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「ヘイトスピーチ、起源は関東大震災」 朝鮮人虐殺描いた本が異例のヒットに
投稿日: 2014年08月26日 07時30分
東京・杉並。京王線千歳烏山駅から歩いて10分ほどの住宅街の一角に、烏山神社がある。その境内に、
見上げるほどの高さのシイの木が、葉を茂らせてそびえ立っている。
現在確認できるシイの木の本数は4本。境内にも周辺にも、由来を示す記述はない。しかし、編集者の
加藤直樹さん(47)によると、ここからさらに徒歩10分ほどの場所にある旧甲州街道の橋で起きた、
91年前の惨劇にまつわる植樹だという。
1923年9月2日、関東大震災の被災者が列をなして郊外へ避難の道を歩いていた。暴動の噂を聞い
て自警団が組織され、竹やり、鳶口、刀などを持って警戒していた。ところがその夜、反対方向から、
駅の復旧作業に向かうトラックがやってきて、震災で崩れた橋のたもとで脱輪する。
「車内に米俵、土工(土木工事)用具などとともに内地人(日本人)1名に伴われた鮮人(マ
マ)17名がひそんでいた。(中略)朝鮮人と見るや、警戒団の約20名ばかりは自動車を取り巻き二、三、
押し問答をしたが、そのうち誰ともなく雪崩(なだ)れるように手にする凶器を振りかざして打
ってかかり、逃走した2名を除く15名の鮮人に重軽傷を負わせ、ひるむと見るや手足を縛して路傍の
空き地へ投げ出してかえりみるものもなかった。」
(東京日日新聞1923年10月21日付「烏山の惨行」より。加藤直樹著「九月、東京の路上で」から引用)
このときに13人が殺されたことを偲んで烏山神社に13本のシイの木が植えられた、と書く本もある。
しかし、実際の犠牲者は1人だった。一体、シイの木は誰を偲んだのか。
この事件では、のちに12人が起訴された。1987年に地域で発行された冊子に、以下のような古老
からの聞き取りがあるという。
このとき、千歳村連合議会では、この事件はひとり烏山村の不幸ではなく、千歳連合村全体の
不幸だ、として12人にあたたかい援助の手をさしのべている。千歳村地域とはこのように郷土愛が強
く美しく優さしい人々の集合体なのである。私は至上の喜びを禁じ得ない。そして12人は晴れて郷土
にもどり、関係者一同で烏山神社の境内に椎の木12本を祈念として植樹した。
URLリンク(www.huffingtonpost.jp)