14/09/16 20:43:48.26
(ソウル支局編集委員・名村隆寛)
民族の名節である「秋夕」(中秋節)を終え、韓国は本格的な秋を迎えたが、この夏、ソウルなどでは日本から参加者を
招いてのシンポジウムがいくつか行われた。その中で印象に残った光景がある。パネリストを務めた日本の与党の国会議員が、
あるシンポジウムで発言の冒頭、こんなことを言った。
「日本では学校での歴史教育が足りない」「在日韓国朝鮮人がなぜ日本に住んでいるのかを知らない学生が日本には
多すぎる」
「韓国に来る日本人によく見受けられる言動パターンだ」と思った。
このパネリストは、朝鮮半島統治時代の「日本が朝鮮半島に及ぼした被害」と「強制連行」について、日本の教育現場で
もっと力を入れて教えなければならない-と言いたかったようだ。韓国の反日論調そのままである。会場の雰囲気から、韓国側は
肯定的に受けとめていたと記憶している。
その場では韓国側から、歴史問題をめぐる反省や謝罪を何も要求されていない。それなのに、保守系議員がなぜこうした
発言をわざわざするのか。個人的な考えや歴史観による発言といってしまえばそれまでだ。だが、あえて言えば、韓国の歴史教育は
「日本」との関わりが占める割合が多いが、日本では古代から近現代まで、朝鮮半島との関係史以外も幅広く教えられる。
また、このパネリストによれば、現在日本に住む在日韓国朝鮮人のほとんどが「自主的」ではなく、「強制」され、日本に来た
人々の子孫ということになる。隣国に招かれた場で、韓国側に気を使ったのかもしれないが、あまりにもリップサービスが過ぎる
場当たり的発言だと感じた。
韓国で、特に公の場で相手に百パーセント同調したような発言をすることは、安易な手法だと思う。当地での居心地は悪くは
ならないし、“良心的日本人”として大歓迎されさえする。最近の例では今年、2回訪韓した村山富市元首相がいる。
慰安婦問題に関する「村山発言」で、村山氏は韓国メディアに持ち上げられ、常に「良心的日本人として知られる」といった
枕詞(まくらことば)を付けて呼ばれている。
村山氏の場合、すでに思想レベルの問題なのかもしれない。ただ、韓国を訪れる日本人には、韓国側から頼まれも強要も
されていないのに、日韓の歴史問題でまず先に謝罪や反省めいたことを口にする人々が少なくない。相手側の反発を過剰に
予測し、“予防線”を張っているかのようだ。
発言は本人の自由であろうが、危険なのは相手を安心させようとして、過剰に気を使うことが、かえって誤解を招く危険性を
はらんでいることだ。また、日韓の歴史問題についての論争で、「まあ、まあ」とその場の雰囲気を鎮め、曖昧に終わらせてしまう
人もいる。これも韓国人よりも日本人に多く見られる行動様式で、あたかも腫れ物に触るかのような振る舞いだ。
何も「争え。けんかをしろ」とあおっているわけではない。竹島(島根県隠岐の島町)や慰安婦、教科書などの問題で日本人が
相いれない発言をした場合、韓国では特に報道関係者や学者、市民活動家らから、相当な反発を受ける。実際に孤立感や、
つるし上げに近い感覚を覚えることもある。
韓国人との論争の際、相手側がまず謝るのはまれと言っていい。日韓の歴史という微妙な問題になるとなおさらだ。しかし、
歴史問題で安易に誤りを認めてしまうことは、ときには取り返しのつかない結果を招いてしまう。現に日本は、慰安婦や教科書の
問題で長年にわたって不要な謝罪も繰り返してきている。韓国との論争では、先に謝った方が負け。“不戦敗”なのだ。
サンケイビズ 2014.9.16 06:45
URLリンク(www.sankeibiz.jp)
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