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355が出したテキストは<絶対空こそが真理。マントラがその絶対無を暗示
する>と言っている。それは悟りや明智や善悪を重視することとも違う。
むしろ悟りや善悪の観念の脱構築が主眼。
梵文テキスト:<空性>の次元では、物質もなく、感受もなく、想念もなく、
諸意志もなく、識もない。
同テキスト:眼・耳・鼻・舌・身体・思考(意)[とい
う六箇の内なる部門]もなく、色・音声・臭い・味・可触物・存在素(法)
[という六箇の外なる部門]もない。[十八の根源界(十八界)における]眼
の根源界(眼界)から思考識の根源界(意識界)までもない。[十二支分から
なる<依存的生起>(十二支縁起)における無明と敵対する]明智もな
く無明もない。明智の滅書もなく、無明の滅蓋もない。
すなわち悟りの奥義や知も無明と明智もすべて離脱されるのだから351の
解釈-識、観念、悟りにこだわるのは真理ではない-は355の出したテキスト
と矛盾しない。といっても最終綱領としては識や観念も悟りも超えられ
るということ。識や悟りは中間綱領-まだ哲学に留まる-とみればいい。