14/06/19 14:43:11.17 TUR3Mc/J
387 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/05/29(火) 09:13:37 ID:rtV2ohc7
Q.日本資本主義に特別な成長要因があったか。
A.活発な資本輸出だ。
日本は自国通貨と1対1で交換することができる植民地通貨圏、すなわち円を共用化にする円通貨圏を新たにつくったから、ドルや金支払い負担を背負わないで大量の資本を台湾と朝鮮、満洲に投入することができた。
大量投資と地域開発で朝鮮のメリヤスや履き物など工業製品が満洲に輸出されるなど、日本経済圏内の市場、?分業関係が深化して活発な商品、?資本移動を呼んだ。
388 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/05/29(火) 09:14:18 ID:rtV2ohc7
Q.イギリスなども植民地を持っていなかったか。
A.イギリスなどは、植民地に工場や資本財、中間材を輸出して産業を起こさなかった。
西欧帝国主義は基本的に原料収奪型だった。日本と違い永久併合が目的ではなかったから当たり前だった。
引導という株式会社を、イギリスが投資して経営する。いつでも発つことができる商業的投資をした。それが帝国主義元々の姿だ。
日本と植民地朝鮮の関係は、そんな枠では理解し難い。
地理的に接していて、人種的に似ていて、文化的によほど似たり寄ったりで、一つの大きな日本で作ろうとしたのだ。
389 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/05/29(火) 09:15:24 ID:rtV2ohc7
Q.そんな日帝の政策は、結果的に私たちの幸運か?
A.1941~45年北朝鮮地域には、おびただしい重化学工業が建設されたし、その直接的受恵者は北朝鮮だった。
朝鮮戦争当時、相当部分が破壊されたが、初めて作る時は難しいが復旧はあまり難しくない。
しかし北朝鮮は市場経済制度を清算した結果、飢餓の沼にはまった。
一方、日帝が構築した資本主義的市場秩序を、保存して発展させた韓国経済は大きく成長した。
したがって日帝が残した物的遺産が、50年代以後どれほど助けになったのかは疑問だ。
ただ、植民地当時定着された市場経済システムを、解放以後韓国が叩き壊さないで、アメリカの主導の下、再び建設された世界資本主義体制に能動的に参加した選択が輝く。
390 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/05/29(火) 09:16:22 ID:rtV2ohc7
Q.日帝植民地統治が、自主的資本主義発展可能性をむしろ歪曲したというのが通説ではないか.
A.私たちは18・19世紀の歴史に対してまともに分からないでいる。
推計によれば、1910年植民地朝鮮の1人当り国民所得は40ドル(1937年価格では約60ドル)水準だった。
産業施設もなかったし、すごく貧困な状況だった。
資本蓄積率が低く、人口の80~90%は農業に携わる農業社会だったが、18世紀以来長期沈滞を経験していた。
一種の道徳的価値や名分論が支配する社会だったし、勤労規律や勤労意欲が発達することができなかった。
それで経済家長期的に沈滞しながら自ら解体される深刻な危機状況がつながった。
391 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/05/29(火) 09:19:18 ID:IHNKbcLt
Q.解体危機と言うのは、泯乱などを示すか?
A.それは一つの現象だ。社会が自分の統合力を喪失する時、民衆が支配階級の道徳性をこれ以上認めない時暴動が起きる。
19世紀に入り、1840年頃からあちこちで泯乱が起きて、約50年の間農民たちが集団的反乱に出る。
朝鮮王朝支配階級、すなわち王族や官僚が、これ以上健全な統合力を行史することができなくなったし、社会を健全な方向でひいて出る先進的イデオロギーに欠けた。
閉まった社会共通の閉塞点に至った状況だった。
実は、植民地初期に私たちの知識人たちは、19世紀を返り見ながら真の歴史が恥ずかしいという話をたくさんしたが、解放以後、そんな認識を全て停滞論だと決めつけて、歴史を明るくて進取的に記述して来た。
しかし、歴史の真の姿にそっぽを向いていては、歴史に教訓を得ることはできない。
392 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/05/29(火) 09:20:44 ID:IHNKbcLt
>>380-391
李栄薫教授インタビュー
<韓国日報 2004年4月22日より>
URLリンク(kamomiya.ddo.jp)