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【社説】キム・ヨナがくれたプレゼント
4分10秒の演技を終えたキム・ヨナは、息が上がる状況の中でも笑みを浮かべた。観客席に向かって両手を
振りながら、別れのあいさつを行った。6歳の時におばさんから赤いスケート靴をプレゼントしてもらってか
ら18年、14歳の時にジュニアグランプリで優勝し世界の舞台にデビューしてから10年、その間ずっとそのか
弱い肩に背負ってきた重荷を今回ついに下ろしたのだ。
キム・ヨナは五輪2連覇を目前で逃したが、それでもその姿には気品があり「どのような結果も受け入れ
るべきだ」と自ら語った。ソチ五輪を最後に選手生活に終止符を打ち「苦労したものをすべて出すことが
できた。すべてを終えて幸せ」とも話した。幸福を感じたのはむしろ大韓民国だ。キム・ヨナが登場する前
まで、韓国人にとって女子フィギュアスケートは別世界の出来事だった。フィギュアのスターは国力がある、
裕福な国からしか出てこないと思っていたからだ。
キム・ヨナは夢を現実のものとした。まともなリンクなど1カ所もないようなこの国で奇跡を起こした。
この世に越えられない壁などないことを教えてくれたのは、韓国人にとってこれ以上ないプレゼントだっ
た。世界の人たちの心を奪い、韓国人にはプライドを抱かせてくれた。キム・ヨナは国の格を一段階引き
上げてくれたのだ。
熱狂の後には長く辛い時期もあった。まだ若いキム・ヨナはワイヤーで体を縛りながら数えきれないほ
どジャンプの練習をした。毎晩夜12時が過ぎ、果川アイスリンクの職員が消灯を催促してくるまで何度も
何度もジャンプをした。ひざ、腰、股関節、尾てい骨など全身が負傷と痛みだらけだった。20歳のキム・
ヨナはバンクーバー五輪で史上最高点を記録しレジェンドとなった。
キム・ヨナは全盛期を過ぎる前に、拍手を受けながら引退したいと考えていた。厳しい練習に耐える自信
はもうなかった。「もう期待には応えられないかも知れない」という恐怖もあった。2年休んだキム・ヨナ
は「悔いを残したくない」という思いから復帰を果たした。逃げずに恐怖と向き合った。キム・ヨナは今
や自分自身に100点ではなく120点を付け「苦労が報われた」と語った。キム・ヨナが韓国人に与えてくれ
た勇気と喜びは、かけがえのないものだ。
4年前のバンクーバー五輪で、米国NBCはキム・ヨナの演技を見て「女王万歳」と叫んだ。4年後のソチ
でもキム・ヨナはやはり女王だった。今回我々はキム・ヨナに再び拍手を送ることができて幸せだった。本当にありがとう。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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