【中央日報】 「甲午戦争(日清戦争)、政治腐敗のせいで負けた」…日本に奪われた大砲展示した中国[07/25]at NEWS4PLUS
【中央日報】 「甲午戦争(日清戦争)、政治腐敗のせいで負けた」…日本に奪われた大砲展示した中国[07/25] - 暇つぶし2ch1:LingLing ★@転載は禁止
14/07/25 12:57:03.04
■[中央日報] 「腐敗のせいで戦争に負けた」…日本に奪われた大砲展示した中国

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▲日清戦争に従軍したフランス記者ジョルジュ・ビゴーがパリに戻って1899年に
描いたイラスト。清軍の弁髪をつかんだ日本軍が朝鮮を踏みつけている。
(写真=中央フォト)

明け方に鶏が泣けば韓半島まで鳴き声が聞こえるという山東半島の威海市の近海に、
劉公島という名の島がある。120年前、中国人に洗い落とせぬ恥辱を残した歴史の
現場だ。島国・日本に力なくひざまずいて東アジアの覇権を譲り渡した日清戦争の
最後の戦場が、まさにこの劉公島だった。

六十干支(60年)が2回り過ぎた今、劉公島に建てた甲午戦争博物館では、普段より
も多くの観客が訪れて当時の痛みを反すうしていた。甲午戦争は日清戦争の中国式
の名称だ。「年間100万人以上訪れるが、今年は例年よりも観覧客がはるかに多い」
と王計華・副館長は説明した。

清の主力海軍北洋艦隊司令部の場に展示された口径210ミリの大砲(有効射程距
離5キロ)2台が目を引いた。北洋艦隊はドイツの軍需企業が作った、当時としては
最新鋭の武器であるこの大砲を巡洋艦である済遠艦に装備した。

この大砲をまともに撃つこともないまま黄海海戦で敗退した済遠艦は、日本軍によっ
て日清戦争の戦利品にされ、10年後には日本海軍の一員として日露戦争に参戦し、
旅順近海で沈没した。

中国政府は莫大な予算を投じた末に約80年間沈んでいたこの大砲を1988年に
何とか引き揚げて本来の場所ある劉公島博物館に移した。

王副館長は「私たちの博物館で最も意味のある遺物」としながら「この数奇な運命の
大砲の中に、中国の屈曲した歴史がそのまま投影されている」と話した。

恥ずかしい歴史もありのままに後世に伝えて鏡とするための博物館の設立趣旨は、
下関(馬関)条約の署名シーンのろう人形による再現でも感じられた。

敗戦国清の代わりに李鴻章は日本の伊藤博文首相の故郷である下関まで渡り、
遼東半島と台湾を日本に捧げる屈辱的な文書に署名しなければならなかった。
ろう人形の中で勝者と敗者の表情は対照的だった。

陣列館の内部の全体的な姿や雰囲気は中国のあちこちにある抗日戦争記念館とは
全く違っていた。記者の予想とは違い、日本の蛮行を強調して反日感情を刺激する
ような展示物や苦難を乗り越えて中国の復興を強調する宣伝物は特に目につかな
かった。(>>2以降につづく)

ソース 中央日報2014年07月25日10時31分
URLリンク(japanese.joins.com)

【日中】中日甲午海戦120周年記念のため、日清戦争で沈んだ軍艦「致遠」を復刻。全部品当時のまま原寸大で再現。進水は9月予定[7/20]
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