10/10/06 23:14:48 0
. /⌒.\. ./⌒\
/ ノつ\. /⊂ \
o0○ノ / 3 \ (::::⌒ヽ / とノ\ ヽ○0o
( /、_ノ\ Y `(_、_) / \´ )゚
\_) `ヽ : : : * : : : | (_ノ 思想は恥ずかしいとは思わんかね?
/ |
(_ ) ・ ・ ||
l⌒ヽ _ノ |
| r ` (;;;U;;) )__)
(_ノ  ̄ / /
( _)
3:考える名無しさん
10/10/07 17:41:29 0
「エックハルト説教集」読んでるが、エロいね、これ。
4:考える名無しさん
10/10/07 19:31:43 0
「神の言について」
>いまわたしが「最内奥」というとき、それは最高所をいみしているのであり、
>「最高所」といったときは魂の最内奥をいみしているのである。
>わたしはこの両所を一なるものの内でひとつにみるのである。
これはつまり肉体の内奥と肉体の絶頂はひとつになるということ、
つまりセックスのことではなかろうか。
5:考える名無しさん
10/10/11 00:23:57 0
説教集は深い。てかもうオカルトの領域。
6:考える名無しさん
10/10/15 16:40:01 0
エックハルト神父は何をおっしゃりたいのだろう。
7:考える名無しさん
10/10/16 18:20:48 0
「私がいなくなると神もいなくなる」とかって箇所ありませんでしたっけ?
過激すぐる・・・
8:考える名無しさん
10/10/17 02:39:29 0
「エックハルト説教集」
魂という神殿について
マタイによる福音書第二十一章第十二節
(イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し…)
この神殿とは人間の魂のことである。
「われわれにかたどり、われわれに似せて、人を造ろう」(創世記)
事実、主はそのようになしたのである。
もしこの神殿がすべての障害から、つまり自我性と無知から自由になるならば、
真実のところこの神殿に等しいものは、神のほかにはない。
9:考える名無しさん
10/10/19 10:24:27 0
>>8
それってさぁ、アポケーじゃん、思考を停止しろ!って言ってんじゃん。
人間はオウムになれ、思考しないでオウム返しに喋れ、ってことじゃん。
10:考える名無しさん
10/11/02 06:01:14 0
イエスの「心の貧しい者は幸いである。天国は彼らのものである。」という言葉は解釈が分かれる言葉であるが、
エックハルトは「心の貧しい者」を、意志の貧しい者、自己を捨てたものとみなして同意している。
彼はここで無我を唱える仏教に近づいている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
11:考える名無しさん
10/11/11 08:00:15 0
エックハルトもゴーダマも、老荘も、パルメニデス、ゼノンも、同じ真理を
説いている。
その中で、エックハルト、要するにキリスト教での、真理の説明は、神が
創造主であり、それは『無』であると言うところ、ここの説明が、既存の聖書の知識
を当然の前提としている。即ち、神とは『唯一なるもの』と言うのであり、これは『無』
と言うことである、と言うことになるのだ。
他の知者、即ちゴーダマ、老荘、パルメニデスなどは、ここのところを論理的に説明するが。
12:考える名無しさん
10/11/11 22:16:24 0
>>4
はっきりマジレスしておこう。
神秘主義の境地は色と空、あるいは此岸と彼岸、神と自己の交歓に比喩される。
チベットの密教の曼陀羅なんか色と空のセックスの図じゃないか。
エックハルトはくわしくないんだけど、似たようなイメージを彼がつかんでたとしてもおかしくない。
13:考える名無しさん
10/11/11 23:06:03 0
密教と神秘主義との誤解、があるのではと思う。
神秘主義と言うが、それは既存のキリスト教から見ればの話だ。
既存のキリスト教こそが、神秘主義といえるのだ。キリスト教は
東洋の神秘主義と言う。これは仏教のことではないかと思われる。
エックハルトの神秘主義といわれるようであるが、こんなに理論的に
解説するものは、むしろ哲学と言うべきではないか。そして既存のキリスト教は、
仏教を哲学であると言う。哲学を神秘主義とは言うまい。
ま、神秘主義とか、密教とか、顕教とか、でくくらない方が良いと思う。
むしろ哲学で統一して良いと思うのだ。実際相なのだから。
14:考える名無しさん
10/11/11 23:56:05 0
う~ん 要領を得んなあ。
神や絶対者などと、自己が一致してしまうのが神秘主義じゃなかったっけ?
