14/07/03 21:59:05.36 cEGI8mGj
>>907
馬鹿左翼大好き朝日新聞
URLリンク(www.asahi.com)
事件は66年2月に起きた。
朝9時過ぎ、集落に入ってきた韓国兵が、村人68人を1カ所に集め、うつぶせにさせた。
一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂(さくれつ)させた。
12歳だった妹のフォンさんは頭をやられ、母は両足を一瞬にして失った。
そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。
「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私も足をやられ、動けなかった。母に何もしてあげられず申し訳ない」。
村で生き残ったのはロンさんら3人だけだった。
犠牲者の名を刻んだ慰霊碑の脇に壁画がある。
虎のマークをつけた猛虎部隊の兵士が、手榴弾を手に村人を追い立てる。
家を燃やされ、泣き叫ぶ住民たち。
ロンさんは、壁画を指さしながら「パク・チョンヒ軍は本当に怖かった」と言った。
韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団「青龍部隊」を、
クイニョンに首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を、
そしてニンホアに第9師団「白馬部隊」を駐屯させた。
彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。
ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏がいう。
戦場でベトナム人を見つけたら、女、子供問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。
女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。
もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」
URLリンク(news.ameba.jp)