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私は常にタナトフォビアの恐怖に苛まれているわけではない。
昼間は比較的落ち着いている。そんな時は、どうして死についてあそこまで恐怖するのだろうと客観視できる。
しかし、実際にタナトフォビアの発作が起きる場合は、前触れがないし、理性で抑え付けられるものではないと考える。
感情は、常に人間の思考の一歩先を行くと思っている。それを後から否定するには、タナトフォビアの恐怖は大き過ぎる。
私が死んでも、私を構成するあらゆる物質は失われず、別の何かに形を変える。私は死んだら、地球の一部になり、宇宙の一部になるのだろう。他の生物の身体を構成するかも知れない。
しかし、そんな思考の最中ですらタナトフォビアはやってくる。
私の意識が永久的に失われるのが問題だ。私の内面世界は私しか認識できない。私は死ぬ。時間は続く。私の物質が何かに変わったところでそれが何だろう?
今の私だって、かつて誰かの身体を構成していた。だから、何だろう?
私がもし別の人間だったら、それが何だろう。神を信じていたら?
死ぬのは私で、失われるのは私だ。時間は続く。そうしたら、それがどんなものであっても、なくても、関係ないし、変わらないし、意味なんてないのだ。
私にとって、これはどうしようもない。