エックハルトはそういう意味ではキリスト教徒としては異端な神秘主義者だとおもったけど。
イエスは神秘主義の境地に至ったかもしれんがキリスト教の教義自体は信者が神秘主義の立場とるのは否定してなかった?
それと仏教は「神」の言葉は使わんでも、その境地は基本的に神秘主義的だと思われる。密教・禅はとくに。
まちがってるならおしえてくれ。
15:考える名無しさん
10/11/12 00:07:18 0
>>哲学を神秘主義とは言うまい。
プロティノスは自身の神秘主義的見地を、プラトン的に哲学化してるしなあ。
ヘーゲルも神秘主義的なとこあるよなあ。
16:考える名無しさん
10/11/12 21:49:34 0
>>14
>う~ん 要領を得んなあ。
解り難くてごめんw。
>神や絶対者などと、自己が一致してしまうのが神秘主義じゃなかったっけ?
神や絶対者と、自己が一致してしまうことを、説明しており、それは道理に適っているだろう?
道理に適い、誰にでも認められるものは、秘密の教え即ち神秘とは言えないだろう?
あるものには理解できないから、それを神秘主義と言っているだけと言うべきじゃないか?
道理ある教えでなく、誰にでもわかるものではない教えこそ、神秘の教えと言うべきだろう?
この伝からいうと、エックハルトの教えこそ道理のある教えであり、それに反する既存のキリスト教義こそ
道理が欠けている教えではないか?欠けているというの語弊があるかもしれないが、道理ある説明にかけているのでは?
17:考える名無しさん
10/11/12 22:28:04 0
・まあ、エックハルトや仏教のほうが、神話・迷信くさい教義を押しつけてくる
既存のキリスト教より道理はあると思えるってのは同意できる。
・一方で、神や絶対者と自己が一致してしまう境地(理性以前に体験として自分のものとして理解できるかの次元で)は誰にでも認められるものとは
いえず、霊的天才にしか本当のところは想像のレベルでも理解できない、密教ともいえる。(経験してないのになんとなくイメージするだけなのはナマ悟りだってよくいうよね。)
理屈・論証を追う分には、エックハルトも哲学としては理解できるということかもしれない。
・あと、いいたかったのはチベット仏教の境地とエックハルトの境地って近いのかな?って疑問。
だれかふざけてかマジにかわかんないけどセックスを連想させてたんで。こっちは真面目にチベットの色=空の境地の曼荼羅(男女の交歓図による比喩)が思い浮かんだんよ。
宗教や神秘主義そんなに詳しくないし勘違いかな?って思ったけどどう?
・あと、神秘主義的密教的な境地でも普遍的一般的な理性によって言語化していくとこが西洋哲学の強みだね。東洋とはスタンスが違うね。
18:名も無き混沌。
10/11/12 22:35:06 0
仏陀再誕は意外と常識を超越した思った以上に内容が濃い世界観の紹介の登録って神秘主義的な宗教的な精神世界的なオカルトSFファンタジーアニメーション特撮映画だったですよねー!?♪。
19:考える名無しさん
10/11/12 23:33:20 0
>>17
>、エックハルトや仏教のほうが、神話・迷信くさい教義を押しつけてくる
これは同意できないな。まあ、俺もどの分野においてもエキスパートと自認出来るわけじゃないけど、
エックハルトやゴーダマは、そもそもに置いて、神話迷信を排斥してるよ。
自分の説くところに自信があれば、それに反する教えは当然排斥するだろうね。
ゴーダマは、伝道の始に、『信仰を捨てよ』と説いた。この信仰とは、バラモンなどが
神々を持ち出し、それへの理性に基づかない妄信を教えたのを排撃するもんであったと思う。
エックハルトについては、彼の書物は残ってないんですよね?にも拘らず彼の教えは残っているのですよね。
これはどういうことなんでしょうか?
