14/07/27 11:51:08.35 0
非人間であることが悟りの渦中だろ、
情欲と自分の意思でものを考えているのは人間のサガってものだ。
ほとんどの人はいろいろな場面で悟りを感じることができる、だがそれは
感じるだけでその先がない。つまり自我によって動かされるのは悟りを元に
していないってことだ。
多くのものが勘違いしているのが仏教などの徳を「利」に置き換えていること。
徳には裏の意味がありそれは義の領域にある、秩序が活かさせ善悪の壁を超えた
ところにあるものが徳であり、誰かの利ではない。つまり善とは限らない。
善行を確信し正義に流れる君たちは悪を否定するだろう、それは正義の本質が
理解できていないからだ。
本当に徳を得られるものは、何もせずとも、その物理的存在が消えても徳が
生じる。それが本当の徳である。
自分の存在が意味をなし自分によって生じる意味体系だけを信じるオマエラには
無理な思考というもの。
悟りを感じるところまでは至れても、その先へその先にあるものを掴めない。
なぜなら自分がその渦中にいるからである。
強い意思で現状を突破し目的を強請り、無理やり至る術しかしらないんだろう、
新たなる先へ布石を打ち自然に世界がら祝福される原理こそ徳の本質だ。
悟り得たところで、その先が闇なら永遠に悟りへ向かうだけの思いと無駄な繰り返しに
すぎない。
おまえらには人生で一番必要な覚悟というものがない。