先生がそれ書いてたのは『ビザンツ 幻影の世界帝国』だっけ。
兵力や国力の損害自体は痛手じゃないけれど、"不敗神話"が崩れたのは政治的にマズ過ぎるでしょ。
せめてもう一度どこかでルノー土下座に匹敵する大勝利を挙げることができたら、
しばらくは帝国に直接手を出そうとする動きは無かっただろうけれど……。
396:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/11 19:39:42.30 0
>>395
そう、その本。最初、タイトルだけ見てビザンツ帝国の通史かと思って読んでみたら、
マヌエル1世しか書いてなくて驚いた覚えがある。まぁ、わりと面白かったけど。
不敗神話が崩れたのもマズいけどそもそもルーム・セルジューク朝を敵に回したこと自体、
政治的には失敗のような気がしなくもない。それまではそれなりに平和的関係だったからね。
まぁ、マヌエル1世はイタリア遠征なんかにも失敗してるから不敗とは言いにくいんだけど、
軍事的な失敗以前に外交に力入れすぎて逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
397:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/11 19:40:27.56 0
×逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
○逆に敵作りすぎたことのほうが悪影響大きかったと思う。
398:世界@名無史さん
12/02/11 19:47:10.74 P
それっぽいことそれっぽく言うだけの糞コテ死ねよマジで
399:世界@名無史さん
12/02/12 15:32:56.72 0
一つの敵と決着をつける前に、前の味方を敵に回して、次の味方作っちゃうからなぁ
対バルバロッサを見据えた外交戦略の一環で、イングランド王ヘンリー2世や
フランス王ルイ7世、ハインリヒ獅子公とも手を結ぼうとしてたな。
雄大すぎるだろw地中海大戦でもおッ始めるつもりだったのかw>マヌエル1世
400:世界@名無史さん
12/02/12 16:24:47.03 0
まあガチ大戦ではなく、外交成果で大国っぷりをアピールしたかったようではあるようだが
本人の外交戦略や対処能力が不足していた
中途半端に国力が伴っていたのもマヌエルを勘違いさせた一因だな
401:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/02/12 17:30:43.85 0
>>400
実際、彼の時代はビザンツ帝国もそれなりに国力あったから周辺諸国に対して、
自国の大国ぶりを見せ付けたところで不自然ではなかったしね。
それをやりすぎて国際政治に首を突っ込みすぎたから衰退を招いてしまった。
まぁ、それ以前のコムネノス朝もそれなりに狡賢い外交戦略は練ってたけどね。
402:世界@名無史さん
12/02/12 19:59:22.23 0
何なんだこのコテ
粘着してるけど
403:世界@名無史さん
12/02/12 20:38:16.59 0
人が書いたこと言い方変えて反復してるだけだし、正直邪魔
404:世界@名無史さん
12/02/12 20:39:40.45 0
~だね
405:世界@名無史さん
12/02/14 22:02:46.40 0
>>399
足利義昭とはそこが違うな。
あくまでも義昭は敵を信長1人に絞っていた。
406:世界@名無史さん
12/02/15 16:03:33.99 0
歴代トラペズース帝国の皇帝とその系図とを
誰ぞ教えてたもらぬか。
407:世界@名無史さん
12/02/15 20:56:03.72 0
根津先生がアレクしオス1世の改革についての本を出すようだが
値段が高いのなんの。
408:世界@名無史さん
12/02/19 00:46:30.01 0
歴代トレビゾンド帝国の皇帝とその系図とを
誰ぞ教えてたもらぬか。
それとも誰一人知らぬとお言いやるか?
409:世界@名無史さん
12/02/19 00:52:47.71 0
ウィキ見りゃいいだけの話じゃない。いくら糞ウィキといえどもその手の情報「だけ」は正確なんだし。
410:世界@名無史さん
12/02/19 01:21:12.49 0
それっぽいキーワードでググったら一発で出てきたぞ
トレビゾンド帝国皇帝一覧&系図
411:世界@名無史さん
12/02/19 01:23:24.90 0
トレビゾンド帝国といえば、クリミア・ゴートとの関係があるようだね
初期はグルジア、後期はジェノバとの関係の方が強いようだけど
ゴート族が影響を及ぼしていることが少し意外だった
412:世界@名無史さん
12/02/19 01:49:01.22 0
クリミアにはトレビゾンドの親戚筋のテオドロ公国もあったそうやね
URLリンク(en.wikipedia.org)
ジェノバのユダヤ人のギソルフィ政権とかもあったりして
URLリンク(en.wikipedia.org)
クリミアゴートと関係もってたようで
URLリンク(en.wikipedia.org)
413:世界@名無史さん
12/02/24 22:25:58.24 0
George T. Dennisのマヌエル2世のテッサロニキ統治時代の本読んでんだけど
これに出てくるDemetrius Cydonesって人の名前って
日本語文献で一般的な表記は何?
洋書でビザンツ本読むの初めてで難儀してるんだ、このスレの皆の力を借りたい
414:世界@名無史さん
12/02/29 22:25:13.99 0
ほ
415:世界@名無史さん
12/03/05 00:57:33.76 0
コテがいないと伸びない落日のビザンツスレ
416:世界@名無史さん
12/03/06 13:04:26.43 0
コテに依存しなければスレが伸びないのは名無し住民のレベルが低いと言うこと。
417:世界@名無史さん
12/03/06 13:06:08.64 0
無論、必ずしも「コテなしでも伸びるスレは住民のレベルが高い」ということではないが。
418:世界@名無史さん
12/03/06 18:01:08.82 0
アホ丸出しのクソコテがまーだ根に持って名無しで書き込んでるのか
涙拭けや
419:世界@名無史さん
12/03/15 18:24:44.11 0
ほ
420:世界@名無史さん
12/03/16 12:33:08.69 0
ageてみよう
421:世界@名無史さん
12/03/20 14:17:41.97 0
tddss
422:世界@名無史さん
12/03/21 11:46:58.86 0
┗0=============0┛
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423:世界@名無史さん
12/03/22 21:52:23.86 0
パレオロゴス朝の時代のように衰退していくビザンツスレ
424:世界@名無史さん
12/03/22 23:09:49.59 0
結局ユスティニアヌス時代かバシレイオス2世かどっちが最盛期なの
425:世界@名無史さん
12/03/23 07:14:19.42 0
アナスタシウス1世の治世が東ローマの最盛期
426:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/23 08:57:06.28 0
>>424
普通はバシレイオス2世になるでしょ。ユスティニアヌス1世は領土を広げこそしたものの、
逆に国力を疲弊させてしまったと言う人もいるし、彼の時代はまだローマ帝国最後の輝きという感じで、
ビザンツ帝国ではないと言う人もいる。ビザンツ帝国の最盛期と言えばバシレイオス2世の時代でしょ。
>>425
アナスタシウス1世は初期の東ローマ帝国の中ではかなり名君のほうだね。
ユスティニアヌス1世が広大な征服事業を行なえたのも彼のおかげと言われてるし。
427:世界@名無史さん
12/03/23 23:38:52.87 0
パレオロゴス朝でもマヌエル2世とかは時代が違えばうまくやってた気がする
428:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/23 23:46:28.74 0
>>427
ティムールとの戦いで疲弊したオスマン帝国を混乱させるために、
オスマン帝国内のスルタン位争いに介入したりするなど、外交手腕もそれなりにあるしね。
文化的にも名高いから、生まれる時代が違ったら名君だったと良く言われてるね。
429:世界@名無史さん
12/03/23 23:49:10.62 0
なんやこの糞コテ
まだ粘着してんのか
430:世界@名無史さん
12/03/24 02:51:10.93 0
「ビザンツ帝国は西ヨーロッパと違って古代のギリシア・ローマ文化を
水準を落とさずに維持していた」という
「ビザンツ先進国神話」が根強く残ってるな。
本当はそうじゃないんだろう?
