14/09/04 22:13:05.82 0
ダイヤルを廻す。すると呼び出し音が聞こえ、相手が出て来る。もしもし……。
ぼくの声は相手のすぐ耳許で聞こえるだろう。たぶんすぐ隣りで話しかけるよりもよく聞えるだろう。
ぼくの声は、その音波に応じた電流に変られ、電話線にのり、近くの電信柱の碍子(がいし)を横切り、
途中どこかの街を通り、見知らぬ家々を飛びこえ、相手の受話器にほんの数秒でとどく。
もしできることなら、その電流の通った電線の上をどこまでも歩いていきたい。きっと素晴らしい旅になると思う。
そんな夢に反して、もう心はズタズタだ。
汚い街よ、汚い人間よ、其の中を歩いて行くだけだって立派な冒険小説が千本も書けるのに。
太平洋一人ぼっち。大都会全部ぼっち。
駅の階段をのぼる。「おい、ぶつかるな、触るなオレに。ナマ温い醜い体温こそ、最悪のブルースリーだ。」
人間の有史以来、ラッシュの駅の階段程、みじめで薄ぎたなく苦痛な空間はない。
あわれな階段、はずかしめられた階段、階段よ反乱を起こせ。起って人間をコンクリートにたたきつぶせ。
醜い人間だが、大量の血だけがかろうじて許せる美をもつ。
電車にのる。妙な位置に立っている奴がいるので肩がぶつかり落着きがわるい。
中があいているので入ってしまおうとするが、新聞を拡げて立ちふさがっている。濡れた傘を無神経にぶっつけてくる。
300:考える名無しさん
14/09/04 22:23:06.29 0
衝突せよ。ダンプにだろうが、なんだろうが。
まわたで首をしめられる不快よりは、ポーンとあっさり一丁あがりのほうが親切というものです。
それにしても周囲を見わたしてみると、みんな素知らぬ顔をして平然としている。
さて、今日もこれから一日が始まるのです。
「モーターボートの収益金は明るい国づくり、豊かな暮しのために役立っています」。
まずはともかく、やり切れぬ現実と「ひと目会うその日から、殺意の花咲くこともあるが」、へたに刺せば刃物が腐る。
そして十代や二十代の人ばかりでなく、三十代四十代でいまだにグレている人間がいるから気をつけましょう。
また世の中をスネた考えばかりでなく、人とは美しいものである。これを考えて見る必要があるのではなかろうか。
301:考える名無しさん
14/09/04 22:47:28.34 0
以下(「春雨の曲」の)著者の言。
人の「こころ」には三種類ある。真心、第一種マナ識、第二種マナ識。
真心は造化の心即ち「こころそのものと其の上のいのちそのもの」の末流であって、
生物が生きているのはそのためである。人の場合はこのこころは植物性神経系を使っている。
第二種マナ識とはこれとは全く異質のこころであって、動きもすれば彼らなりに雰囲気もわかるが、
生きているわけでもなければ、人のこころがわかるわけでもない。
わたしは且つてα₁⁰にこんな白昼夢を見せて貰ったことがある。
わたしの部屋のテーブルが自分の上に、わたしの好みのコーヒーと角砂糖とミルクとを載せて、
足も動かさないで滑るように動いてわたしの前へ来た。
このテーブルの主人公が第二種マナ識である。天上ではこの心を使って、スマートな機械を造っている。
造化は主としてこの心を使って人の「からだ」(第七識中、下層)を作ったのであって、
前五識即ち眼、耳、鼻、舌、身はこれに属する。
人が第七識下層にいるとは、この心が其の人の主人公になっていると云う意味である。
スポーツを奨励し過ぎたり、衝動判断を奨励したり、善悪を快不快によって判断させたりしていると、
人はこの第二種マナ識の国へ行ってしまうだろう。新学制を根本から改めなければならぬ所以である。
302:考える名無しさん
14/09/04 23:06:15.87 0
日本民族の人は然し、西洋型無明に冒されているために第七識下層にいるのだから時が来れば目が覚める。
現に此の文の筆者には、文の末段に自覚の曙光が仄かに見える。
一般に云って其の人の大脳前頭葉と云うフィルムで造化の放送する無相の情景をテレビ写真に撮れば、
此の人の場合にはこんな文章となって現像されるのである。
この文の描いている情景は(携帯電話やスマートフォンの無い時代に)朝起きて電話を掛けに行ったと云うごく簡単な出来事である。
読んで見ると中々文才があるが、悲願が支離滅裂である。この人はビールス型無明(ウイルス型無明)に冒されているのである。
(帰郷してからの言葉。本当はこの文章は造化の無相の二尊T-Aがお撮りになったテレビ写真の現像です。
造化のお使いになっている有相のフィルムは、第十五識、第十四識、第十二識、第十一識、第九識、第七識(純即ち上層)の五種類です。
これは「朝の電話」とでも題すべき情景でビールス型無明の患者の典型です。一々言いませんが以下の文例はすべてそうです。)