それによると、彼が神話迷信を持ち出していると言うのは、どういう根拠があるのでしょうか?
>・一方で、神や絶対者と自己が一致してしまう境地(理性以前に体験として自分のものとして理解できるかの次元で)は誰にでも認められるものとは
いえず、霊的天才にしか本当のところは想像のレベルでも理解できない、密教ともいえる
ゴーダマやエックハルトが説いている教えに拠れば、それに添った修行の果ては、「神や絶対者と自己が一致してしまう境地」
になることは当然のこととして判るのですがね。
>・あと、いいたかったのはチベット仏教の境地とエックハルトの境地って近いのかな?って疑問。
だれかふざけてかマジにかわかんないけどセックスを連想させてたんで。
こっちは真面目にチベットの色=空の境地の曼荼羅(男女の交歓図による比喩)が思い浮かんだんよ
20:考える名無しさん
10/11/12 23:34:22 0
>>17続き
チベット仏教と言うのは、密教が輸入されているんだよね。密教でも後期密教で、
後期密教と言うのはヒンズー教の影響が大いにあるんだよね。男女の交歓図と言うのは、
ヒンズーの影響だろうよ。ゴーダマは女は修行の妨げになるとして、
女を見るな、女と話すな、と教えている。ゴーダマの教義によると、そういう教えは当然で、
女との交歓が何かの意味を持つというのはありえないのだ。そしてこのゴーダマの教えと
エックハルトの教えは同じである。エックハルトが女との交歓を説いているところでもある?
キリスト教全体にも皆無だろう。
要は、男女の交換と言うものは、現実にあるし、その説明は避けて通れないだろう。
その説明のために生じた教えが、特に後期密教だと思うのだが。
この初期のゴーダマの教えになかった男女の説明の教え、はじめになかったものを、隠された教え
として密教としたものではないだろうか?それが更に神秘と見做して神秘思想と言う様になったものではないだろうか?
21:17
10/11/13 00:03:48 0
>>19
いや、引いてくるとこちがうよ。書き方わるかったかな。
>>エックハルトや仏教のほうが(主語)、神話・迷信くさい教義を押しつけてくるような既存のキリスト教より道理はあると思えるってのは同意できる。
って書いたんだよ?
つまり、おれはここでエックハルトや仏教を肯定したわけで、聖書の神話的な記述や教会の偏狭な教義のほうを若干批判したわけ。
どういう国語力なんだよ。
エックハルトが神話迷信いってるなんてひとこともおれはいってないぞ?
つまりこの部分は君とおおむね同意っていったんだよ?
あと、セックスはたんに比喩表現として便利でわかりやすいから曼荼羅で使ったんだろってくらいで、
実際のそういう行為が道徳的にどうという意味合いもないだろう。でもエックハルトは知らんから聞いてみたんだ。
道徳的問題は関係なしに、遠まわしの比喩表現でその境地を記述した節はあったか?ちゅうこと。関係なさそうな気もしてきたが。
>>ゴーダマやエックハルトが説いている教えに拠れば、それに添った修行の果ては、「神や絶対者と自己が一致してしまう境地」
になることは当然のこととして判るのですがね
「当然」といえるかどうかはしらん。おれは経験主義者だから、自分が直接経験できてないことにはいくら理屈が通っていようと判断はまだ保留だ。
ただ、たぶんブッダもエックハルトも確実にそういう経験をなしたんだろうという彼らへの「信頼」はおれも持っている。人物への信頼のレベルにすぎないんだよまだ。
おれの書き方も悪かったかもしれんが、相手は多分自分と逆の考えだろうとハナから思いこんで早とちりで読まんでほしいな。
共通のとことちがうとこがあるから。
22:17
10/11/13 00:08:07 0
>>21 遠まわしの比喩表現でその境地を記述した節はあったか?
語弊があるな。便宜的に遠まわしの比喩表現を使って、悟りの境地を記述した節はあったか?だな。
セックス自体はどうでもいい。うまく表現するための便宜として。でも勘違いだったかも?