431:世界@名無史さん
12/03/24 03:00:10.05 O
なぜそう思ったか書けよ
432:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 08:24:11.80 0
>>430
とりあえず、アンナ・コムネナはコンスタンティノープルにやってきた十字軍の連中を、
野蛮な連中みたいな感じで書いてるね。当時のビザンツ帝国には西欧よりも自分たちのほうが、
進んでるという優越感があったんだろうね。教科書などでは古代ギリシャやローマの学問は、
イスラーム圏に伝わり保存され、それが西欧に伝わりルネサンスになったと良く言われるけど、
ビザンツ帝国もその保存に役立った。特に文学面の保存はビザンツ帝国の功績が大きい。
これらの点を考えるとビザンツ帝国のほうが西欧より先進的というのもそんなに間違いではないでしょ。
433:世界@名無史さん
12/03/24 08:38:27.45 0
国民の半分以上が字を読み書きできて、ナイフとフォークで食事をし、お風呂にも入っている時点で、
同時期の西欧より洗練されていると思うけれど。
そういえば古代ローマ式の大浴場は姿を消してしまったけれど、市民達はどこで入浴したんだろう?
より小規模な銭湯が流行ったのか、自分の家に浴室があったのか。
434:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 09:23:33.66 0
>>433
神学論争もビザンツ帝国のほうがかなり広くで行なわれてたと言うしね。
基本的に先進的な社会だったことに異論はないね。
浴場については、自分の家で小さな風呂に入ってた程度なんじゃないかな。
ビザンツ帝国で小規模な銭湯があったという話はあまり聞かないし。
もしかしたら今のハマムみたいのが存在してた可能性も否めないけど。
435:世界@名無史さん
12/03/24 09:30:10.21 0
ビザンツじゃなくローマと言え
436:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 09:36:10.03 0
>>435
まぁ、自称はあくまでローマだけど研究者ですら「ビザンツ」という呼称を使ってるからなぁ。
ビザンツ帝国の魅力はローマ帝国と大きく変わりながらもローマ帝国の体裁を守ろうとした点だしね。
個人的には、ユスティニアヌス1世の頃ぐらいまではぎりぎりローマ帝国と言えるけど、
ヘラクレイオス以降はビザンツ帝国と言わないと違和感がある感じ。
437:世界@名無史さん
12/03/24 10:15:48.88 O
この板の書き込みでは「繁栄してたのは首都だけで、他のギリシャは停滞した
」みたいなのがよくあるが。
438:世界@名無史さん
12/03/24 10:30:46.28 0
「ローマ帝国史」という本が出るとしたら西暦何年から何年まであつかうつもりだ?
紀元前から1453年までか?うん?
439:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 10:41:02.14 0
>>437
まぁビザンツ帝国は首都一極集中型だったからそういう意見は一理あるけど、
コンスタンティノープル以外にもそれなりに大きな都市はあったよ。
有名どころだとテッサロニキやアドリアノープルとかかな。
440:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 10:42:54.59 0
>>438
本にもよるんじゃないかな。普通は西ローマ帝国の滅亡辺りで筆を終わらせるだろうけど、
場合によってはコンスタンティノープル陥落まで一気に書く本もあるかも知れない。
441:世界@名無史さん
12/03/24 10:52:29.92 0
国名は現代人が歴史をあつかうときに便利であるかどうかという一点で決められるべきで、
当時の人間がどう名のったかはその国名を決める際に考慮すべき一要素にすぎない。
ビザンツ帝国も含めてすべてローマ帝国という名前で呼ぶことに、何かメリットはあるのか?
あつかう時期が長すぎて何もメリットがないだろう。
それに比べれば、ビザンツ帝国という名前でそれ以前のローマ帝国と切り離して
あつかうほうが何かとやりやすい。
442:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 11:15:57.42 0
>>441
確かにローマ帝国でまとめると長すぎて研究するのも本を書くのも大変だ。
まぁ、ビザンツ帝国で分けても1000年近くあるから、扱う時期はどっちみち膨大な長さだけど。
それでも、古代と中世で分けることでそれなりに分かりやすくなることは確かだ。
443:世界@名無史さん
12/03/24 14:12:37.42 0
普通に東ローマ帝国と呼べばいいでしょうに
444:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 14:23:14.97 0
>>443
東ローマ帝国ではなくビザンツ帝国という呼称を多くの人が使いたがるのは、
この国が純粋にローマ帝国の延長にないということを強調したいからだと思う。
すなわちギリシャ化したローマ帝国なんだということを言いたいんだろうね。
東ローマ帝国という呼称だとどこで区切るべきかはっきりするけど(アルカディウス以降)、
ビザンツ帝国という呼称だとどこで区切るべきか学者の間でも意見が分かれるのが問題だね。
まぁ、僕個人は井上浩一氏と同じでヘラクレイオスの治世で区切るのが好きなんだけど。
445:世界@名無史さん
12/03/24 14:26:14.18 0
>>444
本来はローマ建国以来変化ない時期などないんだけどね。
極論すれば今のアメリカもローマの後継者と思っているフシがある以上ローマは続いていると言えるのかも。
446:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 14:35:11.72 0
>>445
確かにローマ建国以来常に変化してはいるんだけど、後世の西欧人が、
ネガティブな意味も込めてビザンツ帝国と古代ローマ帝国を分けてしまった。
そして、後に研究家たちがそこにポジティブな意味も付け加えたけど、
それでもビザンツ帝国の特異性を表すため、呼称自体は変えずに置いといた。
まぁ、僕自身はビザンツ帝国という呼称もそんなに悪くないと思うけどね。
コンスタンティノープルが陥落した後もオスマン帝国やロシア帝国が、
ビザンツ帝国の後継を名乗ったこともあるからね。そういう意味では確かに、
ローマ帝国は今でも滅んでないと言えなくもないのかも知れない。
447:世界@名無史さん
12/03/24 14:36:46.92 0
ビザンツ帝国時代に「東の」ローマ帝国とするのはどうなの。
単にローマ帝国と呼ぶのが普通だったじゃないの?
