12/03/21 01:56:36.60 0
ドストエフスキーやキルケゴールは、個人それぞれの体験によって
神を獲得する個人的神の世界だね。
マルクスの唯物論は、全てはシステムだっていう無神論が、
社会主義(システム主義)=無神論(反超越者)=システムこそ絶対者(神)
と繋がった結果、共産主義にシステムという共同体的神は宿るね。
ニーチェはどうだろう。キリスト教信者はルサンチマンが創造した
邪神(理に適わないもの)を崇めてると批判したが、
至高の諸価値(共同体的神)が存在する事自体を
批判したわけではないよ。例えばツァラトゥストラでは
「千の民族には千の目標があった。(中略)そのくびきが必要だ」
(集団ごとに善悪=至高の諸価値を持っている。
それぞれの善悪を統制するための一つの善悪が必要だ)
なんてものがある。この神々を支配する神=力への意志は
破壊ではなくコントロールするために必要なんだ。
従って、なおやん?がいうような個人的神に限定されるわけではない。