23:考える名無しさん
10/11/13 13:27:12 0
>>21
>おれの書き方も悪かったかもしれんが、相手は多分自分と逆の考えだろうとハナから思いこんで早とちりで読まんでほしいな。
共通のとことちがうとこがあるから。
たぶん逆の考えだろうと端から思い込んでいたわけじゃないよ。
こういう誤解が対話すると解消されるよい例ではないでしょうか?
ま、ゴーダマの教えやエックハルトの教えが、神秘思想であるとか密教であるとか、
言われるのは全くの誤解である、と言う考えはアテクシも持ってはいたが。
神秘思想だ密教だと言ってくる相手には、ついその誤解を拒否する気持ちが働いて、それが「誤読」の元と言えるようだ。
24:17
10/11/13 13:47:09 0
>>23 そうですか。なんかいいすぎたようですいませんでした。
あと、○○は神秘主義だ密教だってぼくがいってるのは、べつに否定的な意味で言ってるんじゃないですよ。
むしろそれがほんものならたんなる思弁や科学を包括しさらに超えた深いものであると思ってます。世間一般的には知りませんが。
・エックハルトの思想の核はやはり神秘主義というしかないんじゃないでしょうか。
体系的な哲学にもなってるとこが、たんなる霊感で終わらない理性的なものといえるんでしょうけど。
・前にもいったけどぼくは、経験主義者というか自然科学やってきた人間だけど、神秘主義をハナからネガティブにはみてないよ。
彼らの経験に裏付けられたものだし、古今東西の天才たちによく見られてきたものだから。でも個人的にはまだ不可知論なだけ。
ぼくはガチガチのカトリック信者でもないし、盲信的な科学主義者でもないから、神秘主義・密教=ブッダ、エックハルトといっても
別に彼らを冒涜するようには感じないよ。
25:考える名無しさん
10/11/13 14:07:49 0
>>24
>・エックハルトの思想の核はやはり神秘主義というしかないんじゃないでしょうか。
エックハルトは神秘ノベールを剥ぎ取ったと言うべきだと思うのです。
その理由を言ってみますがどう思われるでしょうか?
イエスは神は真実であると言い、神は唯一であると言います。
何が真実であるかは、その説明が必要です。しかし唯一と言うのはその説明が必要でしょうか?
26:17
10/11/13 14:15:49 0
>>25
ええ、そのへんの詳しいところはよくしらないのでぜひ教えてくださいな。
ただ、差し出がましいようですが、簡潔におねがいしますm(_ _)m
専門外すぎるし、長々となると消化不良でレスしようがなくなるんで。
・あと思ったんですが、「神秘」という言葉がいかんのかもしれませんね。
ほんものの神秘主義は、当人たちにとってはもう「神秘」ではなくまぎれもない真実ということだろうと思います。
その境地に達することができない者(私もですが)からの言葉ですね。
27:考える名無しさん
10/11/13 14:24:23 0
>>26
それではもう少し質問させて欲しい。
あなたはこの宇宙は無限の空間であると誰かが言うなら、同意しますか?
28:17
10/11/13 19:26:45 0
カントが、理性のアンチノミーのところでいってたように、
理屈の上では無限とも有限とも言いくるめることはできるだろうね。
理論物理学者がなんといってるかは知らない。すくなくとも、経験・観察で立証できないため
最終的な判断は不可能というのが私の立場。
既存の物理学の理論体系が宇宙の無限を要請してしまうのなら話は別だが。
29:考える名無しさん
10/11/14 11:03:56 0
>>27
この宇宙には無限の星星があり、その星星を囲繞する空間もまた無限であろう、と言うのが、
一般的な宇宙の概念であろうと思うのだ。
しかし、無限とはどういうものを言うのかと考えてみると、純一なものだけが無限でありえるのであり、
複数のものが並存しているものが無限と言うことはありえないないと思うのだ。
複数のものは、相手のものが存在する体積分だけは、自己の存在を除かなければならない。
相すればその分だけは、無存在となるのだから、無限にあるとはいえないと思うのだ。
この宇宙は、無数の星星とそれを囲繞する空間があるとは、複数のものがある状態である。
そうすれば、星星も無限ではなく、囲繞する空間もまた無限とはいえないと思うのだ。
しかし、一つのものだけが有るなら、それはすべてを満たすのであり、占領を邪魔するものはないのだから、
無限でありえると思うのだ。
これをどう思う?同意できない?