当時の人間の呼称に従うなら東をつけるのもダメだと思う。
448:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 14:38:37.70 0
>>447
ビザンツ帝国のイデオロギーとしては西ローマ帝国が滅んだ時点で、
東西ローマ皇帝の称号をビザンツ皇帝が持ってることになるからね。
そういう意味では「東」すら付けてはいけないことになるのかな。
あくまで当時の人々の呼称に従うのならという前提だけど。
449:世界@名無史さん
12/03/24 16:17:58.79 0
>>447
現代人が南宋と呼ぶからといって、正式な国号が南宋だったわけでない。それと同じだろう。
450:世界@名無史さん
12/03/24 16:31:31.08 O
NHKで見ただけだが、バルカン半島のどこかの正教会の教会が堂々とビザンチンの国旗を飾ってビザンチンはまだ滅んでないって言ってたわ。精神面的な意味だったと思うが理由は忘れた。
451:世界@名無史さん
12/03/24 17:00:16.10 0
>>449
東ローマ帝国もビザンツ帝国も当時の人の呼称じゃないじゃん。
ならどっちで呼ぼうが同じようなものだろ。
ビザンツ帝国でなく東ローマ帝国と呼ぶべきという根拠はどこにもとめられるのだ?
ローマってついてれば満足というわけでもあるまい。
452:世界@名無史さん
12/03/24 17:17:25.02 0
いつからビザンツなのか定義が適当だからウザいんだよな。
東西分裂前、ビュザンティオンに遷都した時からビザンツ帝国とか、
定義がはっきりしてれば良いのに、何時の間にか
東ローマ帝国からビザンツ帝国に変わってるのが腹立つ。
453:世界@名無史さん
12/03/24 17:47:07.47 0
ヘラクレイオスとか、スラブ人進入時とか。
そういえば、スラブ人追い出してから、
ギリシアの都市は「ポリス」でなく「カストロン」というものになって、
文化程度はひどく落ちたらしい。
454:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 17:48:49.74 0
>>450
へ~。どこの国だろう?
まぁ、正教会はビザンツ帝国によって発展したと言っても過言ではないから、
彼らがビザンツ帝国に帰属意識を感じ、ビザンツ帝国は滅んでないと言うのも分からなくはないけど。
>>452
そうなんだよね。僕はビザンツ帝国という呼称のほうが好きなんだけど、
どこで区切るのかという定義が一定しないのがこの呼称の問題点だ。
東ローマ帝国という呼称ならば東西分裂時から始まるというふうに定義できるけど、
ビザンツ帝国という呼称だとそれがはっきりしない。あなたの言うように、
それより前のコンスタンティノープルに遷都した時からビザンツ帝国だという人もいれば、
それより後のヘラクレイオスの時代からビザンツ帝国だという人もいるからね。
まぁ、個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが気に入ってるんだけど、そこは人それぞれだ。
ビザンツ帝国史の概説書を見ても本によっていつの時代から記述が始まるかでバラつきがある。
455:世界@名無史さん
12/03/24 17:51:47.15 0
文化的な影響があるから、と言う程度で後継国家になれるのなら
西欧も東欧もみんなエジプトの後継国家になるな。
456:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 17:53:46.68 0
>>453
井上浩一氏はスラヴ人の侵入でギリシャの都市が変化したことが、
その後のビザンツ帝国の性格を特徴づけたみたいなことを言ってるね。
今までのポリスを単位とした古代の個人主義的な都市社会から、
首都コンスタンティノープルの皇帝を中心とした一元的な社会に変わった。
457:世界@名無史さん
12/03/24 17:57:54.19 0
ギリシアも帝国の「辺境」に位置づけられたわけだな。
458:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 18:15:16.30 0
>>457
そんなところだろうね。ビザンツ帝国は基本的に皇帝中心の国だった訳で、
ギリシャもあくまで皇帝の下に治められる一地方に過ぎなくなった。
都市ごとの自治が消えていって中央集権化が強まったと言えるね。
459:世界@名無史さん
12/03/24 19:03:49.79 O
現在のギリシャの惨状のタネはこの時に播かれたわけか。
460:世界@名無史さん
12/03/24 21:54:46.36 O
450だがちょっと気になって自分で調べてみたがアトス自治修道士共和国だったぽい。ここの国章はビザンチンのままで今でも自治が認められてるらしい。
461:世界@名無史さん
12/03/24 22:00:07.98 0
アトス山?
462:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/24 22:24:49.19 0
>>460
なるほど、アトス自治修道士共和国か。アトス山はビザンツ帝国中期から、
ギリシャ正教の修道士にとって欠かせない場所になってたからね。
今でも双頭の鷲を国章にしてるとは知らなかったなぁ。
ビザンツ帝国だとニケフォロス2世なんかが特にアトス山を支援してたね。
463:世界@名無史さん
12/03/24 22:41:09.14 0
>>459
ペリクレスやらレオニダスやらの頃にすでに播かれていた気がする。
464:世界@名無史さん
12/03/24 22:59:28.73 0
>>462
ビザンツじゃなくローマか東ローマといえ
465:世界@名無史さん
12/03/24 23:27:09.29 0
個人的にはヘラクレイオスの前後で東ローマかビザンツを使い分けてる
ヘラクレイオスからは領土も減ったしギリシャ化したし
466:世界@名無史さん
12/03/24 23:34:35.50 O
>>463
なんで?
