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私は作家だ。小説で登壇した後、毎年作品を発表してきたし、単行本も出してきた。11歳の時
に初めて小説を書いて以来、40年間文学で怠ることはなかった。もちろんペンを折った10余年が
あった。熱望が才能を圧倒した若い時代、才能のみすぼらしさに怒りを抑えられなかった。振り返
ってみれば、それも無謀な欲望の熱気を冷ますための習作期だったようだ。そのおかげで今は文
学が私の成就のための道具ではなく、私が文学の道具になってもよいという考えに到達すること
ができた。
しかし文学は私の生業ではない。小説だけ書いて食べていけるとも思っていない。ハングル人
口が少なく、ハングルを書く作家の市場はもともと狭い。さらに1年間に本1冊も読まない国民が3
0%を超え、1人あたり本の購入に2万ウォン(約2000円)も出費しないなど、本を読まないことで
は世界屈指に入るため、読者もいない。こういう時代に文学で生活していくというのは考えられな
い。このため文壇ではK-POPやドラマのように文学韓流を願望する話が出る。
今週の月曜日、韓国小説家協会が開催した2014新鋭作家フォーラムのテーマも「韓国小説グ
ローバル化の道」だった。この日、詩人の高銀(コ・ウン)氏がマケドニアの「ストルーガ国際詩祭」
で金冠賞の受賞者に選ばれたと伝えられていた。しかし講演をしたクォン・ヨンミン檀国大大学院
教授は「韓国小説の韓流は悲観的」と結論づけた。最大の難関は翻訳者がいないということ。韓
国文学翻訳院は毎年7、8冊を翻訳するが、問題は翻訳をしたからといって外国の読者が読むわ
けではないという点だ。翻案小説は誰が翻訳したのかが読者の選択基準となる。
日本初のノーベル文学賞受賞作である『雪国』も、米国の有名翻訳家が翻訳したおかげで英語
圏でひとまず信頼を受けることができた。村上春樹の作品を翻訳する3人の翻訳家も米国内で信
頼されている翻訳家だ。現地のスター級翻訳家が現地の読者の手に本を握らせるということだ。し
かし有名な外国人韓国文学専門家は一人もいない。クォン教授は、展示性の翻訳や翻訳料の支
援より、実力ある外国人スター級翻訳家を育成するのに投資するべきだと述べた。いつになること
やら…。
しかし考えてみると、ポップ文化の韓流も国内ファン層が厚くなってから可能だった。文学韓流
もそうだ。韓国の読者が韓国文学を先に愛してこそ、外国人も振り向く。もちろん今は映像コンテ
ンツ時代だ。活字コンテンツは映像の感覚に追いつけない。しかし活字コンテンツは知性と感性の
拡張性では卓越している。いつか読者が感覚的な満足より精神の豊かさを追求すれば、文学は
また満開するだろう。もちろん今の傾向を見ると、実力ある外国人翻訳家を育てるより、韓国読者
が文学に振り向くのを待つほうがはるかに遠いと思われるが…。
ヤン・ソンヒ論説委員
ソース:中央日報日本語版<【噴水台】韓国文学にはなぜ村上春樹がいないのか? スター翻訳家不在のため?>
URLリンク(japanese.joins.com)