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植民地時代、17歳で日本に留学した時に短歌を学び、2003年11月に亡くなるまで第一線で活躍した韓国人初の女流歌人、
孫戸妍女史は最期まで、韓日間の愛と平和を心から祈った。孫女史の思いを引き継ぐのが、長女で詩人の李承信さんだ。
来年の韓日国交正常化50周年を前に、韓日関係への思いを綴った。なお、エッセーの日本語訳は「時調の会」の金一男氏。
切実な願いが一つ吾れにあり諍いのなき国と国なれ
この一行の歌は、歌人孫戸妍の切なる思いを込めた歌として、盧武鉉大統領と小泉純一郎首相の青瓦台での首脳会談の中で、
そして会談後の記者会見でも詠まれて、その精神が語られました。
歌人が世を去って1年後の2005年の初頭、ソウルで「韓日友好の年」が宣布された際に聞いた盧武鉉大統領と日本の代表として
来られた森前首相の素晴らしい演説に、歌人の平和精神がそこに宿るならば完璧なものになるだろう、という思いがすっと心をよぎりました。
ところが、すぐに独島をめぐるデモが連日起こるようになり、韓日友好の年が色あせてしまいました。
心配のあまり、同年6月20日の韓日首脳会談に先立ち、盧武鉉大統領に孫戸妍の平和精神と歌をお伝えし、
歌人の切なる願いをお話ししました。日本側へは歌人の伝記を著した日本人作家と衆議院議員の方を通してお会いした
森前首相に歌集をお渡ししたのですが、彼は歌集を当時の小泉首相にも伝達してくださったのです。
小泉首相が間に立って下さった衆議院議員の方に電話で歌集のお礼をなさったということを聞き、
首脳会談での言及があるだろうと直感しました。
9年前のその瞬間が思い浮かぶのは、その時の韓国におけるデモが大変なもので、マスコミの影響で
全国が何カ月も沸き立っていたにもかかわらず、今ほど最悪の韓日関係にまでは至らなかったためです。
私は今、歌人の娘として、重い心でこの一文をしたためています。
日帝時代に生まれた母は、多くの差別と痛みと傷を受けたにもかかわらず、
お互いに葛藤なく平和に暮らせたら、という気持ちを生涯持っていました。
地球上のどの国であれ、近い隣国と問題のない国はないでしょうが、私たちのもっとも近い隣国との
地理的・歴史的関係から引き起こされた事柄は、今や国交正常化後もっとも長いざらついた期間となり、
植民地時代の経験のまったくない私の胸も押さえつけています。
歴史認識、独島領有権、慰安婦問題、日本の集団的自衛権行使の問題などにより、
韓日関係が一歩も進まなくなっています。
日本の安倍政府は、問題があれば会って対話しようという意思を伝えており、韓国の朴大統領は、
お互いの視覚の違いだけが浮き彫りになるなら会う意味はない、という立場です。
何よりも悲しいことは、以前にはすこしばかり反感があっても、国民たちはそんなことは政治家たちの
事情に過ぎないものと見なして、それほどぎすぎすしてはいませんでした。しかし今は、そうした関係が
だんだん長引いて、嫌韓だとか反日だとかいう語彙とともに、国民の気持ちが沈んでしまったことです。
3年前、東日本に大地震が起きたとき、私は驚きながら、韓国人として日本の宮中歌会始に招かれ、
日本の読者たちの手で青森県に高い歌碑を建てて頂いた母がもし生きていたら、どんな言葉で
慰めたであろうかと思い、200余首の私の短歌集を韓日両国で出版したことがあります。
それがきっかけで、毎年3月11日に最大被災地の宮城県気仙沼に行き、歌の朗読とスピーチを行ってきましたが、
人々が感激して、「韓国国民の気持ちは両国政府の気持ちとは違うんですね」と言っていました。誤解が解けたような、
韓日の良い関係を願う彼らの表情に、かえって私が感動と力を与えられました。
日本の人口の5分の3以上が1400年前に海を渡ってきた百済人の後裔だということを日本の専門家から聞いたことがあります。
経済、安保、政治、どれも重要ですが、何よりも同じ血を引く血縁だと思うとき、
誠実と愛情のある良い関係を一日も早く持てるよう願うばかりです。(以下略 おわり)