467:世界@名無史さん
12/03/24 23:58:28.12 0
>>466
労働意欲や責任転嫁などは古代のポリスからの伝統だろう。
468:世界@名無史さん
12/03/25 00:10:52.97 0
ギリシャ市民ってのは特権階級で貴族階級で戦士階級だぞ。
現代の一般の国民とは全く異なる存在だ。援用できない。
469:世界@名無史さん
12/03/25 01:44:32.24 0
古代ギリシアの高い文明は奴隷制によって支えられていたから、
奴隷制が崩壊したら、自然と高い文明も失われたのだろうか。
470:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/25 09:03:22.06 0
>>464
そこら辺は個人の自由だと思うよ。専門の学者ですらビザンツ帝国という呼称を使ってるし。
個人的にはギリシャ化したローマ帝国というところが好きなのでビザンツ帝国と呼びたい。
>>465
僕も個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが好き。彼の時代にイスラーム帝国が、
侵入し領土が大幅に減少したからね。この頃に公用語がギリシャ語に変わったそうだし。
471:世界@名無史さん
12/03/25 11:28:26.20 0
また呼称問題か、何回繰り返すんだ
古代ローマですら王政時代とか共和政期とか元首政期とかいろいろ分別しているんだから
ただのローマじゃ長すぎてどの時代の話したいのかわからんだろ、2000年以上あるんだぞ
例)ローマ軍は徴兵された市民からなる歩兵の小集団主体だよな
1.いや密集陣形ファランクスだろ(ケルト襲来以前の王政・共和政ローマ)
2.徴兵じゃなくて志願兵だろ(マリウス以降)
3.そもそも歩兵主体じゃねーだろ(帝政後期以降)
4.ほとんど傭兵しかいねーよ(ビザンツ後期)
5.ローマ軍?そんなんいるなら余の首刎ねろよ(コンスタンティノス11世)
みたいになるだろ
472:世界@名無史さん
12/03/25 11:51:03.56 O
ビザンツは当然のようにギリシアとローマを自身のルーツとして扱っているが、
正史ではギリシアはアレクサンドロス、ローマは帝政期しか扱わなかったらしい。
こういう考え方により、ギリシアは衰退したんだろう。
473:世界@名無史さん
12/03/25 12:09:06.77 0
テマがあるのに中央集権で首都だけに一極集中、
というのがよくわからん。
474:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/25 13:04:40.21 0
>>471
確かにローマ帝国はいつだって変化してる訳だからね。
ビザンツ帝国への変化もその1つと捉えられなくもないか。
ただ、西欧が西ローマ帝国の滅亡でローマ帝国の歴史を終わらせ、
それ以降のビザンツ帝国の歴史をネガティブな意味で捉えてたことが、
ビザンツ帝国を独自なものとして扱うようになった原因なんだろうね。
今ではもうビザンツ帝国へのマイナスイメージ払拭が盛んになってるけど、
それでもビザンツ帝国という呼称そのものはまだなくなってない。
>>472
ビザンツ帝国の想定するローマ帝国は皇帝による専制支配がされてる国であり、
共和制期はそういうビザンツ帝国のイデオロギーには適さなかったんだろうね。
だから、ビザンツ帝国では帝政期以前のローマ帝国は良く扱われなかったんだろう。
>>473
時代にもよるからね。7世紀頃だとビザンツ帝国はかなり危機に陥ってた時期で、
中央政府の力も衰えてた。だから、テマ制というものが成立したんだしね。
9世紀頃からビザンツ帝国の国力が回復するようになると、中央の官僚機構も整備され、
皇帝の専制支配が強まった。もっと後になるとテマ制を支えてた自立農民の力が弱まり、
貴族が登場するようになるから、皇帝の専制支配の形もまた変わることになるんだけどね。
475:世界@名無史さん
12/03/25 13:24:51.01 0
専門の学者だからビザンツって呼ぶんだよ。「ビザンツ」は歴史用語。
>>471の言うとおり。
中華史だってそう。
「東晋は東晋なんて自称してないから晋と呼べ!」とか「蜀漢じゃねーよ、漢って呼べ」って
専門家がほざいてたら論文の一本も書けんだろ。
476:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/25 13:29:01.49 0
>>475
確かに、専門家が歴史を書く上でビザンツ帝国という呼称を便宜的に使ってる訳だからね。
わざわざ当時の自称で呼ぶ必要性は全くないんだし。
477:世界@名無史さん
12/03/25 17:32:36.69 O
分裂前か神聖ローマかよくわからんし
分裂前とは全然違うしビザンツの方がいい
478:世界@名無史さん
12/03/25 18:48:28.89 0
さすがにローマと言われて神聖ローマを第一に思い浮かべる奴はそうそうおらんやろ
479:世界@名無史さん
12/03/25 23:10:57.52 0
もし西ヨーロッパも西ローマ帝国が存続するとかで、
首都ラヴェンナだけに全ての富が運ばれる中央集権国家になれば
ビザンツ程度の繁栄は出来たんじゃないの?
他のところは停滞する一方だろうが。
480:世界@名無史さん
12/03/26 22:06:08.95 0
なんでコムネノス家は同じ東ローマのくせにラスカリスやパレオロゴスと仲良くしなかったんだ
481:世界@名無史さん
12/03/27 12:06:22.38 0
>>473
テマができ、その中で大土地所有者が台頭して貴族になる。
↓
11世紀の危機からコムニノス朝成立に至る流れの中で大貴族達が帝都へ移住。
↓
自分達の領地を単なる属州、収奪の対象としかみなさなくなる一方で、その富を帝都で散財するから帝都はますます大きくなる。
ざっとこんな感じで根津先生が新刊の中で説明してた。
482:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 12:42:42.91 0
>>481
その新刊、興味あるなぁ。コムネノス朝は貴族との連帯関係を保持することで、
ビザンツ帝国の国力維持を図ってたからね。それが首都への集中にも繋がったのか。
483:世界@名無史さん
12/03/27 14:49:07.60 O
>>481
テマが成立してそれが細分化されていくまでの時期に帝国はテマの連合国家
みたいな様相だったのにもかかわらず、コンスタンティノープルが帝国の
中心としての求心力を保ったことに俺含め>>473は疑問を持っているんじゃない?
テマを地盤にして反乱を起こした者達は外部勢力の支援を得つつも、
帝国から独立しようとせずに、あくまで皇帝を名乗り、帝国という枠組みから分離しようとしなかったし
484:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 15:30:03.64 0
>>483
テマはもともと自立農民の成立を背景にできたものなので、
初期は貴族が強い力を持ってなかった。だからこそ、皇帝に権力が集まり、
高度な官僚機構ができあがったんじゃないかな。10世紀頃には逆にテマから、
大土地所有者が現れ始め、貴族制ができてきたけど、今度は逆にこのことが、
貴族連合制による皇帝中心の新たなビザンツ帝国の体制を作ったんだと思う。
こういうふうに、ビザンツ帝国は形を変えながらも中央集権制を保ってきた。
それがコンスタンティノープルが求心力を保ち続けた理由だろうね。
皇帝の権力が強いからこそ、地方の反乱者も自分たちが皇帝になることを望んでた。
後は、イデオロギーの問題もあるかな。ビザンツ皇帝は地上における神の代理人とされてた。
ローマ帝国の頃の帝政イデオロギーにキリスト教的なイデオロギーが加わることで、
皇帝の専制政治をより強めることになったんだと思う。
485:世界@名無史さん
12/03/27 16:18:38.64 O
>>484
>テマはもともと自立農民の成立を背景にできたものなので
ナニイッテンダ?
