13/11/26 18:56:39.77 0
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244:198
13/11/26 19:05:02.01 0
自然は有である、という時、実はこの有は否定なんです。
だから、有はまた否定されなければ成らないんです。
そして無と成るわけなんです。
要するに、規定すること、そのことに有であると同時に無ということが生起するわけです。
対象である自然は規定とは無関係であるわけです。
245:考える名無しさん
13/11/26 19:07:32.86 0
仮に在るとしましょう、とするわけです。
しかし、この在るは規定であるわけです。
だから、ヘーゲルは運動を存在すると同時に存在しないことと定義したわけです。
クレタ人の逆説は、この規定の問題を浮き彫りにしただけです。
246:世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs
13/11/26 19:18:14.31 0
存在が「前提」なのは俺も同意
で、それは規定だから否定されるってこと?
そして、存在の否定は「存在しない」つまり無ってこと?
んー、なんかしっくりこないな
自然はコペンハーゲン解釈が宣う重ね合わせではないだろうww
存在を仮定できるならば、存在する前も仮定できるでしょう
要するに「無」の定義が違うんだよ、恐らく
247:考える名無しさん
13/11/26 19:27:49.88 0
同一ということは無いというのは了承してもらえますか。
同一というのは規定に過ぎないんです、必要なんですが、自然には無いわけです。
248:世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs
13/11/26 19:31:38.20 0
>>247
同一が何を指しているのかわからないので説明宜しく
249:考える名無しさん
13/11/26 19:41:50.06 0
物理的状態として、運動変化していないということですね。
つまり、どんな物理的存在も運動変化しているのに、同一として、運動の否定として理解しなければならない。
わたしという物理的存在は生まれてから現在に至るまで、大きく変わっているのに、同じわたしとして理解されている。
このように長いスパンでなくとも、この現在も運動変化しているわけです。
250:考える名無しさん
13/11/26 19:44:11.47 0
席をはずします。
長くなるかもしれませんので、とりあえず、ここまで。
わたし自身は量子力学は一の哲学がその理解を切り開くと考えています。
ブリゴジン学派の理解はなかなか面白い。
251:世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs
13/11/26 20:02:54.09 0
>>249
ああ、同一性の話をしていたのかww
開放系の同一性では、部分を交換しても全体の系として同一的であると考えます
ある車のパーツを交換しても、ある車の系は持続しているから同一性があるといえる
仮に順番に全てのパーツを交換していっても、だ
ある系としての持続をもって同一性は規定される
でも、同一性の有無と存在の有無では話が違くないか?
というか全く関係ないのではww
仏教での空だとか同一性の否定ってのは、存在の否定ではないのだよ
252:考える名無しさん
13/11/26 21:57:32.83 P
幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。[文学と倫理著者:ジイド]
すべての社会人男性はホモである
ホモの独占世界支配を語るスレ
スレリンク(gsaloon板)
結婚はすべて偽装
子供は性奴隷候補
会社は売春部屋
性病で心と体を腐らせる
諸悪の根元はホモセックス強制である
ホモはマイノリティと言う詭弁の構造
たしかに男としかやらない男はマイノリティであろう
しかし、ホモセックスを常習的に行う男性ならば
富も権力も数も圧倒的マジョリティである
ここに混乱へのミスリードがある
試しに女性はすべての男にホモかどうか聞いて見ると良い
みんな微妙な顔をしながらNOと答えるであろう
253:考える名無しさん
13/11/26 22:20:05.51 0
>>177
ルターはIQ低いから ww
254:考える名無しさん
13/11/26 22:23:27.76 0
>>213
>>観念が静的で自然が動的だということを理解しなければ、観念論的誤謬に陥りますよ
これは言葉で定義することの限界だろうな。
255:考える名無しさん
13/11/27 00:07:11.19 0
>仮に順番に全てのパーツを交換していっても、だ
すると、順番に交換したパーツを元通りに組み立てたら、
同一の車が2台存在することになるの?それともパーツ交換で
存続している車が元の車と同一の車で、元の車のパーツで
組み立てられた車は元の車とは別の車ということになるの?
