11/01/08 19:52:16
佐藤派は、福田赳夫の派閥に合流する予定だった。
福田派は元は岸派で、兄弟派閥の合併には、一定の合理性はあった。
そうなってはもはや、角栄の出番など無かった。
そこで角栄は佐藤派を乗っ取る時間を稼ぐために、
佐藤栄作に自民党総裁の四選を勧めた。
田中角栄は支那の送り込んだ草である、工作員である。
売国奴田中角栄以降、日本の首相は歴代支那派となり、
日本の国富は不倶戴天の仇敵支那に流出し続けた。
台湾派の復権は、森喜朗、小泉純一郎まで無かった。
現在までの日本の状況は、日清日露の戦役前後、
朝鮮の政権が右往左往する様と良く似ている。