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1943年モスクワ宣言によって、オーストリアがヒトラーの占領政策の最初の犠牲者であり、
「自由で独立したオーストリアの再建」が必要であることを連合軍に認めさせたことに示された。
このいわゆる「犠牲者論」が、オーストリアにとってはきわめて得難い政治的成果であることは、
戦後になってはじめて認識されることにあんった。つまりこの「犠牲者論」(オーストリアは国家として主体的にナチスに荷担したわけではなく、
その犠牲者であり抵抗者であるという神話)とオーストリアの独立(ドイツとの切り離し)が、戦後、連合国に占領されたオーストリアの政府の基本政策となっていったのである。
(それによって戦後4カ国に占領統治されながらも、ドイツとは違って分割統治されることはなかった。)戦後は、戦争中にナチス・ドイツに加担した人びとでさえも、
都合良くこの「犠牲者論」に便乗したのである。その結果、シュシュニックの支持者であっても亡命した者ならば、立派な「愛国者」であるということになった。
オーストコリア=ナチスに協力しまくったのにドイツが負けた途端、
一転して犠牲者をアピールして同情を買うオーストリアと韓国のこと