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▲ホン・ソングン|東北アジア歴史財団独島研究所長
日本政府が独島(ドクト、日本名:竹島)を‘日本の固有領土’と記述した防衛白書を発表した。「我
が国の固有領土である…竹島(独島の日本式名称)の領土問題が相変らず未解決の状態で存在
している。」2005年以後10年間同じ内容だ。
独島は‘日本の固有領土’が日本政府の公式の立場だ。日本外務省が作った独島広報資料にも、
去る4月の外交青書にも独島は‘日本の固有領土’となっている。去る1月、日本文部科学省が発
表した中学・高校の教科書指針でも独島は‘日本の固有領土’に基づいて独島教育を強化するこ
とを注文した。もちろん日本の小・中・高など学校教科書にも独島を‘日本の固有領土’と記述して
いる。固有領土という言葉は‘もともと私たちの土地’という意味だ。
日本が主張するように独島はもともと日本の土地だったのか?違う。それは日本のいわゆる良心
的学者たちも認めるところだ。山辺健太郎、梶村秀樹、内藤正中等すでに故人になった歴史学者
だけでなく、現役の学者まで日本政府の固有領土主張に強い拒否感を持っている。なぜなら彼ら
が発掘した歴史資料が‘独島は日本の固有領土ではない’ことを証明するからだ。
代表的資料が1877年の太政官指令だ。1868年、日本の明治政府がスタートして地籍を編纂する
時、日本政府内で‘独島を日本領土に含ませるか’を議論した。その議論の結果、太政官という明
治政府の国家最高行政機関で‘鬱陵島と独島は日本と関係ないことを肝に銘じること’と結論を出
した。その論拠は鬱陵島と独島をめぐる韓日間論争は17世紀末、安龍福(アン・ヨンポク)事件を
契機にすでに結論が出ており、19世紀中葉にも日本人の鬱陵島渡航禁止措置を取ったためだ。
1877年、太政官指令後1905年、日本のいわゆる独島領土編入措置まで日本政府が編纂した地
図を見れば、独島を日本領土と表示した地図はまったくない。なぜなら、日本政府の最高行政機
関(太政官)が鬱陵島と独島は日本領土ではないとする指令を下したからだ。
ところが、日本政府は独島固有領土主張を継ぎ合わせるため太政官指令の存在を努めて隠し無
視している。今まで日本政府が製作したどの広報資料にも太政官指令に関する内容はない。それ
は太政官指令が‘独島は日本の固有領土’という主張を正面から否定するからだ。日本が独島を
自国領土と主張する唯一の根拠は1905年、いわゆる独島領土編入措置だ。ところが独島がもと
もと日本の土地だったら、独島を再び領土編入する理由があっただろうか?
1905年の措置は帝国主義日本が韓半島侵奪戦争の露日戦争という強迫的状態で太政官指令を
否定し隠密にとった‘紙上の措置(paper act)’に過ぎないのだ。日本防衛白書にも、外交青書にも
また、教科書にも‘独島は日本の固有領土’という内容が毎年繰り返されている。強く言い張れば
よいというものではない。しかし、誤った日本政府の執拗な主張が日本国民はもちろん、私たちま
で無感覚にさせる恐れまである。いわゆる集団催眠というのだろうか?
このような時、独島に対する私たち各自の小さい身振り一つが集団催眠に陥ろうとする私たちを
呼び覚ますことになるだろう。今、世宗(セジョン)文化会館で有名写真家の独島写真展示会が開
かれている。展示会の題名が‘大韓民国、慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里1-96番地’だ。独島の
東島と西島をはじめ、その周辺89個の岩島に彫られた独島の番地だ。独島の岩一つ一つまで記
憶し心に刻むことを願う写真家の心が題名と作品にそのまま溶けている。
美しい芸術作品に昇華された独島の姿を見て、独島に対する私たちの心を確かめる契機になれ
ば良い。
ソース:京郷新聞(韓国語) [時論]日本の‘竹島’集団催眠をを警戒しなければ
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関連スレ:【竹島問題】 日本政府の独島資料調査は「荒唐無稽な策動」=韓国[07/14]
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