◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない188◆at PHILO◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない188◆ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト935:668 12/02/03 17:09:12.67 0 >>895 >「真理がない」と言う時、あなたは衝突する術を保ってますか? 前に書いたように、「真理はない」「全ては虚構」というのは、私の積極的立場ではありませんが、 しかし、同じ「真理はない」でも、中身はいろいろであって、その内容によっては、私の考え方に近い場合もあります。 例えば、ニーチェが言う「真理はない」は、(その部分だけを見るのではなく)ニーチェの哲学全体との関連において考えると、 私には、かなり納得できるものです。 ニーチェの、「真理はない」という言葉の背景には、この現実世界を強く「肯定」しようとする彼の思想があります。 ニーチェの目には、プラトニズム~キリスト教的世界観が、現世否定的な世界観であると見えたわけですね。 つまり、プラトニズム~キリスト教は、「世界」を、「彼岸」と「此岸」とに分けて二重化し、 そしてそのとき、「彼岸(天国など)」に高い価値が置かれるために、その分だけ「此岸(現実世界)」からは、重みが失われてしまう。 さらには、現実世界が、彼岸(天国)へ至るための単なる「橋」のように見なされてしまったりする… 「真理はない」というニーチェの言葉は、 そのように世界を二重化する(二つに分裂させる)ことへの警戒、批判から出てきた言葉なのだと思います。 思うに、世界を二重化して(分裂させて)しまう危険は、至る所にあります。 一般的には危険なこととはあまり考えられていないと思われること、例えば、「目標をもつこと」「理想を抱くこと」「将来の夢をもつこと」なども、 場合によっては、現実否定的な態度につながってしまいます。 (「理想」に及ばない「現実の自分」を肯定できなかったり…、「将来」のために「現在」を犠牲にする…、などなど。) その点(世界が二重化することを警戒する点)では、私の考えはニーチェと同じであり、 私が、「《全て》は~である」という考え方を好むのも、そのためです。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch