12/03/11 12:40:39.56 0
「不便さと教育」内田樹
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教育と効率は本質的になじまない。
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いきなりこれだ。w
みなさん、冒頭のこのことば、どこがおかしいかわかりますか?
内田信者なんかは何も考えずに、「そうだ」とうなづくシーンだけど、
少しはものを考える人なら首をひねるはず。これはカルト宗教の洗脳手法なんですね。w
考えてみてください。
「教育」と「効率」をだれが並べたの?
もっとわかりやすくいえば、
「教育と効率はなじむものである」とだれがいってるのか?
そんなことはだれもいっていない。
かってに内田が「教育」に対して「効率」をもってきて、並べただけである。
知らない人は、まるで社会が「教育」を「効率」でもってやっているように映るだろう。
そんなことはないのだ。
そもそも「教育」とは「教え育む」ものであってそのほとんどは
家庭や社会や友人関係のなかで教えられ、それをもとに自ら学んでいくものだ。
学校で教えられるもののほとんどは「教育」というより「受験勉強」である。
受験勉強は効率がよければよいほど良いのはあたりまのことだ。
内田はわざと「教育」と「受験勉強」を混同している。
中学から高校までの「受験勉強」と大学からの「就職勉強」は「教育」ではない。
そういう分別が内田にはないのだ。
内田の論法が通るのならこういう言い方も可能だろう。
教育と売春は本質的になじまない。
教育と暴力は本質的になじまない。
教育と金貸しは本質的になじまない。etc