30:考える名無しさん
10/11/14 16:31:21 0
>>この宇宙には無限の星星があり、その星星を囲繞する空間もまた無限であろう、と言うのが、
一般的な宇宙の概念であろうと思うのだ
ここがもう、自明のことじゃないな・・。
>>純一なものだけが無限でありえるのであり、複数のものが並存しているものが無限と言うことはありえないない
この定義も中世神学特有の特異な想定だし、
やっぱりキリストの教義を理性的に擁護する強い動機を持たないものには、
納得できない論証だわ。すまん
31:考える名無しさん
10/11/15 08:18:20 0
つまらぬ。
32:考える名無しさん
10/11/15 08:31:37 0
マイスター・エックハルト難しいんだよ。
わけがわからないよ。
33:考える名無しさん
10/11/15 15:20:31 0
>>32
イギリス経験論や分析哲学、数学、物理学、経済学などがむずかしいってのとは、難しさの意味がちがう。
彼が想定している特異な前提のもとに論証進められても、その想定を自明のものとして
とらえていないわれわれにとっては、わけがわからなくなる。
34:考える名無しさん
10/11/15 22:29:20 0
>>30
>ここがもう、自明のことじゃないな・・。
どういう意味なんだ?世間一般はどのように考えているのだろう?
また学問的にどう解されているんだろうか?
>この定義も中世神学特有の特異な想定だし、
中世特有なものだとは知らなかった。中世外ではどのように考えられていたのだろうか?
35:考える名無しさん
10/11/16 00:11:53 0
>>34
一般人はなんでも鵜呑みにしてるだけ。
宇宙も星雲も無限ですって言われて、はいそうですかって根拠もなしに
受け入れている。ちゃんと物事考える人はそうはいかない。
>この定義も中世神学特有の特異な想定だし
ここは正直、古代ギリシャのある種の思想の影響はあるのかもしれない。
そこは詳しくないのでなんとも。とにかく古代・中世特有の独断的前提だよ。
無限・有限をこういう点で区分してしまうのはかなり特異なもの。ああそうですかと
簡単に受け入れてしまう人は近現代にはあまりいないだろう。
でも、歴史考証のひとつとしてエックハルトをよく読むのは、価値あることだとは思う。
がんばってください。
36:考える名無しさん
10/11/26 09:00:47 0
>>17
今さっき気がついたのですけど、エックハルトは印哲のウパニシャッド哲学の神秘思想に近いのではないですか。
だから最高所(ブラフマン)と、魂の最内奥(アートマン)が同じものであって、梵我一如なんですよ、きっと。
>・あと、いいたかったのはチベット仏教の境地とエックハルトの境地って近いのかな?って疑問。
近いような気がしますね。
37:考える名無しさん
10/12/05 14:03:24 0
セックスの欲は思春期に発生するもので、初めからあるものではない。
この欲は、本能と呼ばれる。仏教では、この欲も変化に過ぎないと観るのである。
当然だ。はじめなかったものが現れるのだから。そして老人になると滅してくるものだから。
この欲は激流である。一切のものをさらってしまう、それに囚われると。
ヒンズー教ではこの欲を神様のひとつのように考えているのでは?
