14/05/07 05:58:36.97 0
他力というのは波平が前いってた?ようにただ念仏を唱えれば
救われるといった方が民衆は理解しやすいし迎合しやすいだろう
というものではなく、念仏をすることで他力本願に近づくという
もっと深い部分での人間の自然な「救い」を体現するのに念仏を
唱えるといった意味を持つものだろう。
人間は自然なものであり、その心や精神も無理矢理に苦行で矯正していく
ものではなく、あるがままを体現していれば自然と阿弥陀仏が救ってくれる
といったものでり、念仏はその手助けとなる。信仰の意味みたいなものを
繰り返していく行為だと思う。または霊的な意味も宗教だからあるだろうが
私も他力の教えには感動し、傾倒している。
涙がでてくるほど優しいことをいっているんだと思うよ。
「あるがままでいいんだ。自分(自力)より大きなもの(他力)に従おうよ。
そうやって自然に生きていれば必ず阿弥陀仏が救ってくれるから
人間が自然でいることはすばらしい。生きよう自分自身(他力)を」
って意味じゃないかな?
嘆異抄を読んでそう思った。