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(>>1のつづき) 英領インド出身のガンジーが、同じく英国の植民地だった南アフリカで弁護士として
働いていたころ、チャーチルは植民地省の政務次官だった。ガンジーが、南アフリカで暮らすインド
人の人権を守るためにロンドンを訪れたとき、チャーチルはガンジーを「裸のこじき」とののしった。
チャーチルは「有色人種は政治的権利を主張できない」とくぎを刺した。
インドは「日の沈まぬ国」大英帝国にとって宝石のような存在だった。英国が支配していた間、インド
は国の富を奪われ、文化は衰退していった。ガンジーは非暴力抵抗や英国商品不買、国全体での
ストといった運動を率い、何度も投獄された。
31年に英国政府がガンジーの不服従運動に妥協し、インドの政治犯を釈放すると、インドの自治に
反対していたチャーチルは「影の内閣」を離脱した。
47年8月15日、インドは英国から独立した。先日、インドを訪れた英国のヘーグ外相とオズボーン
蔵相が「ロンドンの国会議事堂広場にガンジー像を建てたい」と語った。チャーチル像から離れて
いない場所だ。
来年は、ガンジーが南アフリカからインドに戻り、独立運動を始めてから100年目の年だ。外信は、
ガンジー像建立について「歴史を記憶する英国流のやり方であるとともに、一種の謝罪」と報じた。
インドとの経済協力を目指す英国からのプレゼント、という解釈もある。銅像は、もともと政治的な
ものだ。
今年の春、祖国でもない中国に安重根(アン・ジュングン)の記念館ができたとき「犯罪者の記念館」
と言い放った日本の官房長官の顔が思い浮かぶ。日本の国会議事堂横に李承晩(イ・スンマン)、
金九(キム・グ)といった人々の銅像が建つ日は来るのだろうか。できないことは、そもそも想像しない
方が良いだろう。(おわり)