14/08/31 15:45:54.81 VrnMe3If
朝日新聞が1年前の本日8月31日の夕刊で「関東大震災の朝鮮人虐殺を忘れない」という記事を掲載していました。
問答無用!朝日新聞は日本に仇する機関紙にすぎない。即時に廃刊に追い込むべき!
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これは朝鮮人虐殺事件ではなく、日本人虐殺事件ですね。大震災当時、災害でパニックになっている時に、
朝鮮人が日本人を殺したり土地を奪ったりしていて反撃されただけなのに、
あたかも朝鮮人が一方的に虐殺されたかのように言いふらしている。
当時の新聞にもしっかり載っていたというのに、
最早日本人の堪忍袋の緒はとっくに切れているということを身を以て教えなければいけません。
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「朝鮮人、各所暴動検束数千名」(小樽新聞 大正12年9月3日号外第三)
「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」(小樽新聞 大正12年9月3日号外第一)
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新愛知新聞社 大正12年9月4日号外 屋根から屋根へ鮮人が放火して廻る
解放出獄の鮮人団 掠奪凌辱を恣にす URLリンク(twitter.com)
不逞鮮人1千名と横浜で戦闘開始 歩兵一個小隊全滅か 鮮人の陰謀 震害に乗じて放火
東京で3千名蠢(うごめ)く 逮捕は頗(すこぶ)る困難 発電所を襲う鮮人団
(大正12年9月4日 新愛知 号外)URLリンク(twitter.com)
【鮮人一部の暴挙は既に完全に取締を遂行した】
警視庁 急告通達 大阪 毎日新聞 第2号外 1923年(大正12年)9月4日
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【震災の混乱に乗じ鮮人の行った兇暴】大正12年10月21日 読売新聞
掠奪ー放火ー兇器ー爆弾毒薬携帯 中には婦人凌辱もある 但し一般鮮人は順良ー司法当局談
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地方新聞の号外が多いのは、当時、新聞社は、東京に一局集中していました。
東京にあった新聞社は、活字ケースが地震発生によって倒れ、活字が散乱し、印刷機能が停止してしまったのです。
さらに大火によって東京日日新聞・報知新聞・都新聞を除く13社がすべて焼失した。東京都における新聞報道は完全に麻痺してしまっていたのです。
号外記事の見出しを見ると、震災後の混乱の中で、在日朝鮮人たちが屋根から屋根へ放火したり、略奪、暴行、婦人凌辱等、
悪さの限りを尽くしていたことがわかります。 さらに在日朝鮮人たちは、爆弾まで使って放火、略奪を繰り返し、
あげく、軍隊によって鎮圧された、とあります。
関東大震災では、生き残った日本人が、そうして互いに助け合おうとしているのを、朝鮮人達は助け合うどころか、
逆に暴徒と化して日本人を襲い、食料を奪い、暴行を働き、あるいは人殺しをし、婦女を強姦したのです。
関東大震災被災地の多くの日本人は、暴徒と化した朝鮮人を恐れました。 だから若者たちを中心に、自然発生的な自警団も生まれた。
街の安全を確保するために、各所に自警団が関所を設けたりもしています。
政府は「不逞鮮人では無い鮮人」の保護を閣議決定し、彼らを各所に収容を指示します。
警察では、警視総監の赤池濃氏が、「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、
内務大臣・水野錬太郎に「戒厳令の発布を建言」した。
要するに、朝鮮人達が、ふつうに、被災した日本人とともに、互いに助け合い、被災者の救助や街の復興に普通に協力していれば、
そもそも何の問題も発生していなかったし、死者、行方不明者もわずか数千名で済んだ筈だったのです。
自分たちの不逞行為は棚にあげ、あたかも朝鮮人こそ一方的な被害者であると言い出し、
それも、事件の記憶が薄れ、実体験した人たちがだいぶ減ってきた昭和28年ごろ・・・事件から30年も経ってから、
なんの根拠もなく6000人が「殺された」と主張しているのが在日朝鮮人たちです。
朝鮮人でも、立派な人はたくさんいるし、現に関東大震災の際でも、不逞でない朝鮮人達はいた。
そうした人たちは、日本の警察や軍隊が、当時、しっかりと保護しています。
現に、朝鮮人以外の外国人に関しては、まったくこうした暴徒問題は発生していない。
たとえば当時、首都圏には多くの台湾人がいたけれど、台湾人が震災の際に暴徒と化したなどという話は、ただの1件も発生していません。