14/09/10 21:29:40.48
(>>1の続き)
(なお、朝日の検証直前の7月、ジュネーブで開かれた国連の自由権規約委員会では「日本政府は、戦時中の日本軍による『性奴隷制』の実行犯を訴追し、有罪であれば処罰を行うべきだ」と勧告した)。
今回の朝日の検証は、他のメディアも一蓮托生だと言わんばかりに居直っており、同列にされた他紙からはおかしいと抗議を受けているが、素知らぬふりで通している。
また、「国家基本問題研究所」(桜井よしこ理事長)の「『河野談話』の検証はまだ終わっていません」という意見広告、
並びに朝日批判の文字削減や見出し修正などに応じなかった「週刊新潮」(9月4日号)と「週刊文春」(同)の広告掲載を拒否したことは、朝日が自社の綱領に反して言論の自由を有しないことを示している。
まるで戦時中にGHQが行った検閲と同じで、自社に不都合な記事の選別・排除だ。断末魔を迎えつつあるのかもしれない。
韓国にこそ人権問題がある
韓国人女性記者や秦郁彦氏が現地を検証し、吉田清治証言は出鱈目で事実無根の嘘であるとして証言を否定し、他紙も疑問視し始めていた。
そうした中で強制連行を含む強制性があったとする河野談話が発出され、これをベースにして国際社会の日本非難が高まっていった。
朝日は報道に疑問を持ったり、反省したりするどころか、吉田証言への疑問に対しては「知りたくない、信じたくない」思いと格闘しないと「歴史は残せない」と教訓を垂れる始末であった。
創刊115周年記念特集「政治を動かした調査報道」では、一連の慰安婦報道を紹介し、「国連でも取り上げるに至る」と自社報道の影響が大きいことを強調していた。
今となっては国連にまで誤解を与えた誤報で、最大の汚点であり深刻な問題があるが、朝日は体よく問題の本質をすり替えして、訂正も謝罪もしていない。
しかも、1990年代のボスニア紛争での民兵による強姦事件を引っ張り出して、
「戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかは、今では国際的に女性の人権問題という文脈でとらえられています。慰安婦問題はこうした今日的なテーマにもつながるのです」と述べる。
「女性の人権問題」として「国際的」な文脈で捉えるべき「今日的テーマ」であると言うならば、
隣国でもあり今まさに進行中でもある朝鮮戦争後の韓国人慰安婦やベトナムにおける韓国軍の行状にこそ目を向ける必要があるのではないだろうか。
6月25日には朝鮮戦争休戦後、在韓米軍基地周辺で米兵を相手に売春させられたとして韓国人女性122人が韓国政府を相手取り、賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こしている。
また、ベトナム戦争時代のライダイハン(ベトナム戦争中の韓国軍将兵による強姦などで生まれた子供)とベトナム人大量虐殺は周知の事実であるがほとんどが解決されていない。
75周年記念特集の「新聞とは何か」
朝日新聞社は創刊75周年(昭和29年)記念号のために、大正デモクラシー期の「天声人語」を書いた長谷川如是閑(当時80歳)に依頼して、
「新聞とは何か」について社会性、倫理性、政治性、さらには編集部と業務部の在り様など、広範囲から考究し、後日、単行本『新聞』として出版した。
「朝日新聞は社の伝統と、社長の性格などから、一種の社会的正義感を持ち、論説も報道も文化記事も、その感覚・情操が強く現れていた。
(中略)同社の編集会議はそういう大方針のほかに、社の性格に対しても盛んな発言があり、もっと末節的な新聞的表現の技術等についても論じ合った」という。
慰安婦報道も「社会的正義感」を持つ社風からであろうが、末節的な表現技術どころか、編集会議という大舞台においてどんな議論がされたのであろうか。
当然出てくるような疑問や事実に基づく修正が行われなかった点からは、言論の自由がなかったのではなかろうか。
また、「歴史の作為や虚構の根底に社会意識があり、それが対立意識となって、作為や虚構の動機を為すこともある。
しかし作為的に、意識的にそれをするのは、新聞や歴史の道徳に背くばかりでなく、人間道徳にも背くわけである」。
「新聞の対立意識は概して歴史のそれよりも強いので、利害の動機から、知らず知らず、単なる虚構を敢えてすることが往々ある。それは新聞的倫理性の喪失で、新聞人として警戒しなければならない」。
(続く)