初期のテマの成立(or設置)の主因は対外的な危機と管轄地域の防衛のためでしょ
(小アジア西部のテマの名前がトラケシオイ、東部のがアルメニアコイなのは、軍団が移動して配置転換されたから)
それに、後期ローマの行政組織と違ってテマのストラテーゴスが軍民両権限を握っていた上に、軍事力を担っていたのは地元の自営農民層なのに
>皇帝に権力が集まり、
っていえないと思うけど
486:485
12/03/27 16:27:57.71 O
>>484
ナニイッテンダ?などと言ってごめんなさい確かにテマ制が機能するには自立農民の成立が背景にあったと考えられます
487:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 16:32:16.57 0
>>485
ごめん、確かにちょっと言葉足らずだったね。テマの具体的な成立背景は諸説あるけど、
確かに基本はあなたの言うように、ビザンツ帝国が危機に陥ったからだ。
ただ、その時にテマ(より正確に言えば、テマの持ってた軍事力)を支えてたのは、
自立農民だったのでそのことを指して、テマは自立農民の成立を背景にできたと言ってしまった。
テマの成立が自立農民によるものと言ってるのではなく、テマを支えたのが自立農民という意味。
>軍事力を担っていたのは地元の自営農民層なのに
これから述べることは僕個人の推測もだいぶ入ってるので断言はできないけど、
自営農民が力を握ってたからこそ、貴族に権力が集まらなかったんだと思う。
そして、自立農民は個々人はそこまで大きな規模でもないので、
彼らだけでは帝国から独立するほどの力もなかったように思われる。
時代が下るにつれテマは細分化されていくので、その傾向はより強まった。
ビザンツ帝国では9世紀頃から徐々に国力を回復してく訳で、
貴族の力がこのような背景で弱まってたビザンツ帝国において国力を高めるには、
テマの支持を背景とした中央集権的な皇帝権力と官僚機構が重要だったんじゃないかな。
テマの台頭が貴族の力を弱くし、個々のテマを細分化することで中央に権力を集めやすくなった。
まぁ、後期にはビザンツ帝国でも貴族が台頭するから、事情もまた変わるんだけど。
他には、さっきも言ったけどビザンツ帝国の持つキリスト教的イデオロギーも一因かな。
488:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 16:33:54.71 0
>>486
うん。まぁ、そういうこと。正直、テマの成立についてはビザンツ帝国の人ですら、
謎だと言ってるぐらいで、詳しいことは何も分かってないんだよね。
それだけ7世紀のビザンツ帝国は危機に陥ってたということなんだろうけど。
489:世界@名無史さん
12/03/27 22:46:40.12 0
ムハンマドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない
490:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/27 23:51:57.62 0
>>489
マヌエル2世の有名な発言だね。前に現教皇のベネディクト16世がこれを引用し発言したことで、
ちょっとした問題になってた。まぁ、マヌエル2世の時代はオスマン帝国にかなり圧迫されてたから、
こういう発言したくなる気持ちは分かるね。バヤズィト1世は結構好戦的なスルタンだったし。
491:世界@名無史さん
12/03/28 00:47:12.76 0
>>490
マヌエル2世というとポルトガル最後の王様を思い出す。
492:世界@名無史さん
12/03/28 08:07:58.14 O
各テマを本拠地にしつつ、首都で交易や技術学術の交換を行えば良かったが、
ただの浪費や権力闘争の場としか見てなかったわけか。
493:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/28 09:16:09.39 0
>>492
それだけビザンツ帝国の皇帝のイデオロギーが大きかったのかも知れない。
各地のテマを本拠地にするよりも、あくまでテマは帝国で出世するための足がかりに過ぎず、
中央でのし上がることのほうが多くの人にとっては魅力的に見えたのかな。
ビザンツ帝国では皇帝になるために反乱やクーデター起こしてる例がかなり多いし。
494:世界@名無史さん
12/03/28 10:11:56.00 O
ドイツの「イタリア政策」と近いのか?
中央志向なところは
495:世界@名無史さん
12/03/28 19:55:06.47 O
この国は版図の変遷が激しいんだよなぁ
でかくなったと思ったら縮小したり最後はあんなに小さくなるし
496:世界@名無史さん
12/03/28 20:49:38.86 0
トレビゾンド帝国の血はサファヴィー家につながっているから、サファヴィー家の末裔はトレビゾンド帝国皇帝の継承権も持っていることになるね。
497:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/28 21:42:52.83 0
>>495
個人的には、その変化の激しさがビザンツ帝国の魅力なんだけどね。
何度か大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら1000年も生き延びてきた。
>>496
確かにそうだね。面白い観点だなぁ。サファヴィー朝の末裔って今も生き残ってるんだっけ?
まぁ、もし生き残ってたとしたらローマ皇帝の血統が今まで残ってることになるんだけど。
498:世界@名無史さん
12/03/28 22:18:07.92 0
パレオロゴス家が残ってるのは有名だが
コムネノス家が残ってるのは興味深いね
499:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/28 23:28:25.06 0
>>498
パレオロゴス家はコンスタンティノープル陥落前後にヨーロッパ各地に亡命したからね。
モレアス専制公のトマス・パレオロゴスなどが有名かな。コムネノス家もこんな感じで残ってるかもね。
500:世界@名無史さん
12/03/28 23:55:24.23 0
>>497
ローマ皇帝の末裔って西のハプスブルク、ヴィッテルスバッハ、ナッソー(オラニエ)に東の継承者(ロマノフ、オスマン)もご健在ですよw
501:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 00:06:54.39 0
>>500
う~ん、そういうのじゃなくて、なんて言うかな・・・・・「正当な」と言うと語弊があるけど、
コムネノス家やパレオロゴス家みたいな、ビザンツ帝国時代の皇帝の血を引く存在という意味。
まぁ、誤解を招く言い方だったのなら、「コムネノス家の末裔」というふうに言い換えるよ。
502:世界@名無史さん
12/03/29 01:00:27.84 0
「誰でも肯定になれる」制度だったから、皇位継承の争いがひどくなった、
とは聞く。
独特な継承方法だよな。
広い親族のなかから勝ちあがったものが継承する、みたいな。
503:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 07:46:53.82 0
>>502
ビザンツ皇帝は建前だけでも市民と元老院と軍によって選ばれた皇帝というのを守ってたからね。
実際は皇帝による完全な専制政治でも、ローマ帝国としての建前だけは残しといた。
だから血は関係なく、市民たちの支持さえあれば誰でも皇帝になれるということだったんだろうね。
バシレイオス1世みたいに農民から皇帝にまで成り上がったような人までいるのがこの国の面白い点だ。
こういうシステムが、皇帝になるためのクーデターや反乱を多くしてる要因かな。
歴代ビザンツ皇帝には畳で死ねてない皇帝がかなり多くいる。
504:世界@名無史さん
12/03/29 08:19:54.07 O
フランスやイングランドは王権が安定してたから発展できた。
505:世界@名無史さん
12/03/29 10:06:49.19 0
wikipediaのコピペしかレスしない糞コテはいい加減消えてくれ
506:世界@名無史さん
12/03/29 10:54:35.84 0
>>503
そりゃビザンツ帝国に畳はないだろw
>>504
イギリスの王など近代初頭までどう見ても安定しとらんが・・・
本当に安定したのはジョージ1世以降だろ。
507:世界@名無史さん
12/03/29 11:04:58.02 O
イングランドは島国だから、大陸の戦争と距離を置けた。
508:世界@名無史さん
12/03/29 11:18:47.34 0
バイキングに荒らされたあとはフランス領になってるし、
百年戦争のあとはバラ戦争、
名誉革命のあとは独立直後のオランダとやりあってる。
>>507はそこからあとの話だ
509:世界@名無史さん
12/03/29 12:18:54.87 0
ビザンツはみんなが読み書きできたから発展できた。
ラテン人の蛮族共にはそれが文弱に映ったようだけれど。
510:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 13:20:13.24 0
>>506
「畳の上で死ねてない」だね、正確には。まあ、分かってて言ってるんだと思うけど。
ビザンツ帝国ではクーデターや反乱で殺されてる皇帝が結構多いからね。
>>509
市民のレベルが高かったことは言えるだろうね。ビザンツ帝国では古代の文学が、
多く保存されたらしいけど、それを多くの人が読めるだけの下地があった。
511:世界@名無史さん
12/03/29 20:08:54.15 O
国民は一流でも、貴族は五流くらいか。
西欧は国民も貴族も二流くらいだったんだろう。
512:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/29 20:16:16.78 0
>>511
ビザンツ帝国も後期にはだいぶ貴族が台頭してたけどね。コムネノス朝なんかは、
まさにそういう貴族との連帯関係によって成立した王朝だと言えるし。
513:世界@名無史さん
12/03/30 00:58:03.65 O
西欧の貴族は中央志向が無く、
地元の開発に熱心だったのか?
