14/09/09 01:35:20.17
(>>1の続き)
そんなやりとりを耳にしているうちに、79年頃の記憶がよみがえった。三十路になるかならないかのたかじんさんがMBSのヤンタン
(関西在住の10代にとって“義務教育”のようなラジオ番組「ヤングタウン」の愛称。たかじんさんは83年までパーソナリティーを務めた)で、
実父との確執を語っていたことを思い出したのだ。学生時代、新聞記者志望を父に告げた際、突き放すような敬語を交えて頭から
全否定された場面を、たかじんさんは父の口調をまねて再現していた。青年期のルサンチマン(この場合は父という絶対者への憎悪
であり、同時にそれは音楽を選んだ表現者にとって不可欠な要素、動機付けになったと思う)にあふれていたが、出自については全く
触れられることはなかった。
式後のパーティーで角岡氏に声を掛けた。神戸新聞時代の昔話もそこそこに、たかじんさんの出自について改めてうかがうと…。
「周囲はそのことを知っていたが、最後まで公にされなかった。自身の番組で“在日”を取り上げた際、在日韓国人のパネラー(例えば
前述の崔監督)を迎えたことがあり、その時、本人も名乗るチャンスはあったのに、できなかった」。だからこそ、“それ”を初めて書く
プレッシャーと同氏は格闘した。
では、なぜ、そこまで掘り下げたのか。それは「歌手としてのやしきたかじんを再評価したい」という思いからだったという。実はそれこそが
本書の大きなテーマだ。出自にまで触れたのは、彼の「歌」に結びつく原点の1つとして描かねばならなかったからだろう。何よりも、本書の
タイトル「ゆめいらんかね」は「家鋪隆仁」名義で自身が作曲し、キングレコードの「ベルウッド」レーベルから76年10月21日に発売された
デビュー・シングルの曲名である。同日発売のファースト・アルバム「TAKAJIN」の5曲目にも収録されており、当時、たかじんさんは27歳
になったばかりだった。
「ベルウッド」といえば、高田渡、はっぴいえんど~細野晴臣&大瀧詠一のソロ、あがた森魚、友川かずき(現カズキ)、遠藤賢司、
三上寛…といった唯一無二の顔ぶれが群雄割拠した伝説のレーベル。後にカリスマ司会者となり、「やっぱ好きやねん」「東京」などの
ヒット曲で知られる歌手と彼らの音楽性は、今でこそ交わる要素を全く感じさせないが、モハメド・アリとアントニオ猪木が日本武道館で
戦ったあの年、「1976年のやしきたかじん」はその延長線上にいたシンガー・ソングライターだったのだ。
角岡氏は言う。「9・11という日に本を出す。(01年の同時多発)テロとは全く関係ないですが、僕にとってはハラハラドキドキ。本人が
隠してきたことを僕が書いてしまうことに怖い部分もあります。でも、それ(出自)をバネにして彼は歌手として頑張ったんですから」。
果たして、たかじんさんの出自と歌のつながりとは…。こちらも覚悟をもって、まもなく世に出る書を手に取りたい。
(終わり)