【李信恵】李信恵「(ウトロや開キなど)何故朝鮮人の居住区が出来たのか、歴史のお勉強して出直してきてください」[6/21]at NEWS4PLUS
【李信恵】李信恵「(ウトロや開キなど)何故朝鮮人の居住区が出来たのか、歴史のお勉強して出直してきてください」[6/21] - 暇つぶし2ch750:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止
14/06/21 16:20:03.94 oD1xPVxS
 台湾人の蔡さんの書いた本「台湾人と日本精神」より

 そこには敗戦直後の日本の様子が生々しく描かれている。
蔡さんのいた岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊には、日本人も台湾人も朝鮮人もいた。台湾人も朝鮮人も共に日本人として戦っていたのだ。

 創氏改名は強制でなく、台湾では「許可制」、朝鮮では「自己申告制」だった。蔡氏は本名で通したが、ほとんどの朝鮮人は改名していたという。
日本が敗戦したと知って、台湾人生徒は日本人と一緒になって悔し涙にくれた。

 ・・・が、朝鮮人生徒は、その日から食糧倉庫、被服倉庫を集団で襲って強奪するなど、やりたい放題だった。
日本人を殴って「戦勝国になったんだ!」と威張り散らす者もいた。
ちなみに「三国人」というのは、このときGHQが台湾人・朝鮮人は戦勝国人でなく”Third Nationals”と呼んだのを、日本語で「三国人」としただけのことである。

 それにも関わらず朝鮮人たちは「俺達は戦勝国だ」「もう日本の法律は守らなくていいんだ」と、態度を豹変させ違法行為、暴動を繰り返した。
買出し列車では、朝鮮人が我が物顔で乗り込んで、日本人は身を縮めていた。
日本人の女はいたずらされ、日本人の男たちはちょっとでも朝鮮人の気に触ったらリンチにあっていた。
「三国人」という言葉は、占領軍の威を借りて傍若無人に振舞っていた朝鮮人のいるなかで生まれた言葉であった。

蔡氏談:「私を含め敗戦で意気消沈する中で、日本人をいびりつづけ肩をいからせていた朝鮮人どもが「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけていた我々におべっかを使ってきた。
それは中華民国が連合国の一員であったからにほかならない。
弱いものには威張りちらし、強いものには媚びへつらう、そんな朝鮮人の極端な習性を目の当たりにした気がした。」

-----「台湾人と日本精神」より


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