303:考える名無しさん
14/09/04 23:24:18.83 0
「ここから何時も」より ガン
前頭葉(第1の心)なしにはガンは起こらん。これが本質的なことです。
無理にこしらえることはできる。が、自然発生のガンは前頭葉を持たない動物にはない。欲界です、これは。(省略)
頭頂葉(第2の心)なんかが肉体を支配するのが正しい。私はそうなってるとガンは起こらないと思います。
少なくとも頭頂葉が体を支配してたら、無闇に背が伸びたり、おかしな顔つきになったり、そういうことは決して起こらない。
頭頂葉が支配しないから、前頭葉がいろんなこと言いだすんです。欲界の心がね、ここは欲界なんです。
※前頭葉が暴走して植物神経系(自律神経系)のうち交感神経優位になると、
細菌と比べてのウイルスの相対的増加、リンパ球と比べての顆粒球の相対的増加、便秘などに繋がり、発癌に直結します。
304:考える名無しさん
14/09/15 04:22:45.96 O
「マガジン9 みんなのこえvol294」より 養老孟司氏に進言する。
最近、『アエラ』に発表された解剖学者養老孟司氏の福島原発事故に関する文章を読んだ。
彼はこの中で、原発推進派も原発反対派も喧嘩両成敗であるかのような主旨のことを書いている。
こんな養老氏に比べれば、今回の事故をきっかけに、
原発賛成派から反対派に転じた「つくる会」の創設者の一人であった西尾幹二氏の方がずっと潔い。
養老氏には自分の間違いを認める勇気がないらしい。
私はこの文章を読んで、かつて歴史学者の羽仁五郎が文化勲章受賞の数学者岡潔を評して
「数学の世界ではどれほどの権威か知らないが、こと世の中のこと、
社会のことになるとまるで田舎の巡査みたいなことを言い出す」と言っていたのを思い出した。
この羽仁五郎の言葉はそのまま養老孟司氏に当てはまる。
養老孟司氏よ、『バカの壁』のような愚書を出したり、
今回のような妄言を書くくらいなら解剖学に専念するか、
虫でも追いかけていた方がずっと世のため人のためになると進言したい。
305:考える名無しさん
14/09/15 04:42:19.08 0
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の二)(第8稿では第五識)
「日本の農奴制」
経済学部二年 男子学生
紀元前二世紀頃から日本に於て文化の歴史が開始された。
そして世界と同じように、日本に於ても最初の文化人は農民だったのである。
そしてこれらの古代日本の人民、農民の残した土器の美しさにも表わされている彼等の生活の美しさははるかに遅れながらも、
世界の人民原始農民のそれにつらなっていた。
当時の日本人民も世界の原始社会に於て推定された生活をしていたと推定される。
その氏族社会としての性格、その原始共産社会としての性格、分業は既に始まっていたが、
支配者と支配されるものとの階級の差別はなく、氏族のメンバーとしての総ての男女が原始的な自由平等友愛に於て、
絶えず会議をして、その原始社会を運営していた状態が未だ不完全だが学問的に推定されつつあり、
今後、さらに詳細に推定されるだろう。
世界の人類の原始氏族社会が、そこに於ける生産力発達につれて崩壊して、
そこに少数の支配者が人民の多数を奴隷として所有し使役する古代奴隷社会が現われたように、日本に於ても魏志倭人伝によれば、
紀元一世紀頃から人民の多数が少数の支配者によって所有され使役されるに到ったことが知られる。
日本の古代奴隷社会は、その特色を持っている。
そして、この特色をもって、日本の古代に奴隷はいたが、人民の多数が奴隷として支配されていたのではなく、
したがって日本古代を奴隷社会として規定することはむつかしい、とする研究者達の説がある。
が、これらの説はちがっているとみられる。
306:考える名無しさん
14/09/15 04:58:24.36 0
第一に古代の日本に於て、人民の男女が公然と奴隷として公認され、売買され所有され、
当時の主要の生産としての農業にこれらの奴隷が使役されていた証拠がある。
第二に、これらの奴隷の数が、人口の総数に比べて、むしろ多数ではなく、
古代ギリシャに於ては全人口の九割内外が奴隷であったのに比べて
古代日本に於ては全人口の二割内外が奴隷であったに過ぎなかったことは事実であるが、
それと同時に、見落してはならないことは、日本の場合には奴隷が極めて少数の特権的支配者の手に集中的に所有され、
即ち全国民の生産又は富の程度は非常に低く貧しかったのに、その程度の生産が特権階級の手に集中的に所有され、
全人口的には数の多くない奴隷が極めて少数の特権階級、
