12/05/02 01:20:09.54 0
>>436
信仰というのは信じようとしていることだよね?だから躓きの石が常に
転がっている。でも超人には信仰心なんてないんだよ。だから超人の
信仰というものは実は矛盾していて、それは論理的じゃない。例えば
アブラハムは神の定めによって愛する子供を殺そうとした。それも黙々と
誰にも語らずだ。でもこれが最高の類型として賞賛されるのはやはり超人
じゃないからだ。今の立ち位置からは絶対に越えられない壁なんだよ。
でも超人はそれをこなせる。そこには迷いが無い。賞賛される対象では
なく最早それは一線を越えてしまった別物なんだ。では超人の信仰・
殉教とはなにかというと、それは形式だよ。複雑な社会化が受動性/時間性
/一般性を能動性/空間性/個別性にしてしまったから、意味の体裁からは
逃れられないがゆえに信仰者や殉教者の形式を取るだけのことさ。テロとか
言って非難しても「何がテロだ、常識知らずのこの馬鹿チンが!」で取り
合ってもらえないよ。