14/04/12 13:35:59.15 0
>>354
「転識得智」は、唯識の修行の過程で生じる転換のこと。
その説明を引用しておきます。
「〈識〉が〈智〉になる。〈識〉は言葉を通してものを知る概念的認識で、したがってそこには、
対象を実在化する働きが潜在しているのに対して、〈智〉はそういう思慮分別を介さないで、あるままに自己を親証する認識の構造である。
空なる自己が空のままに空を知るのである。空なる自己が空なる自己にたちかえるのが〈智〉である。」
(太田久紀『唯識の読み方』)
だから、「識=観念=悟り」などというのは頓珍漢です。
そもそも、唯識というのは中観の発展なのだから、五蘊皆空を前提としているんです。
「五位の修行」といわれる五段階の唯識の修行の二段階目を「加行位」といいますが、
この段階は、「所取空・能取空」(哲学的にいえば「客観」も「主観」も〈空〉)という自覚が深められていく修行の段階です。
しかし我々は、自分自身が〈空〉の真っ直中にあるはずなのに、その〈空〉を自分の向こう側に置いてしまう(つまり対象化してしまう)。
我々の思惟は、そういう性質をもっています。
この「加行位」という段階では、人は《「客観」も「主観」も空》ということを<頭では>よく理解していながら、
非常に深いところで、〈空〉を対象化してしまう。
だからこの段階では、人はまだ「凡夫」と呼ばれます。
次の第三段階の「通達位」が、そのように対象化する思惟が崩壊する段階です。
そこで「転識得智」が生じ、人は「凡夫」ではなく「聖者」と呼ばれます。
対象化する思惟とは異なるこの〈智〉の働きを、唯識では「住する」などの語を使ってあらわします。
ちなみにこの「通達位」に到達するには、一大阿僧祇劫(ほとんど無限に長い時間)かかるとされます。