10/10/19 00:54:27
さて、モナリザであるが(爆)
日本人の特殊性の代表格であるここのテーマ「普通への妄信」はどのような心理に基づくものなのか?
何故、普通を妄信するのか?
自分の特殊性、つまり個性を隠すことが目的なのである。
ありのままの自分を選択することの責任を逃れようとしているのである。
何故か?
自分の個性を支える自己肯定の基盤を持っていないのである。
自己肯定に対する自信のなさから、普通という隠れ蓑を必要とするのであり、
自己の存在証明を自己以外の外部の価値に全面的に委ねている日本人の情けない実存の姿なのである。
日本人の自己承認不足に伴う様々な特殊性は数限りなく例示出来るのであり、
例えば、柔道、剣道、茶道、華道・・・、全てを道という人格形成を最終目的に掲げる文化もその一つである。
何故に人格形成などというものを必要とするのか?
それは、ありのままの自己についての自己肯定が未熟であるために、自己肯定するためには某かの付加価値が必要であるということなのである。
ここのペテン師達が心理学の知識や知的であることを自己承認の道具に貶めているのも、全てこの自己承認不足を起源とする残念な欲求に基づくものなのである。
ここに限らず、日本社会に充満する他者承認欲求はの起源は全て日本人の自己承認不足からくる病理と言っていいだろう。
by ダ・ビンチ