12/06/14 18:37:30.81
>>504
すみません。「気がする」というのは言葉の使い方を間違いました。
集団によって知識が異なるということが知識の存在拘束性であり、
その限りで、各集団で共有されている知識がイデオロギーであるならば、
「知識の存在拘束性」という現象があるとする人の主張も
存在被拘束的なものであり、イデオロギーであると考えなければ筋が通りません。
学問は論理的でなければならないわけですが、論理的であることを突き詰めると、
どうしてもこのような結論に達してしまいます。
したがって、理論仮説を捨てざるをえなくなります。
私は間違っているでしょうか?