天皇及び其の周囲の貴族又地方の豪族などの手には実に大量に数十または数百、数千人というように集中させていた事実である。
そして第三に、特権階級の支配としての古代日本天皇制の下に、
日本人民の大多数は実質的に奴隷として又は奴隷に近い状態として、いわゆる部民として世襲的に支配されていたのである。
ゆえに、日本の古代社会がまぎれもない奴隷社会であり、しかも非常に残酷な性格を持っていた奴隷社会であったことがはっきりわかるのである。
307:考える名無しさん
14/09/15 05:26:37.63 0
日本の古代の社会の奴隷制も日本の原始的な氏族社会の崩壊のあとに、新たに成立したものであったが、
そこに氏族社会末期の社会関係の残存または癒着が外被として利用され、ここに日本のいわゆる氏族制度というものが形成されていた。
従来の日本の歴史家がこの氏族制度を氏族社会と混同していた理由もここにあった。
氏族社会は原始的平等を本質としたものであったが、氏族制度は階級制度を本質とし、
氏族社会の崩壊後に発生した奴隷制を基礎とした社会であった。
ところが日本に於ては、そこに氏族社会の残存がヨーロッパの古代に於けるように完全に清掃されずその残存の癒着の外被の下に、
氏姓階級という支配階級が形成され、その下に、当時の日本の人民の大多数が、あるいは純然たる奴隷として、
いわゆる氏上すなわち氏及び姓という特権的位階を持つ階級に直接隷属して労役に服し、
売買はされないが贈与されることはあった部民すなわち実質的の奴隷に近い隷属民として、
又はこの部民と同等の社会的地位に置かれたいわゆる戸すなわち半奴隷的な人民として支配されたのであった。
その間に、日本の人民がこうして氏族制特権階級のために奴隷として支配されることに対し、
しきりに反抗反乱するに到った事実は、古事記や日本書紀などにも表われているが、
これ等の奴隷反乱に対し、貴族豪族は個々別々ではそれらの奴隷反乱としての人民の反抗を圧服出来なくなるとともに、
ついにこれらの貴族豪族が連合して、この日本人民の奴隷反乱を圧倒しようとした。
この日本人民の反抗としての奴隷反乱の弾圧のための豪族連合、
ここに日本武尊の東征とか四道将軍とかのいわゆる諸国平定の物語りは、
歴史的記事ではなく、天皇の支配を恒久かつ強力に見せかけようとした製作であったが、
そこにも奴隷反乱弾圧の体系の中心としての天皇制の起源と本質とが表わされた。
308:考える名無しさん
14/09/15 05:39:54.60 0
古事記、日本書紀にしばしば天皇が恐ろしい人物として残虐極まりない行為をもって記されていることについて従来の研究者の説明は正確でない。
これらの記事は、古事記・日本書紀が客観的な歴史叙述であることを示している。などといった説は馬鹿気ている。
正しい解釈は次のように考える外あるまい。
即ち、日本人民が奴隷として支配される生活に反抗し反乱するようなことをすれば、いかに恐ろしい目にあわなければならないか、
このことを日本人民に対して威嚇するために、
日本天皇は充分に恐ろしい残虐な専制支配者として示される必要があり、
又そうした事実があっただろう。
309:考える名無しさん
14/09/15 06:00:50.80 0
ヨーロッパの古代の社会は、奴隷制に基礎しつつ、農業及び商工業の高まりにより、
氏族社会未明の残存を完全に清掃し、貴族王朝の交替又は更に進んで共和制の実現に到達したが、
日本に於ては内部の経済的発達と周囲経済的との相互作用の加速度がヨーロッパのように高まることが出来ないが、
アジア的停滞凝固のもとに、氏族社会末期の崩壊の残存癒着が外被として作用されながら、
奴隷所有者階級の集中から奴隷制国家の君主としての天皇制が成立し存続し、
そこに、そのとき既に大陸に中国に於て封建支配の社会が発達していた影響を受けて、
日本の古代奴隷社会はヨーロッパの古典古代のような発達の階段への到達を実現することなく、
原始的な階級支配としての奴隷に原始的な階級支配としての農奴制がまじった
云わば半奴隷的半農奴的段階から封建制農奴社会に移って行ってしまった。
日本にヨーロッパの古典古代のような時代が実現されたことがなかったことが、
近代に於けるヒューマニズムの問題に影響していることをここに附言して置こう。
ヨーロッパの近代のヒューマニズムは中世の封建的支配が残酷な抑圧となった時、
これに対して近代的な人間的な欲求を主張するために、
古典古代の共和制的な自由平等が愛の人間的文化の教養に助けられることができた。
しかし、日本に於てはヒューマニズムがヨーロッパに於けるように、
中世の封建的支配をハッキリと批判するに到ることができなかったし、