仏教は、情欲は、変化の一つと始めにみなしているから、それについて詳しく論ずることがなかった。
ところがヒンズー教の影響で、それがどんなものかを論じようと思うようになったのだ。
それが後期仏教である。
然し、これは仏教ではない。後期仏教は、仏教ではない。情欲と言う変化を実体として認める
なら、一切の仏教は消滅する。仏教の一切の教えは滅する。
始め仏教は、情欲について論じるところがなかったのを、情欲についての教えが、隠されているのではないか、
秘密にされているんではないか、と思うものが現れたに違いない。それを後押しするものが
ヒンズー教であった。仏教でも歓喜仏なるものが出てきたりした。
ヒンズー教の元のバラモン教では、梵我一如と言う。梵と我を始めにおくのである。
ここが仏教の排斥するところなのである。梵なるものが始めにも後にもないからであるというのである。
梵があるなら、我もあることになる。梵も我もないのであるというのが真理真実なのである。
正しい見識をたどって修行を完成させるのが仏教である。我見を消滅させるのが修行である。
我見のほかに、梵というものがあると言うのは、いつまでも我見から離れることができない。
エックハルトは、自分がこの世にいなかったならば、この宇宙はなかったといっている。
自分がいなくともこの世界があるとか、自分がいなくとも、梵という真理があるとか、
こういう考えは、エックハルトもゴーダマも、認めないところである。そういうことを教えることは
真理真実に反するのである。
38:考える名無しさん
10/12/06 05:01:22 0
>>37
>セックスの欲は思春期に発生するもので、初めからあるものではない。
いや、思春期以前からあるよ。赤ちゃんでも刺激すると勃起はするらしい。
>そして老人になると滅してくるものだから。
意外と滅っさないらしいです。
それはさておき。
>エックハルトは、自分がこの世にいなかったならば、この宇宙はなかったといっている。
とうことは、エックハルトは唯識論者だったのかな。
仏教に関してはもっと勉強しておきます。前期とか後期とか歓喜仏とか、色々あるようなので。
39:考える名無しさん
10/12/08 14:35:05 0
俺も3歳頃には既にエロかったな。
40:氷ん具 ◆54e6Gn9nTeJt
10/12/09 15:53:16 0
私も保育園児のときから余裕でオナニーできた。
すげー早熟派でした。
41:考える名無しさん
10/12/17 13:26:56 0
墨子を知ってるだろう?
この人の教えは結構しっかりと残っているようだ。
この人の教えはイエスキリストの教えに酷似してるということだ。
その語り口はほんとに似てると思う。
この人の教えは、秦の始皇帝の焚書坑儒により、地下に眠ることになったという。そして
清朝末に復活したのだ。
しかし、この人は老荘を知っていたに違いないが、老荘に触れているところがあるのだろうか?
老荘を知っていたなら、その理解がどのようなものか知りたいものだ。老荘に反していないなら、
キリストイエスに反していない。つまりキリスト教に反していないということだ。
抄録を読んだだけだからわからないが、老荘は哲学者であるが、墨子は行為者であるというべきか?
お、今思い出した。墨子の弟子集団が老子の教本を経典として読んでいたという記述があった。
老荘は、ニルバーナという世界を特段に取り上げないが、ニルバーナの世界をといているのである。
42:考える名無しさん
10/12/17 16:58:00 0
>>41
>お、今思い出した。墨子の弟子集団が老子の教本を経典として読んでいたという記述があった。
失礼しました。これは間違いの可能性が大。老子の教本ではなく、墨子の言行録を
教本として読んでいた、の読み間違いかもしれない。
老子を必要としていなかったろう。
43:Aurelius
10/12/18 17:21:23 0
なんということでしょう。久しぶりに哲板をのぞいたら、またエックハルトスレがあったなんて
以前のエックハルトスレに書いていた者です
なにかの参考にでも、どうぞ
□□□マイスター・エックハルト□□□
URLリンク(academy2.2ch.net)
44:考える名無しさん
10/12/19 10:00:29 0
エックハルトが一を主張する根拠はどこで明らかにしてるのだろうか?
聖書に「唯一の神」とあることをいっているのは知っている。
世界のどの知者も、一もしくは無を究極のものとして掲げていえるが、その根拠
もまた、縁起の理法として共通している。縁起の理法によらなければ「一」または
「無相」という結論にいたり得ないのである。
ところがキリスト教だけは、「一」ということを言うが、その根拠を説明する
部分がない。しかし、それは、創造説がそれであると、言えるかもしれない。
しかし、その記述がそもそも異様なのだ。神が人間から離れて存在してるのである。
そして人が神を信じるか否かをいうとき、この人間から離れているゴッドを言っているようである。
これは妄想ではないのか?こういう存在を認めるとは妄想することではないのか?
