15/05/21 09:06:08.18 .net
(写真)
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「私の前で、“あなたは売国奴だ。国を売った”と批判する人もいました。ですが(太平洋戦争当時)侵略
や植民地支配は歴史的事実です。それを否定する事はありえない。過ちを認めて謝罪して、補償する
必要があれば補償をし、誤った過去は二度と繰り返してはいけません。”
村山富市元総理の口調は91歳の高齢者とは思えないほど鮮明で強硬だった。20日、『第6回・アジアン
リーダーシップカンファレンス』で昼食会の基調演説を引き受けた彼は、会場を満員に埋めた聴衆に
1995年に発表した『村山談話』が誕生するまでの背景と、その後の社会的波紋に関する事を話した。
総理の名をつけた『村山談話』は、日本が周辺国を侵略して植民地支配をしたという事実を公式に認める
内容を基本とする。村山談話は『侵略』、『痛切な反省』のような直接的な表現で、過去に日本が起こした
過ちを認めた。
彼は1994年に第81代の総理の地位に就いた。「翌年の95年が終戦50周年でした。日本が何か一段落
しなければならいという事が、与えられた使命だったと思います」
彼は国会の謝罪決議を推進したが、論議を繰り返して結局は中身は全て省かれて決議された。それで
内閣の方針で整理しなくてはいけないと決心したと、彼は回顧した。
「以前にも日本の総理がアジア諸国を訪問した際、それなりに謝罪をした事はあります。しかしそれは
総理個人がした事であって、国家次元の謝罪ではありません。終戦50周年を迎える年だっただけに、
私は日本政府の次元で見解を明らかにしなければならないと思いました。もしそれができなければ、
(進歩的な)社会党代表である私が総理になった意義がないと思いました。内閣総辞職をする覚悟で
奮闘しようと思いました。ところが予想外にも満場一致で通過となりました」
村山前総理は日本の南部にある大分県の小さな漁村で父親と早くに死に別れ、鮮魚商の母親の下で
11人兄弟の6番目で苦労しながら成長した。明治大学卒業後に戦後労働運動をしている途中、1951年
に大分市議会議員に当選しながら政界に入門した。日本の総理と閣僚が資産を公開する度に最下位
を引き受けて、『庶民派宰相』と呼ばれるくらい質素である。
昨年までは自転車を乗り回し、現在も近くは歩いて行くくらいに健康体質である。昼食会の基調演説
とは別に行われたセッション、『村山との対話』の司会を引き受けた朝鮮日報のソン・フィヨン主筆が、
「今年91歳になる村山元総理の健康管理法は体操です」と紹介すると、客席では「その年齢には見え
ない」というざわめきが起きた。
90歳を過ぎた元総理の最後の念願は北東アジアの平和と話した。ところが最近、歴史問題で隣国との
関係がこじれていて残念だと話した。彼は理解と合理的対話が過去のしこりを解く解決策になると
信じている。
『尖角諸島(中国名=釣魚島)』を巡る中・日間の対立も同様だ。「尖角は昔は誰も関心を持たなかった
地域だったが石油が埋まっているという事実を見つけた後、中・日双方が自国の島だと主張しました。
私は中国の要人に“戦争しますか”と尋ねました。そうすると“全くそんな考えはない”と回答しました。
過去には領有権紛争を戦争で解決していたが、今は戦争ができる時代ではありません。利益を配分
する形で妥協を表示する事もできます。今後とも隣国と衝突、対立する議題は多いはずです。その時
ごとに善意を基礎に協議をすれば、解決の余地があると思います」
ソース:NAVER/ソウル=NEWSIS(韓国語)
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