14/04/21 19:16:30.35
否定したい、できれば消し去ってしまいたい過去を抱えもつ人間は少なくなかろう。
しかし、そういうわけにはいかない。現在は過去の蓄積のうえにしか存在しないのだから。
過去とは、つまりは宿命である。国家や民族とて同様であろう。国家や民族の歴史は
栄光と汚辱こもごも紡いで引き継がれる。誇らしい過去ばかりに支えられて現在がある、
というほど歴史は単線的ではない。栄光の歴史は引き受けるが汚辱の過去は
否定してしまおうというのは、ただの傲慢である。
近代法の原則を簡単に放棄
「過去史清算」とか「歴史清算」という表現をたやすく使う国が隣にある。
2005年12月、盧武鉉政権下の韓国において「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する
特別法」が成立した。日本統治時代、その統治に協力した指導者の「反民族行為」の真相を
糾明(きゅうめい)し、それが罪過(ざいか)と認定されれば、子孫の財産を没収して
国家の帰属とするための法律である。韓国の政治家の法感覚は一驚に値しよう。
近代法における法律不遡及(そきゅう)の原則(事後法の禁止)は、ここではいとも簡単に
放棄されている。「罪千歳に及ぶ」という中世の法感覚というべきか。
韓国には「正しい歴史」と「間違った歴史」というものがあって、前者の中に生きていくためには
後者を抹消しなければならないと考えられているようだ。11年8月の「元従軍慰安婦の個人請求権放棄は違憲」
とする大法院判決、13年7月に相次いだ新日鉄住金や三菱重工の元徴用工に対する賠償金支払いに関する
高等法院判決などの背後にあるのは、同類の法感覚であろう。(>>2以降へ続く)
産経ニュース 2014.4.21 03:28
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