256:考える名無しさん
13/11/27 00:17:49.61 i
元のパーツは、人の細胞のように廃棄される
話の流れからすると、そういうことだろう
257:考える名無しさん
13/11/27 00:29:05.43 i
>>212
>主観における観念はどこまでも静的であり、客観における自然はどこまでも動的ということが言いたいのだけれど…
>例えば君がいう物質とは一体何?
自然は生成で動的だけど、もう一歩深い視点で見れば静的だよね。
木は木であるから、木である、みたいな感じで。
確かに、木は季節によって様相を変える、とい側面を見れば動的だけど。
>>221
彫刻された未来とは、新しい過去の発見によって、今の有と未来の無の不確実な状態のことである。
258:世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs
13/11/27 00:59:52.58 0
>>255
同じ設計図の元に作られた二つのクローンは、それぞれが同一性を持つ
持続している限りは、いくらでも交換可能なのに対し、同じ素材だろうと別の持続であるなら別の同一性なのだ
>>257
同一性をもって静的とは言えない
木は、木という現象である
同じ様に、物質という現象、物体という現象…
木という言葉は静的なイメージを持つが、木という現象と言えば、何とか言葉として動的に表現できるだろう
同じく、石は静的に見えるが、極微な事態である
石が石として保持、持続していなければ、もはや石として成り立たない
259:考える名無しさん
13/11/27 04:08:03.19 0
だから、人にしてもなんにしても常に運動変化の過程に在る。
この物理的状態の運動変化こそ変わらないし、動かないということだろう。
物理的状態が運動変化の過程に在るという意味では同一の否定だし
運動変化の過程そのものとしては変わらない、静止だろう。
しかしこれは人間が理解しようとするから生じる矛盾であり、自然は自然としてあるだけ。
形式論理というのはAはAであるということから出発する。
規定は否定、つまり静止でもある。
260:考える名無しさん
13/11/27 04:15:48.83 0
在るとして仮定する。
この規定は本質として静止であるということ。
自然は運動変化の過程にあり、それを理解するには静止が必要であるということ。
対象を認識するには二つが必要であり、それは対立関係であるわけ。
存在を存在の否定である無で理解する。
ところが存在という規定は静止だから、運動の規定は存在すると同時に存在しないことという矛盾になる。
もともと自然の存在理由などないわけ。
根本的にわたしは不可知論者なんだけど、自然は無矛盾だからこの意味では理解可能、つまり可知であるということです。
261:考える名無しさん
13/11/27 04:22:41.30 0
形式論理自体の在り方を示したのが、クレタ人の逆説。
これはたんに、対象は変化するのに、規定は同一、動かないからこのような逆説に成るというだけ。
それ以外は意味しない。
ゼノンの逆説は、たんに世界は一であり、多ではないことを示しただけ。
ただ、これらはいずれも理解は多であることは否定してない。
大きさのないものを無限に集めても大きさには成らないわけだが
それはたんに多で世界が出来ているという素朴認識論への批判というだけ。
多は理解に必要だが、だからといって存在はしないということ。
前後左右も自然には存在しない。
前後左右というのは理解に必要なだけ。
262:考える名無しさん
13/11/27 04:28:12.08 0
意識というのは物理的状態が自己言及可能に成ったということだろう。
263:考える名無しさん
13/11/27 05:31:36.56 0
過去は過ぎ去って今は存在しない。
未来は未だ来たらずで存在しない。
今には幅が無い。
今は在る。
だがこの在るは規定としての存るだからこそ、幅が無い。
つまり今は存在すると同時に存在しない。
運動は運動量としてしか理解されない。
時間はそのようなものとして頭の中にあるだけ。
つまり理解には必要だが自然には無い。
カントの二律背反はこのようにして解決される。