又その際、古典古代の共和制的な人間的文化教養に助けられるというような古典古代がなかった。
参考文献、「日本人民の歴史」、羽仁五郎著、岩波新書版。
310:考える名無しさん
14/09/15 09:03:52.48 0
此の文の筆者及び其のオリジナルテキストの「日本人民の歴史」の著者羽仁五郎氏は第二種マナ識の国の大衆の二人である。
真心の国に住む日本民族と常日頃見たり想ったりわかったりしている情景が全く異質のものであることを
此の文とわたしが此の節の冒頭で述べた文とを比較して知って欲しい。
日本の天皇家についてはみなさんに次の書をお読みになることをお勧めする。
「宮中見聞録」木下道雄著 新小説社、明治百年記念出版
また、胡蘭成さんと云う中国人がある。汪兆銘政府の若手のチャキチャキ、法制局長官兼情報局長官をしていて、
この政府が瓦解した時難を日本に逃れ以来最近まで長く日本にいた。
今は台湾の何処かの大学で経済学の講義をしている。
此の人は日本語で多くの著書を出して、日本や中国に西洋思想が東洋に取って如何に恐るべきものであるかを警告しているのだが、
其の中の名著「建国新書」(中日新聞、東京本社出版)でこう云っている。
「日本の政治は「祭政一致」と云い日本固有の宗教を基盤とした政治である(舜の政治がこれに相当する)。
中国の政治は「王道政治」と云い聖賢の道を基盤とした政治である(堯の政治と舜の政治がこれに相当する)。
然るに西洋の政治には全く基盤が無い。
それで古代メソポタミア民族、古代エジプト民族はもと日漢民族と同族であったが、
何しろ西洋の政治にはBedeutungが無いから自ら奴隷制度を作って自ら穢すことによって滅んでしまった。
西洋の奴隷制度はすべて此の二つの先進民族から出ているのであって、日漢民族には奴隷制度は無い。
中国の帝舜の政治も日本の天皇の御政治も皆無所有心を基盤として行われたものである。」
わたしも胡蘭成さんと全く同意見である。
311:考える名無しさん
14/09/15 09:25:50.74 0
天皇が奴隷制度や搾取の親玉かどうか日本歴史を辿ってみよう。
崇神天皇は「天が下を敷いて家とすべし」と云っておられる。
これは人本然の心に従って固定された自他の別無く住もうと云う意味である。
大体マナ識には真心の「固定された自他の別を持たない」と云う心境は想像することも出来ないのだろう。
仁徳天皇を時人は「聖の世」と讃えている。
舒明天皇はこう云う名歌をお詠みになっておられる。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の 今宵は鳴かず いねにけらしも
元寇の時、亀山上皇は皇祖伊勢神宮に身を以て国難に殉ぜんと祈願を凝らされた。
明治天皇を文人はこう讃えている。
降る雪や 明治は遠く なりにけり(読人不知)
聖天子 上に在る野の 長閑なる(漱石)
武蔵相模 山なき国の 小春かな(漱石)
かばかりの めでたき帝 在しける 御世も今日より 古となる(与謝野晶子)
312:考える名無しさん
14/09/15 09:37:01.50 0
明治天皇が神去られた(かむさられた)時、わたしは小学六年だったから知っているが、全国民は号泣したものである。
今上陛下が身を捨ててお止めにならなかったら、今度の大戦で日本は滅んでいただろう。
此の文章は感受(感動、感興、感銘)が全く麻痺してしまっていて少しも水々しさが無い。
まるで埃及(エジプト)のミイラのような感触である。
これはユダヤ型無明に冒されているのであって病は前者に比べてずっと古いように感じる。
前者には自覚の曙光が仄かに感じられたが、此の文章は夜の闇が深い。
(帰郷して後のわたしの評。これは造化に対する第一の反逆者のテレビ写真の現像である。
第一蓬来宮は既に討伐の準備をしているだろう。)
313:考える名無しさん
14/09/18 19:57:27.38 0
1974年5月3日
日本人は明治以後、西洋人の猿の人真似っていうか、もっと徹底的な真似してる。
だから自分で見える目を持っていて、西洋人が見なきゃ使やしない。だから西洋人の言ってる自然と同じものを見てる。
だからそういう意味に対しては、西洋人はつまりめくらだからどうしようもない。
じゃあ日本人はっていうと、目は見えるんでめくらじゃあない。しかし西洋人の真似をして見ない。
これは目はめくらじゃないんだからっていう点は良いように見えますが、
見える目を持っていながら見ないでめくらの真似をしているんですから、
こういう日本人を何と呼んだら良いでしょう。
いろいろ考えてみたんだけど、名付くるところ無し。
およそ義理にも知などという言葉を口にすることのできない動物です。
かけらも無い!一体、何を知と言ってる!
