12/06/26 20:54:04.68 0
>>203
天才と凡人に区分することが可笑しいと思うが。確かにどんな基準でも世界を二分することは可能だ。たとえば、魚屋と非魚屋とか。問題はその二分法が意味あるかどうかだ。
天才とそれ以外を二分する意味があまりないのは、天才と呼ばれるのは世間的な評価に過ぎないから。つまり世間に天才と評価されない知る人ぞ知ると言ったような人は実は無数にいるということだろうと思う。
その無数の人たちのある人がたまたま世間に広く知られて天才と呼ばれるだけだろう。ゴッホやセザンヌは天才と称されるが、専門的にもっと上の人は無数にいる。あるいは科学上の発見でも、天才の発見や発明と呼ばれる
ものは、それに先行する無数の科学者の努力の積み重ね無しには考えられない。
壮大なピラミッドも下からの積み重ねなしには存在しえない。天才と呼ばれる人たちのなした業績もまた社会と言う基盤なしにはありえない。天才の影に隠れた無数の「それ以外」の人々がいることを忘れることは出来ないと思う。