514:世界@名無史さん
12/03/30 10:06:19.55 0
そりゃまあ、封建制最盛期の中世貴族(諸侯・城主)は、自分の領土が
自己の権力に直結するから、独立・分権志向になるのは仕方ないわな
515:世界@名無史さん
12/03/30 19:51:06.76 0
ああああカール大帝の載冠を妨害して失敗させたい
バルバロイの分際でローマ帝国を名乗るのが許せない
ああああ何が西ローマ帝国の復興(核爆)だよ
歴史上で一番嫌いな出来事は第4回十字軍とこれだわ
516:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/30 21:23:00.64 0
>>515
まぁ、カール大帝が戴冠した頃のビザンツ帝国は、とてもじゃないけど戴冠を防げるだけの、
国力はなかったからね。文句言うのだけで精一杯だった。当時のビザンツ皇帝が女性だったことも、
彼の戴冠を正当化させる根拠になってしまった。エイレーネーはそれ以外にもあちこちで失政が目立ち、
人気のない皇帝だったしね。カール大帝の戴冠は西欧におけるビザンツ帝国の影響を弱めることになった。
517:世界@名無史さん
12/03/30 22:10:37.84 0
まあビザンツも国力落ちてたしある程度は
仕方ないよね
518:世界@名無史さん
12/03/30 22:28:58.88 0
末期のビザンツはとても悲しいんだよなぁ
マヌエル2世とかはフランスやイングランドまで長旅をしたけどかつてのような征服とは全く理由も違うし悲しい
519:世界@名無史さん
12/03/30 22:35:50.81 0
昔のビザンツの人にもさ、
昔はもっと版図広かったのにどうして今はこうなったみたいなこと思ってる人はけっこういたの?
520:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/30 22:36:42.99 0
>>518
マヌエル2世がフランスやイングランドまでわざわざ行ったのは滅亡しないために、
援助を求めようとした結果だからね。ビザンツ帝国の凋落がうかがえる。
しかもイングランドもフランスもわざわざ遠くのオスマン帝国を敵に回す理由はないので、
結局マヌエル2世のこの旅は徒労に終わってしまった訳だし。
521:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/03/30 22:42:53.86 0
>>519
そりゃ、いただろうね。マヌエル2世なんかはそんなこと思ってそうだ。
末期のビザンツ帝国では自分たちはローマ人であるという建前も薄くなり、
ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンなんかは、我々はギリシャ人だと主張してる。
522:世界@名無史さん
12/03/31 00:10:34.76 0
クローヴィスはどうして皇帝を名乗らなかったんだろうな?
配下のローマ人達に選出させればよかったのに。
523:世界@名無史さん
12/03/31 12:16:00.01 O
西ローマを守ろうとせずむしろ足を引っ張り、ローマ教皇と対立する一因を作った東ローマが言えたものではないな。西方を守る実力もないから教皇がカール大帝に頼る方が当然。
524:世界@名無史さん
12/03/31 12:19:58.67 O
自分と敵対するうえ役に立たないビザンツよりはフランクを選ぶだろうね
でもなんでフランク帝国にしなかったわけ
525:世界@名無史さん
12/03/31 12:38:15.33 P
>>524
ローマ教皇も東ローマ帝国にドヤ顔決めたかったんだろう
もう俺達で勝手にやるって具合に
それに当時の「ローマ皇帝」が「キリスト教世界の守護者」を指していたから、教皇は自分らを護ってくれるフランクをローマ皇帝とすることができた
526:世界@名無史さん
12/03/31 21:59:30.75 O
コンスタンティヌスの寄進状って知ってる?