知とは知を愛するという心がある。それら抽出したものが知です。知を愛するとはどういうことかわかりますか。
今の学生見て、先生見て、わかる筈が無いと思う。
314:考える名無しさん
14/09/18 20:11:11.12 0
ベネディクト夫人の「菊と刀」っていうのがあると聞いてる。
そして日本人の道徳の根源は恥である、アメリカ人の道徳の根源が罪であるのと違ってると、そういうこと書いてあるに違いない。
ところがね、読んでませんが、その恥ですが、何を恥じるかということですが、西洋人が恥じるものは人目を恥じるのに決まってる。
ところが日本は、少なくとも明治以前までは、言い伝えになってからも戦前までは、「俯仰天地に恥じず」である。
だから何に恥ずるかが、つまり恥ずかしいと思う心が全然違う。
ところが、このことを言った批評家が一人もいない。
ていうのは「菊と刀」の翻訳、ベストセラーの一つだと聞いてた。
だから、どれっくらい駄目かわかるでしょう、今の日本人は。
こういうのを物真似猿っていうんだけど、名付くるところ無かったけど、何とか名前一つ要るから、物真似猿と付けた、ムーミン物語の。
315:考える名無しさん
14/09/23 05:02:37.53 0
前頭葉と癌の関係は?の部分が多そうだけれど
禅僧の生活は、癌の成長が遅くなると見る、転移しにくくなる可能性はある。
機械のボタンを押すのを強制されない生活をすると睡眠の質がよくなる。
316:考える名無しさん
14/09/23 05:10:40.99 0
ちなみにタバコの害はそれほど高くない
岡潔当人も、交感神経優位のときと、副交感神経優位の時では
タバコの味が違うとおっしゃってました。
317:考える名無しさん
14/09/23 06:16:06.12 0
病は気から、精神・身体の陰陽のバランスを観ながらタバコでも、酒でも。
岡と同じ和歌山出身の南方熊くずだって、自然と戯れながらタバコスパスパ
お酒ゴクゴクですよ。
318:考える名無しさん
14/09/24 06:40:35.98 0
英語の義務教育化、小学校からの義務化により日本人ダメになる。
あと、アメリカの心理学では・・って一体なんだろうか?
319:考える名無しさん
14/09/24 21:17:23.03 0
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 精神統一
ただ、潔の精神統一の仕方は尋常ではなかった。それは、
「そうだと思ったら何でも本当にやってみることである。徹底してやらねばいけない。
それでこそ理想を描くことができるのであって、社会通念にしたがって生きていこうなどと思っていて理想など描けるものではない」
という理念に基づいているもので、まさに命がけであった。
たとえば、中学三年のある試験のことであるが、あまりにも集中しすぎた潔は、
(副交感神経が極度に働き下痢しそうになるだけでなく)試験が終わって教室から出るや否や食べたものをみな吐いてしまい、
それから二週間ほど食事らしい食事ができなかったということがあった。
誰しも集中し過ぎて気持ちが悪くなるという経験が一度や二度はあるだろうが、潔の場合はそれが徹底していたのである。
当然、そういうことを続けることが体に良くないことは明らかである。
潔も、徹底した精神統一は非常に激しいので、大部分の人間には必要でも、
秀才を夭折させる恐れがある、医者が灸を研究して万一に備えるべきであると言っているほどだ。