12/06/14 22:14:37.05
>>505
哲学者はよく「クレタ人のパラドックス」を持ち出しますね。あなたの理屈はそれでしょう。
「すべてのクレタ人は大嘘つきだとクレタ人が言った」という命題は論理的に
矛盾しているというのと、だいたい同じことをおっしゃっているのだと思いますね。
この議論を哲学的につきつめた究極形態が不可知論でしょう。よくもちだされるのはヒュームです。
でも、これは哲学の議論だと思いますね。純粋に論理学の議論です。
科学は論理学ではないんです。純粋に論理的ではない。論理実証主義じゃないんです。
だからこそ、私は、科学的に検証可能なものに練り上げていくべきだという話をしたのです。
クレタ人が嘘つきかどうか、どの程度嘘つきかどうかを科学が検証(厳密には反証)可能な
いくつかの命題に練り直していけば、それは反証可能な命題として科学的に調べられる。
科学のまな板の上に乗せられるものになる。その努力を科学者は怠るべきではないと思う。
もちろん、
あなたのおっしゃる「自己言及性を問題」が科学的に無視できると言いたいわけではないです。
科学ができることは、早い話が、それをも含めて変数に追加すりゃいいだけのことですよ。
社会科学においては、まあ厳密には素粒子物理学だってそれが問題になっているのでしょうが、
科学者の活動だって社会に無影響ではいられない。
社会科学者も自らの影響を変数に組み入れる必要がある。
ノーベル経済学者が経済予測をすることがすでに明日の経済を操作する影響をもつかもしれない。
その場合、経済学者は現実を発見しているのではなく現実を操作しているのかもしれない。
つまり、それはイデオロギーかもしれない。これはパラドックスです、という話ですよね。
しかし、それをも含めて変数として考えるしかない。科学はそれらすべてを自然として対象化する。