14/04/12 14:28:47.93 0
366を読んでると、359で書いた
<悟りの奥義や知も無明と明智もすべて離脱されるのだから351の
解釈-識、観念、悟りにこだわるのは真理ではない->
<悟りや識が観念として求められる間はまだ中間綱領。悟りの脱構築が主
眼>
と書いたことを言い直しているだけですね。あなたは“<空>を対象化す
る間は人はまだ「凡夫」である”と書いているがそれは359と同じだ。
あなたは段階などないと「仏教の実践に最終も中観も無い」と書いたが、
立派にあるじゃないですか。「そのように対象化する思惟が崩壊する段階
です」と立派に書いている。同じですよそれは359と。
<それは悟りや明智や善悪を重視することとも違う。
むしろ悟りや善悪の観念の脱構築が主眼。>
と私は359の冒頭に書いている。私の解釈をなんで「違う」と書いておいて
また繰り返すのかな。 意味がよく分からなかったのかな。