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◆【産経抄】朝鮮人を信じた伊藤への銃弾
明治39年、農政学者の新渡戸稲造が韓国に伊藤博文を訪ねたことがある。
伊藤は日本が保護国とした韓国の政務をみる統監の地位にあった。
新渡戸は伊藤に、日本から韓国への移民促進を訴えにきたのだが、
伊藤は「我輩は反対しておる」だった。
▼「しかし朝鮮人だけでこの国を開くことができましょうか」と反論する新渡戸にこう答えた。
「君、朝鮮人はえらいよ…この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない」。
伊藤によれば、韓国の現状は人民が悪いのじゃなく、政治が悪いからである。
▼瀧井一博氏の『伊藤博文』が紹介するエピソードである。
だから伊藤が初代韓国統監を引き受けたのは、韓国の政治改革を推進し、
韓国人の潜在的自治能力を開発するためだった。
文官である自らが統監となることで、日本軍による介入を抑える狙いもあったという。
▼最終的には「日本の安全保障のため」という小村寿太郎外相らに押し切られるが、
日本への併合にも終始慎重だった。
満州(中国東北部)への日本の進出にも反対で、俗な言葉では「ハト派」の長老だった。
韓国や中国(清)にとって良き理解者と言ってよかった。
▼その伊藤が統監辞任後の明治42年、満州のハルビンで韓国人の安重根により暗殺された。
当然日本の世論は激高する。閣議決定済みだったとはいえ、併合に拍車がかかったことは
言うまでもない。伊藤が避けようとしていた「武断統治」を招くことにもなった。
▼そんなテロリストの記念館がハルビンに建設された。
中韓反日連合の象徴のつもりらしいが、これこそ歴史を直視できない愚挙である。
もっとも韓国併合を「悪」一点張りで描き、伊藤をその首謀者のようにしてきた
日本の自虐史観の罪も大きい。
MSN産経ニュース 2014年1月22日 03:16
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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