527:世界@名無史さん
12/04/01 10:06:27.53 P
何を言いたいのかは察するが、
その偽書もローマ教会が西方世界で独立しようとする一環だろ
528:世界@名無史さん
12/04/01 10:23:56.16 P
一環てかある種の切り札か
でもローマ教会が東ローマから決別しようとして、あるいは権威付けでそれを作ったのは事実でしょ
529:世界@名無史さん
12/04/01 22:44:06.70 0
Pってなんぞ
530:世界@名無史さん
12/04/03 09:46:29.22 0
>>524
当時の世界(西欧から地中海沿岸一帯)の常識として、帝国とはすなわちローマ帝国のことだから
皇帝として戴冠した以上、当然統べる帝国はローマに他ならない、という理屈
シュタウフェン朝の皇帝たちが、懲りもせずイタリアで教皇党とガチンコしていた理由の一つもそれ
531:世界@名無史さん
12/04/03 10:45:56.30 0
アンゲロス王朝はすごい
無能な皇帝ばかり輩出して
あれだけ短期間でビザンツをダメにするとは
532:世界@名無史さん
12/04/03 15:52:41.36 O
>>531
マケドニア朝とコムニノス朝で名君のストックを使い尽くしたから、充電期間だったんだよ。
533:世界@名無史さん
12/04/03 16:25:17.44 0
>>532
充電した割には、コンスタンティノープル奪回した辺りで力尽きたような
534:世界@名無史さん
12/04/03 17:58:58.60 0
ラスカリスの二代で終わりじゃないか
535:世界@名無史さん
12/04/05 23:19:44.88 0
この伸びはコムネノス朝二代の時のようなものか
536:世界@名無史さん
12/04/06 08:54:00.88 O
>>533
あの頃になると今度は国力がなぁ……。
イラクリオスやアレクシオスの頃でさえ、それなりにお金と軍事力があったわけだし。
名君を戴くだけでなく、国民がスタハノフ、商人がロックフェラー、学者がアインシュタイン、兵士がシモヘイヘ、将軍がハンニバル、
エンターティナーがプレスリーくらいじゃないとなにもない状況で再び大国にのし上がるのは不可能。
537:世界@名無史さん
12/04/08 08:51:02.92 0
>>533
充電期間ってイメージは無いな。
アンゲロス王朝になる前に敵を多く作りすぎた上に財政も厳しかったのは確かだが
国力が落ちた時に谷底に突き落としたダメ王朝としか思えない。
マヌエル1世が堅実だったらとつくづく思う
538:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/08 20:19:09.63 0
>>537
>マヌエル1世が堅実だったらとつくづく思う
マヌエル1世の時代のビザンツ帝国はちょうど国力が上り坂だったからね。
彼もある意味調子に乗ってたのかも知れない。コムネノス朝の前2代が、
ビザンツ帝国を再興したしね。まぁマヌエル1世も決して無能ではないんだけど。
539:世界@名無史さん
12/04/08 21:35:06.66 0
どこぞの遊ぶだけの皇帝よりはマシなんだけどね
でもあれだけ敵作ったのは失敗
540:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/08 21:53:58.72 0
>>539
確かにそうだね。それなりに軍事的成功もあるし、多方面に渡る外交政策を展開するなど、
色々と努力してる面は見られるんだけど、どうもそれが空回りになってる感じがしなくもない。
セルジューク朝、ヴェネツィア共和国、神聖ローマ帝国など、敵対国が少し多すぎる。
541:世界@名無史さん
12/04/09 02:00:41.03 0
落ち目の亡命政権なんかよりそれを食い物にするセルビア帝国や
カタルーニャ軍団・ナバラ軍団みたいなの冒険野郎どもの方がよっぽど面白い
542:世界@名無史さん
12/04/12 10:38:07.46 0
コリントス地峡なんか借金の片か何かでイタリアの銀行家に取られてたしな
543:世界@名無史さん
12/04/12 12:44:16.14 0
今のトレブゾンは国際都市になってるな。ぶっちゃけビザンツ時代より繁栄してるんじゃない?
544:世界@名無史さん
12/04/12 14:33:23.37 0
観光だけじゃなくて、なんか産業あるんだっけ?
545:世界@名無史さん
12/04/12 22:45:02.71 0
地の利によって港湾都市なのは昔と変わらんようやね
546:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/12 23:35:18.57 0
>>543-545
トラブゾンは今も昔も黒海における交易地であり、港湾都市として発展してたね。
僕もこの都市にちょっとだけ寄ったことあるけど、それなりの規模の都市だった。
地理的にはカフカスのほうとも近いので、カフカスとの交流も結構盛んだったね。
トレビゾンド帝国はグルジアなんかとかなり深い関係にあったらしいし。
547:世界@名無史さん
12/04/13 01:18:34.23 0
おつがいみせいねんなのにそういうところにいっているのはすごいな
548:世界@名無史さん
12/04/13 17:03:03.79 0
436 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [] 投稿日:2011/01/31(月) 23:56:38 0
>>431
僕はタバコならチェリーを吸っているよ。戦時中は敵国語ということで「桜」に改名されている。
>>433
飲酒はトルコなどでは飲酒文化などがある。僕はトルコワインを輸入して飲んでいる。
ケマル・アタチュルクは国営の醸造所を作っているし彼自身はラクという蒸留酒の愛飲者。
オツガイ is god
549:世界@名無史さん
12/04/13 17:44:44.62 0
コテとはいえ匿名だし、とくにリスクはないだろ
そもそも未成年のタバコや酒は違法でも、刑罰の上限は親の罰金(せいぜい1万)だけだし
ただ禁煙は早めに済ませるのを推奨する・・・・例えばヤニ嫌いな女を好きになったタイミングとかがいい
550:世界@名無史さん
12/04/14 16:20:22.17 0
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
僕たち純真無垢なアンゲロスブラザーズ!
人目につかないように亡国してあげるよ!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ ?γγελο?
(・∀・ ) ( ・∀・) ?γγελο?
/ \ / \ ?γγελο?
⊂( ヽノ つ ⊂ヽ/ ) つ ?γγελο?
し(_) (_)J
551:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/14 22:24:55.78 0
>>547
まぁ、トルコ旅行した時に少し寄っただけだけどね。そんなにじっくりいた訳ではない。
>>548-549
ていうか、それ僕のレスじゃなくて捏造だよ。僕は2ちゃんでそんなレスした覚えないし。
前にもそのコピペ貼り付けたやつにリンク先示してよと迫ったら、その後沈黙したから完全に捏造。
552:世界@名無史さん
12/04/15 05:59:43.61 0
なんだ、粋なガキだなと見直したのに
553:世界@名無史さん
12/04/18 17:04:34.28 0
1000なら俺以外ケソサソとSEX
554:世界@名無史さん
12/04/18 21:44:27.41 0
きも
555:世界@名無史さん
12/04/19 16:48:15.90 O
マヌエル1世が2世だったら良かったのに
556:世界@名無史さん
12/04/20 00:32:53.27 0
コムネノス朝の3代目がマヌエル2世だったらなあってこと?
557:世界@名無史さん
12/04/20 17:43:10.46 0
はい
558:世界@名無史さん
12/04/21 09:04:48.76 0
マヌエル2世も12世紀に生まれていたらどうなってたか分からないぞw
559:世界@名無史さん
12/04/21 10:40:47.36 0
アンゲロスブラザーズも12世紀に生まれていたらどうなったかわからない
560:世界@名無史さん
12/04/22 00:57:18.44 0
ミリオケファロン後でマヌエル1世が持ち直せなかったのは何故なのか
すぐ死んじゃった後に、典型的な内乱に突入したからなのか
561:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/22 04:19:38.82 0
>>560
最近は、ミュリオケファロンの戦い自体はそこまで大きな影響のあるような敗北でなかったと。
言われてるよ。マヌエル1世の場合、その敗北よりもさまざまな勢力を敵に回しすぎたことが、
結果的には後の衰退の一因になったんだと思う。内政はそれなりだけど外交が微妙という感じ。
562:世界@名無史さん
12/04/22 10:15:08.66 0
トレビゾンド帝国/東ローマ帝国にとって最終的な領土目標ってなんだったんだろう?