ゴーダマはこう言う妄想を排斥するべきものとして、信仰を捨てよ、と教えたのではなかったか?
旧約聖書で、神は唯一であると、言っているところってあるのか?
45:考える名無しさん
10/12/19 16:40:07 0
>>44
あなたはスマナサーラ長老のところで学んでいる人ではありませんか?
46:考える名無しさん
10/12/19 19:41:15 0
>>44
有名なのは「十戒」に書いてある
47:考える名無しさん
10/12/19 22:17:57 0
>>45
いや、そんなことはありません。ただし、ウエブサイトでこの人のものを読んだことはあります。
特段にひらめくようなものはなかったと思いますが、何か?
>>46
うん、ありがとうございます。
「主が唯一の神であること」ですね。
この唯一が大事なのであって、神は便宜的に懐けられているものです。
老子が根源の真実を便宜的に道となずけたのと同じであります。
ところがキリスト教では、神という名称のほうが大事なものと扱われていないでしょうか?
これでは神を理解できるはずはありませんね。
(1)絶対者「道(タオ)」の本質
語ることができる「道(タオ)」は,真の道(絶対者としての道(タオ))ではない。
名付けられるものは,真の名前(絶対者の名称)ではない。
その“名付けえぬもの”は,天地(あめつち)の始まりであり,
その“名付けられるもの”は,万物の母である。
48:考える名無しさん
10/12/19 22:33:59 0
(25)四つの永遠の法(あり方)
天と地が存在する前から
渾然としたものがあった。
言を発せず,孤立して,
独りあって変わらず,
よどみなく永遠に回転し続ける,
至聖なる万物の母。
私はその名を知らず,
仮に「道(タオ)」と位置づけてみた。
それをしいて名付けて,「大」と言おうか。
「大」は遙か彼方に及ぶことを含意し,また
遙かなる彼方は,遙かなる空間の果てを含意し,
遙かなる空間の果ては,始源の点に回帰する。
したがって,
「道(タオ)」は「大」であり,
「天」は大であり,
「地」は大であり,
「王」もまた大である。
宇宙に「四大」あり,
王もまたその一員である。
王の法(王のあり方)は,地に帰し,
地の法(地のあり方)は,天に帰し,
天の法(天のあり方)は,「道(タオ)」に帰し,
「道(タオ)」の法(道(タオ)のあり方)は,本来の己に由来する。
49:考える名無しさん
10/12/19 22:39:53 0
第二十五章別訳
現代語訳
なにやら漠然と混じり合った物があって、それは天地より先に生まれ出た。音も無く静かで形も無く、何ものにも頼らず存在し何の変化も無く、どこまでも広がって行きとどまるところが無い。
それは万物を生み出す母の様なものだ。私はそれを何と呼んで良いのか解らないので、仮に「道」と名づけた。あえて別の言い方をするなら「大」と呼べるだろう。「大」であればどこまでも広がって行く、
どこまでも広がって行けば果てしなく遠くまで到達し、果てしなく遠くまで到達すればまた元の位置に帰ってくる。つまり「道」がこの「大」の性質を持つように、
天も「大」であり、地も「大」であり、王もまた「大」である。この世界にはこれら四つの「大」が存在し、
人を統べる王はその一つであらねばならないのだ。人は地を模範とし、地は天を模範とし、
天は「道」を模範とし、「道」はそのありのままの姿のままでいる。
50:石井 慧
11/03/14 17:37:47.63 0
やっと、ロードス島戦記の全巻のLDを手に入れたよ~
廃品になる再生機種のメディアだと、使い道が無くてソフトをタダで貰えるじゃない
でも、停電になったら見れないから
その間、腕立てしてよっと
51:考える名無しさん
11/04/26 18:54:30.81 0
エックハルトは不器用すぎで後生に伝わらんw
52:考える名無しさん
11/07/23 18:54:08.58 0
すごく深そう
53:考える名無しさん
11/08/16 01:30:20.56 0
54:考える名無しさん
11/08/16 01:45:57.20 0
.
