14/04/13 11:20:57.13 0
>>396
そもそも縁起の解釈に誤解があるような気がする。
大抵の人は、「今目の前にあるリンゴは、縁起によって起こっている。」という仏教的な解釈をする。
ところが、その解釈は間違っている。
縁起しているからこそ、「リンゴという固定の物質は存在しない」のである。
だから、「リンゴが縁起によって起こっている」という言い方には矛盾がある。
こういう風に言い換えるべきだ。
「今目の前にあるように見えるリンゴは、縁起ゆえに空である。」 と。
縁起というのは、一枚の絵から、ある部分を抜き出すということが、出来ないということ。
一枚の絵で一つであり、その中に雑多なものがあるわけじゃない。
絵の中は空。
今という関係性(一枚の絵)の中から、一つのパズルのピースを抜き出し、
次の「今の絵」にはめることは出来ない。
なぜならその絵のその部分には、別のピースがすでにあるからだ。
パズルのピースという自性は、縁起の中では存在出来ない。