1)小アジア・バルカン(中世盛期領土)
2)小アジア・バルカン・シリア・エジプト・リビア(東西分裂当時の領土)
3)小アジア・バルカン・シリア・エジプト・リビア・マグレブ・イタリア・ガリア・イベリア・ブリタニア(ローマ全盛期の領土)
4)小アジア・バルカン・シリア・メソポタミア・エジプト・リビア・マグレブ・イタリア・ガリア・イベリア・ブリタニア(ローマ最大領土)
5)全世界
563:世界@名無史さん
12/04/22 11:14:25.39 0
名目上は地上の全世界の支配者ってことにはなってるけど・・・。
564:世界@名無史さん
12/04/22 11:27:23.65 0
>>560
・マヌエル1世の気力の減退
→イタリア政策の破綻とミュリオケファロンの敗北は、マヌエル1世の気力を削ぎ、
以後に打った手も空回りしてばかりになってしまった
・アレクシオス1世の代から始まっていた地方貴族勢力の台頭
→中央政権の統制力弱体化が進み、アレクシオス3世の治世下で帝国は空中分解寸前
・マヌエル1世による度重なる外征と大規模工事の連発で財政の急速な悪化
→まだ破綻にまでは至っていないが、帝国の余力は確実に無くなっている
・周辺諸勢力の強化と国際環境の悪化
→バシレイオス2世の頃とは比較にならないくらい、周辺国家や民族の勢力が増大している
東西南北で帝国との軋轢が増す中、外交政策の舵取りが困難を極めることになる
1177年にバルバロッサ・教皇・ヴェネツィア・シチリアが手打ちをしたのが痛かった
・後継皇帝の質的劣化と度重なるクーデター騒動
→幼いアレクシオス2世には何もできず、アンゲロス・ブラザーズは言うに及ばず
アンドロニコスは、改革を急ぎ過ぎて国内外に敵を作り帝国をさらに窮地に…
代替わりする度にクーデター騒動が起こり、止まらない出血のような人材の摩耗と、
先代皇帝の政策成果がクーデターの度にリセットされてご破算
565:世界@名無史さん
12/04/22 19:05:21.84 O
マヌエルが国力全部使ってしまった
パレオロゴス朝もできる人それなりに居るが内乱でおわり
566:世界@名無史さん
12/04/22 19:59:23.08 O
>>565
あなたの言う国力が純粋なGDPや財政状況、あるいは軍事力を指すのならば、それはリーリエ氏が否定している。
ただ、歴代皇帝の軍事的成功で築いた威信でもっていたコムニノス朝としては、
マヌイル帝の敗戦はまさに痛手だね。勝ってりゃ、マケドニア朝の再現もあったと思う。
イコニオンを奪回すれば、セルジューク朝の勢力は大幅に後退せざるをえないし。
567:世界@名無史さん
12/04/22 21:57:45.14 0
そもそもセルジューク朝と戦わず仲良くしてたらどうなっただろう
568:世界@名無史さん
12/04/23 01:41:39.02 0
>>567
そもそもセルジューク朝にビザンツと仲良くする必要性がない
569:世界@名無史さん
12/04/23 06:48:08.54 0
むしろイタリアに侵攻せずにセルジューク朝との戦いに力を入れていれば
西欧との関係もこじれなかった。
マヌエルには足元の小アジアを固めて欲しかった。
570:世界@名無史さん
12/04/23 09:04:29.46 0
そもそもユスティニアヌスがイタリアに侵攻せずにササン朝との(ry
571:世界@名無史さん
12/04/23 10:26:16.13 0
そもそもトライアヌスがダキアに侵攻せずにアルサケス朝との(ry
572:世界@名無史さん
12/04/23 11:16:44.17 0
>>568
サンギー朝やダニシュメント朝、十字軍国家をビザンツが動かしていたから、そうとも言い切れない。
一度はコンスタンディヌポリスまでスルタンが自ら外交に行ったこともあるわけだし。
このあたりがマヌイル帝の絶頂期だったんだろうな。
573:世界@名無史さん
12/04/23 11:27:59.80 0
そもそもアッバース朝のコンスタンティノープル遠征あたりを機会にビザンツがムスリムに改宗してれば
セルジューク朝と仲良くできてお互い東西に延びて幸せになれた
574:世界@名無史さん
12/04/23 11:30:52.50 0
あ、アッバースじゃなくてウマイヤ朝時代だった。失敬
575:世界@名無史さん
12/04/23 16:40:43.11 0
アッバース革命ならぬビザンツ革命が起きる予感♪
576:世界@名無史さん
12/04/23 16:44:32.74 O
ウマイヤ朝はアラブ人だけ免税だし改宗したくならない
正統カリフなら
577:オツガイ ◆EAbyJft1LY
12/04/24 00:07:13.86 0
>>566
ミュリオケファロンの戦い自体はそんなに大きな負けではなかったと最近は言われてるからね。
ただ、あなたの言うように外交的にはマヌエル1世の威信を大きく傷つけることになってしまったね。
彼はローマ帝国の皇帝としての権威を国際政治の舞台で利用することで、ビザンツ帝国の再興に、
努めてたから、ルーム・セルジューク朝への敗北はそういう意味では大きい。まぁ、それでも彼は、
外交的影響力を維持することを諦めなかったようだけど。そもそも、彼のこのような外交政策自体、
結果としてあまりにも多くの敵を作りすぎるものになってしまってるのであまり良いものではないね。
>>567
実際、マヌエル1世も初期はルーム・セルジューク朝と普通に友好関係を保ってたよ。
彼は基本的に西欧のほうに関心を大きく持ってたからね。それでも、やはり隣国なので、
次第に対立を深めることになっていき、とうとうミュリオケファロンの戦いで敗れてしまった。
578:世界@名無史さん
12/04/24 22:38:50.43 0
パレオロゴス朝もアンドロニコス2世とか抜いたらそれなりにできる人はいるけど争いが多すぎてその度にセルビア、オスマンに付け込まれてしまったんだよね
最後の三人は時代が違えば活躍出来ていただろうに
もうあれじゃどうしようもない
579:世界@名無史さん
12/04/24 23:45:00.44 0
>>578
フニャディが頑張ってくれれば、まだ目はあったのになあ
580:世界@名無史さん
12/04/28 22:14:08.50 0
あ
581:世界@名無史さん
12/04/29 17:44:38.86 O
十字軍は帝国の寿命を縮めたと言われるが、十字軍が無かったらもっと早く滅亡していただろう。
582:世界@名無史さん
12/04/29 22:17:33.27 0
十字軍がなかったら、
少なくともブルガリア・セルビアの台頭
エピルスの分離とそれに続くアルバニア人の独立
ボスニア・クロアチアをハンガリーに奪われる
などがもっと緩慢に進んだから、早くに滅亡というほどでもないような
if話は厳禁だけどなあ