12/05/19 15:14:19.92 0
>686
>>507で私はニーチェの解釈論を「身体」と「力への意志」の思想と関連づけて書いたのだが、
それについて君は全く触れていない。
そして君はニーチェとは関係のないことばかり書いている。
これでは議論になりません。
ニーチェに即して書けないのは、ニーチェをあまり読んだことがないからではないの?
と、疑われても仕方ないだろうと思う。
ついでに、君が書いていることがニーチェとは無関係である理由について少し書いておこう。
例えば君が書いている「共同主観性」というものは、
個々の成員が、集団内の他の成員と共通なものをもつことにおいて成立する。
つまりそれは、「共通化」「同一化」へと向かう方向において成立する。
ニーチェの考え方はそれとは正反対の考え方なのであって、
ニーチェはあくまでも個別的なものの「差異」に力点を置いて考えている。
個々の人間のレベルにおいても、さらに、力への意志のレベルにおいても、ニーチェは「差異」を強調する。
そして、「距離のパトス」や「位階秩序」の思想にも現れているように、
ニーチェはその「差異」が大きくなることが望ましいと考えている。
だからそれは、「共通性」や「同一性」に力点を置いて考える思考法とは正反対の思考法なのだ。
ニーチェは、「共通性」や「同一性」に力点を置いて考えるような人々を、「畜群」と呼ぶ。
(>>507で書いたように、そのように思考することも、彼らの「生存条件」なのではあるが・・・)