YESの「海洋地形学の物語」「リレイヤー」のみを語るスレ Part2at PROGREYESの「海洋地形学の物語」「リレイヤー」のみを語るスレ Part2 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト55:名無しがここにいてほしい 14/08/31 18:17:45.00 91CaPTku 手元に70年代の(プログレ系)音楽評論家、黒田史郎が書いたYESの伝記や 北村昌士のクリムゾンの伝記があってそのあたりから要約すると ○アランは72年1月にイアン・ウォレスに代ってクリムゾン入りも噂された 売れっ子セッション&ツアードラマー(当時) ○ビルは兼がね『ロバート・フリップと一緒に仕事したい』とジョンに語っていた ○3月27日ビルのYESでの最終公演で、サポートはクリムゾン。 コンサート後、ビルとロバート・フリップが初めて話を交わす ○6月、『究極』レコーディング開始。前後して、マネージャのブライアン・レーンとジョンは ビルとアランの2ドラマー状態を経て正式ドラマーの交代を画策する ○ビルも予めその計画に賛成していたが、レコーディングルームで腐った卵状態になる ○7月22日『ビルYES脱退、クリムゾン加入』(メロディーメーカー)。 『ただし、ビル、ジョンウェットン共に10月1日まで正式メンバーではなく、 ビルは2回のYESのUSツアーに同行』。だが、実際にはビル同行せず ○7月26日からのUSツアーの一部がキャンセルされ初日はアランをドラマーに7月30日から。 アランのジョー・コッカーとのツアー最終日は7月21日。実質1週間程度 (実質3日? -wiki)ではYESの全レパートリーを覚えることが難しいであろうことからも、 先のドラマー画策が裏付けされる ○アラン後日談『YESと僕はいろんなところで馬鹿話をした。そして、いつもいい気持ち だった。それは単にビル・ブルフォードを追い払おうとする誰かの問題に過ぎなかった』 ○(wiki)『海洋』のコンセプトをジョンが思いついたのは73年3月、ビルの結婚式 に出席した際に、当時クリムゾンにいたジェイミー・ミューアからヒンドゥの話を聞いて。 つまり、結婚式に呼ばれてるジョンとビルは決定的な仲違いはしていない ○同様にビルはその後スティーブ、クリス、リックのソロには参加している。すなわち メンバー間で大きな感情的な問題はなかった(?) つまりは、世間ではレコーディング中ジョンとビルが言い争ったことだけが取り上げらているけど、 実際にはバンドをより「現代的」に持っていきたかったブライアン・レーンが 気難しく、プレイが前時代的に聞こえるジャズドラマーを切りたかったのでは、と (音楽的な根拠もいくつかあるんだけど、長文うざい、となるのでどこかのタイミングで) 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch