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1959年にチベットの住民が中国の弾圧に抗議して武力衝突した「チベット動乱」から56年となる10日、
チベット亡命政府が拠点を置くインド北部ダラムサラで記念式典が開かれた。
式典後には抗議デモが行われ、約5000人(主催者発表)が「チベットに自由を」「中国は出て行け」などと叫んで行進した。
式典で亡命政府のロブサン・センゲ首相は「決意と勇気を持った非暴力の戦いは続く。
チベットの現状は残酷だが、チベット人の気持ちは強くなっている」と演説。
「中国政府はチベットのチベット人による統治を認めるべきだ」と訴えた。
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は、政治から引退しているため出席しなかった。
中国ではチベット僧らが圧政に抗議して焼身を図るケースが相次いでおり、今月も四川省で40代の女性が焼身し死亡した。
デモに参加したテンジン・タシさん(28)は「焼身の話を聞くたびに悲しくなる」、
テンジン・プンツオクさん(29)は「犠牲となった人をたたえたい」と話した。!
URLリンク(mainichi.jp)
チベット動乱
チベット亡命政府は、中華人民共和国が建国した1949年に同時に開始されたチベット併合以来、チベット侵攻やカム反乱「鎮圧」、
また「民主改革」の名の下の弾圧、中国全土で5,000万人が犠牲になったといわれる大躍進政策、また文化大革命などを経て、
1979年頃までにチベット全域で“中華人民共和国によるチベット人大虐殺”が行われたとしている[1]。
なお、2000年代に入ってからも様々な弾圧が続いている(後述)。
酒井信彦は、ガンデンポタン(チベット亡命政府)や西側諸国政府[要出典]による調査の結果、
チベット動乱前後の中国によるチベット侵攻および併合政策の過程で、チベット全域で120万人にのぼる犠牲者が出た[2]としている。