14/05/05 19:04:01.17 3PPRwbh+
>>194 >>214
慰安所における日本人による人権保護の事例 その1
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「漢口慰安所」(1940)─
『どういう人間がどのような手段で募集したのか、支部の知るところではないが、
そのうち一人が、陸軍将校の集会所である偕行社に勤める約束で来たので、慰安婦
と知らなかったと泣き出し、就業を拒否した。支部長は業者に対しその女の就業を
禁じ、適当な職業の斡旋を命じた。おそらく、ぜげんに類する人間が、甘言をもって
募集したものであろう。』(p221)
『料金は30分で兵は一円、下士官一円50銭、将校・軍属は1時間で3円。
当時の内地の労働者の日当が一円未満。慰安婦慶子は、朝鮮銀行支店に3万円の
貯金ができた。現在の紙幣価値で4千万ほど。 慰安婦のための食堂もあった。
日本食だけでなく朝鮮人の口にも合うよう気配りもされていた。』
『慰安婦たちはほとんど前借を皆済していて、何の束縛もなく てんでに現地除隊
した馴染みの兵隊と所帯を持ち、男の商売を手伝ったり、元漢口神社の境内に軒を
並べ、アンペラ銀座と呼ばれる飲み屋でたくましく働いたりして、いつしか居留地
に溶けこんでいった。』(p227)
『主導権は慰安婦にあって、一部の記録が伝えるように、慰安所が兵隊たちに無惨に
犯されるようなことは少なく、むしろ兵隊のほうが、なけなしの銭を払ってみじめな
性を買うことが多かった。』(p236)
(つづく)
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