55:考える名無しさん
11/08/16 01:46:13.21 0
56:考える名無しさん
11/11/15 03:03:06.36 0
「離脱」について、どなたか?
57:考える名無しさん
11/11/24 15:10:18.77 0
離脱ですか?エックハルトではないですが、聖女テレサの完徳の道に神との一致に
至るまでの離脱の重要性が書かれてあったよ。質問の答えになってないですよね。
テレサも神との合一、神秘体験の人だよね。
58:考える名無しさん
11/11/25 17:54:22.27 0
おのれを空づること・・・。
59:考える名無しさん
11/12/19 04:18:39.58 0
/:::)、
|:::::::l/ ヘラヘラ
, 、 人:::´\
|::::|_ /∠ヽ::::::::ヽ ))
|::://:::::::::ヽ:::::::::i
//  ̄|:::::::::||:::::::::|
// |:::::::::||:::::::::|
// ノ::::::::::Y:::::::::::ヽ
// ,i" ◞≼◉≽◟∵◞≼◉≽◟ ) 智弁和歌山の神秘性に共鳴してるのかね?
// ( `ー一' ○ 、'ー‐'/
// ゝ、ゝ"ー=〓=-.'` /
// ` ` `二´' /
シャカ // ─ = ニ /=、。。。。。。。/
シャカ // ─ =ニ三 (◎ ヽ----´
[ ̄ ̄ ̄ ̄] ノ◎、 |\ \
(( |||||||||||||||| )) (_,rへ `ソ /> ◎)
─ = ニ \◎'/ /
ノ /
─ =ニ三 ( ◎(
─ = ー、_ら
60:考える名無しさん
11/12/19 04:55:52.94 0
りり
61:考える名無しさん
11/12/19 12:23:24.73 0
ナチのバイブルと言われた「二十世紀の神話」でエックハルトはベタ誉めされてるよ。
62:考える名無しさん
12/01/28 01:38:13.37 0
本質と根源とを善ならしむるものの何たるかを知れ
人間の本質と心底とが完全に善なるものであるための根本、一切の彼の仕事の善さがそこ
から由来する根源、それは人間の心が全部的に神に向うということである。神がお前にとっ
て大なるものとなり、お前の全誠意、全努力が一切の行為を通じて神に傾倒されるようにい
やが上にも研究を重ねるがよい。まことにお前がそうした境地を獲得すればするほど、お前
のなす仕事はその種類のいかんを問わず、ますます善きものとなるのである。神に纏い付け。
然らば神は一切の善きものをお前に纏って下さるだろう。神を探し求めよ。然らばお前は神
と一切の善きものとを見出すであろう。まったくお前がかかる精神をもってすすむならば、
たといお前のなし得ることが一塊の石片を踏むというごときことに過ぎないとしても、それ
はお前が主のご身体に抱きまつる-我意を離れず精神が充分離在していない状態において
-以上に神々しい尊い仕事である。
神に纏いつく者に神は纏いつき給い、あらゆる徳もま
た纏いつくのである。そうして前にはお前が探し求めたものが今度はお前を探し求めるよう
になり、以前にお前がその後を追い求めたものが今度はお前を追い求めることとなり、お前が
逃げ避けようとしたものがお前を逃げ避けるようになる。それ故に結局、神にほんとうに纏
いつく者には、神的なる一切のものが纏いつくのであり、神に相応しからぬ一切の異分子は
その者から逃れ去ることとなるのである。
マイスター=エックハルト著 『神の慰めの書』
63:考える名無しさん
12/01/31 23:36:12.41 0
マニ教
スレリンク(psy板)
64:考える名無しさん
12/02/01 17:44:31.47 0
骨相学
スレリンク(geo板)
65:考える名無しさん
12/03/05 18:29:47.18 0
URLリンク(www.youtube.com)
66:考える名無しさん
12/05/30 08:26:07.49 0
保守
67:考える名無しさん
12/05/31 22:37:04.36 0
>>59
あのう、どちらかというと松緑神道大和山の神秘性ですかね