13/01/11 16:00:23.95 0
俺は通りすがりの人だが、そのカルマ論は、
アフォーダンスの観点において、
「行為するもの」と「行為されるもの」を一本の線で結ぶ時の、
非抽象世界上に実体化されるときにやむなく生じる他の線について、まるまる綺麗に語られているな。
俺はルドルフ・シュタイナーという人の本や思想は知らないが(開いていない本は一冊持っているが)
説明された原理に対して、
先に示したアフォーダンスの概念やそれが提唱される哲学ではない学問体系の存在も重要ではなくなってくる。
それは謂わば、その原理を説明するために、ある学問分野を解説の土台としなくてはならない時、
その土台こそが非抽象世界上に実体化されるときにやむなく発生する他の線であり、
即ちカルマを発生させる可能性を持つ「事の側面」であることになる。
言われるように、学問体系が消えて無くなりなどすれば、そこにカルマは存在していないということになる。
そこで見るべきは、現存している物事のなかで、いずれは失われるものであるかをどのように見極めるかだろう。
例えば、いずれは消えて無くなる学問体系自体にはカルマはない。
だが、その学問体系といった側面として発生した別の思念の形などが根底にある場合、そちらのほうのカルマは
学問体系が消えて無くなろうが、依然と解決されぬまま存在し続ける。