14/02/17 17:14:15.82 0
「神的批評」所収「柄谷行人論」を読んだ。まとめよう。
ハイデガーがそうであったように、自己言及は死を招き寄せるが、これは死への欲動を内に取り込んだせいである。
柄谷の「形式体系を内破する」ことは、ここでは、死への欲動を外に溢れさせることを指す。
ところで、デリダは、ハイデガーの死への投企を死を与えることと読み換え、さらい
他人のために死ぬことを付け加える。これは、死への欲動を他人に贈与することを意味する。
自己言及はそもそも他人への自己放棄を前提としている。
このような自己放棄は資本主義社会では貨幣と労働力商品のみができることである。
労働力商品だけではなく、これを多方面で行うことが求められよう。