10/11/09 01:55:32
台湾が歴史らしい歴史に登場するのは、西暦の15~6世紀頃から。
これ以前については大陸の書物にもそれらしき存在があるにはあるけれど、
何れも神話の時代からの憶測の域を出ないモノでしかなく、歴史と言うには
不十分で無理があります。
日本ではと言うと、豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄二(西暦1593)年
十一月五日に、原田喜右衛門に書を持たせ「高山国(台湾)」に入貢を
要求しています。加賀前田家尊経閣文庫にその外交文書が所蔵されています。
更に江戸時代の慶長十一(1606)年、有馬晴信が家臣を派遣して視察させ、
元和二(1616)年には長崎代官の村山篤安が、幕府の諒解の下で次子秋安、
明石道友にも台湾遠征を行わせています。その後は毎年、日本船の台湾への
渡航がありました。
さて、歴史上最初に台湾を領有したのは、オランダ人でした。
大航海時代となって、オランダ人は西暦1602年に東インド会社(V.O.C)を設立。
1622年には、台湾海峡にある澎湖島の領有権を明国と争って、翌23年には、
明の政府の勧めで無主の島(どこの国にも属さない島)である台湾の安平(台南)にゼーランジャ城
を築き、一件落着しています。
1626年当時、オランダ人の記録に「ここに日本人が百六十人住んでいる」と記録しています。
オランダ人は台湾領有後、先着の日本人海商に防衛費負担という名目で、10%の関税を否応無しにかけてきた。
海商の浜田弥兵衛は腹を立てて、オランダ長官ヌイツと紛糾し「台湾事件」(浜田弥兵衛がゼーランジャ城を小人数で乗り込んで占領し、
人質をとって日本へひきあげるという事件)を起こしています。江戸幕府は対抗上、
平戸のオランダ商館の貿易停止、更にバタビア総督府に安平のゼーランジャ城の引き渡しを要求し、
応じなければそれを破壊するという強硬措置をとりました。
この事件の際、浜田弥兵衛らに伴われた、リカら台湾先住民の代表十余名が、
朝貢使として三代将軍徳川家光に謁見し、オランダ支配の過酷さを訴えると共に、
台湾全島の献上を申し出て、将軍から多大な賜品を贈られています。
かつては秀吉の朝貢要求が失敗した(台湾には代表者がいなかった)のに対し、
今度はリカら台湾先住民の方から、台湾の日本献上を申し出ました。
この頃イスパニア(スペイン)人も台湾の一部(現在の基隆)を占領し、サン・サルバドル城を築き、
更に淡水に入ってサン・ドミンゴ城を築いたりしています。