13/12/27 22:59:22.69 0
>>138
いやいや、説いてるよ
逆に『大四十経』MN PTS III, 71頁で、こう説かれてる。
邪見とは何か。〈布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、この世、かの世、母父なく、化生の有情なく、シャモン・バラモンで正しく道を行じて、自らこの世とかの世を直接知覚して説く人はいない〉とする。これが邪見です。
参考:『原始仏典』春秋社、中部4、151頁
パラレルな『中阿含経』ではこう。
T0026_.01.0735c15: 云何邪見。謂此見無施無齋。無有呪説。無
T0026_.01.0735c16: 善惡業。無善惡業報。無此世彼世。無父無
T0026_.01.0735c17: 母。世無眞人。往至善處善去善向。此世彼
T0026_.01.0735c18: 世。自知自覺自作證成就遊。是謂邪見。
参考:『国訳一切』 阿含部6、181頁
単純な話、来世が無いというのは一貫して唯の邪見、断見と言われる。
これはあらゆる時代、あらゆる地域の仏教で一貫している。
例外は邪見と方便のみ。その現代日本仏教の一部は邪見に他ならない。
現代日本では中観などの戯論寂滅への導きで輪廻や業がない、などと説かれる部分によって輪廻否定したとか、輪廻からの解脱を説く部分から、輪廻思想からの解脱などといった、しょうもない説を説く人もいるけど、
そういうのは仏教ではないんで、そういう説に依ってるようじゃ分かってないと自覚されたし